無知から知への解放(朴正煕大統領のお話)

私も含めて、古参のシックたちは、原理講論の再臨論の反日史観を長い間そのまま信じて来ました、

私などは最近になって、キム・ワンソプの「親日派のための弁明」やイ・ヨンフンの「韓国の国史を書き変えよ」などを読み、目を見張る思いでしたが、決定的にこの真逆の論調に確信したのは、石原慎太郎氏と朴正煕大統領(当時)の対話でした。



朴氏:「しかしあのとき、われわれは自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。

もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。

もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。

日本を選んだということは、ベストとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、セコンド・ベストとして私は評価もしている」(拍手)。

 朴さんが、「石原さん、大事なのは教育だ。このことに限ってみても、日本人は非常に冷静に、本国でやってるのと同じ教育をこの朝鮮でもやった。これは多とすべきだ。私がそのいい例ですよ」と言う。

「私は貧農の息子で、学校に行きたいなと思っても行けなかった。日本人がやってきて義務教育の制度を敷いて子供を学校に送らない親は処罰するといった。日本人にしかられるからというんで学校に行けた。

その後、師範学校、軍官学校に進み、そこの日本人教官が、お前よくできるな。日本の市谷の士官学校に推薦するから行けといって入学。首席で卒業し、言葉も完璧でなかったかもしれないが、生徒を代表して答辞を読んだ。

私はこのことを非常に多とする。相対的に白人がやった植民地支配に比べて日本は教育ひとつとってみても、かなり公平な、水準の高い政策をやったと思う」・・・



これに対する私のコメント:

これは西欧の植民地そやり方とは違って、実にアベル的な統治ですね。

しかし、よく分らないのはアボジの反日スタンスです。一方では、日本が李王朝を倒していなかったら、アボジが王として 再臨すれば殺されていたであろう、と言うみ言葉を聞いたが、もう一方では、

1993年=「旅順に安重根記念館創設」=安重根を称えている事、及び1994~95年にかけて「16万人:従軍慰安婦・強制連行・蕩減復帰修練会」(蕩減献金=各自1万ドル問題)・・など等~~「日本加害者・罪悪史観」が強調されて来たことです。

一つ考えられることは、アボジが摂理を推進するに当たって、多額の献金が必要としたら、史実などどうでも良いことで、問題にせず、方便として、日本シックに罪悪感を植えつけて、献金路程に邁進させることです。

しかし、これはえげつないやり方なので、蕩減を受けることになるのです。その結果、アボジ自身が基元節の前に逝去し、家庭は三つ巴に分裂し、TMとその教権側はアボジの「日本加害者・反日罪悪史観」を踏襲し、今日に至っています。

そして、韓国自体が経済的にも政治的にも、行き詰まり、衰退しつつありあります。

したがって、このような状況を見る時に、天運を失い、神の祝福からは遠く見えるのです。



それゆえに、長島氏の以下の論調は真に正論でしょう:

 日本の日清、日露の戦いの勝利と「40年併合時代」は「最大の神の愛の証」であり、これら無くして、だららだと500年続いた「暗黒・李王朝」が延長したら、再臨主降誕どころの騒ぎではなく、朝鮮半島は、ソ連&中共の支配下の国となっていた・・・。

解放者であり守護者であった「日本に感謝」すべきを彼等はこれをねじ曲げ、真逆の評価を行ってきたのです。

日本を通じての神の摂理と40年併合時代における「至高の神の愛の証」に対して、これを最も強調され、韓国の「怨日・反日国是解消」&「韓国新生復活」&「韓日一体化」への道が、神の準備された摂理であると理解するのが正常でしょう。

 

このメッセ-ジを通して多くの洗脳されたシックが無知から知へと覚醒されることを願います。


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神の国はどこへ行ってしまったのか(我々は政治理念を失ってしまったのか)

私がクリスチャンだった頃は、個人の魂の救いが中心であった。要するに、洗礼を受けてキリスト教徒になれば、原罪だけでなく、これまでに犯してきた罪は一切許されるという。

これは、明らかに個人の救いが中心である。勿論、それだけではなく、イエスが説いた倫理・道徳があり、その中には自分を愛するように隣人を愛せよ、というような美しい教えがあった。

だが、残念ながら神の国を地上に実現するという意識はなかった。

カトリックに飽き足らず、プロテスタントの様々な教派を尋ねたが大小に拘らず、どれも似たような意識であった。

その共通点は地上に神の国を実現するような教義はなく、死後の世界における個人の魂の救いであった。

大学に入ってみると、60年安保の直後だったので、マルキストが自治会を独占し、革命意識が盛んであった。

国家の政治を変革し、資本主義国家から社会主義、共産主義国家に変革しようと言うのです。

ここで、驚いたのは彼らの意識です。個人の救いは二の次にして、国家、世界の救いを第一義に考えて、革命の為なら、個人の命も犠牲にする意識です。イデオロギ-の違いはともかくとして、公的意識に関しては、クリスチャンよりもはるかに高いのです。

キリスト教は、世俗の社会や政治を変革する理論を持っていないがゆえに、クリスチャンが世界に対する責任を果たそうとして社会問題に取り組む時に、最も力強い世俗社会の革命論理を持っている共産主義に引き込まれてゆく傾向があります。

その為に、非常にあいまいなかたちで、社会意識の高いクリスチャンは共産主義者と政治活動をします。私も自治会の執行部の活動家と共に反戦活動のデモに参加したものだった。

なぜなら、反戦は本来クリスチャンが主導してやるべきものだと考えていたからです。

そんな時に、原理に出会ったのです。原理はこの地上に神の国を実現するという教義、即ち、神を真の父母として侍る万民一家族の共生共栄共義主義と言う政治理念を持っているのです。

それに向かって勝共理論も生まれ、統一思想も出来ては来ました。

しかし、今のUC(家庭連合)はどうでしょうか。死後における個人の救い、先祖の救いに最重点(?)がおかれ、そのためには地上での生活を犠牲にしてまでも献金することを要求し、政治には全く無関心、せいぜい韓国人リ-ダが民進党・共産党と同じような論調で安倍政権を批判し、日本が韓国に従属することを説くぐらいです。即ち、地上天国実現は何処吹く風に成り下ってしまったのです。

韓国のリ-ダ達が日本の政治に口を出したいのであるなら、韓国に帰って、自分の国の政治を改革したらいかがなものでしょうか。

地上天国の日本における政治理念が全くない外国のリ-ダ達が日本UCの幹部に居座っていることは実に不条理な話なのです。



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ある韓国人二世姉妹の怒り(UCの実態と韓国の儒教原理)


希苑教会に行って返って来た二世の韓国人(婦人)が私の家に立ち寄った。それは長男の嫁が韓国人なので、時々尋ねてやって来るのです。

私が今日の礼拝はどうでしたかと聞くと、突然強い語調で怒り出した。

説教者は日本人二世だそうですが、TMが統一家の子女達の問題を批判してはならない。 なぜなら、TFもTMもカインの子女である祝福家庭を愛しなければならなかったので、自分の子女達を教育する暇が無かったからだと言ったという。


彼女の怒りの内容は:

1. 自分の父は高校生の時に原理を聞いて献身し、地方の貧しい教会の教会長だったので、子供たちは食べるのもママならない生活だったという。お陰で、大学に行けず、高卒で働きに出て、せめて弟だけでも大学に行かせようとして、婚期を遅らせてまでも送金してあげねばならなかった。

然るに、統一家の子女達は執事までついており、高級車を乗り廻していた。しかし、地方の教会長達は自分達の子女を犠牲にしてまでも、統一家に貢いで来たというのです。


2. 彼女の母は自分の子女を家に残したまま、教区長の子守の為に働いていたので、長女の彼女が3人の弟妹の面倒を見なければならなかった。


3. 韓国社会は上司が部下の家族の為に犠牲になるというシステムは無く、その逆のシステムになっているので、下層階級の教会長達の生活は惨めである。


4. 彼女の父は高卒で献身したため、原理を聞いても献身しないで、大学を出てから来た者はその間、信仰の訓練は無いにもかかわらず、学歴が優先されて、彼らの上司になって行く。


5. 彼女の父は年齢制限の為、退職させられ、住む家も無く、次女のアパ-トに老女の妻と共に居候の身であるため、彼女は日本で働き、老いたる父母の為に送金している。


6. 然るにTMと子女様たちは宮殿や豪邸に住み、王族の生活をしている。それゆえ、家庭を犠牲にして尽くしてきたのは、下層階級の地方の教会長達であって、統一家ではない。

子女様たちはそのほとんどがお金を積んでハーバ-トに入学し、多額の学費を使うことが出来ましたが、彼女の妹達は高校に通うだけでも大変であった。それゆえ、TMの発言を聞かされた時、積もり積もった感情が爆発した。


7. 日本人信徒の大多数はTMを無条件に崇め奉るが、韓国の信徒達の中には逆に、腹を立てたり、怒りを爆発させたり、恨みを抱き、少なくても敬服してはいない人々がけっこういる。


それに対する私のコメント:

