姜賢実先生清平脱出のドラマ、まるで007のよう(江利川さんの話)



コメント欄に以下の内容があった

姜賢実先生がどのように清平を脱出したかを江利川さんが証しています。まるで007の映画に出てくるようなストーリーでした。一見の価値があるでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=HGOJSin7IPU

引用終わり


見てみると、たしかに興味深い内容だった。なんでも、姜賢実先生が追っ手を逃れて空港の待合室に入った時、「イスラエル民族が出エジプトする時は大変だったんだな」と感じたそうです。姜賢実先生の話は6分ごろからです。清平脱出劇の話は41分くらいからです。



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姜賢実先生最新の証2016年12月25日

もうすでにいくつかのブログで紹介されているようですが、クリスチャンでありお父様の第一弟子のような立場の方の証は、少し長いですが、とても貴重なのでここでも紹介しておきます。

出典はここです。
http://h2fanclub.blogspot.ca/2016/12/20151225.html



おようございます。皆様にお会い出来て嬉しいです。皆様にお会いしたいと待ち望んでいました。

ですので皆さんとお会い出来て今日はとても嬉しく思います。このように今日、皆さんとお会い出来て感無量です。

私は皆さんに何を語れば良いのか判りませんが、私の考えでは、私は真実に生きなければならないという心を持って、どこから真実の声が聞こえるかという思いで常に探してきた多くの人の一人です。

そして私はキリスト教徒です。キリスト教徒ですからイエス様にまず会わないと行けない という思いを持って祈祷を沢山してきました。

それで、誰よりも先に再臨された主様に会わないといけないという思いを持っていたので 誰よりも先に韓国でお父様に一番最初に出会えたと私は考えています。

それで今日皆様に挨拶の言葉を捧げようとするのは まず他のことではなく昔の話をしようと思います。

お父様と何年前に会ったかと言いますと、先程李牧師が紹介されたように65年前にお父様に会いました。お父様と一緒にこの一戦に立って全世界の人類を神様の前に導かないという行けないという思いを持ってお父様と一緒にみ旨の前に立ってきました。

今までお父様と生活をしてみて何を感じたかと言いますと、お父様の背後には神様がおられる。神様は小さなことから大きなことまで神様がお父様に一緒におられ、そしてお父様は、本当に全ての人類を一つにするために苦労してこられた方であることを、生活の中で沢山感じてきました。

このように皆さんとお会い出来ましたので聖書の御言葉が思い出されます。何の聖書の言葉かといいますと ヨハネの福音書16章33節に何のみ言葉があるかといいますと、「お前たちは苦難を受ける時雄々しく有りなさい、迫害を受ける時雄々しくなりなさい」という聖句があります。それで皆さんが苦難と迫害を受けても立ち上がられたことを見るととても偉大に見えます。

まず私たちは二代王であられる亨進様夫婦とまたこのようにみ旨の為に立たれた皆さんに会いましたので どのような思いがしたかと言いますと、神様は必ずここを中心として驚くべき役事を展開して、どのような事が起きたかと言いますと、ここは山谷ですが山谷ではなく全てのアメリカと全ての世界をお父様の前に導く驚くべき奇跡がここで現れたということを信じるしかないですし、神様と霊界におられるお父様が、二代王であられる亨進様に心から浮かび上がる深い心情で本当にありがとうございますと感謝するのです。

お父様が願われるみ旨を成就するために皆さんはどれ程どれ程苦労をして来られたでしょうかと私は頭を下げて感謝申し上げます。

平素 私はイエス様は真実をされる方なので、私もその真実を範を受けて真実の生活をしようと沢山の努力をしてきた人の一人ですが、65年前にお父様に出会えて 今まで真に一つのみ旨を中心として私もお父様と一緒にこの道を歩み一緒にこの旨を成し一緒に全世界の人類を幸福に出来るこのみ旨をしなければならいという心情で出発したのですが、今や本当に歳をとりました。

実はここに来れる歳でも無かったのですが、二代王である亨進様が私に来なさいという言葉を聞いて、何も考えず、「はい行きます」と答えここに来ました。

ここでは本当に迫害も多く苦労をしている皆さんを私はよく知っています。私自身、長老教から統一教に入る時 沢山の迫害を受けました。狂った人だという扱いを受けてきました。

