真の父母論その2(原罪論と良心論)



一番の根本は「原罪」の精算は誰により可能であるか?という問題です。私たちは祝福を受けて原罪を精算し、神の血統に接ぎ木されたと思っているが、これは嘘か真か?もし真ならば、それと同じ「祝福」を、これからの人たちも受けることができるのか?


・嘘か真かは個人の実感によって違うようです。私のように実感している人も少なくはありませんが、実感できずに以前と変わらないY氏のような人も少なくありません。

Y氏によればセクシ-な女性を見れば欲望が刺激され、世俗的欲望から解放されないという。恐らく、先祖の因縁が違うのでしょう。

まして、真の家庭の子女達が不倫の問題を起こすと、彼においては「嘘」のように思えるでしょう。

しかし、私は彼を責めたことは一度もありません。アメリカでは祝福受けてもホモの欲望から解放されない信徒は沢山います。欲望のレベルで実践をしていない人、時々する人、シック同士でしばしばする人、毎週ペン・ステ-ションのトイレで誰彼なく相手を見つけてしている人などがいるようです。

原罪が無くなったと言う言葉は恐ろしい言葉です。なぜなら、信徒達はこの言葉によって、全ての罪が無くなったような錯覚に陥るからです。

・このように、いくら原罪が祝福によって無くなってもその他の罪によって支配されるなら、現実的意味が無いのに等しいものになります。

逆に、原罪があるにも関わらず、聖人又はそれに近い人、偉人はなどは沢山います。

そのような良心(本心)家達によって構築された社会や国家の方が、原罪だけは無いが色欲・情欲に支配され、自己中心的な人々によって形成された社会や国家よりもはるかにましだと思います。

・原罪論の最大の問題は宗教的帝国主義を築いてしまう危険性を持っていることです。「宗教的帝国主義」とは私が造った造語ではなく、一般の宗教学会の国際会議で使われている用語です。

原罪論故にイエス・キリストを通さないと誰も救われないと説くからです。一神教の排他性を問題にしていた投稿がありましたが、キリスト教は宗教学会では排他性の典型的な宗教として、認識されているのです。

統一教会も同じです。文鮮明夫妻の祝福を受けないと、誰も救われないということになり、全ての宗教を改宗しなければ救われないことになり、「宗教的帝国主義」になってしまうのです。

それが実態が伴ったどの宗教も出来なかった人格完成、完成した家庭、氏族、社会を築いたなら、人々はさすが祝福を受けて原罪を脱いだ人々は違うということになりますが、反社会的宗教団体を形成してしまうと、それはウソになってしまうのです。




UCが人格完成を原理で説きながらも、実際は韓国至上主義の献金地獄のような組織を築いてきてしまったのはとても残念なことだなと思われた方はクリックお願いします。
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真の父母論その1(ローマ法王的存在か、それとも万人祭司説か)




古参の友人が久しぶりに我が家にやって来て、真の父母の後継者についての持論を熱く語って行った。

彼によれば、後継者はロ-マ法王と同じで誰でも良いというのです。仮に統一家の子女が後継者になったとしても、それは法王の立場であって、二代目真の父母、三代目真の父母と言うようにはならないと言うのです。

真の父母は文鮮明師と韓鶴子女史だけであって、後は、代理に過ぎないというのです。

このような論説を推し進めて行くと、法王の立場である後継者は必ずしも統一家出身にこだわる必要はなく、将来、日本から出て来ても良いことになります。

ロ-マ法王になれる資格は選民とは関係ありませんので、何処の国が選民であるかを論じる必要がありません。同じことがUC・家庭連合にも適応できることでしょう。

但し、後継者という言葉を使うと、いかにも統一家にこだわったニュワンスを与えるので、法王のようにキリストの代理者の方が良いでしょう。

これに対して、プロテスタントでは法王などは存在しなく、万人祭司説ですから、これを家庭連合に適応すれば、信徒全員が神氏族メシアです。

家庭連合はこの両者を統一できる後継者論、代理者論が出て来てしかるべきでしょうが、現実的には、カトリックとプロテスタントが分かれて活動をしているように、UCにおいても分かれるでしょう。