以前にも話しましたが、統一神学校の権威ある宗教辞典に中に統一教会の特色の一つとして、教祖と幹部達が裕福な生活をしているが平信徒たちの生活水準は低いという。

また、別な資料によると、韓国では、「父母」とは子供の為に自分を犠牲にして尽くし、愛情を限りなく注ぐ存在を意味するのではなく、家族の中の王様であり、子供達が忠孝を尽くすべき存在である。

これは李王朝時代に形成された朱子学の親子観と言ってよいであろう。親は子供を生んだ時点で権威をもち、生んで育ててもらった子供たちは親に絶対服従し、自分を犠牲にして忠孝を尽くすことによって、家庭の秩序が保たれ、社会秩序が保たれるという。

ちなみに、シムチョンという娘が盲人である父を助ける為に、自分の身を漁師に売り、船から荒海に飛び込む物語がある。これは、一見美談に見えるが一方的である。逆に父が盲人の娘の為に荒海に飛び込む物語も必要であろう。

セウル号において、父母の立場ある者達(船長とそのクル-)が子供の立場に立つ学生達を犠牲にして逃げ出す訳だが、彼らの精神構造は彼らの儒教観を如実に示している。

統一教会においても、「真の父母」と信徒に言われている方々は、その一族と宮殿に住み、その維持費や諸々の事業の為に子女の立場にある信徒たち、特に日本の信徒達に過剰な献金を数十年に渡って課する文化構造は韓国の儒教原理主義に酷似している。家や土地を売らせ、自己破産させ、しまいには自殺にまで追い込もうが献金ノルマは加重されても減少することは無い。

これは明らかに「講論」が説く、万民一家族の共生共栄共義主義の神を中心とした社会主義社会ではなく、李王朝に酷似した絶対君主制社会になりつつある。

そこで、実体が伴わない教義は、ただの観念論に過ぎないのであるが、信仰義認という便利な神学がある。この神学の教義によれば、メシヤはすべてを成したといったのだから、その言葉を信じる者は神によって義認され、救われるという。

これに対して、神学の中には信仰だけでなく、罪・堕落性が清められ、聖化されてこそ救われるという教義もある。教会史の中では、どちらかと言えば、カトリックは聖化の重要性を説き、プロテスタントは義認を説いてきた。

UCの中にも実態がどうあれ、メシヤが「すべてを成した」と言ったのだから、それを信じれば義認され救われるという信徒もいる。しかし、実態が伴ってこそ神の国は地上に実現すると説く信徒もいる。さて、皆さんはどちらでしょうか。


注:アボジの在任中に自己破産で自殺者が出たが、その事実は恐らくは誰もアボジに知らせはしなかっただろと思われる。


参考: 

36家庭は家庭の階級においては最高ではあるが、最高の地位において赤裸に自分の誤りをすべて露にして生きて行く苦しみとは表現しがたい。

地上にいるとき、女性問題、公金問題、その他の問題に引っかかった家庭は、地獄にいるのではなく、神のそばにいながら、露になった姿で生きて行かなくてはなりません。それは言葉で言えない苦しみです。

例えば、他の女性と性関係を持っている場面が随時、みんなの前に見えるのです。また、公金を自分勝手に使いながら、酒場に行って女と堕落しながら、お金をばら撒く姿がはっきりと見えるのです。一言で、地獄よりも恐ろしいところです。(霊界の実相と地上生活p37)


これに対する私のコメント:

実態の伴わない信仰義認で天国に行ってもこれでは地獄より恐ろしいところになる。それゆえ、松涛本部の教義の責任者が信仰義認論を説くとは奇奇怪怪な話しである。



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家庭連合の将来?(2世の残念な現実)

ビスマルク


ビスマルクは「私にあなたの国の青年を見せよ!、さすれば、あなたの国の未来を予言できる」と言ったと言う。

現在の家庭連合の20歳以上の祝福子女は3万人であるという。その内、祝福を受けた者の数は1000人だという。すなわち、1/30の割合になる。ところが、実際に家庭を出発する数はもっと少ないという。

私なりに二世のUC離れの理由を考えてみると:

1.UC(連合)自体が三つ巴に分裂して、収拾の未透視がつかないこと(希望のモデルの崩壊)。

2.仁進さんの略奪婚に見られるような不倫や堕落が数多く真の家庭の中で展開され、祝福の見本となるべき神話が崩れてしまったこと。

3.UC自体が祝福の天的価値を下げ、この世の結婚相談所の道具に使っていること。

4.祝福を受けた家庭と一般の家庭との違いがほとんど変わらない状態になっていること。即ち、神の栄光らしきものが特に目に見える形で現れていないこと。

5.UCの信徒の家庭は過剰な献金や借金の為、子供達をほっとらかしに、教育が犠牲になっていること。例えば、世間では子供を塾に行かせるのは当たり前ですが、シックはそのようなお金がないこと。

6.一般社会では未来の発展の為に現在を犠牲にしますが、UCは目前の摂理成就の為に未来(子女たち)を犠牲にする。

7.UCの現状を見たら、世の人々からも、内部の二世からも希望が見えず、魅力がないこと。

羅列すると、こんなところでしょうか。皆さんはどのように思うのでしょうか。

これに対して、ある人が次のコメントをしました。

夫婦仲が悪いのが大きな比重を占めているように思います。
好き同士で夫婦となった訳ではないので、み言葉の理解度が低いと、夫婦の隙間風が一般家庭より強いように見受けられます。

このコメントで思い出しましたが、妻がもの凄いバリ教で、夫は現実的で、借金生活にはうんざりしている信徒が沢山います。ここに不和が生じます。

それを見て育った子女たちは祝福に希望を持てないのです。



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日本の信徒なしに、これまでの摂理は成し得たであろうか(UCの悲しい現実)

劉正玉氏の本体論のビデオを見ていたら、ところどころに日本人を小バカにした言動が目に付きます。このような言動は総じて、韓国のリ-ダ達の中に見られます。

ところで、このおめでたい(?)日本シックがいなければ、アボジのこれまでの国内外の摂理は皆無に等しいほど展開できなかったことでしょう。

日本の伝道が失敗して韓国だけでしたら、何が出来たのでしょうか。韓国にあるほとんどの企業、土地、その他の不動産、学校、新聞社、教会、その他諸々は日本シックの献金でできた物ばかりです。

時々感謝の言葉は聞くことはありますが、圧倒的に韓国に対する償い意識を植え付けて、自己破産しようが、自殺者が出ようがお構いなしの献金ノルマを課して来る収税人、両班的搾取です。

アメリカにおける資産のほとんども日本からの献金です。裏を返せば、日本シックがいなければ何も出来なかったということです。

TMの時代になると、その器から世界的摂理を展開する発想は生まれてきませんので、その違いは皮肉なほどに明確になってきています。

その一つの理由は、アボジ時代に、購入した赤字の企業の整理はしたものの、日本の献金なくしては運営できない事業体の整理や作り過ぎた箱物の維持費に追われて、国家復帰や世界復帰の新たな摂理を考えるどころではなくなって来ていることです。

そのくせ、韓氏族を讃える記念館を建てようとしているという。
非常に韓国人的で、自分の栄光にこだわった王朝的メンタリテイを感じさせます。

そして、日本人がいなければ何も出来ない韓国人の姿が益々露になってきています。

結局、極論すれば、彼らが出来ることと言ったら、両班的手法で、日本人を献金の名の下に搾取することだけです、と言っても過言ではないでしょう。

絶対服従という言葉が本来の意味を失って、一人歩きすると、脅し、弱い者虐め、威張り、傲慢が教会のカイン・アベルの関係で展開されてくるのです。

その典型的例が元青葉台教会の教会長の言動なのです。これは、彼が正直に本音を露にしただけで総じて彼らの本音を代表していると言えるでしょう。クワバラ、クワバラ・・・、



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ここまで落ちたか家庭連合(徳野会長の話など)

8月11日に国家メシアのレダ開発20年(?)記念集会とやらに参加しました。

あちこちから出席するように電話がかかって来たので出席してみたら、記念礼拝があって、徳野氏の記念説教とやらがありましたが、その記念礼拝の中で、なぜ、家庭連合がTMを中心にして運行しているのかについてのお話がありました。

アボジによれば、文家の子女たちはアボジのDNAを受け継いでいて、どの子女も独自の主張を譲らないという。

したがって、全員が一つになって運行するのは極めて困難であるという。それゆえ、家庭連合はTMを中心に運行していくのだ、と言う。

これでは、まるで政治的判断で、便宜上、TMを中心に家庭連合の運営をしている、とでも言っているようである。

問題はただ組織の言う通りに従うことが出来るアイヒマンのようなyes manなら、それでも良いでしょうが、アボジの公式のみ言に沿って生きている信徒にとっては、受け入れがたいことでしょう。

例えば:

「アボジと息子が一つになれば、オモニムはいなくてもかまいません。オモニは何処からでもつれて来ることが出来るのです。そのようになっているのです。そのため、継母制度と同じです。継母の息子も相続圏に入るのです。分りますか?」
(み言葉選集311巻p291、1999/9/13)