本当は、私がお父様に行ったのは他でもなく伝道をするために行きました。再臨主を伝道するなんてどれ程笑わせる話でしょうか。

しかし、私はお父様を伝道して神様が使うことが出来る人なら、伝道して神様と一緒に良い世界をつくろうという思いでここを訪ねてきました。

神様は歳もとり弱いですが弱いものを立てて強いものを恥ずかしくし、年取った者を通して若者を恥ずかしくすることも出来るので私は生きておられる神様を信じて、伝道しながらお父様の前に行こうと今日ここに来ました。

それで皆さんに一言言いたいのは開拓とは簡単なことではありません。開拓とはとても難しいことです。

私も教会を4つ開拓してとても辛い道を歩んできたのですが、今日ここにおられる皆さんもこの開拓の路上に召命されて今日二代王と一緒に罵られ迫害を受け苦労をしながらも、このみ旨を成功させるために驚くべき役事をしていると考えると真に偉大なる皆さんですし、皆さんを通じてこそ後悔のない驚くべきことが必ずおきると私は信じています。

私が話そうとしたことをこの牧師(李相烈会長)が上手に話されました、要点をついて。それで色々と話す必要はないように思われますが、私は何を感じたかと言いますと、神様はそして霊界におられるお父様は二代王であられる亨進様夫婦と一緒に御業をなしておられるのならここに新しい歴史の火が灯ると信じています。

私が成そうと思ってはうまくいきませんが、ここに神様が共におられ霊界におられるお父様が一緒におられ、二代王であられ相続者であられ後継者であられる亨進様がこのような荒野のような荒れ地で苦労をされながら、またお父様のみ旨を成そうと命をかけておられるので、必ずやここを通してお父様が霊界で願っておられる神様が願われるその役事が必ず勝利し成就するであろうと信じてやみません。

お父様が私が訪ねてお会いしたときに、お父様がどのような御言葉を下さったかと言いますと、御言葉を語られる時とても大きな声で、本当に大きな声で言われたので、私は若かったので耳も遠くないのになぜあんなに大きな声で御言葉を語られるのか、それでお父様は一人二人を伝道するのはなく一つの国、二つの国を復帰するのではなく本当にお父様は霊界も含め今まで地上に生きている人は、もちろん霊界にいる全ての人までも救出しなければならないという意味で、それ程までに大きな声で切迫感を持って語ってくださったことを今でも記憶しております。

それで今、亨進様がここでされていることを、協会(家庭連合)が理解できないのです。
脅迫も沢山し本当に正気ではない狂った者がやっているように考えていますが、私はそのようには考えません。

何故かと言いますと本当に二代王として後継者として継承者として祝福をされる時、私達が知ることが出来ない大きな御意があることを知っています。

そうなのですが、今お母様がしておられることを見れば私はとても理解が出来ません。何故理解できないかと言いますと、お母様自身が本当にメシアの使命をし救世主の使命をし再臨主の使命をしていると言い、それだけでなく神様だと言われるので理解が全然出来ないのです。

私がここに来たのは他でもなく、本当にお母様がされるその事が一つも消化できず、とても私が受け入れることが出来ないので、数日数夜痛哭し祈祷をしました。

「どうすればいいですか」祈祷をしながら考えてみたのですが、どうみても神様が一緒にされるお父様が願われるこの道を行かなければならない、この事を私がしないといけないという思いが心の中と頭の中で一杯になったので、私はお父様が願われ望まれる道を行くために実はここに来たのです。

90歳を超える人が何を出来るかと思いますが、本当にここが深い森の中であっても祈祷を一生懸命して 早く神様がなそうとされたそのみ旨をお父様が先頭して 二代王亨進様を通してなそうとされるそのみ旨と世界を一日でも早く私も見ていかないといけないし、早く成さないといけないと心から胸の中から火が燃えるような思いで歳をとった者がここを訪ねました。

今日皆様が一つになり上と下が一つとなるとき 神様が放って置かれず必ず訪ねてこられて成そうとされたみ旨を成就してくださることを私は100%信じて絶対的に信じて、その世界を心を一つにし思いを一つにし精誠を合わせて成し遂げますという心で一つになる時、必ずここに驚くべき役事が起きることを疑うことはありません。