原理によれば、本来アダムとエバが真の父母になる予定でしたが、堕落したために、第二の真の父母はイエスと聖霊になってしまったという。

しかし、イエスがイスラエルの不信仰のため、十字架で殺されてしまったので、霊的真の父、さらに、聖霊を迎え入れて霊的真の父母にしかなれなかったという。

従って、再臨は第三アダム・エバに当たる実体の真の父母、即ち文鮮明師と韓鶴子女史だという。

ところが、H2によれば韓鶴子女史がその使命において失敗し、バビロンの大淫婦になってしまったという。韓鶴子女史が失敗して真の母になれなかたと言うことは、文鮮明師は真の母を復帰できなかったことになるので、真の父にはなれたかも知りませんが、真の父母になれなかったことになります。

仕方がないので、アボニムもオモニムも石をパンに変えたり、文王朝や韓王朝を唱える以前の時代を真の父母としての勝利とし、後継者や代理者を立てざるを得なくなるでしょう。

注:信憑性はともかくとして、韓国の婦人達に降りて来た啓示によれば、神はアボジに平和世界を実現してくれることをお願いしたのに、自分の王朝を造ってしまった。

又、人はみ言葉によって、生き、完成して行くものを、それに多額の献金を課して、石をパンに変えてしまった。これらが間違えだと言う。

もう一つ、考えられることは、み旨成就の真の父母はともかくとして、み旨としての真の父母は絶対であるということです。それゆえ、我々は神の創造理想である「真の父母」の実現を理想として、仕え侍り、目指して邁進して行く道です。

ここまで来ると、「メシアとは心を尽くし、思いを尽くし、魂を尽くして、神のみ旨を成就する者であり、私もメシアになろうとし、あなた方もメシアにならなければならない」というアボジのみ言葉が大切になって来ます。

そして、ここに向かって邁進する時に、教会として組織的に邁進する時には、法王的存在を立てて行くのも良いでしょうし、神氏族メシアとしてプロテスタント的に邁進するのも良いでしょう。



高額献金中心の文王朝や韓王朝をつくるのではなく、法王的な存在を立てていくか、プロテスタント的に氏族メシヤ活動に邁進して、心を尽くし、思いを尽くし、魂を尽くして神のみ旨を成就する者になっていきたいなと思われた方はクリックお願いします。
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神の愛の前に全ての人は平等(愛の前に儒教的な序列はありません)




ある人から、以下のような楽しいメッセ-ジがありました。


将来、霊界テレビと共に、原罪検出器が発明されるでしょう。検体として、唾液を検出器に入れると、、、有原罪なら赤、無原罪なら緑、判定不能なら黄色ランプが点灯。聖酒をのむと、、、検体ランプは赤から緑になります。

引用終わり


これについて、原理的な観点から真摯なコメントをさせていただきたいと思います。

・これは本人が気がついているかどうかは知りませんが、とても無視など出来ない深刻で重要なことを言っています。

このジョ-クは大変深刻で、恐ろしいほどの無視できない問題を提起しています。

このジョ-クを受け入れて論理を展開しますと、信号の色は逆になります。祝福を受けて無原罪になると赤信号になるのです。

我々が祝福を受けた当時は祝福後、一線を越えたら救いの道はないといわれたものでした。もし、救いがあるとしたら、サタンが救われた後であると言うのです。

それは長成期完成級でアダム・エバが堕落したので、アボジがメシアとして祝福で救えるのは長成期完成級までだ、と言うのです。それ以上のところで堕落したらメシアといえども救えないというのです。

だから、祝福は赤信号なのです。注:(今日では恩赦がありますが決して心地よいものではありません。その場に居合わせたスタッフによれば、恩赦に来た人々の顔を見ないようにして、無かったことにしようと、必死です。)