「国家時代を超えて、アボジを中心に連結された時、オモニではありません。これで一つになるとオモニは長子に任せるので父子時代になるのです。父子協助時代に入るのです。父子協助時代になると、ここで全てで終わるのです。」
(み言葉選集314巻、p229、2000/1/5)

このような歴然としたみ言葉がいたるところにありますので、政治的便宜主義では治め切れず、分裂が生じるのは自然の道理と言うことになるのです。


更に話は進んで:

彼の 高校時代の同窓会の証しがありました。UCの会長であることの自己紹介をしたら、 担任の先生も同窓会の人たちも何か腫れ物に触るように、”道を踏み外した奴” と言うような雰囲気になってしまったという。

食事の時間が来て、談話が始まったら、一人の同窓生がそばにやって来て、UCは今でも合同結婚式をやっているのかを尋ねてきたので、結婚相手を探しているのが分ったという。

なにやら、妻子に逃げられてとても寂しいから、妻になる人を世話してくれと言う。それゆえ、身分を証して良かった。お陰で、捨てる神もあるが拾う神があるので伝道の希望だという。

聖なる祝福を極めて世俗的な結婚相談の次元まで落として、天的価値を棚上げしてなりふり構わず、伝道の手段として使うのはいかなるものであろうか。

お陰で、3万双の時の韓国における伝道を思い出しました。韓国のUCの教会長達がUCに入ったら、日本から持参金つきで大学卒の女を嫁にもらえるぞ!という宣伝文句で嫁の来てがない田舎周りをした話は有名です。

有田はこれをテレビで人身売買的とまで言っていた。我々の時代は人生の目的、人間とは何か、人は何処から来て何処へ行くのか、宇宙と人生の根本真理などがうたい文句でしたが、今では、馬の鼻先に人参を垂らすように、妻子に逃げられ男の鼻先にゆわいる良い女をぶら下げて、伝道をしなければならなくなたようです。

韓国では女欲しさに修錬会に出ますが、貰ってしまえばこっちの物と言うことで、UCには係わりを持たないようになる人が多いという。それは日本でも同じことでしょう。

国家メシア団もUCからのレダ献金ほしさにUC本部にすりより、松涛本部で、徳野氏を招いて、この不思議なメッセ-ジを 受ける始末です。背に腹は変えられない経済的事情があるのでしょう。

クワバラ、クワバラ・・・



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キリスト教の受容と統一教会の現実(UCが世界に受け入れられる為には)

宗教社会学では「受容」という専門用語が使われていますが、例を挙げて説明しますと 、ヘブライズムのキリスト教はギリシャ・ロ-マのヘレニズムを受け入れることによってその社会に受け入れられていったのです。

アウグスチヌスは当時流行していたネオプラトニズムを使って、それを枠組みにしてキリスト教の神学を構築していったのです。そうすることによって、ロ-マ社会と文化に受け入れられていったのです。

聖書の中にも、ロ-マの執権、ピラトに大変気を使ってイエスを十字架につけた責任をロ-マの側、すなわち、時の権力になるべくしないようにして、ユダヤ人のせいにしています。すなわち、時の権力ににらまれないようにしているのです(定番になっている学門的見解です)。

これはイエスが死んでから60年から100年にかけて聖書が書かれて行きましたので、その当時の社会情勢が色濃く反映しています。

原理本体論は講論から半世紀も経ってから書かれた代物ですから、今の韓国の反日社会情勢を反映するはずです。学問的には何処の宗教もそのようなものでしょう。

また、 強制従軍慰安婦論問題をオモニムに判断させるのも酷な問題です。これは学者の仕事であって、客観的、学問的調査を聴き取りで歩き回り、歴史的文献を集めて読みあさり・・・、そんなことをオモニムにやらせるわけにはいかないでしょう。

学者たちはアボニムもオモニムもある意味では韓国文化の所産と見ています。特に言葉はその国の文化を反映します。

メシヤといえども神性と人性の両面を持った存在ですから、神性面は普遍的ですが人性面はその国の文化、社会、歴史的な背景を抜きにしては語れないでしょう。

したがって、メシヤのUCの韓国的な側面という観点から研究すると韓国文化がたくさん出てくると思います。例えば式典のお供え物はヤン先生に言わせれば、そのほとんどが儒教の式典に酷似していると言います。

私が神学校で、学問的に権威ある宗教辞典で統一教会を調べてみると、嫌な事が堂々と書かれていました。

その特色の一つとして、上層部と下層部の経済的格差を取り上げています。これは韓国のヤンバン文化の反映と見なされているのです。

私の長男の嫁は韓国人ですが、大変親孝行です。シムチョンという物語は盲目の親の為に娘が漁師に身を売って、嵐の海の中に飛び込むお話しです。

残念ながら、私には50%は感動しますが、後の50%が感動しないのです。その逆でもあれば100%感動します。

ゆがんだ儒教思想でしょうか?子供は親の為に犠牲になるのは当然と言っているように感じるのです。

ある韓国の国家メシヤが任地国に入れないので、マイアミに拠点を構えていますが、自分たちの家庭は一段高いところで、椅子とテ-ブルで食事をし、日本の宣教師たちは土間(?)のようなところに新聞紙を敷いて座らせ、ファストフ-ドのような物を食べさせて、当たり前のよな顔をしている様子に大変激怒した食口の報告を聞きました。

これは親の立場にある幹部に子供の立場にある平信徒が犠牲になるのは当然という韓国の儒教思想から来ている出来事に見えます。

すると、どうでしょうか、日本の信徒を借金地獄しながら自分たちはその上にあぐらをかくということを平気できる事になります。

抗議をするよな信徒が出てきたら強制従軍慰安婦論で、自虐史観を植えつけるのです。これが彼らの日本UCに対する統治の仕方だと思います。

ただし、亨進様や顕進様のようなアメリカの民主主義の中で生まれ育った二世達の時代になると、世代をかけて変わっていくのでしょう。したがって、宗教学者たちは世代を通してこの宗教団体の行く末を見ようとしています。




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韓国至上主義の階級社会とは全く違う万民一家族の世界(我々が本当に目指すべきもの)

「笑う以外に方法が無い」といういう意味は、あまりにも 次元が低い話なので、あきれ果てて、ものも言えなくなり、苦笑いしている状態です。 (何に対して笑うのかわからない人は、1つ前の投稿「お笑い」をお読みください。)

お笑い(韓国人の不可思議な行動)を見る

それゆえに、私個人としては、そのような教会の主管を避けるために、1993年には教会長を辞任して、還故郷し、氏族メシヤ教会の勝利に向かって歩んでいます。

その内容は、韓国至上主義の階級社会とは全く違う万民一家族の世界です。

市民運動としては、ハレルヤコ-ラス愛唱会を立ち上げ、クリスマスコンサートを目指して月に二回ほど練習しています。歌の内容は「バンザイ、バンザイ、キリストが王の王、主の主としてやって来た。お陰で、神の御支配が天地に永遠に及ぶ!ハレルヤ(バンザイ)、ハレルヤ(バンザイ)」です。これをみんなで歌うと、聖霊が皆さんに相対して降りてきます。

小2の子供から83才の老人まで参加していますので、観客は我々のことを"ハレルヤファミリー"だ!と言って喜んでくれます。これは聖霊に満たされた一つの宗教団体みたいです。

コンサ-トが終わった後で、「聴衆の皆さんも参加しませんですか」というと、私も、私もと言ってハレルヤフアミリーに入ってきます。

神学的には旧約時代には父なる神が働き、新約時代には子なるイエスが働き、成約時代には再臨を通して聖霊が働くのだ、といいながら伝道しています。

その中にはクリスチャン、創価学会、左翼、右翼もいますがみんな一緒になって歌っています。

したがって、これもまた一つの天国なのです。スポ-ツもそうですが芸術は宗教、性別、年齢、民族イデオロギ-も超えることが出来ます。

芸術とは国語辞典によれば、「美を表現する手段」だという。それでは最も美しいものは何でしょうか? それは神です。それゆえ、多くの芸術家は神を表現する為に生涯を掛けてきました。特に、クラシックと呼ばれている分野はそれです。

それゆえ、私はここに目をつけて神を表現しようとしているのです。UCには希望がないという人たちがいます。なぜかと聞いたら、韓国が第一という序列が引かれていて、日本人や他の国々の兄弟がいくら頑張っても上には上がれないからだ、という。

しかし、オリンピックや芸術は国に関係なく、一位は一位、二位は二位というようにとても平等であり、フエア-だというのです。それゆえ、そのような神の国を願うというのです。私は、そのような神の国を築こうとして邁進しています。

日韓の一体化の問題におきましては。数年前に、新大久保で一人の日本人を助けようとしてある日本人と韓国学生が線路に跳び降りて、電車に轢かれて死んでしまいました。

この日韓の尊い精神を風化させてはいけないということで、定期的にイベントを開いてチャリティ活動をしている人たちがいます。

私共のハレルヤファミリーに声がかかり「千の風」を歌うことになりました。そして、大事なことはここに韓国が第一位という序列が無いことです。

私が体験した神の愛の世界には序列がありませんでした。そんな世界を各祝福家庭が氏族メシヤ教会を築き、連合して、連合体の協会をつくりましょう。

そうすると、今の天使長的な教会は要らなくなり、祝福家庭連合体が主流になって行くことと思います。アボニムもオモニムもそれを願っていると思います。それが平和連合家庭協会では無いでしょうか。