実はこちらの御言葉(サンクチュアリ)のことはよく知らず数人の話を聞いて心を決め、お母様のみ言葉ではこれは駄目だと思い、革命を起こそうという思いでここに来ましたので大目にみてくださり 助けて下さり 協助していただければ、ありがたく思い感謝致します。

お父様は実に伝道に狂った方です。ですから今私たちも「ただの一人も救い残してはいけない」と伝道に狂って皆さんが一つになったとき、ここに多くの人が集まることができる道があることを私は信じます。




お父様の歩まれたその道は実に…皆さんは知らないと思いますが 私は沢山見てきました。

65年間見てきたんですが どれだけの苦労を沢山して来られたのか、初めて私がお会いした時だったのですが、ボロボロの服で上には暗い茶色のジャンバーを着て、下には韓服のズボンを履かれて、靴下は米軍が履いて捨てた独特な靴下をはかれ、家とはなんとも表現さえできないような畳2畳にも満たない、その壁には壁紙さえない その場所でお父様は出発されたのです。

み旨をお父様が知ってからは 一度も「ダメだ できない これで終わりだ」という考えを 一度もされませんでした。
ですから今皆さんも二代王となられた享進様と一つになって、ダメだと思わず 必ず成功して必ず勝利して 必ずなされる役事を神様がなされ、お父様が霊界から協助してくださることを胸に刻んで進まれる時、成就してあまりある驚きの奇跡が起きるのです。そう信じてください。

今皆さんは本当に全世界の人類が共に参席することのできる天一国、天国、これを成したいと思われるでしょう。必ず私たちはこのような世界を地上に実現し、世界人類を幸福にすることができる この事に勝利してくださること願います。

だから今日私が沢山語ることができなくて、昔と違ってそんなにはもうできないのですが、陰で懇切な祈祷をささげていきます。祈祷しながら奇跡を呼び起こしていきましょう。奇跡が起きなければ自分の力でしてはできないのです。神様と真の父母様と享進様が一緒にされる時に奇跡の役事を呼び起こして余りある、そんな聖霊をくださることを信じます。

ここに来て何人かの知り合いがいるので会えて嬉しい喜びの心で会話できることも、真にありがたく感謝しております。皆さん健康に、健康で しかも命がけでしなければなりません。

神様はただ普通に 普通の考えでしてる時には役事されません。完全に狂った、狂った境地に入った時、没頭して完全に投入した時に 神様が哀れで可哀相に思って協調してくださり役事してくださるのです。だから私たちは、ここは山中で人がそんな伝道されておりませんが、 これからは 伝道の火を燃え上がらせて 行こうではないですか!(拍手)
 
私はこう思うんです。享進様が何年もの間この山中で 零下20℃ になる寒さに耐えて 命を懸けてやってこられた歴史があるので 神様が放っては置きません。今3年、4年が経ったので今ここに勝利だけが残っており、勝利する役事、多くの人が訪ねてくる役事が起きるでしょう。

私達が探しに行ってするよりも、向こうから探し訪ねてこの席に座っても まだ席が空いているとまだ出て行って(伝道する)、私たちの姿勢ができていれば、ここは神様が休まず、霊界にいらっしゃるお父様が休まずに共助してくださることを 100%、絶対的に信じます。

そのように信じてやっていきましょう。だから、先ほど聖書で読んだみ言葉の通りに「お前たちが地上で患乱をうけても安心しろ 堂々といろ 私が共にあるだろう」とイエス様がおっしゃりました。同じように、霊界におられる生きている神様と、私が祈祷しながら何を感じたかと言いますと能力を下さった方のなかでできないことはないんです。

皆さんが本当に 信頼 と 確信 をもって出ていったならば、神様 真のお父様が哀れに思われ皆さんを助けてくれるでしょう。助けてくださるのが 神様が助けて下さり、お父様まで共助してくださるならば、ダメな事 出来ないことは何もないのです。

ですから、そのような心情をもって「私は不足ですが、私を通して喜ばれ 今日この時代にしたくて願われる神様のみ旨を私たちが成して差し上げますから、神様共にあってください」と祈祷をして大きな勝利が今皆さんの前にあることを懇切に願います。

