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「チャーチルの戦い」一読に値します

師観:某氏より「チャーチルの映画を録画していたので観てみました」を転送します。。

ナチス・ドイツが周辺諸国を次々と侵略してもイギリス指導層はヒトラーと対話することによって事態を打開することを考えていました。
つまりヒトラーが要求する条件を飲み、譲歩することによって直接対決を避けようとしていました。
そういった中、チャーチルが首相に抜擢され徹底抗戦を主張しますが、それは誰からも理解されないものでした。

万一、日本の周辺にこのような事態が起きても、おそらく「対話によって解決」という世論が沸騰することと思います。
国家的危機に遭遇しいたとき、リーダーはどうあるべきか非常に考えさせられる映画でした。

1週間だけおいておきます。関心のある方はダウンロードしてご覧下さい。
86分 ファイルサイズ1.77GB

シネマ「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」
https://s.mypocket.ocn.ne.jp/FcrlNp

以下は中西輝政著『大英帝国衰亡史』からの抜粋です。

 その年(1940年)の5月10日、西部国境に集結した137個師団のドイツ軍は、怒濤のような勢いでフランス、ベルギーの領内へ進撃を開始した。独仏国境に沿って構築されていたフランス軍の要塞「マジノ線」を迂回し、アルデンヌ高原をかすめて英仏連合軍の背後に進出したグデーリアンやロンメルの指揮するドイツ戦車の大群は、まっしぐらに英仏海峡のカレーをめざし殺到した。およそ30万のイギリスの大陸派遣軍は、1週間のうちにカレーの北、ダンケルクの砂浜に追いつめられた。ロンドンでは、海軍軍令部が空・陸からの攻撃にさらされつつあるこれら包囲下の英軍を撤収させることは、「ほとんど不可能」との見通しを報告した。そしてパリ陥落とフランスの降伏は、日一日と確実な情勢となりつつあった。

 しかしこのとき、「壁ぎわに追いつめられた」ときに初めてあらわれるイギリス人の国民的な「抵抗精神」が目覚めた。

 わずか2週間前、首相の座についたチャーチルの指導下に、「ダイナモ作戦」と名づけられた、決死のダンケルク撤収作戦が始まり、BBC放送を通じ海軍省の呼びかけに応じたヨットを含む民間小型船舶の持ち主たちは、イギリス兵を救出すべく大群をなして、ドイツ空軍機の襲来の危険を冒し最前線のダンケルクの浜辺に赴いた。

 こうした国民的な危機意識と英雄的な自己犠牲の名場面をつくりだしながら、ダンケルク撤退は奇跡的な成功を収め、多数の民間船舶を動員したこの作戦によって、包囲下にあったおよそ33万の英仏軍のほとんどすべてを無事、イギリス本土に撤収させるという、奇跡的な「大戦果」が収められたのであった。

 この成功によって、イギリス人の戦争継続への意志は再び活力を取り戻した。国王ジョージ6世は「ダンケルクの奇蹟」を見て、「これでわれわれはやっと自分を取り戻し“われわれの戦い”を演じられるようになった」と日記に記した。

 ダンケルクの撤収が完了した6月初めの、さわやかに晴れわたった初夏の日、ウィンストン・チャーチルの声がBBCを通じイギリス中に響きわたった。

 「われわれは海岸で、渚で、そして田園で、街路で、丘陵で、あらゆるところで戦いつづけよう。われわれはけっして降伏しはしない」

 ダンケルクから命からがら逃げ帰ったある若い兵士も自らのそのときの感動を、次のように回想している。
 「われわれの部隊はダンケルクへの道でナチに痛打を浴びせられた。生き残った者は装備も何もかも振り捨てて小船にしがみついた。なかには軍靴もはかない者がいた。ようやくドーバーの港に着いても、まだ恐怖で茫然自失のままであった。その後も突進してくるドイツ戦車の記憶に毎晩うなされる日がつづいた。そのときチャーチルの声がラジオを通じて流れてきた。『われわれはけっして降伏しはしない』。その声を聞いたとき、私の頬からは涙がつたって落ちた……。パンツァーに立ち向かうのだ。そしてわれわれは必ず勝利すると」

 「帝国最良のとき(あるいは、いっとき)」が訪れようとしていた。

 「ダンケルク」につづく、イギリスの空の戦い、「バトル・オブ・ブリテン」は、イギリス人にとって英雄的な第2次大戦のイメージにいっそうのロマンティックな彩りを添える戦いとなった。