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お笑い(韓国人の不可思議な行動)

(お笑い1)
数年前、宣教団解団式に伴い、韓国の国家メシヤである分捧王たちもにも解団式となった。

そこで、40ケ国に選ばれなかったある国の分捧王がアメリカから解団式の前に日本に飛んで来て、自分の任地国の宣教師たちを集めて、宣教団解団式は悪霊の集会だから解団式に出席しないように説得して廻って歩いたと言う。

お母様が決められた解団式を悪者扱いして出席しないように勧めるとはさすが韓国人である。幸いその国の宣教師たちは無事に出席していたようなので、日本の国家メシヤもほっとしたようである。

それではどうして分捧王たちは韓国に帰るように指示されたのであろうか。

公式的説明では、お母様は韓国、日本、アメリカの三ヶ国に伝道を集中する為、特に氏族伝道のために、呼び戻すようにしたという。

しかしながら、スタッフによる非公式の説明では分捧王たちは任地国や近くの先進国に渡り、そこに居座って日本の宣教師たちに宣教という口実ではあるが実際は自分たちのぜいたくな生活のために送金を要求するようになってしまったからだという。


(お笑い2)
数年前に、パラグアイの大統領一行が日本の国家メシヤが理想郷を目指して開拓しているレダに視察にやって来ました。

決して普段は来ない韓国のリ-ダたちも来たという。その中に韓国の女性が二人ほど来ていたが、みんな人手不足で準備しているのに何の手伝いもしなかったという。

しかし、大統領と写真を撮る段階になると真ん中に席を取って写ろうとしていたという。

そして、普段は来ない韓国のリ-ダ達はさっそく、その写真を持ってお母様のところに行き、自分たちの実績として報告したと言う。

おかげで、お母様は説教の場で韓国の食口たちにその吉報をいち早く知らせることが出来たと言う。

英語にはGod works through a mysterious way.(神は時には不思議な方法で働く)という諺がある。しかし、結果がよければ何でも良いでは信仰生活の手本にはならないでしょうという国家メシヤもいる。


(お笑い3)
八冊のみ言葉選集の中には光言社出版でない本もありましたのでどうしてか聞いてみたら、前の前の総会長がリベイトを自分の物にするためにワザワザ韓国の出版社に出版させたという。

次の総会長は全国を巡回して巡回料金を稼いでいたという。みんなあきれで笑っている。それゆえ、今度の総会長には期待するものが大きいという。


これはあきれて笑う以外に方法がないのですよ。

このことは、ヌンチという文化を聞いてから理解できる面も出てきました。例えば、アボジが日本にいる韓国のリ-ダに100%やれ!と命令して、日本の食口が文字通り100%やった場合、韓国のリ-ダたちはこれはやりすぎだ、と解釈するのです。

なぜなら50-60%やれば上出来だ、と考えるからです。すると、60%はアボジにあげて、後の40%は自分たちの実績だ、と見なすというのです。

そして、これをみんな(彼ら)で 分けるという。そこには何の良心の呵責もないと言うのです。海外宣教も同じような感覚でやっていたのでしょうが、オモニムの観点からはそれでは通用しなくなってしまったと言うことです。

すなわち、100%投入しないと天の伝統は立たないと見なしたのでしょう。ここに、従来の韓国の文化、伝統を超えた天の伝統に立って、オモニムが英断したところに希望があります。

それゆえ、今となってはお笑い話になるのです。



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ヌンチの文化(日本人の知らない韓国文化の一面)

基元節の時に韓国へ行ってまいりましたが、宿泊の相部屋にある教会の教会長がいまして、日本のUCが破綻寸前まで来ていることを話しながら大変心配していました。

どうやらその元凶は「ヌンチ」にあるそうです。

具体的な例を挙げますと、韓国に留学した日本人学生がゼミで小論文を発表するに際して、先生からその資料を全部コピ-してゼミ参加の学生に配るように言われて、その通りにしたら、先生も学生も驚いたと言う。

「ヌンチ」とは先生が100%やって来いと言うのであるが、頑張った結果、50%出来れば良しとする文化であると言う。ところが、日本の学生がすべての資料を大変苦労してコピ-を取り、しかも全員の学生に行き渡るように配ったので、みんな驚いたと言う。

しかし、それは感心しているが同時に「こいつバカでないか」とも思っているという。この学生はそのような韓国文化を分るのに随分時間が掛かったという。

このことは、アボジのノルマについてもいえることであって、総会長を通して、更には韓国の地区長などを通してノルマの額が課せられる時に、これらの韓国のリーダーたちは各教会が100%を達成するとは初めから思っていないという。

なのに達成すると、期待していた以上にやった分は自分たちの指導のせいでやったのだからその分は自分たちがもらって当然だ、と考えると言う。

そのお金で、家を建てたり、高級車を購入したとしてもなんの良心の呵責も感じないので、日本の信徒から見ると公金横領に見えるのである。

問題なのはこのようなバカ正直な日本人を見ると、益々出させるコツを覚えて、もっと絞れば出るのではないかとすら言い出すという。それゆえ、このような状態を続けると時間の問題で教会の経済は破綻すると言うのです。

かって、アボジは国家メシヤに「パラグアイ川には2000種以上の魚がいるのだよ・・・」と言われ、だから魚を捕るように指示を出していましたが、専門家が調べたら、200種ぐらいだったと言う。このように輪をかけて話す手法は「ヌンチ」文化の一種と見てよいでしょう。

従って、従軍慰安婦16万人の蕩減ノルマも文字通り受け止めると、事実に反するという議論になり喧々諤々になりますが、「ヌンチ」の文化から解釈しますと、ソウル大学のイ ヨンフン教授(大韓民国の物語p163)の言われるただの慰安婦1400人は妥当な見解と言えるでしょう。

ちなみに、摂理を推進するために、我々も何かある目標を達成してもらいたい時は程度の差はありますが、輪を掛けて発破を掛けることがあります。

この世でもスポ-ツ界では優勝して来いとか、メタルを取って来いとか・・・、発破を掛けています。




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南米オリンポの修練会でのこと(天国は神様を喜ばすところです)

南米オリンポの修練会の時、韓国の金先生が韓国人の国家メシヤの参加者の数の方が多くて、日本国家メシヤの数が少ないなどと言われ、それが信仰のバロメ-タ-みたいなことを言われても何も反論できない日本人、そのくせ先生がいなくなったら何か言い出す。これを卑屈を言わずに何と言うのでしょう。

だから、私は日本の宣教師がみんなでお金を出して韓国の国家メシヤを送り出したから数が多いに過ぎないと明言してあげたのです。

しかし、金先生はそんなことは無いと言い出したので私が実例を挙げて反論したら、日本の国家メシヤたちが金先生の言う通りだと言い出すではないですか。そして、先生がいなくなると、師観さんの言う通りだと言い出す。

犬が尻尾を振っているみたいですね。一体、この人たちは何を恐れているのですか。日本人のいやな面を見た気がしましたね。

地獄を恐れてはいけません。保身の為に自分の魂まで売ってしまったら、それが本当の地獄です。我々は地獄に行くのを恐れて、あるいは天国に行きたくて献身したのではありません。

私の場合は、アボジにはアボジなりにやりたい夢があったが神のあまりにも悲しい事情を知ってしまった。そんな可愛そうな神様を見捨てることは出来なかったのでメシヤの使命を引き受けた、と言われたら、献身せざるを得なくなりましたね。

神様を喜ばすととても本心が喜びますね。それゆえ、天国とは神を喜ばすことです。

それ以上でもなければ、それ以下でもない。




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受容と埋没その2(なぜ西川先生は日本伝道に成功したのか)

なぜ、西川先生は日本の伝道に成功したのかということが話題になったことがあります。

答えは日本文化の受容に成功したからだ、ということになります。すなわち、日本文化の一つである義理と人情と忠誠心を原理の価値観で否定せずに、逆にこれらの美徳を受容、すなわち、受け入れ、それらを天につなげたので、西川先生は日本人に受け入れられたのです。

具体的な例を挙げますと、和動会には「勘太郎月夜」を歌い、日本人の人情の機微に触れ、説教では山中鹿之助は「我に艱難を与えたまえ」と言って、義の為に死んでいったではないか。いずくんぞ、成約聖徒は天の為に命を捧げてみ旨を成すべきだ、と言って食口を激励するのです。このようにして、日本文化の美点を天に繋げたのです。

ところが、日本人食口がアメリカでアメリカ人食口を指導し、伝道したときには、アベルやその組織に対するloyality(忠誠心)を強調するあまり、アメリカ人の美徳であるhonesty(正直)を天につなげる代わりに否定してしまったのです。

