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UC無原罪論のルーツを訪ねて、その1(韓女史の誕生秘話など)




TMは自分こそが生まれながらの無原罪の独生女であることを次のように主張する:

「私は腹中から3代一人娘の母系として血統転換し、原罪を清算して純潔で誕生した独生女だ。ところがお父様は原罪を持って生まれた。

私は一人娘として生まれたが、お父様には複数の兄弟がいる。お父様が原罪なく生まれたなら、その兄弟たちも原罪がないという話になる。したがってお父様は原罪なく生まれたのではのではないということだ」(2016/12/25 天正宮にての発言)



これに対して文教主は自分こそが無原罪の再臨主でTMは堕落の血統をもって生まれたと次のように主張する:

「マリアの腹中から生まれたイエスは、サタン世界の血統を転換させました。 血統を転換させた位置から出てきましたが、イエスの相対になりうる新婦は、血統転換の歴史の過程を経ませんでした。」 ☆平和神経解説1592ページ☆

「皆さん、オモニは生まれながらに王女のように生まれ、オモニのように再臨主の妻として生まれたと思いますか?言って見なさい。堕落した血統をもって生まれました。」 ☆み言葉選集461巻26ページ、2004.7.19 <家庭盟誓完成と真の父母に侍る生活>☆




ここで、確かなことは両者ともアダムから生まれた子孫であるのなら、イエスのような無原罪になるための出生の過程を経て無原罪で生まれたのか、生後血統転換の条件を立てて無原罪になったのかである。

あえて、もう一つの可能性を付け加えるのであるのなら、イエスはすでに無原罪になるための蕩減条件を立てて出生したので、再臨主はイエスのような出生の過程を経なくても神は資質のある者を選ぶことが出来るということである。

そうだとすれば、文師以外に7人とか12人とかのメシア候補が可能になる。韓国ではメシアを名乗る者は50名いるという。この第三の立場は全く根拠が無いのではなく、文師自らがこの立場を言及している:

「メシアとは、思いを尽くし、心を尽くし、魂を尽くして、地上に神のみ旨を成そうとする人のことをいう、私もメシアになろうとしているし、あなたもメシアにならなくてはならない。」



韓国でメシアを名乗る者が50名いるのなら、世界中ではもっといることになる。

この第三の立場は「私は道であり、真理であり、命でありる。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」というメシア観ではないので、他宗教との摩擦は起きない。

これはヨハネ伝の著者の記述であって、イエスが本当にそんなことを言ったのかは分かりませんがキリスト教徒はこれを信じて“異教徒を打て”という方針のもとに、世界を植民地化する帝国主義の先兵になってしまったことは歴史の知るところである。

宗教学ではこのような独善的な宗教を帝国主義的宗教と呼んでいる。原理も文教主または韓女子のみが無原罪で”私を通さなければ誰も救われない”などと主張し、反日韓国至上主義と結びつけば、帝国主義的宗教になり、日本のUC・家庭連合はその植民地となる。そして、公安の監視対象となる。

韓女史が裁判という公の場で自分が”無原罪の独生女である”をことを公言したとなると、教会内の枠を超えてその客観的な真相究明の世界に入ってしまう。

すると、韓女史の誕生秘話に触れることになり、大母様とよばれている洪順愛氏が既婚者で腹中教で恍惚状態になって踊り、その中で妻のいる韓承運氏と交わることによって、韓鶴子夫人を妊娠したことまで暴露されることになる。

韓承運氏も洪順愛氏も”血分け”で有名な李龍道牧師の信徒であり、文教祖はイエスから啓示を受けたといわれる1936年(満16歳)から、李龍道氏が創設した「新イエス教(またはイエス教)」の熱狂的な信者であったという。