ありがとうございました。



(壇上を降りられた後に)<37:16~54:00>

…私が一つだけ言わなければなならない話があるのですが

お父様が畳2畳にも満たない小さな部屋の中で 語られたことは「これから先 私はこのみ言葉によって、キリスト教を統一して、宗教を統一して、世界を統一して天宙を統一する」と。ですから、天宙とは何ですか?「天と地を統一される」と言われたのです。

天宙を統一されるとおっしゃるので、私は内心「おやまぁ、こんな小さな部屋に人が2,3人集まったと言って、何がキリスト教統一、宗教統一、世界統一、天宙を統一できるのか」と考えながら座っていたら、お父様が「聖書持っているのか?」と言うので、はいここにありますとそして、どこでもいいから聖書を開いてみろと。ですから開きました。

開いてそこに何と書いてあったかというと「信仰の小さい者よ、なぜ疑うのか」と、そして光復洞(釜山)の道を歩いていたのですが、男と女が酷く争っていました「神様このように悪漢な人間の心が いつ清い心になって天国が来るんでしょうか」と尋ねました。

このように疑いの心を持っているので 歩いていこうとしても、前にも行けず、後ろにも行けず、左右も全て行けないのです。両足で地面に立ちつくして、行くも戻るもできなくなりました。

それで、私が思ったことは 神学校でも追い出され、教会からも追い出され、友達からは非難を浴びて とても酷かったのでもうやめようと思いました。

そしてもうやめようと上がって行く途中に、松の木が一本ありました。松の木を通り過ぎるときに、今日はどんな事があっても「やめます」という話をせずには帰るまいと思いました。

私が行って挨拶をして、その話をしようとしたら、昨日までは多情、多感でご飯は食べたのか何をしたのかとされる方が、怒った虎の顔のように見えるのです。

それでその話を出来なかったのですが、お父様は私たちの過去、現在、未来を知っておられ、先祖を知っておられ、その上 後孫までわかっておられる方です。

全てをわかっていらっしゃるので、お父様の私に対する視線が違って、全てが違っていました。その時お父様が私におっしゃりました、「私は狂った人だ」と。

でも見ると狂ってもいないのに狂った人だと言うのです。

「 私は狂った人で、どこに狂った人かと言うと 神様を愛することに狂った」と言うのです。「神様のみ旨を成すことに、私は狂った人だ!」それで私はやめようとしたのに、なぜやめなかったかと言うと「本当に私も青年のお父様と一緒に神様を愛することに狂って、神様のみ旨を成すために狂った人になろう」という心を持ってまたこの道を続けて行くことになったのです。

お父様が私がやめるという事わかっていらしゃったので、 私に対する視線が違って、全てが違っていましたが、どう考えてみても全てをわかっていらしゃるから「 私は神様のみ旨を成してさしあげて この地に天国を建てることに、私は狂った人だ」と言って、私がこの道を行けるように導かれたのだと思います。

今ここにいる皆さんも本当に大変で難しい道を行っていますが、お父様が歩まれた道に比べればなんでもありません。

お父様が行かれた路程は6回の獄中生活、その苦労をされてきたから、いくら私たちが苦労するとは言っても、その獄中生活よりは易い道を行くのです。

ですからお父様の辛い獄中路程を思いながら最後まで私たちが勝利することができたら、皆さんは勝利者として後代の全ての人の前に名前を残すでしょう。

最後にもう一つだけ、お父様を訪ねて行ったら、「このみ言葉は私が著作して作った話か、そうでなければ神様からきた話か、 出著を知りたくないのか?」と言われました。

ですからどうしたら出著を知れますか、と申し上げたら「神様に懇切に祈祷すれば教えてくださるでしょう」というので祈祷をしました。

祈祷をしながら、私の頭に 過去の教会史を学んでみたら、優秀な理論を解く人がいても その理論のごとくに実践した人がいなかった。それも過ぎた話だし」と思ってそれから3日間おしになって、一言も話せなくなり、とても苦痛を受けました。

そして4日目に(3日間は教会にいけませんでした。 おしになったので)訪ねていくとお父様が「なぜ3日こなかったのか?」と言われました。私は「アイゴー 前はそんな事がなかったのに、そのみ言葉を聞いてから、私が3日間おしになり、内的には心情的に苦痛を受けて、外的に時間的にも大変な苦痛を受けました。」と答えました。

お父様がそれを聞いて言われたことは「その祈祷をする時に疑心をもたなかったか?」でした。私も知らないうちに疑心がわきました。ですから、おしになった理由が疑心を持ったからおしになったというのです。