・そこで、ある姉妹から質問を受けました。アボジはそんな危険な祝福をどうして数合わせのように大量にするのですか、と言うのです。

み言葉によれば、旧約時代は万物を供え物にし、新約時代は子女イエスを供え物にし、成約時代にはメシアの家庭を供え物にして歩むというのです。

従って、祝福家庭が一線を越える問題を起こすと、メシアの家庭が打たれるというのです。だから、だれかれなく、大量に祝福をしてしまいますと、その分だけ祝福家庭の堕落も大量になるのです。

・答えとして、私も分りません。恩赦があるので、何か秘策があってのことでしょうとしか答えられないのです。

その内にアボジの家庭がメチャメチャになって来ました。恐れていたことが起こっているという感じでした。

なぜなら、自分の家庭を供え物にして、大量にだれかれなく祝福をすると、問題を起こす家庭が出て来て、自分の家庭が崩壊するのが目に見えているからです。普通の道理で考えますと、自分で自分の首を絞めていることになります。

・原理を解き明かし、サタンに勝てるほどの知恵者がそんな分りきったことをするはずが無いと考えますと、余りにも奇奇怪怪なナゾになるのです。

それはメシアの家庭が崩壊したら元も子もなくなってしまい、人類救済は単なるフアンタジ-になってしまうからです。

しかし、これだけではナゾを解いたことにはならないので、私なりに考えてみた回答を提示してみたいと思います。

イエスは捨て身の戦法で霊的勝利を勝ち取りました。アボジも捨て身の戦法で、即ち自分の家庭を犠牲にして祝福家庭の救いの道を開いたということです。

人類がどんなに頑張っても原罪の為に長成期完成級を超えることが出来ないとしたなら、人類の救いになりません。

なので、自分の家庭を犠牲にしてでも祝福によって原罪の壁を越えれるようにしておけば、誰かが人格完成を出来る道筋が立ったことになります。

それゆえに、祝福家庭は自分の名で神に祈ることも出来ますし、祝福も授けることが出来るのです。

即ち、万人がメシアになれる道を開いたということです。そして、この段階で、アボジの真の父母としての使命は完了・完結したことになります。

ここで最も大切なことは、統一家の子女だけでなく、各々の祝福家庭が祝福できるということです。そのことによって人類はあたかも鼠算式に祝福を受けて原罪を脱いで行く速さが増して行けるのです。

人格完成出来るかどうかは個々人の努力次第と言うことになります。さらに、大切なことは創造本然の神と人間の状態を取り戻すことです。

人格完成とは、自分が完成したなどと思わないことです。むしろ、まだまだだと思って、精進に励むことです。そして、完成を目指して歩む過程において、【一挙手一投足】が神と共にあるという実感が最も大切です。そうすれば、私を見た者は神を見た者なり、と自他共に言える様になれるでしよう。

そのような家庭、社会を形成した場合、長に立つ者は統一家の血統にこだわることはなく、適材適所の人格者をみんなで選べばよいのです。これが万民一家族に近い姿です。

問題は教権側の教会組織です。自分達が信徒を主管するために、祝福と聖和式の権能は教会組織にあることを主張して、祝福家庭にその権能を与えないようにするでしょう。

その時に大切なのはアボジのみ言葉です。祝福家庭が祝福を出来るというみ言葉があるはずですが、知っている人がいて、それを提示してくれれば幸いです。

顕進氏や亨進氏が統一家の権能で彼らに所属する祝福家庭に授けようとしているという話を聞いたことがありますが、それが本当なら、さすが子女様だということになるでしょう。

創造本然の世界ではアベル家庭もカイン家庭もありません。神の愛の前にはOne Family under Godであり、神の子女はみんな平等です。愛の前には儒教的序列はありません。

神の愛の前にはどの子女も平等なのです。この神体験の実感は啓示でした。



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祝福は天国に入る資格?