血分教の源流といえば、李龍道と王国柱は有名であるが、李龍道はメソジスト系の神学校を出た人物で、神秘主義に傾倒するようになり、独自の境地を切り開いた。

神との霊的合一という独特の境地を、新郎に対する新婦の性愛という比喩で信者に説いたのである。

やがて、比喩の次元を超えて、神との霊的合一とは神との結婚を意味するようになる。そして、彼は自らをついにキリストと同一視するに至った。

ここまでくれば行きつくところはキリストの化身である自分と信者との融合、合一、すなわち、霊体交換による血分教を開眼したのである。(注:ネットより)


したがって、文教主と韓鶴子夫人の無原罪を主張する根拠のルーツは李龍道との霊体交換に由来するとも言えるだろう。ただし、どのようにして李龍道が無原罪になれたのかは謎である。


次回に続く・・・



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キリスト教の受容と統一教会の現実(UCが世界に受け入れられる為には)




宗教社会学では「受容」という専門用語が使われていますが、例を挙げて説明しますと 、ヘブライズムのキリスト教はギリシャ・ロ-マのヘレニズムを受け入れることによってその社会に受け入れられていったのです。

アウグスチヌスは当時流行していたネオプラトニズムを使って、それを枠組みにしてキリスト教の神学を構築していったのです。そうすることによって、ロ-マ社会と文化に受け入れられていったのです。

聖書の中にも、ロ-マの執権、ピラトに大変気を使ってイエスを十字架につけた責任をロ-マの側、すなわち、時の権力になるべくしないようにして、ユダヤ人のせいにしています。すなわち、時の権力ににらまれないようにしているのです(定番になっている学門的見解です)。

これはイエスが死んでから60年から100年にかけて聖書が書かれていきましたので、その当時の社会情勢が色濃く反映しています。

原理本体論は講論から半世紀も経ってから書かれた代物ですから、今の韓国の反日社会情勢を反映するはずです。学問的には何処の宗教もそのようなものでしょう。

また、 従軍慰安婦論問題をオモニムに判断させるのも酷な問題です。これは学者の仕事であって、客観的、学問的調査を聴き取りで歩き回り、歴史的文献を集めて読みあさり・・・、そんなことをオモニムにやらせるわけにはいかないでしょう。

学者たちはアボニムもオモニムもある意味では韓国文化の所産と見ています。特に言葉はその国の文化を反映します。

メシヤといえども神性と人性の両面を持った存在ですから、神性面は普遍的ですが人性面はその国の文化、社会、歴史的な背景を抜きにしては語れないでしょう。

したがって、メシヤのUCの韓国的な側面という観点から研究すると韓国文化がたくさん出てくると思います。例えば式典のお供え物はヤン先生に言わせれば、そのほとんどが儒教の式典に酷似していると言います。

私が神学校で、学問的に権威ある宗教辞典で統一教会を調べてみると、嫌な事が堂々と書かれていました。

その特色の一つとして、上層部と下層部の経済的格差を取り上げています。これは韓国のヤンバン文化の反映と見なされているのです。

私の長男の嫁は韓国人ですが、大変親孝行です。シムチョンという物語は盲目の親の為に娘が漁師に身を売って、嵐の海の中に飛び込むお話しです。

残念ながら、私には50%は感動しますが、後の50%が感動しないのです。その逆でもあれば100%感動します。

ゆがんだ儒教思想でしょうか?子供は親の為に犠牲になるのは当然と言っているように感じるのです。

ある韓国の国家メシヤが任地国に入れないので、マイアミに拠点を構えていましたが、自分たちの家庭は一段高いところで、椅子とテ-ブルで食事をし、日本の宣教師たちは土間(?)のようなところに新聞紙を敷いて座らせ、ファストフ-ドのような物を食べさせて、当たり前のよな顔をしている様子を見て大変激怒した食口の報告を聞いたことがあります。