 透きとおるように澄みわたったイングランドの8月の青空を背景に、雲霞のごとき大群をなして襲来するドイツ空軍機に立ち向かう少数の「ハリケーン」と「スピットファイアー」戦闘機の戦いは、まさに“英雄的”の2日に尽きた。

 嵐のようなドイツ空軍のイギリス空襲は、1940年の夏の3か月にわたってつづいた。ロンドン市民は毎夜のごとく防空壕や地下鉄のホームで空爆に耐えつづけた。人びとは進んで苦悩を分かち合い、むしろ国家のギリギリの苦難のなかで、始めて生き生きとした躍動の日々を送り始めた。それは多くの人びとが戦前に予想した空爆による「士気の崩壊」をみじんも感じさせない光景であった。まさに「帝国最良の日々」が到来していた。

 そして9月、イギリス戦闘機部隊の英雄的な戦いによって、ついにこの嵐を喰い止めたと感じられたとき、チャーチルは、「史上、かくも多数の人びとが、かくも少数の人びとに、かくも多くのものを負うことになったのは、いまだかつてなかったことだ」と感動に満ちたレトリックでこれを評した。

 「最悪の日々は終わった。そしてわれわれは戦いつづけるのだ」という気分が、イギリス全土に行き渡っていった。実際、「ダンケルク」から「バトル・オブ・ブリテン」に至る「1940年の夏」の戦いは、有無をいわせぬ国家的危機のなかで最後の一線を死守したにすぎない戦いであったが、そのなかから生まれたイギリス人の「精神の高まり」は、その後の大戦への関わり、そして大英帝国の運命に決定的な影響を及ぼすことになった。


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【旧統一教会の解散請求について】本当に怖い事とは

S氏:

 この方も統一教会には大反対ですが、解散請求は危険だと警告してます。なんだかわからないけど元気が出ました\(^o^)/。当然、徳永、中山弁護士もUC/FFの教義に賛同して応援している訳ではないと思います。
【旧統一教会の解散請求について】本当に怖い事とは https://www.youtube.com/watch?v=NB--HJ1h6tM
I氏:

> 当然、徳永、中山弁護士もUC/FFの教義に賛同して応援している訳ではないと思います。

 思想信条の自由を守るための政府の解散請求反対であって、旧統一教会擁護ではないですからね。解散請求反対の声を上げる教会外の人でも、「教義は知らないし、何か気持ち悪いこと言っているみたいだから知りたいとも思わない」と必ず前置きを起きます。教義を多少とも知っているクリスチャンなどでは「教義には反対で、全く受け入れられない」と必ず前置きをしてから、国家権力が心の中の問題に手を突っ込むことの不当さを訴えます。

「2月19日、マイク・ポンペオ前国務長官から日本の同志たちへのメッセージ:
「信仰と言うものはどんな政府が抑圧しても抑えきれるものではない。日本の左翼は統一教会を反社会的存在であると攻撃してきた」https://www.youtube.com/watch?v=NMKzTWigdkY
ここで言っていることは、信教の自由という原則と並べて、「共産主義の脅威を警告し、共産主義と戦ってきたから素晴らしい」という話です。

 ところが、今の家庭連合(日本も韓国も)は、共産主義の脅威などを訴えて戦わないどころか、韓国勝共連合はとっくの昔に解散、日本勝共連合は過去の栄光の残影ばかりの骨抜きになってしまいました。味を失った塩であり、歌を忘れたカナリアです。

 イエス様は、味を失った塩は「もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。」とされていますが、今日本家庭連合も捨てられ人々に踏みつけられています。まことに、御言の通り。

 歌を忘れたカナリアは https://bunbun.boo.jp/okera/w_shouka/s_sengo/se6_uta_kanariya.htm
「唄を忘れた 金糸雀(かなりや)は、後(うしろ)の山に棄てましょか
唄を忘れた 金糸雀は、背戸(せど)の小薮(こやぶ)に埋(い)けましょか
唄を忘れた 金糸雀は、柳の鞭(むち)でぶちましょか」
(歌はかわいいのに、歌詞はすごいね・・・ ^_^;;)
 ということで、日本家庭連合も後ろの山に捨てられ、小籔に埋められ、柳の鞭でぶたれています。