具体的にはfundraising(花売りなどでの基金集め)の方針はウソも方便という「ヤコブの知恵」を全面的に押し付け、日本UCの伝統を天の伝統と称して、これをごり押ししたものですから、アメリカの文化の中にそれが根付かなかったのです。

その他、様々な理由で、すでに前述しましたが13000人居た献身者が8年間で、1000人足らずになってしまったのです。

そして、各州の責任者がアメリカ人一人に、教会員は全員、英語のあまり話せない日本人の教会が出来てしまったのです。だから、受容に失敗するとこのような惨めな結果になるのです。

日本においても、受容し過ぎて埋没してしまった例があります。それが霊感商法です。

手相・姓名判断・家系図・先祖の因縁論・いたこ、お告げ、お払い、などは民衆に根付いている民間宗教のようなものです。そこで、韓国からの大理石の壷を売る為に石材を担当している者達がここに目を着けたのでした。

これがすごく当たりまして、壷は爆発的に売れたのです。こうして因縁ト-クが広まり、教会までもやり始めました。しまいには、土地や家を売り払ってでも壷を買うように、薦めるようになりました。

その内にお壷を拝む「お壷信仰」が生まれてしまいました。さらに、壷や多宝塔を買った人たちを伝道するために教義的にも原理と結びつける工夫がなされました。しかし、これは新たな問題を引き起こすことになりました。

多宝塔から伝道された人たちが松涛本部に来てみたら、そこにはお壷は祭っていないし、多宝塔が置いていないので、躓いたというのです。

松涛本部は世界基督教統一神霊協会の本部ですから当然置いてはいないのです。さすがの小山田先生も壷に関しては、「あれは石灰岩がマグマによって結晶した大理石に過ぎないのだよ、とお父様が言っていた」と言って釘を刺していました。

もっと深刻な問題は韓国では同じような大理石の壷がせいぜい1万円以内で買えるものが、ここでは宗教的付加価値をつけて100-500万円で売るものですから裁判で問題になるのです。

商売行為として物を売る場合、原価の10倍を超えたら、公序良俗法に触れるというのです。それで、宗教的付加価値をつけたら、一体あなた方は何処の宗教団体ですかというのです。

まさか、統一教会だというわけにはいかないのです。その理由はいくらなんでも「お壷教」になるわけにはいけませんし、また、収益事業を一切していない立場ですから、この事件は松涛本部のあずかり知らぬところで起こった問題として処理しなければならないのです。

困ったことに、原理を直接聞いて入信してきた学生や青年に対してまでにも壷を買わないと信者になれないと言い出して、その購入を強要することです。

その理由は、堕落人間はみ言葉と直接相対できないので、供え物として万物を捧げることによって自分が象徴的に復帰されたという条件を立てなければならないからだと主張するのです。このよに韓国では考えられないような「お壷教」の教義を作り出して、教会の中まで浸透してくるのです。

これは原理の日本文化への受容ではなくて埋没になってしまいます。結果は、左翼弁護士に捕まり、マスコミに社会問題として取り上げられ、UCがカルトのレッテルを張られてしまう結果になりました。

清平教もUCとは別な財団の下で、先祖解放と称してゴマ木の真似事のよな販売行為をしているようですが、これはまさしく「受容と埋没」のテ-マとして考えてみる必要があるでしょう。

日本の伝統的な価値観を天につなげないで、サタン扱いし、韓国の文化が天の文化としてごり押ししますと、受容に失敗し、伝道は伸びず、二世はもとより、一世の心までもUCから離れてしまうでしょう。私は、このことを大変恐れています。

そのようにならないことを祈ります。



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受容と埋没(UCの世界化の為にどうしても必要なこと)

私は、本部の対策を担当し、非合法から合法への改善に仲間と共に努力をしましたが、駄目でした。

それで、野にくだり、氏族メシヤの摂理でカイン圏にマザ-テレサのように仕えまくって、同情と尊敬と祝福の言葉を勝ち取る、すなわち、長子権復帰をする為にここさいたま市で戦っています。

当時、私を対策に任命した副会長は、「師観は逃げた」と言っていたという話を人づてに聞きました。副会長も改善しようとして私を頼りにしていましたから、その気持ちは痛いほど分ります。

現在ではクリスマスコンサ-トを通して市民権を獲得しつつあります。市民にとって無くてはならない存在になろうとしています。勝利をして良い見本を示せばいいのです。

前置きが長くなりましたが、「ヤコブの知恵」の伝統は1973年ごろから日本からアメリカに渡っていきました。

そして「heavenly deception」、直訳すると、「天的騙し」がアメリカの信徒に教え込まれて行ったのです。花売りから始まったのですが、大義名分と実際の使い道は違うのです。それゆえ、信徒の中には深刻な葛藤が生じてくるのです。

アメリカの法律の基本はクリスチャン国家であるために、旧約聖書や新約聖書の書かれている律法や道徳・倫理に基づいてつくられているというのです。

例えば、十戒で「汝、偽証するなかれ」という律法は人法でもあるが同時に天法でもあるのです。なぜなら、神が直接に人間に与えた律法であると信じているからです。したがって、これに基づいて出来ている法律は天法でもあるわけです。

それゆえ、この天的文化を無視して、「heavenly deception(天的騙し)」を命じますと、良心的なユダヤ人やクリスチャンのシックは葛藤するのです。

そのためでしょうか、1976年にアメリカを後にして、1984年に再びアメリカに行った時には、総勢13000人ほど献身したアメリカ人信徒は1000人足らずに減っていました。そして、生き残った疲れ切ったようなシックに、その理由を聞いてみたら、disillusion(幻滅)したというのです。

宗教学者はこの現象を見たら、「受容」に失敗したといいます。受容とは具体的な例を挙げますと、ヘブライズムであるキリスト教がギリシャ・ロ-マの文化、即ち、ヘレニズムを受け入れることによって受け入れられて行くことを言います。

具体的には、アウグスチヌスが当時ロ-マで崇拝されていたネオプラトニズムのギリシャ哲学を枠組みにして、キリスト教の神学を構築したので、ロ-マを中心とするヘレニズム文化圏、ヨ-ロッパの国々へ、キリスト教がその本質を失わずに受け入れられて行ったのです。

本質まで失ってしまいますと「受容」ではなく「埋没」と言います。ここは区別しなくていけません。例えば、日本の信徒たちが韓国の指導者たちからアボジに近い心情の世界、文化を受け継ぐことは受容ですが、公金で自分の車や家などを得ようとするような文化まで受け入れると埋没になります。

また、アメリカでは、ユダヤ(旧約)・キリスト教(新約)の伝統を受け入れることは受容ですがフリーセックスや離婚まで受け入れると埋没になります。

ちなみに、仁進様のやってしまったケ-スはアメリカの文化に埋没してしまったと見なされるでしょう。

このように、日本UCの天的騙しを押し付けて受容に失敗すると、宣教に失敗しますが、かといって何でも受け入れると埋没します。受容とは本質を失わすに宣教対象国家文化の中に根付く事なのです。

今日はここまでとします。



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心情の審判(UCが今後人々から受け入れられる為には)

私が赤羽教会長を辞任して家内の生まれ故郷の埼玉県の浦和に還故郷して、2年も経ったでしょうか、浦和駅に急ぎ足で向かっている一人の夫人とすれ違いました。

思わず、「Rさん!」と声をかけようかと思いましたが彼女は私に気づかず、蒼白の顔をして、髪の毛もとかさず、すり切れた靴を履いて、疲れきった顔をして東奔西走している様子でした。

R工務店が倒産寸前で、お金を借りる工面で東奔西走している話しは聞いていましたので、あえて話しかけることをせず、そっとしておくことにしました。

私が帰宅して、テレビをつけるとマザ-テレサの生き様が放映されていましたので、熱心に見ていますと、ある老人が病の為に道端に倒れ、何日間も放置され、悪臭を放つものだから、誰も恐れて近づかなかったという。

しかし、マザ-テレサがその老人を見たときには、その老人の顔がイエス様の顔に変わってしまったという。

そこで、テレサはその老人を通して神様ご自身がらい病(?)に犯され、道端に倒れ、放置され、誰からも省みられない状態にいることを悟ったと言う。それで、連れの者、シスターたちの手を借りて「死者の家」に運び入れ、死ぬまで見取ったと言う。

私はこの番組をみている時に、大変な心情の裁きを受けました。それは私に気づかず、蒼白の顔をして、髪の毛もとかさず、すり切れた靴を履いて、疲れきった顔をして東奔西走しているR婦人に中にイエス(メシヤ)の姿も、神の姿を見ることも出来なかったことでした。

なんと無く、他人のことのように見ている自分がいたのでした。私は祝福を受け、777双という大先輩の立場にいるにもかかわらず、その心情はテレサよりもはるかに劣るものでした。穴があったら入りたいとはまさしくこのことです。

マタイ伝には「あなた方によくよく言っておく、これらの最も小さい者の一人にしなかったことは、すなわち、私にしなかったのである」と、聖書が出来た当時から、言われ続けられていましたが、信仰生活をこんなにも長く続けて来た私の心情がそれを感じるまでに復活していなかったのです。