ですから私はおしにもなったし、両足が地面について身動きもできなくなった人です。感じたことは、本当にここには神様が共にしてくださり、神様が役事される所だと感じてその後は決死の覚悟で…

ある人はそんな話は嘘だろうと、おしになったり、地面に足が張り付いてうごけないとかあるわけがないと言いますが、私は嘘はつきません。実際にそのようになったのです。

神様はどれだけ切迫していれば なんでもない私一人をを立てるために、どれだけ内的に外的に共助しながら役事されて来たかということを考えれば、本当にこの道は死んでもいかなければならない、死にながらも行かなければならない、死んだ後にも行かなければならないこの道が、正にこの道なので、今皆さんは初心を最後までを忘れず、本当に私たちが神様の前に、真の父母様の前に、2代王であられる享進様の前に立つ時に恥かしくない者として、勝利していく事を願います。ありがとうございました。




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姜賢実先生の手紙に対するあるシックの感想(崩壊する家庭連合・統一協会)



これはあるシックがあるSNSに投稿した姜賢実先生の手紙に関する感想です。なかなか良い内容なので本人の了解を得てここでも紹介します。



引用始め:

崩壊する家庭連合・統一協会


信仰とは何だろう?という原点に多くの人が立っている。あのお歳で全てを捨てて、とられた姜賢実先生の行動は、今後を大いに考えさせられることになるだろう。

文家はもういい、お父様はもういい、原理はもういい、そういう人が沢山いて、お父様の聖和以降、そういう人が加速している。
分派からみれば家庭連合は分派である。

伝道、伝道、氏族メシア!と言いながら、伝道しないところは偽物だと言いながら、現実はどんどん家庭連合から人が離れ、家庭連合に来る人は少なく、大本営がどんなに素晴らしいと宣伝しても衰退している現実は隠せない。

そんなことはない、そんなことはないと大本営の言うことを宣伝を証を、無理矢理信じている、そういう現実がある。それ以外は考えるな報告しろと訓練されてきた弊害でもある。

主管されていないとだれかご主人様(アベル、組織長、婦人部長など)がみてくれていないと不安になってしまう体質がつくりあげられた。それでも現実は隠せない。神は本心に常に語りかけているからだ。

今の家庭連合の言っていることはお父様のそれとは違うこと、原理講論は一人の男性を求めてきたことの証であったがそれさえも実は違って求めてきたのは男というより一人の女性だった論に変わっており、これが真実、いや違う、いやお父様が言っていることと同じ、と解釈の違いが起きており、何が本当か分派か、まったくわからず。

だったら全部、統一家自体が偽り、そんなもんにもう関わりたくないともう騙されたくないと考える人がこれからももっともっと増えるだろう。

いや、家庭連合を信仰しているから天国に行けるという考え自体が実は非常にあやふやで、霊界に行ってみたらむしろ地獄だったということも十分あり得る。組織が失敗していればそこに所属している者も一緒に裁かれるからだ。

イエス様の時代に、イエス様を十字架に付けたのは僅かなユダヤの指導者層、しかしその組織のなかにいたユダヤ民族は滅びの道を行った。

同じ事が無いとは言えない。お父様の聖和を、たんなる一宗教指導者が逝去したと考えない方がいいだろう。誰もその異常性に気づかないか、見て見ぬふりしている。

お父様の聖和とともにむしろ祝福家庭であることが地獄に行く呪いになった可能性もあるのだ。お父様の聖和はそれほどのことだったのだ。

お父様が聖和されこれだけ分裂し、だったらお母様が聖和されたどうなるかは非常に予測簡単だ。御子女様や、お孫さんの数だけ、分派が存在すると言うことも、あるカリスマのある信徒を中心とした分派も多く出現する。

そういうことを考えると、ああ、めんどくさ、ということになるのだろう。

残されたのは、我と神の関係である。

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。
マタイ22・34-40、マルコ12・28-34、ルカ10・25-28

ゼロベース、原理講論の内容もすて、祝福家庭であることも捨て、いやマイナス・ベース、原理講論は間違いで、自分は祝福家庭と言われるが贖罪は受けられずむしろ地獄に行く、そういう観点で、我と神の関係を求めるそういう時代を迎えているのだ。