でも歌では「いえいえ、それはなりませぬ」で、最後に 「唄を忘れた 金糸雀は、象牙の船に、銀の櫂(かい)、月夜の海に 浮かべれば、忘れた唄をおもいだす」ということで、希望的に終わっています。

 で、日本家庭連合は勝共活動とか本質的信仰に志のある信徒に、「象牙の船に銀の櫂」を与えることができるでしょうか?
きっとだめだよなあ~、「良いものはみんな取り上げてかっぱらう、信徒はただでこき使う、独生女に無条件盲従させて献金確保」しか考えていないから。

 今までは、日本家庭連合の本部・幹部達も「上(韓国本部)からの指示だから、私にはどうすることもできなかった」で言を左右にしてきましたが、もうこの期に及んでは、そういう言い訳は一切通用しない、ということをよくよく認識してもらわないと困ります。直接・間接に擁護してくれる言論人・宗教者・弁護士などの善意を裏切るような真似をしたら、家庭連合は言うに及ばず、もう日本の信教の自由は終わりです。

師観:
 イエスは「死人を葬ることは死人に任せておけばよい」(ルカ9/60)と言われたように、私が献身した頃の旧統一教会は死人の救済ではなく、「地上天国実現」の垂れ幕の標語を掲げて街頭演説をやっていた。教義の内容もイエスの十字架における勝利は霊的次元の勝利であって、地上界までの勝利には至っていないので、地上界は未だサタンが支配している。それゆえ、再臨主の使命は地上に天国を気づくことであるというものであった。ところが日本で霊感商法が日本の先祖供養の文化に巧みに入り込み、先祖の霊の解怨を説くことによって多額の献金が獲得できるようになった。
 それ以来、「地上天国実現」はどかに行ってしまい、もっぱら先祖解怨が教義の中心になってしまった。献金欲しさに教義までも変えてしまうご世俗的利益宗教に成り下がってしまった。

 イエスは「死人を葬ることは死人に任せておけばよい」と言われたが、統一教会は地上の救済は”ほっとらし”にして献金欲しさに死人の救済に埋没してしまい、カルトと見なされ、解散命令に追い込まれてしまった。そして今なお多くの信徒がそのような変質した組織の命令に盲従している有様は、不可解な現象であると言わざるを得ない。


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政府がやっているのは宗教弾圧?

T氏:

(統一教会が)選挙に一切関与していけないというのは「お前たちは国民の権利を制限されてしかるべき」と言っているのと同じことになる。「これは宗教弾圧だ」と言われたら(政府は)何と否定するんだろうと思う。統一教会だからいけないというのは理屈が通らない。

S氏:

 市民の方も自民党がこんなにUCを応援してた過去があるのに現在の状況を不思議に思わないのでしょうか?
「選挙期間中は平和連合会員10~20人が盛山事務所に出入り。有権者に電話で投票を呼びかけたというからベタベタだ。盛山氏は小選挙区で敗れ、近畿ブロック下位2人目で比例復活。選挙は弱く、教団の支援なしではタダの人になった可能性大だった。」(日刊ゲンダイ)

H氏:

私は宗教弾圧だとは思いません。・献金のこと・韓日祝福候補者のこと(祝福候補者は全員信仰があると言った嘘) それらをみても、教会の行為が普通だとは思いません。また問題が起きてからの教会の対応を聞いても、一般社会では受け入れ難い内容もありました。 最近はコンプライアンス宣言して、改善したとのことですが。

 家庭連合のHPでは、幸せな夫婦のインタビューが載っています。それはもちろん事実です。でも信仰のない、仕事もしないアル中韓国人夫から暴力を受けて逃げて帰った日本人妻達 の記事は見たことがありません。教会は「事実を隠している」のです。 これも偏向報道では?と感じるのは私だけでしょうか?