松涛本部がR工務店の主人を呼びつけ、5億円をちゃんと返すという条件で借りたのですが、まもなくバブル経済がはじけて、どこの銀行も融資をしてくれず、工務店の運営・資金繰りに支障が生じてきたわけです。

それで、やむなく5億円を返してもらう為に、松涛本部に行ったら、お金を借りた担当の者が居留守を使って出てこないと言う。
何時行っても同じことの繰り返しで、らちが明かないので、赤羽教会の壮年婦人たちからお金を借りまくったという。

その後、そんな事情を何も知らない韓国の若い教会長がこの教会に赴任して、しばらく後に、R婦人が挨拶に教会に行った時に、その教会長から、「あなたが壮婦からお金を借りまくったお陰で、当教会の献金実績は最低である」と苦情をいい、怒ったものですから、とうとうR婦人は切れてしまって、「それではすぐにでも返してあげます」と言い放って行ってしまったという。

その後、まもなく、R夫妻は被害弁連のところに走り、訴訟を起こし、松涛本部は借りたお金を粛々と払い続けていると言う。

それゆえ、同じような状況を体験したある教区長はUCが今後人々から受け入れられ、伝道が成功するためには

1. 嘘をつかないこと。
2. 人を騙さないこと。
3. 約束を守ること。
4. 人の信頼を裏切らないこと。

を守ることだと言ってはばからない。



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メシヤとは何か、「真の父母の概念」は旧約時代と新約時代のメシヤ観を統一するもの

今日は土曜日なので少し長い日記です。ゆっくりお読みください。

私は二年前にNYに住んでいる数人の牧師や神学者を訪れました。そして自己紹介で名前と自分のミッションを紹介するたびに“国家メシヤ”とは何ですかという質問を受けました。

そこで、私は“国家メシヤ”とは何であるかということを説明する前に、メシヤとは何であるかを説明しなくてはなりませんと答えました。

メシヤとはヘブライ語で「油を注がれた者」を意味し、それをギリシャ語訳したのがキリストです。

ところで、油を注がれた者は聖書の中に何人いるのでしょうか、と尋ねたら、誰も覚えていませんでした。そこで、私は39名ですと答えました。

そのうち、王は何人いますかと尋ねると誰も覚えていませんでした。無理の無いことです。神学者や牧師といえども細かいところまでいちいち覚えてはいません。

王は29名もいるのです。油を注がれた最初の王はサウルでした(サムエル上24/6)。その後、ダビデ、ソロモンと続き歴代の王が油を注がれますが、祭司の場合もあり(レビ4/3.5)、時には預言者の場合もありました(列王上19/16.イザヤ61/1)。さらに預言者とみなされた族長(詩105/15)や異国王、ペルシア王クロス(イザヤ45/1)までもメシヤと呼ばれています。

それでは、どうして異国の王のクロスが油を注がれた者、すなわちメシヤと呼ばれるようになったのでしょうか。

それは旧約時代のメシヤの使命を考えますとすぐに分かります。

イスラエル民族にとってメシヤとは、神を冒涜する人々をこの地上から一掃し、神の支配(神の国)をこの地上にもたらし、神の民であるイスラエルを敵から守り導くことでした。

したがって、メシヤは民族の政治的救済者であり、やがては万民の征服者となるべき存在だったのです。すなわち、メシヤは第一に王として、神の民、イスラエル民族を神の敵より守り導き、第二にはエルサレムに神殿を建設することだったのです。

ペルシアのクロス王はバビロニアを征服し、そこに捕われていたユダヤ民族を解放して故郷に帰還させ、神殿を再建するための基金までも持たせてやったのです。このようにして、クロス王の行ったことはメシヤの条件に合致したのです。

したがって、そこにはメシヤが人類を罪から贖う“贖罪者”であるというような、キリスト教的な観念は存在していなかったのです。ここに旧約時代と新約時代のメシヤ観との間に大きなギャップがあるのです。

ところで、クリスチャンはイエスをキリスト、すなわちメシヤであると信じていますが、イエスは聖書のどこに“油を注がれた”と書かれているのでしょうか。あなた方クリスチャンは油を注がれてもいないイエスをどうしてメシヤと信じているのですか。

この質問を牧師や神学者にしましたが、満足いく返答が返ってきませんでした。ここに居る皆さんはどう思いますか。それでは文鮮明師はメシヤをどのように定義し、理解しているのでしょうか。

カナダのトロント大学の神学者、ハーバート・リチャードソンが文師に、「あなたはメシヤですか」と問うた時に、文師は「メシヤとは、思いを尽くし、心を尽くし、魂を尽くして、地上に神のみ旨を成そうとする人のことをいう。

私もメシヤになろうとしているし、あなたも、あなた方みんなメシヤにならなくてはならない。」と答えたといいます。

それゆえに、St.Vincentの国家メシヤとは、私の任地国であるSt.Vincentにおいて神のみ旨を成し遂げようとする人のことです。それが私の使命なのです。

そしてここにいる平和大使のみなさんもこの国において神のみ旨をなす国家メシヤにならなくてはならないのです。

ところで、文師のこのようなメシヤ理解、すなわちメシヤ観は聖書的に正統なメシヤ観なのでしょうか。そうです、これこそが旧約聖書の中に39回も登場してくる、神が聖典である旧約聖書を通して示された本来のメシヤ、“油を注がれた者”の概念なのです。

そして、神学者はこれを機能的メシヤと呼んでいるのです。ちなみに、現代神学者たちは、イエスについてのメシヤ概念を、ニカイヤやカルケドンの信条を通して見るのではなく、史的イエスからその概念を見出そうとしています。

そのメシヤ概念は、存在論的なもの、すなわちメシヤをある特定の神的存在である個人ではなく、来るべき神の国をこの地上にもたらす、機能的な概念なのです。

 さらに、「神のみ旨をなそうとする人」がメシヤであるというメシヤ観は旧約にも新約にも当てはまるので、新旧のギャップがなくなるのです。

異文化の受容

文師はスピーチの中で、世界四大河川地域を中心として第一歩を踏み出した文明が、その後地中海圏に上陸し、ギリシャ・ローマのような地中海の半島文化として、花を咲かせるようになり、この地中海文明は、再び英国、米国を中心とした大西洋文明として移動し、日本、韓国をつなぐ太平洋文明として結実するようになる、と言っています。

ここで大切なのは、地中海圏時代と環太平洋時代の歴史の同時性なのです。地中海圏時代において、神は人類救済の摂理としてメシヤを送るための内的、縦的準備としてイスラエルを選び、外的、横的準備としてローマを用いました。

したがって、イスラエルのヘブライズムとギリシャ・ローマのへレニズムとの出会い方がとても重要になってくるのです。  

ところで、宗教社会学では異文化の出会い方を “受容”といいます。ヘブライズムの産物であるユダヤ的キリスト教がヘレニズムの世界に受け入れられる為には、ヘブライズムがヘレニズムを受け入れながら受け入れられていくというのです。これが“受容の法則”なのです。

それでは、ユダヤ的キリスト教はどのようにしてギリシャ・ローマの世界に受け入れられたのでしょうか。

その第一は、パウロがヘブライズムの産物である肉的割礼を廃止して霊的“心の割礼”というように、割礼を再解釈したことです。これによって、ギリシャ・ローマ人たちは肉的割礼を受けなくてもキリスト教徒になれるようになったのです。

すなわち、パウロが割礼を廃止することによってキリスト教がユダヤ教的色彩から脱し、異邦人キリスト教へと発展して、西欧礼会へ伝播して行ったのです。

その第二は、アウグスチヌスが当時のローマ人たちが崇拝していたギリシャ哲学を用いてキリスト教神学を構築したことです。すなわち、ヘブライズムから生まれたキリスト教がギリシャ哲学を受け入れることによってギリシャ・ローマ世界へと受け入れられて行ったのです。

こうして、ヘブライズムからヘレニズム世界への受容は成功裡に展開され、ユダヤ的キリスト教から西洋的キリスト教へと発展して行ったのです。


西洋的キリスト教の限界

しかし、この様なキリスト教の発展は、いまだ「西洋的キリスト教」の次元であり、「世界的キリスト教会」には至ってないというのです。

したがってキリスト教が“世界の教会”となる為には、第三期(完成期)の「世界的キリスト教会」時代へと移行しなければならないのです。これが環太平洋時代のキリスト教なのです。

それでは、西洋的キリスト教の本質的な問題とその限界点は何でしょうか。それはキリスト教が神学的に体系化される段階で、プラトン哲学、アリストテレス哲学などの枠組みの中で体系化されたところに問題があるのです。

彼らの哲学によれば、個々人の存在の“実体(substance)”、すなわち“本質(ousia)”は、おのおの完全に独立したものであって、他者との関係なしに存在できるものということなのです。

これを神やイエスに当てはめると、神はそれ自体で完全であり、人間やその他の被造物に無関係に独立して存在し、また、イエスも然りである。家庭など持つ必要はさらさらなく、それ自体で完全な存在だというのです。ここから、人間の最少単位は個人であるという概念が生まれてきます。