これは親の立場にある幹部に子供の立場にある平信徒が犠牲になるのは当然という韓国の儒教思想から来ている出来事に見えます。

すると、どうでしょうか、日本の信徒を借金地獄しながら自分たちはその上にあぐらをかくということを平気できる事になります。

抗議をするよな信徒が出てきたら強制従軍慰安婦論で、自虐史観を植えつけるのです。これが彼らの日本UCに対する統治の仕方だと思います。

ただし、亨進様や顕進様のようなアメリカの民主主義の中で生まれ育った二世達の時代になると、世代をかけて変わっていくのでしょう。したがって、宗教学者たちは世代を通してこの宗教団体の行く末を見ようとしています。




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少子高齢化に対する家庭連合が取るべき道(この問題に対する家庭連合のトンチンカンな対応)




ある人から次のような質問がありました:

ところで家庭連合に少子化対策の妙案はないのでしょうか。有効な妙案を提案すれば家庭連合の株はぐっと上がると思うのですが。


これに対する師観の返信:

原理は家庭的四位基台の重要性を説いています。原理の素晴らしいところは人間の最小単位を個人ではなく、家庭においているところです。

生物は単細胞分裂をする原始的な生物以外はペアシステムで存続するようになっているのです。人間もアダムがいかに立派に個性完成しても、男性一人では、一代で”種”が絶えてしまうのです。

それゆえ、神はアダムとエバを創造したのです。学問的には聖書はヘブライ神話ですから、科学的にはアダム・エバが実在したかどうかは証明できませんが、要するに、生物学的には最低、一男一女が必要であったということです。

それゆえ、復帰原理ではアダム家庭の復帰、ノア家庭の復帰、アブラハム家庭の復帰というように、復帰も家庭単位になっているのです。

復帰原理の中心は堕落したアダム・エバのお陰で、血統的に有原罪になってしまった彼らの子孫にメシアを迎えて祝福を受けて血統転換し、無原罪の神の子女になることなのです。これが人類に対する救いの道だというのです。

もしこのことが本当だというのなら、一般の人を伝道することは大切ですが、それと同時に無原罪の神の子女を生み増やし、内的にも外的にも立派に教育することがさらに大切なのです。

出エジプト記を見ると、奴隷であるイスラエル民族の繁殖力はエジプト人の繁殖力よりも神の祝福によりはるかに勝っていたという。それで、恐れをなしたファラオは国民全体に「生まれた男の子は、一人残らずナイル川に放り込め、・・・」(2:22)と命じるのです。

ここで、大切なことは神は聖書を通して、神の祝福を受けた人々はこの世の人々より、大いなる繁殖力を持って子女を生み増せ、エジプト(非原理世界)が認知せざるをえないような一大勢力になれ、と示唆していることです。

神学によれば、神の啓示には三つあるという。

1.宇宙啓示(宇宙自然界を通しての啓示)、
2.良心啓示(神から来る良心の声)、
3.歴史的啓示(聖書、歴史、世界情勢等)

などです。先進国の多くは何処でも少子高齢化で悩んでいるのが世界の情勢だとすれば、サタンが主管する世界(エジプト)が少子高齢化の現象になっている今の内に神が主管する無原罪の神の子女をイスラエル民族のように生み増やせ、と言うのが啓示だということです。

すなわち、UC・家庭連合は祝福の子女を大いに繁殖して、倫理的、道徳的教育は勿論のこと、外的にも証しになるような大学教育を受けさせ、少子化対策に大いに貢献して、市民権を勝ち取ってカルトの汚名を晴らしなさい、と啓示しているのです。


然るに、UC・家庭連合は何をしているのでしょうか?