一連の出来事を通じて、神様は教会に「生まれ変わりなさい」と大声で注意しているとしか思えないです。弾圧ではありません。

神様からの愛のメッセージです:「あなたがある状況下に置かれた時は、 神様があならのためにそれを準備されたことを 忘れてはなりません」

M氏:

私も同感です。 UC/FFは自分で偏向報道していながら、他者を批判しています。 これは、UC/FFのダブルスタンダードを示す好例です。多くの現役食口はダブルスタンダードを自覚していないので指摘してあげる必要が有ります。

I氏:
 ここで問題にしているのは、- 政府が宗教団体にどれだけ圧力や規制をかけて良いのか、という政教分離原則の問題- 特定の宗教団体だけを規制し、他の宗教団(その他のNGO/NPO団体も含め)は目をつぶる、という不公平性の問題だろうと思います。

「旧統一教会問題」で言うならば、岸田政権がやっているようなこと民事裁判だけを根拠として宗教団体の解散を請求する(ほかに刑事事件を含む問題を起こしている多くの宗教団体はそのままなのに)その判断基準を一夜にして、閣議も会議も行うことなく、記録にも一切残さず、密室の中で変更する。

 解散請求の是非を決定する会議の独立性を守らず、政治的結論ありきで、委員に裏で圧力をかける。(こんな圧力に負ける委員(宗教者、学識経験者)もヘタレではあるけど) 政治との関係が深いことを理由として「悪」と断罪する(他に政教一致そのもののような宗教団体はそのままなのに)

献金額、海外送金額の多さを理由として「悪」と断罪する(他にも高額献金・高額送金をしている宗教団体はあるのに)「カルト」「マインドコントロール」など、法的に曖昧で確率されていない言葉を使ってレッテル貼りをする(法治国家ではしていないこと)

 当事者の一方(反対派)の主張のみを聞き、もう一方(非難されている側)の声は一切聞かない。(その反対派は拉致監禁・暴行・デプロプログラミングなど相当悪質な被害を多数う出しているのに)

 特定の宗教団体の信者であることを理由として、その人の政治参加を拒否する。話も聞かない。解散されることによる信者の不利益・基本的人権の侵害は一切考慮しない。こういうことを、特定の宗教団体に対して国家権力がしていいのかどうか?ということです。これは絵に描いたような政教分離原則違反であり、信教の自由の保証されている近代法治国家ではしてはいけないことです。

 ダブルスタンダードという話が出てきましたが、自民党のダブルスタンダードもひどいものです。贈収賄事件、政治資金規正法違反、公職選挙法違反事件を多くの議員が長年に渡って行ってきて、今だに継続的・組織的・悪質に行っている。国民の収入の半分以上の負担率を強いる高額税金、高額負担を強い、継続的・組織的・悪質に一層強化しようとしている。その結果、国民の家庭を破壊し、二世(若者)に過大な負担を課し、未来への希望を失わせている。

 苛斂誅求で徴収した多額の国民の税金を、効果も不明なまま、外国へバラマキ送金している。その結果、現地政府の腐敗、国内弾圧、テロ行為、地域の不安定化にまで間接的に手を貸す結果となっている。

 LGBT法案に象徴されるように、一方的な意見のみを聞き、国民の懸念は聞かず、結論ありきの会議で強行に制度化する。その一方で、国民の大きな懸念(治安、安全保障、教育、経済)は長年に渡って放置する。

 私に言わせれば、「岸田の旧統一教会の解散請求など、どの口が言うのか?」という思いです。ダブルスタンダードはどこにでもありますね。立憲民主党なんかは、即時ブーメランの名人として有名です。もちろん、家庭連合にも言いたいことはあります。

師観:

 政府がやっているのは宗教弾圧かと問われるなら、宗教弾圧と思う人たちが出て来て当然でしょう。そこで問題なのは自民党政府は初めから旧統一教会を解散に追い込みたかったか?ということです。今まで必要とされる協力関係にあったのですから、答えはNo!です。山上容疑者が安倍元首相を殺害し、その殺害の原因は旧統一教会と安倍元首相は蜜月関係にあると思い込んだからだというのです。

 マスコミはそれが山上の本音か建て前か、山上の背後に闇の勢力が暗躍したのかどうかは別として、彼の証言に基づいて旧統一教会の過剰な献金ノルマが山上の家庭を崩壊させたせいで、そのトバッチリのおかげで安倍元首相が殺害されたという認識を持ったのです。マスコミの背後には左翼勢力が暗躍してしますから、さらに、これを絶好のチャンスとして自民党政府のバッシングの材料にしたのです。

 ここで問題は旧統一教会のせいで自民党政府が窮地に立たされてしまったことです。自民党にとっては選挙に勝つことがすべてですから、旧統一教会をマスコミ対策として打たざるを得なくなったのです。日本国家において、自民党政府を守るのと旧統一教会を守るのとではどちらが国益になるのかという問題が出て来ます。答えは韓国を主の国として仰ぎ、反日種族主義の片棒を担ぎ、日本を韓国に従属させることを厭はない、さらに北朝鮮寄りになってしまった旧統一教会よりも自民党政府を守ることの方が国益になると見なすのは当然でしょう。
 