しかし、実際には個人では存在できないのです。日本にはかつてトキという鳥が沢山生息していました。それが乱獲や環境汚染で、年老いた雌のトキしか存在しなくなったのです。

これでは、トキという種が絶滅してしまうのです。幸い、中国に生息していたトキのつがいを連れて来て、卵を人工的に孵化して、やっとの思いで日本にもトキが存在するようになったのです。

全ての高等生物はみんなペアシステム(つがい)に創造されているのです。創世記には「神がご自身にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。(創1/27)」と書かれているように、神のかたち(像)は男性性相と女性性相のペアシステムから成り立っているのです。

だから、人間も個人だけでは、人間という種が一代で消滅してしまうのです。そこで注目に値するのは、“人”という漢字です。漢字の「人」は、二つの棒が互いに支えあって成り立っているのです。

これは東洋哲学によれば人間の最少単位は個人ではなく家庭であるということを示しているのです。この家庭の概念を、環太平洋時代のメシヤ観に当てはめたらどうなるでしょうか。当然のことながら、メシヤは“真の父母”ということになるのです。

人類を“罪より救済するメシヤ”は救済後にはその使命が終わり、不必要となって消えていく概念であるが、「真の父母」は、人類始祖が堕落しなくても必要であった概念であり、創造本然の世界において永遠に必要とする存在なのです。

したがって、メシヤの本質的な使命を「真の父母」と定義したことは、やがて消え行く贖罪的メシヤ概念よりも、より重要な概念なのです。

ところで、旧約時代のメシヤ観は前述したように、“メシヤ”とはその使命において特別な存在だったのであり、存在論的には我々一般の人間と何ら異なった特別な存在ではなかったのです。

したがって、このようなメシヤを神学では機能的メシヤと呼んでいるのです。これに対して、新約時代のメシヤ観はメシヤとはある特定の神的存在である個人、すなわち、神学的には存在論的メシヤであったのです。それゆえ、この二つの概念は決して相容れることのない概念だったのです。

しかし、「真の父母」の概念は人類の根源的罪、つまり、原罪より人類を解放し、天地に神の支配、すなわち神の国をもたらすという機能的メシヤ概念と同時に、人類の救済後にも「真の父母」として永遠に存在する存在する存在論的メシヤ概念であるが故に、旧約時代のメシヤ観と新約時代のメシヤ観を統一できるメシヤ観なのです。それ故、文師のメッセージは最後に“真の父母の業績”について言及して終わっているのです。

以上が私の解説であります。



これは、私がSt. Vincentで、英語でスピ-チをした内容です。日本語に翻訳しましたので参考になれば幸いです。私のスピーチの後には、VIPたちが次々とやってきて握手を求め、英語で書かれた緒書があるのなら是非読ませて頂きたいと言ってきました。

それで、本はありませんが英語の論文なら沢山ありますのでそれを送りますと答えておきました。熱心に聞いていた医者の夫婦が感心して平和大使になってくれたことは感銘の一ページとして記憶にのこるものでした。

長文を最後まで読んでくださりありがとうございました。

統一教会のメシヤ観についてもっと詳しく知りたい方はこちらをお読みください。
http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-2.html


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「統一教会が統一教会のために生きたら滅びる」とアボジは言われた

アボジによれば「統一教会が統一教会のために生きたら滅びる」という。

ただ教会の自己顕示やそれ自体の維持の為に生きたのなら教会の未来は推して知るべしである。一体全体、何人の人々がUCのお陰で幸せを感じているのであろうか。その教えと実態が一致しない限り、人々の心を捉えることは出来ない。

では、人々は何を求めて生きているのであろうか?
それは喜びと意義に満ちた人生です。

それでは如何したらそれらを手に入れることが出来るのでしょうか?それは神を手に入れることです。神はそれ自体が我々に「喜びと意義」を与えてくれる。

それゆえ、我々はすべてを捨てて献身した。そして、その喜びを他の人々にも分かち与えようとして伝道活動に邁進できた。これが原点のはずです。

今の教会には色々問題はあるけれども、今なお、我々が教会をやめないのは神が我々の魂の中に住んでいるからだと確信します。教会を出て、神をいっそう感じるのならそれはそれで良いことでしょう。神は遍在するがゆえに何処にでもいる。

人々は我々の神による喜びに満ちた実態を見て、心が魅かれ原理を聞いてみようという気持ちになるのです。

私がそうだった。喜びに満ちた伝道者を見て、北海道から鎌倉で開催される原理セミナ-にワザワザ参加する気になった。三人の霊の子女を復帰しないと自分の救済がないとか、祝福を受けられないとかは考えないほうが良い。

なぜなら、とたんに、自己中心の伝道になってしまうからです。そんなこと、微塵も考えないで、神を喜ばすために伝道をすると、結果として三人も四人も伝道していたというのが正論であろう。

我が任地国のVincentにDawnと言う婦人がいる。彼女は最初の夫と祝福を受け、知らないうちに、トリニダ-ドに引越して、次の夫とそこのUC教会で祝福を受け、今度はマイヤミに引越して、三番目の夫とそこでまた祝福を受けた。

現在はそこで留まっている。この婦人は代々牧師の家系で伝道しか知らない人だ。お陰で、メノナイト教会のSamel牧師を伝道し、その教会の信徒全員が彼女から原理を聞いている。

首相まで伝道して、昨年のアボジの聖和式の時には、Vincentの首相と前首相のビデオメッセ-ジを放映した。私もあきれて、唖然としている。

しかし、聖和式直前の韓国での修練会ではアボジは彼女を見るや否やとても驚き、「お前は男を主管できる玉だ」といって、大変喜び、大きな使命を与えたと言う。まあ、アボジに祝福されたと言える(?)のでしょう。

問題はこの婦人はいつも神を感じて燃えていることです。トンチンカンな祝福を勝手に受けて、どうして神が働くのかがナゾである。

ナゾと言えば仁進さまもその一人と言えるでしょう。何やら新しい夫とその子女を持って燃えている(?)という。

神を感じて燃えているのかどうかは分りませんが教会から離れるどころか逆に影響を与えているようだ。その内に、同じようなアメリカの信徒(?)たちが共鳴して一つの勢力になるのかも知りません。



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神が最高のアベルであり、同時に最高のカインでした。

私の宗教的体験では神が最高のアベルであり、同時に最高のカインでした。

ある時まで、神は宇宙に君臨する至上の王のように感じ、思っていましたが、自分の我(我執)が打ち砕かれ、とても謙虚になった時神は相対してくれました。

その時の悟りでは、神は一番底辺にいて、万物よりもっと低い位置からすべてを支えている神でした。そんな神に出会った時に、神とは最も謙虚な方で、カインのカイン、その又、カインのカイン、その又・・・・の位置にいらっしゃるがゆえに自分の魂が自然屈服し、自然に神を最高位のお方として尊敬し、崇拝するお方になっていましたね。その時、むせび泣きましたよ。これを聖霊体験と言うのなら、聖霊体験でしょう。

神学者は最高位の神を「父なる神」と呼び、最低位にいてすべてを支えている神を「母なる神」と呼んでいることは興味深いことです。

ところで、UCでアベルと言われている序列の高い方々は神様のように決して権威ぶらないで、最低の位地から皆様を支えているのでしょうか。

なんだか、話しを聞いていますと違うようにも思いますがね。


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アボジの神性と人性、身近なアボジの姿を求めて

原理講論における変な箇所や間違いの箇所は対策においては40箇所以上も指摘されており珍しいことではありません。

それ故、反対牧師に捕まったら100箇所以上の問題点を挙げてくるというのです。もっとも彼らから見ての問題点ですから果たしてどこまでが客観的間違いなのかは、うのみにする訳には行きませんが。

在日韓国人の対策の観点によれば、マルスムという意味はお言葉という意味で、その中にはみ言はもちろん含まれているが、単なるお言葉の部分も少なくないというのです。

それで、彼らの感覚ではお言葉の部分で間違いがあったからと言って、それが何だのだと言うのです。人間である以上は間違いは当然だというのです。

日本人信徒の完全主義とは受け止め方が違うようです。私においてもこのような受け止め方はとても参考になります。

メシヤの専門分野は血統転換ですからそれ以外のところで人間的間違いがあっても当然のこととして受け止めています。特に、ビジネスの分野では上手くいかない点が沢山あります。

神学的に言うと、メシヤの神性と人性という問題です。メシヤの中には神が直接メシヤの口を通して語られる部分と、アダム(人間)としての責任分担で語られる部分が沢山あります。

その中には食口の報告をそのまま信じて語る部分もあります。原理講論は宗教書であって科学書ではありません。特に堕落論は科学的には証明できません。

それゆえ、ブラック フンジンニムが現れて、霊界に行ってエバに会って話しを聞いたら実際はこうだったといえば、「ああ、そうかな」と思うし、李相軒先生の霊界の証しを読めば、「ああ、そうか」と思うし、また、エバの方がル-シエルを誘惑をしたといえば「ほう、それはまたまた新説だ」ということになります。