1. 私が川崎に住んでいた時、ある小学校で勉強を全くせず、授業中に騒ぎ立てる名うての問題児が出現しました。

その子は1800双のある巡回師の子女でした。聞くところによると、家に帰って来るのが、夜の11時過ぎだという。大変強い縦的信仰の強い人で、神の摂理のために家庭を犠牲するほど邁進すれば、子供は親の姿を見て、立派に育つと思っていたのでしょう。

これは当時の教会の一般的な信仰観でしたが、これを普遍化してしまうと登校拒否の問題児が続出して来るのです。教会の弱点は例外的なケ-スを普遍化して、祝福家庭を顧みないことです。

その結果、投稿拒否どころか、男が男に体を売って生活する子女まで登場し、その証しを本にして、出版したのです。これは信徒の間ではかなり話題になっていました。


2. UC・家庭連合が、借り入れなどと称して信徒に借金してまでも献金させるようでは、彼らは子供を産んでも教育費までも犠牲にしてしまうので、安心して子供を沢山産めないのです。これでは、少子化対策になりません。

本当に、祝福家庭が原罪の無い子を産む唯一の家庭だと思うのなら、沢山子を産むことを奨励し、立派に教育することをみ旨の第一義に位置づけるべきなのです。

少子化を逆手に取って、原罪の無い子を沢山生み育てることでカトリックやモルモン教会のように教勢を伸ばすことが出来、この世に勝利するカギとなるのです。

小学生でも分りそうなことをやらずに、赤字の事業団や箱物の維持費に追われて、信徒に子供は一人で十分だからなどと産児制限みたいなことを言い出し、子供の養育費まで献金させている有様です。


献金は祝福家庭が沢山の子を生む奨励金として与えられ、生まれた子供たちは天の宝として、教会を挙げて公人公器として育てられ、貧しい家庭には奨学金として付与されるべきでしょう。

天の保育園、幼稚園が各教区に建てられ、日本にも天民教育をするための小・中・高・大学が必要でなのです。しかし、現実はやっていることがトンチンカンなのです。



今の家庭連合が、天の宝である祝福2世の教育をもっと重要視する教会に変わってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
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「マムシの子らよ」という聖句は果たして原罪があると言う事を言及しているのか?



イエスは原罪についてなにも言及していないという私の発言について、

「聖書の中の”マムシの子らよ”というのは原罪があると言う事でしょうね。サタンの子、サタンの血統。これが原罪」

というコメントが付きましたので、これについて注解してみたいと思います。


おそらくこれは原理講論(p102)に書かれている次の聖句からそのように言っているのでしょう。

マタイの福音書3/7において、洗礼ヨハネがユダヤ人たちをみて「まむしの子」、すなわちサタンの子孫であると叱責し、また、マタイ23/33においてイエスがユダヤ人たちを見て、「へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰を逃れられることが出来ようか」と叱責されたという記録がある。

原理講論の引用終わり


ところが聖書マタイ3/7を見ると、ヨハネは、フアリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、「まむしの子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか」と言ったと書かれている。

これはあくまでもフアリサイ派やサドカイ派の人々に対して言った言葉であり、ユダヤ人全体に対してではない。

まして、ヨハネが所属しているといわれているエッセネ派の人々は出てこない。興味深いのは熱心党派の人々も出てこないことです。

次に、マタイ37章はイエスが律法学者とファリサイ派の人々を非難している章なのです。

例えば、37/29では「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。

そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。こうして自分が預言者たちを殺した者たちの子孫であることを自ら証明している。

・・・蛇よ、まむしの子らよ、どうしてあなたたちは地獄の刑罰を免れることが出来ようか(37/38)」と書いてあるのです。

したがって、まむしの子とは「預言者たちを殺した者たちの子孫」であることになるのです。

ここにおいてもイエスはユダヤ人全体について「まむしの子」と言っているのではなく、あくまでも「律法学者たちとファリサイ派の人々」ついて言っているのです。

したがって、これらの聖句を引き合いに、「まむしの子」が天使長と性関係を結んだ子孫であると決めつけ、言い張るには難点があるのです。

余談になりますが、シックが反対牧師に捕まり、一緒に聖書と講論を比べながら勉強すると講論の弱点が浮き彫りにされ、落ちてゆくのです。

参考までに、「まむし」や「まむしの子」については聖書のいたるところに出て来ますので、全部羅列しておきましょう。

創49/17、ヨブ20/16、詩91/13、イザヤ14/29、59/5、エレ8/17などですが、天使長やサタンの血統に言及しているものはどこにもありません。

さらに聖書を客観的、学問的観点から研究する聖書学の観点から、この”まむしの子ら”を注解してみましょう。

「原点(資料)批評」(Source Criticism)、すなわち、聖書各巻をなしている歴史的資料を見出す学問によれば、紀元68年頃に記録された一番短いマルコ福音書が最初の福音書であり、イエスの生涯についての最も信頼できる資料であるという。