ある人から「祝福を受けさえすれば天国に行けるという事はないとしても、祝福を受けることは天国に入る資格、パスポートが与えられるようなものと今まで思ってきましたが、間違っていたのでしょうか?」という質問を受けましたので、それに対する師観の考えを書きます。


それは間違えではないと思います。神が1匹の迷える羊を救う為に、地獄まで降りて行くとしたら、その神をさしおいて、自分だけ天国でのうのうと暮らせるものではないと言っているのです。

史実に基づいて書かれた小説、クオヴァデス(神よ、何処に)が映画化されましたが、その中で、クリスチャンが捕縛され、ロ-マの円形競技場で、火あぶりにされたり、ライオンの餌にされたり、大変な迫害を受けていました。

ペテロは身の危険を感じて、ロ-マを去って安全なところへ行こうとしますが、イエスが霊界から現れて、迫害されているクリスチャンと運命をともにするように促します。

そこで、帰ったペテロは捕らえられ、逆さまに十字架に掛けられ、殉教します。

ペテロはすさまじい殉教をしていくクリスチャンの姿がイエスの姿に変わっていくのを見たと言う。すなわち、その悲惨な姿の中に神の姿を見たのです。

マザ-・テレサもライ病で倒れている老人の顔がイエスの顔に変わっていくのを見たという。

それゆえ、祝福を受けて天国に入る資格を頂くことは、地獄に行く資格を頂くことと実質的には同じことだと思います。

なぜなら、地獄で苦しんでいる人々の中に神の姿を見たら、我々祝福家庭もその神様の下へ飛んで行かざるをえないからです。

分り易く言いますと、医者や看護婦の資格を得たら、その資格ゆえに、地獄のような死と隣り合わせの戦場に派遣され、手足が吹き飛ばされたて苦しんでいる負傷兵の看護をしなくてはならないのと言うのです。

しかし、それは強制ではなく、人格が段々完成し、心情が神に近くなるに連れて、自らそうせざるをえなくなると思います。



ペテロやマザーレレサのように神様と同じ立場に立って、地獄で苦しんでいる人に手を差し伸べることができる祝福家庭になってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
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UCの中の兄弟姉妹の関係が希薄になってきている




ある人から次のようなUCの現状を憂う話を聞きました:


貧困も互助精神があれば乗り越えられたはずでした。しかし、みな知っているのにしらんふり兄弟姉妹になってしまいました。「天国は与える世界です」牧会者がそう講義してましたよね?で、どこにあるん?と言われます。


それに対する師観のコメント:

・人情よりも天情を優先することが善と言う教えでしたので、親兄弟の肉親の情よりも 神を愛し、み旨を愛し、教祖を愛するように情そのものが変化し、転換してしまったのです。

そのような情の転換はアベル・カインの情の組織的構造へと発展して行くのです。

その結果、信徒達は教会長との情における縦的関係を強要され、兄弟姉妹の授受作用までも禁じられ、悪だとさえ言われるようになったのです。

こうして、信徒達の兄弟愛が薄情なものになってしまったのです。即ち、経済的に貧困に陥って、困っているいる兄弟姉妹を助けるというみ旨が出てこないのです。
 
これに対して、マザ-テレサは貧困で見捨てられた人々、病気で道端に倒れている人々の中に神の姿を見たのです。そして、このような困っている人々を助けることがみ旨なのです。

神はテレサを通して何がミムネであるかを啓示し、教えてくれているのです。

UCでも、草創期には、兄弟姉妹がお互いに助け合うとても近い人間関係が存在していたと思います。

私はUCで犠牲になった兄弟姉妹を助ける為に互助会を立ち上げたいと思っています。荒川氏の運営するアカデミ-ハウスには、貧困で行く場を失ってしまったシック達が沢山いるといいます。


更にその人はUCの現状について次のような指摘がありました:


結局幹部たちが、奪い合っていた金融システムだったということが白日のもとに明らかになりました。「奪って忘れなさい」というのですか。口と行動が真逆です。


これに対する師観の感想:

・これはいかにもUCの韓国人幹部がやり、それを見習って日本人幹部もやりそうな話しですが、実際はどうなのでしょうか?



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