それゆえに、お言葉の部分(?)までもみ言と思い込んで絶対化するとつまずいてしまうという在日韓国人の解説は説得力があります。

アボジの言動の中には単なる凡ミスもあるようです。たとえば、

1.ある会議の席上で、一人の韓国人食口に日本語で語りかけましたが、何のことだかサッパリ分からず、ケゲンナ顔をしていました。すると、日本の食口の一人が「この方は韓国人です」といいました。

すると、アボジは怒ったような口調で、「日本人みたいな顔をしているんじゃないんだ!」といいました。

そこにいた誰もが「これは何か摂理的意味が隠されているのだ」とは思いませんでしたね。

だだ、よくにているので、見間違えただけです。これが客観論理から見た見解ですが、なんでもかんでも信仰の論理で解釈したい人はそこに摂理的意義付けをしょうとするのです。

2. 1973年にアメリカに渡った日本人信徒を集めて、Fundraising team(花売り部隊)をアボジ自らいくつか編成し、アメリカの地図に碁盤のように線を引き、くじ引きでそれぞれの班を振り分けました。

そこに、David Kim先生がやって来て、「ここ砂漠だよ、誰も人などいないよ!」とアボジを怒鳴りつけました。Kim氏はるかに年上だから、アボジの凡ミスを怒鳴ったりできるのでしょうね。

これは、信仰の論理から何か人間では計り知れない意味があって砂漠が当たったのだという人もいるかもしれないが、客観論理ではアボジはアメリカに来たばかりで、どこが砂漠なのかは知らないだけだということになります。

ちなみに、メシヤ=神と信じているクリスチャンにおいては、アボジが神の実体なら韓国人を日本人に間違えたり、アメリカにおいて砂漠がどこにあるかなどを知らないはずがない、といってつまずいてしまう。

損害は砂漠に行かされても、せいぜいガソリン代と花を枯らすだけで済みますがビジネスの失敗となるとかなり深刻なダメージを受けます。

36家庭の洪先生がメコ-ルを担当していて、たまたま地方でその売り上げがコカコ-ラを抜いたという。それを聞いたアボジは洪先生に生産と販売を拡大しろ、という命令を下した。

彼は現実的に難しいと思ったのでアボジに三回も問い直したという。それでも、それでも拡大しろといわれるので、とうとう拡大したら大失敗になってしまった。

そして洪先生はもはや社長ではなくなり、韓国のUC教会長となり、しばらくして、ヨ-ロッパの責任者になり、その後、去っていきました。

すると、その長男(誉進さまの婿)は去り、ナンスク様(孝進様の嫁)も去ってしまった。そこで、36家庭の先生方はアボジにビジネスをやらせるな!と言い出す。

これを見ていた顕進様は大変責任を感じ、ハ-バ-トのビジネススクールを出た責任もあり、自分が代わって何とかしようという思いを益々抱き始める。誉進様も長女としての責任を感じ、これと思う食口を呼びつけて自分が代わってUCに責任を待たなければならことを告げる。

このように、これらの経過を見てみますと、顕進様の問題は起こるべきして起こったともいえる。

事実、神学者たちは統一神学校(UTS)が主催する学術会議の中で、文教主の死後、UCは必ず分裂するであろうと、過去の宗教歴史から鑑みて推察していた。

私も遅かれ早かれそのような事が起こるかもしれないとは思いましたがアボジの生存中に来るとはさすがに思いませんでした。




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いわえる「ヤコブの知恵」に対する金オンピル先生の見解

UC、特に日本のUCは何故カルト(反社会的宗教団体)と呼ばれるようになってしまったのかという問題を考えてみる時、色々あるでしょうが、先ず第一に考えられることは「ヤコブの知恵」という教義(?)でしょう。

摂理の為ならこのくらいのウソ、騙しは善であるという教えです。最初は「青少年の育成の為に廃品回収をやっています」から始まり、次に花売り、次にそれに代わる高額商品を勝手に都合の良い大義名分を考えて、訪問販売をするのです。

しまいには身体障害者の真似をして売りに歩いたり、アフリカのシックを同伴させてアフリカの難民の為だなどと言って物品販売をするのです。

しかし、良心的な信徒は良心の呵責を覚えるのです。問題はウソをついて売りに歩くのが当たり前で、正直は人間的であり、天情に立っていないとして責めを受けることです。

このようにしてウソつくことが不変、固定化してきますと、統一教会と言えども時間の問題で社会問題にまで発展するのは当然な事なのです。

そして、拉致監禁された食口が良心を殺してまでもやらされていたことに目覚め、UCの問題点をマスコミを通して暴露するのです。その結果、UCは社会からカルト(反社会的宗教団体)のレッテルを張られてしまうのです。

そこで、「ヤコブの知恵」という教義は果たして原理的なのかということを検証してみなければなりません。

2002年10月27日に新宿教会において、金元弼(キム ウォンピル)先生が語られた内容は大変参考になるので、紹介致します。

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「メシヤのためであるなら、あるいは大義があれば、何をやっても許される」という誤った考えを持っている食口はいないでしょうか?

「国のためであれば、個人を苦しめることもありうる」とか、あるいは、「み旨のためであれば、サタンの物は奪って来ても許される」と、考えている人はいないでしょうか?「3倍以上、返してあげなければいけない」という真のお父様のみ言を、よく考えてみてください。

うそはうそであり、どろぼうはどろぼうです。ただそれが、戦争などの状況下にあっては、一時的に許される、同情されうる、ということは、ありうるかもしれません。

でも、「間違ったことは間違ったことである」と、はっきり知らなければなりません。

聖書の中にも、うそをついて奪って来た例があります。「サタンがうそをついて奪って行ったので、『蕩減復帰』の原則により、神側もうそをついて奪って来ても、罪にならない」と考えて、行動を正当化する人が、もし、いたとしましょう。

しかし、それは、うそはうそなのです。ヤコブの時も、うそをつかなかったとするならば、21年の苦役路程はなかったかもしれないのです。

戦時下で生命が懸かっている時に、人のいない家からお米を持って来ることは、状況的に考えて許されるとしても、それがそのまま善であるとは言えません。

それ自体が善なる行為であると言うことはできないのです。それを私たちは、真のお父様のこのみ言と行動を通して、はっきりと理解しておく必要があります。

「あなたがやったことは赦され、同情されるかもしれない。しかし、善ではない」ということです。

ですから、後でこれを3倍以上、返すことによって償うこととなるのです。このような出来事を通して、私たちは本当に真のお父様の伝統を学んでいかなければならないということを感ずるのです。

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「ヤコブの時も、うそをつかなかったとするならば、21年の苦役路程はなかったかもしれないのです」については、ヤコブはエソウに良く使えて自然屈服させて、長子権を譲り受けてくるべきであったというのです。

それゆえに、ウソをつくと、後でこれを3倍以上、返すことによって償うこととなると言うのですから、その観点から、今起こっているUCの問題点を説明することが出来ます。

ウソをついて獲得した献金で獲得したUCのあらゆる資産はサタンの讒訴条件を受けるので、時と共に奪われていくことになります。

顕進氏にUCの資産が奪われているのはもしかしたらそれが原因なのかも知れない。




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アボジの親戚である文社長のメシヤ観の紹介

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文社長はアボジの親戚で、幼少の時からアボジと遊び、一緒に生活を共にすることがあったので、彼はメシヤとのお付き合いの仕方を良く心得ていると言う。

そこで、この方のメシヤに対する信仰観は我々をハットさせるような側面を気づかせてくれるので、参考になるでしょう。

文社長によれば、メシヤとは神のみ旨を成す為に、夢を語り、構想理想を語る方であって、ビジネスの専門的な知識を語る方ではないという。

それゆえ、what(何をすべきか)のみを聞き、how(どうすべきか)は自分の責任分担でやらなければならないと言う。

そして、成功すれば、栄光はアボジに返し、失敗は自分の責任にするという。ところが、howまで聞いてしまうと、アボジは専門知識が無いまま語ってしまうから、ビジネスはよく失敗するという。

メッコ-ルの社長であった洪先生は自分の5%でやるところをhowまでいちいち聞いてしまい、その結果、メッコ-ル工場を大理石にしてみたり、遠いところにあるビン工場を買ってみたり、などなどしたので失敗してしまったと言う。

似たような話しとしては、顕進様が今のよな状態になる前の北米の経済分野を担当して間もない時に、アメリカの各ビジネスを担当している責任者を集めて実績を追求したところ、True Worldを除いて、すべてのビジネスが赤字であったという。そして、それらの責任者は全員、韓国食口の先生方であったという。

そこで、何故赤字にしてしまったかを追求したら、アボジの言う通りにやったのだから自分には責任が無いという。

これを聞いた顕進様は烈火のごとく怒ったという。要するに、アボジの言っている意味を取り違えて解釈しているというのである。

これはwhatのみを聞いて、howは自分の5%ですべきところをいちいちアボジに聞いてやってしまい、責任をアボジのせいにしてしまう典型的な思考パタ-ンであろう。

それゆえ、文社長のビジネス哲学によれば、howまでアボジに聞くなというのです。なぜなら、失敗したら、メシヤの責任になるからだと言う。

これは一考に値するお話しであろう



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