マタイとルカは、このマルコの福音書を重要な資料として書いたことが明らかとなった。

さらにマルコ資料の他に、マタイとルカが使用したもう一つの共通な別な資料があったということが、ほぼ確かな事実であることが分かり、その資料を学会ではQ(Quail、すなわち、諸記録)と呼んでいる。
 
また、「編集史的批評」(Reduction Criticism),すなわち各福音書の編集者が、何の目的で福音書を書いたかを研究する学問によれば、マタイ福音書はパレスチナにいたユダヤ人クリスチャンのために、マルコ福音書はロ-マにいたクリスチャンのために書かれたものであり、ルカ福音書は異邦人のために、ヨハネ福音書はギリシャのクリスチャンのために書かれものであることが分かってきた。

すなわち、4人の編集者たちはそれぞれ自分の読者たちの環境を念頭に入れて福音書を書いたのであって、イエスに対する客観的な史実を記録するつもりで書いたものではなかったというのである。

福音書はイエスの生涯に関する目撃者の報告ではなく、イエスの死後40年ないし60年たった後のキリスト教社会に流布していた、初期のイエスに関する”言い伝え”を編纂した書であるという。

前置きが長くなりましたが、ここまでは聖書学の予備知識です。ここから本論に入ります。洗礼者ヨハネによる「まむしの子」の言及はマタイとルカ(3/7)にありますが、マルコとヨハネ福音書にはないのです。

さらに、イエスの「まむしの子」の言及はマタイだけなのです。この聖句がマルコにないとすれば、資料Qから来たとしか考えられないのです。

そこで、新聖書大辞典で調べてみると、マタイがヨハネの言葉を編集してヨハネだけの言葉でなく、イエスの言葉としても入れてきた編集句であるというのです。

したがって、聖句を根拠に云々する時はそれが編集句かどうかを調べてから云々しなければなりません。



参照:

ヨハネ福音書に関しては、コンピュータを使って聖書の言葉の統計的な分析を行ったところ、ヨハネ文章の構造や言葉のつ使い方などの特徴の分析結果が出てきたという。

これによれば、ヨハネ福音書はには、イエスの言葉がそのまま書き記されていないというのである。

例えば、写本を作る段階で余計な言葉が付け加えられたり、他の文章からの挿入や著者の個人的な考えまで付け加えられた形跡があるという。

したがって、イエスの言葉には、弁証のための長い説明や説教が付け加えられ、どこからどこまでがイエス自身の言葉なのか、どこが著者の言葉なのかが区別できないほどだというのである。


注1:講論に引用されている聖句は全く聖書学を踏まえていないので、聖書学を踏まえた学者や牧師から馬鹿にされることがありますので注意されたし。


注2:聖書解釈には二つの方法論がある。一つはエクスジズイズと言われていて、これは聖書をして聖書を語らせる、という方法です。

もう一つはアイスジズイズと言われていて、すでに自分が言いたいひらめきや考えや思いがあって、それに合う、または証明してくれる聖句を  探して引用する方法です。

講論の場合はすでに原理という前提があり、その観点から聖書を読み込んで行きますのでアイスジズイズということになります。これは結論が先にありきですから、学問の方法論としては難点があります。

私はこれは恐ろしいことだと思っています。聖書のどこにも書かれていないのに、原理が「まむしの子」はサタンの血統である原罪を意味する聖句だといえば、自分で確認をしないで鵜飲みして、盲目的に信じてしまうことです。