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その2→文家の長男の問題

長男の問題について知っている古参の方々の証によると、彼が韓国にいる時には騒がれるような問題は聞いていないという。しかし、両親である文夫妻が1973年にアメリカに来て以来、取り巻きの幹部たちが子女様たちもアメリカで一緒に住んだらいかがですか、という声が上がって来たので、子供たちはアメリカに来ることになった。
長女と長男が文教主の周りに侍っている女性たち、六マリアに疑問を持ち、洪ハルモニに、”おのおばちゃんたちは誰ですか”と聞いたら、「あのおばちゃん達のために、あなたのお母さんはとても苦しんでいるのよ」というよな答え方をしてしまった。要するに、”迷惑な存在だ”というのである。長女はそれを聞いて彼女らに辛く当たるようになったので、当時長女についていたイエスと祝福を受けた婦人が、その女性達には特別な使命があって文教主の周りにいることを告げたが、長女と長男は彼女らはお母様を不幸にしているという認識を持つようになり、母に同情し、父に対してはもはや神的絶対的存在ではなく人間的な目で見るようになって行った。 特に長男はいくら勉強しろと言われても勉強せず、深夜のアダルト番組を見るようになった。

長男が韓国にいた時にはピタ-キムが家庭教師であったがアメリカに来てからはカ-ナル・ハン(韓大佐)が家庭教師としてつくようになった。韓大佐は文家の子女に対して独特の信仰を持っていた。文家の子女は有史以来初めての神の子女であり、特別な存在であると思い、完全に神格化していた。それゆえ、勉強しないでアダルト(ポルノ)番組を見るのも何か天的意味があるに違いないと思っていた。しかし、長男はますます悪くなって行くので、韓大佐はTMから「いくら神の子女と言えども子供は子供だ!」とお叱りを受けるようになった。そうこうしているうちに、長男はもはや誰の手にも負えなくなり、韓国に引き戻された。ところが、韓国では誰も主管するものがいないので、好機放題、勝手放題になり、再びアメリカに呼び戻され、今度は36家庭の朴先生の家の預けられた。なぜなら、朴家の子供たちは全員勤勉でまじめで優秀だったので、そこで感化させようというのである。

ところが、朴家の子供たちが逆に主管され、強制的にポルノの写真や雑誌やアダルト番組を見せつけられ、怪しげなところへ連れ出されたり、ドラグにも手を染めだした。ここでも手に負えなくなり、大きな問題となった。金元ピル先生は聖進様を、劉孝元先生は喜進様を、金栄輝先生は孝進様の責任を持って面倒をみるように仰せつかっていたので、金栄輝夫妻は韓国の先生がたから、孝進様があんなことになったのはあなた方が責任分担を全うしなかったからだ、という非難を浴びせられた。しかし、金栄輝先生の妻のタイワ夫人はそのように言われることがとても悔しいという。なぜなら、長男はすでにアメリカでさんざん堕落してしまっているのに、韓国に在住していて、手の届かない金夫妻の責任にして責めるのは道理に合わないからだと嘆くのである。しかも教育の仕方がこの世のものと違うと言われたら、教育の施しようなない。

 長男が韓国に帰されてリトルエンジェルの学校にいた時に好きな女子が出来てしまった。かなり深い関係になり、本人は絶対この女子と結婚すると言い出していた。TMは頭を抱え、いろいろと手を尽くし、多額の慰謝料を払ってまで無理に強制的に引き離した。そのおかげで、長男は両親に強烈に反抗し、グレてしまった。誰の言うことも聞かないてteenagerになってしまい、酒、たばこ、麻薬、ポルノなどありとあらゆる反抗業をやり始めた。自分だけではとどまらず、二世たちを引き連れ、彼らにも同じことをやらせた。

TFもTMも大変困り、頭を悩まし、解決策として早く結婚させようということになった。そこで白羽の矢が立ったのが一和の社長の娘、15歳の洪蘭淑(ホンナンスク)だった。しかし、長男としてはもともと自分が望んだ結婚ではなかったので、好きな恋人の所に行ってしまった。

その様子がwikipediaに以下のように書かれているので、参照されたし:

孝進から別れ話を切り出される。孝進は蘭淑との結婚は望まなかったが両親を喜ばせるためだけに結婚したこと、韓国にいるガールフレンドをあきらめるつもりはないことなどを告げ、黙って韓国のソウルへ旅立った。
蘭淑はその直後に自身の妊娠に気づいた。孝進は蘭淑の妊娠を知っても帰国せず、ピーター・キムに、自分たちは法的に結婚していないので自分には何の義務もない、両親が赤ん坊と蘭淑の面倒を見たいなら勝手にしてよい、自分は教会員でないガールフレンドと結婚するつもりであることなどを告げた。
韓国から帰国した孝進は結婚祝いのお金でそのガールフレンドをアメリカに呼び寄せ、マンハッタンに二人で暮らすアパートを借り、両親にそのガールフレンドと結婚するつもりであることを告げる。文鮮明から孝進がそのような事態に至ったのは妻である蘭淑の失敗であると激しく叱責された(p134)。

孝進から別れ話を切り出される。孝進は蘭淑との結婚は望まなかったが両親を喜ばせるためだけに結婚したこと、韓国にいるガールフレンドをあきらめるつもりはないことなどを告げ、黙って韓国のソウルへ旅立った。
蘭淑はその直後に自身の妊娠に気づいた。孝進は蘭淑の妊娠を知っても帰国せず、ピーター・キムに、自分たちは法的に結婚していないので自分には何の義務もない、両親が赤ん坊と蘭淑の面倒を見たいなら勝手にしてよい、自分は教会員でないガールフレンドと結婚するつもりであることなどを告げた[7]。
韓国から帰国した孝進は結婚祝いのお金でそのガールフレンドをアメリカに呼び寄せ、マンハッタンに二人で暮らすアパートを借り、両親にそのガールフレンドと結婚するつもりであることを告げる。文鮮明から孝進がそのような事態に至ったのは妻である蘭淑の失敗であると激しく叱責された(p134)。

そこで、蘭淑の著書p143を見てみると:

真の父母様は私を呼び出した。私は彼らの前でひざまずき、頭をさげ、視線を落としていた。私は彼らが私を抱きしめてくれることを期待していた。彼らが私を安心させてくれることを祈っていた。反対に文師は私を激しく非難した。これほど怒った彼を見たことがなかった。彼の顔は怒りでゆがみ、真っ赤だった。お前はどうしてこんなことがことが起きるまでにしていたのか?孝進からこれほど嫌われるとは、お前は何をしたのか?お前はなぜ孝進を幸せにできないのか?・・・お前は妻として失敗した。孝進がお前を捨てたのはお前自身の過ちだ。(我が父文鮮明の正体p134)

これに対しての蘭淑の自問自答は「孝進が愛人を持ったからといって、なぜそれが私の過ちなのか?文師の息子が父親に従わないからといって、なぜそれが非難されねばならないのか?」(p144)であった。結果的には、蘭淑は生命の危険を感じ、5人の子供の教育・将来をしんぱいして夜逃げし、離婚するに至った。

コメント:

1.36家庭の婦人たちの証では洪ハルモニの噂はあまり良い噂ではない。しまいには精神病になり韓国に帰されたという。然るに清平では大母として崇められ、役事の中心人物になっている。このギャップはどこから来るのであろうか?虚像なのか実像なのか、That is the question.

2.韓大佐の信仰観を聞くと、ハムがノアの裸を見て人間的に恥ずかしく思ったことが失敗であるという記述を思い出す。しかし、彼の信仰観は長男をかえって甘やかせ、罪を助長させることになり、TMよりお叱りを受けるという”お目でたい人物”の代表になってしまった。信徒の中には似たような人達がいるが、そのような人たちはオ-ムの麻原がサリンでポアしろと命じたら人間的には殺人だが、天的には何か意味があるのだろうと思い、その命令に従ってしまう人達かもしれない。

3.真の父母たるお方が本当に「お前が孝進を引き止めるだけの魅力がないのがいけないのだ」と言ったとしたら、我々信徒ですら理性と良心から判断して受け入れ難い話である。いずくんぞ、第三者である人類にはあまりにも受け入れ難く、文夫妻を人類の真の父母とは認めないであろう。ハードルが高すぎる。神はサタンが認めない限り、神も認めることが出来ないとなると、文夫妻がいくら自分たちが”真の父母”を宣言しても、それは信徒の内輪の次元を超えられないお話になってしまう。いずくんぞ、TMの独生女論となると、内輪の信徒の間ですら、H1派やH2派だけでなく、家庭連合の中ですら内心においては受け入れてない人たちが多い。