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祝福の前と後ではどんな違いがあるのか?(凡人から聖人になった訳ではない)




私を訪ねてくる人の中には祝福をうける前と後ではどんな違いがあるのか?という質問をしてくる人がいる。

この方によれば、受ける前の方がまだ純粋だったような気がするというのです。自分の嫌な性格や堕落性には何の変化もなかったという。

これは、別な言い方をすれば原罪を持っていた自分と無原罪になった自分との間には何の変化もなかったということになる。

私自身についても考えてみると、祝福によって信仰の安定感は獲得したが、凡人から聖人になった訳ではない。

年のせいか、だんだん気が短くなり、怒りぽっくなったようだ。その意味においては性格が以前より悪くなったのかな?と思うほどである。

私の場合は幸いに理想的な相対者と祝福を受けたからよいが、もともと性格が合わない人や、学歴や容姿にあまりにもギャップがある人と祝福を受けた場合には、悩みが反って多くなり、未祝福時代の方が良かったという人もいる。

入信する以前に恋人がいたシックにおいては、どうしても祝福を受けた相手と比べてしまうという。

信仰のある一世のシックは何とか耐えて、克服しょうとするが、二世になるとそうはいかない。

私の長男が二世同士の集まりがあって、参加して帰って来たが、9人中8人は壊れてしまったいたという。彼らにおいては原罪を脱ぐという大義がないので、好き嫌いを基準して判断するからである。

尋ね人の質問のおかげで、アメリカで経験した様々な問題の記憶がよみがえってきた。

私がニュ-ヨ-クの教会でアメリカシックのカウンセラ-を担当していた時に、ホモセクシャルで悩んでいるシックが相談に来た。

いくら祝福を受けても自分が変わらないという。ホモセクシャルには程度があり、時々その思いに主管されてしまう段階から、同じ思いを持っているシック同士で実践してしまう段階、ひどくなるとニュ-ヨ-クのペンステ-ションのトイレで相手を見つけて実践してしまうという。

気の毒なのはそのような本人もさることながら、そのような問題を持った人と祝福を受けた相対者も悲劇である。

統一神学校(UTS)で出会ったイギリスの女性はケンブリッジの天文学科を出た優秀なシックではあるがホモの相対であったためにひどく悩んいた。

そのような状態では家庭を持つことが出来ず、やむなく教会を去ってゆく人が多い。

アメリカの男性と祝福を受けるために日本から女性の一団が送られて来たて祝福を受けた時があったが、言葉が通じないので、英語の話せる先輩シックが二人がコミュニケーションが取れるように通訳してあげ、ある女性の主体者の男性がホモであることが分かった。

そこで、その女性にその人とのマッチングを断るように勧めたが、彼女は「天が決めた者を断るとはなんだ!」と啖呵を切ったので、勝手にしてくれということになった。

結局、家庭を出発できず、焦げ付いた状態が続く内に教会を去る以外に道はなくなってしまったようだ。

韓国では、教会長がノルマをかけられたために、嫁の来てがない田舎に行って、「統一教会に入れば持参金付きの大学出の日本の女性を嫁にもらえるぞ!」と説いて回り、祝福候補を獲得したという。

彼らは条件的にお付き合いで原理の修練会に出ることは出るが、その多くは信者になった訳ではない。

そのような男性と祝福を受けた日本女性の中には、労働の担い手とセックス奴隷として扱われる者も少なくはない。

中には耐えきれず、夫を殺してしまう悲劇も起こるほどである。そして、これが祝福の理想と現実なのである。

しかし、すべてがそうだというのではない。

それにしても祝福を受けて無原罪になり、人格完成を謳っている人たちの組織、教会が、共産主義みたいに言論統制し、神山、東森、清野氏などを除名にし、彼らを戦々恐々と見張っている。

三分裂して互いに敵対するのなら、祝福をいくら受けても何も変わらないことになる。クワバラ、クワバラ




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