4.長男の子女を家庭連合の後継者に内定しているようではあるが、前途は多難に思われる。それは父親である孝進氏の負の遺産があまりにも大きいからである。ドラグを強要されて中毒になり未だに抜けきれない二世がいて、中にはそれゆえに妻から離婚された者もいる。それゆえ、恨みを買っているのである。韓国の文化によれば、千年の恨みを置くという。したがって、後継者はその恨みを背負って組織の運営をしなければならなくなるであろう。

5.最後に、不思議に思うのは文夫妻に見られる共通の特色として、「責任転嫁」である。文家の子供たちがおかしくなるのは、正妻の他に側室のような六マリアが文師の周りに侍らしているとなると、そのせいで、子女たちは必然的にその影響を受けたことに原因があることになる。

 その主要原因を棚に上げて、蘭淑や金栄輝夫妻のせいにすると、第三者から見ても責任転嫁に見えるだろう。これはほんの一例ではあるが、文教主の言動の中には責任転嫁と思われてしまうようなことがよくある。責任転嫁は韓国文化の特色なので、文教主と言えども所詮韓国文化の所産なのかもしれない。そもそも「真の父母」を名乗る自分たちですら自分の息子を主管できないでいるのに、どうしてそれを15歳の少女に押し付け、出来なければ真っ赤になって顔をゆがませてまで怒るのであろうか?と誰もが思うことでしょう。

 原理によれば、主体なる神の完成は対象である被造物の完成がない限り完成しないという。したがって、統一家においても子女が完成しない限り、父母の完成はないことになる。それゆえ、再臨主もいくら完成・完結・完了を宣言してもそれは条件的なものであって、実態は失敗、または未完のままということになる。

 原理(教)によれば、神と人間の関係は心と体、性相と形状、主対と対象、親子の関係であるという。したがって、対象なる人間が完成しない限り主体である神の完成はないことになる。さらに、原理によれば、人間の最小の単位を個人ではなく家庭であるという。それゆえ、復帰原理ではアダム家庭の復帰、ノア家庭の復帰、アブラハム家庭の復帰というように家庭単位の復帰になっている。したがって、文家の子女たちが、離婚、麻薬、不倫、略奪婚、駆け落ち婚、事実婚などを展開すると、誰の目から見ても「真の家庭」は成り得ない。当然そのような家庭の父母は人類の「真の父母」には成り得ない。



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文家の子女たちの問題がどうして起きるようになったか―(その1)


幸い文家の子供たちが生まれて来た時から使えていた先生たちに会うことが出来たので、どうして非原理的な行為(離婚、浮気、不倫、暴力、麻薬、自殺など)が起こるようになってしまったのかを聞くことが出来た。なので、そのお話を紹介しましょう。結論から先に言うと現実を無視した神格化ということでした。

長女についてよく知っている方の話によると、自分たちはスペシャルだという自意識が強いという。いつも自分が王女のように待遇されないと満足しなかった。したがって、彼女と祝福を受けた男性は夫として扱われず、僕のように扱われるので幸福そうではない。初めは耐えてはいたがやがて限界が来て離婚してしまった。

彼女は性格的にも問題が多い人であった。自分の母である韓女史は17歳で文師と聖婚されたが、すでに崔元福女史を中心とする六マリアの婦人たちが側室のような立場で侍っていたので、自分の居場所が無いような不安の日々を送っていた。従って、長女のそのような胎教と生まれてからの環境が葛藤の中にあり、不安定であった。韓女史は文師の寵愛を受けるためには男子を産むことを切望した。文師も韓女史も取り巻きの幹部たちも王子を期待していたが、女子だったのでがっかりしてしまった。

ところが、長男が生まれた時は文師をはじめ全員が喜びその差は歴然としていた。そのような家庭環境から、彼女は次第に文教主の神観、原理観が間違いで、神の二性性相は男女共に平等であると考えるようになって行った。

 彼女の少女時代の性格について言及すると、子女様全員(当時3歳の国進様を含め7人)のために買って来たお菓子や果物があると、自分の部屋から降りて来て全部あさり、残りのものを全部自分の部屋に持って行こうとするので、他の子女様たちにあげねばならないので、持って行かないようにお願いすると、「私があげるから!」と言って持って行ってしまう。結局、お菓子が欲しかったら自分の部屋に来いと言って全員を主管しょうとしていた。時々、台所に来て果物を食べ

そこで、そのような状況をTFやTMに報告し、どうしたらよいのかを相談すると、お二人とも初めてのことなので、どうしたらよいのかを分かりかねていた。一般の家庭での常識的な躾をしようとすると、それは歴史的に初めての神の家庭の子女にはあてはまらないといって首を縦には振らなかった。かといって、TF/TMにおいても初めての経験で代案がないので結局、野放し状態になってしまった。

 当時は長女と長男を除いて、残りの各子女様方にはお姉さんが侍女みたいに一人ひとりついて侍っていた。食事の時には侍女たちは自分が使えている子女様にそれぞれベストの食事を作り、持って行ったが、躾、家庭教育についてはどうしたらよいのか分からず悩んでいた。こうして人に使えられることが当たり前になってしまう子女たちに育ってしまった。

 長女は王女のように振る舞い、好き勝手な生活をしていたが長男と同じように父母から愛されてはいないという不満があった。取り巻きの中には霊能者がいて、文教主の男性格主体という神観、原理観が間違いであり、神の二性性相は男女共に平等であるという彼女の考えを支持する者達が現れた。それゆえ、文教主の男性格主体という指導の仕方は神の目から見れば間違いであるという主張をするようになった。この霊能者たちによれば、神と文教主との間には40年の契約があり、その期限が終わるのは1988年であるという。その契約の内容とは文教主がその期間に再臨の使命を完遂するということである。モーセが40年間でカナンに行けなかったように、自分の父も40年間の路程を失敗し、その使命は終わったと彼女は言い、これからは長女の自分がその使命を全うする時代であると言い出した。

注:この理論は私もアメリカに行った時に聞いたことがある。アメリカにいる幹部クラスの友人たちに彼女から電話がかかってくるのである。恐らくこのネットの中のアメリカ在住のシックなら直接、あるいは間接的に聞いていることでしょう。

コメント1:

この話を聞いた時、大韓航空のナッツ姫や水かけ姫を思い出した。人から王女のように使え侍られ、使えられることが当たり前という人格が出来上がってしまうのである。成り上がり者の家庭に見られる典型的な例でしょう。しかし、イギリスのような伝統のある王家の子女たちは少し違うようです。フォークランド紛争の時に皇室出身の王子も参加したが、皇室から決して特別待遇をしないで、普通の兵士と同じように前線で戦うようにという指示があった。なので、文家の子女たちも、聖書のみ言葉のように、「使えられる人よりも使える人になりなさい」という教育を受け、前線で苦労しているシックと同じ扱いを受け、自己否定の道を歩んでいたのなら、あのような悲劇を避けられたかもしれない。文教主は「先生は子供の教育に失敗したのだよ」と言われたが、ごもっともな話である。

コメント2:

 文夫妻の最大の問題点は、 「そこで、そのような状況をTFやTMに報告し、どうしたらよいのかを相談すると、お二人とも初めてのことなので、どうしたらよいのかを分かりかねていた。一般の家庭での常識的な躾をしようとすると、それは歴史的に初めての神の家庭の子女にはあてはまらないといって首を縦には振らなかった。かといって、TF/TMにおいても初めての経験で代案がないので結局、野放し状態になってしまった。」という問題点である。

 イエスは、「彼らは盲人の道案内をする盲人だ。(マタ15/15)」と言ったが、文夫妻は自分の子供の教育の仕方が分からない盲人だったということになる。一般人から見ると、自分の子供の躾も出来ない人たちがどうして人類を救済するメシアだとか、人類の「真の父母」を自称できるのか?という疑問を抱くのは当然でということになる。「歴史的に初めての神の家庭の子女にはあてはまらない」という言い訳をするのなら、教義的には祝福家庭の子女たちも同じことになる。しかし、どこの祝福家庭も二世達を原理修練会に出したりして何らかの教育しているいるので、野放し状態というのは先ずありない。

 偉人伝などを読んでみると、偉人の背後には立派な母の影響が紹介されている。然るのに、文家の家庭を見ると、3男も7男も母である鶴子氏と敵対関係にまで発展している。したがって、とてもじゃなおが「真の家庭」を名乗るのはおこがましい話てある。



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