果たして「我と神の関係」においてその間に一切の組織も、一人の人もおくこと無く、100%純粋に「我と神の関係」が追求できるか、それは人それぞれであろう。


引用終わり



混乱の時、滅びつつある組織にしがみつくのではなく、本当の「我と神との関係」を追求できる人になっていきたいなと思われた方はクリックお願いします。
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姜賢実先生の手紙に対する師観の感想

この方におきましては、自らの決断で決めたことでしょう。

韓国の長老を初め、多くのシックはTMが段々と高齢になるに連れて、H1やH2の側に行かれる方が出て来ると思います。

アボジが高齢になるにつれて、実権を失い、TMを中心とした教権勢力へと実権が移っていったように、TMも高齢化が進むに連れて、同じ運命をたどることでしょう。

UC・家庭連合の将来の問題はTMの逝去後の後継者の問題です。

仮に、長男孝進氏の子女を後継者にしたとしても、誰の権限で後継者にしたのか、という問題が出てきます。

TMの生存中はやむなくTMに従っていたシック達は解放されて、自由にものを言い出すでしょう。そうなると、TMのいない教権側は信徒からの批判を受け、求心力と権威を失って行くでしょう。

その時に、日本のUCはどのような態度を取るのでしょうか? 恐らく、組織に従うことしか能力の無いJUCは相変わらず課せられた献金ノルマを達成しようとするでしょう。

しかし、骨のある教区長は集団でH1やH2へと 桜井夫人(?)や姜先生 のように移行して行くことでしょう。また、移行はしなくても、そのままUCから離れたり、距離をおく人たちも出てくるでしょう。

この時、韓国UCの人事権と財務権からの独立を準備して来た人達は立ち上がり、独立宣言をするでしょう。皆さんはどう思うのでしょうか?



以下は姜賢実先生の手紙です:


食口の皆様に送る文

愛する食口の皆様に

私は姜賢実(カン ヒョンシル)といいます。

1952年に釜山ボンネッコルでお父様の御言葉を聴いて感激し感謝し宇宙の問題を解決し喜びで天下を得た心情でお父様と共に摂理の一線に立った過ぎ去りし日が懐かしいです。

その後、大邸、大田、光州、釜山津に教会を開拓していきました。

65年間 真のお父様を証し私にある精誠を全て尽くして人類の復帰のためにお父様と一緒にみ旨をなそうと身悶えした日々が懐かしく思い出されます。

開拓時代は言葉にすることができない苦労をしました。あまりにお腹が空いて飲食店の門の前でコムタンの香りを嗅いで空腹をなだめた若い時代。

その時毎に神様と真のお父様の激励と勧告、その愛。幸せだったその時が今も私の心を感動させてくれます。

私の65年のその歳月を神様と真の父母様は知っておられるでしょう。

私は再臨主に出会ったことが夢か現かわからず一人で狂った人のように笑い道を歩きながら踊りもしました。

私は生きて再臨主に地上で会えたのですから私は何も出来ないことはない。

「私は死に行くとしてもこの道を行かなければならない、死んだ後もこの道を行きます。」と誓いながら決心してきた道です。

お父様のみ言葉は真に威力があり私を統一原理に夢中にさせました。



ところがある日晴天の霹靂のような言葉が聞こえて来ました。

お母様は「私は原罪が無く腹中から生まれるときから3代で清い純血として生まれたが、お父様は原罪をもって生まれた。」と言われました。

どんなに理解しようとしても理解ができず、何日も何日も、苦痛の中で身悶えしました。私の信仰的良心では受け入れることが出来ません。

私はメシアであり母なる神様であるという言葉も理解できません。二千年のキリスト教が独生女である私を待って来たという言葉をキリスト教徒達が聞けば笑ってしまうことでしょう。

強引に信じることは出来ません。

女性がメシア、再臨主になることは出来ないと思います。

お母様は、お母様が再臨主であるお父様の位置よりももっと高く大きいと見ています。お父様の位置を格下げしお母様の位置を格上げさせることは私は信じることが出来ません。

私はもう少し研究してみて神様とお父様がどのように見ておられるか祈ってみようと思います。

このような全ての事を私は受け入れることが出来ないので道を異にしようと思います。私の心配はなさらず見守って下さる愛する食口になってくださると信じます。

私がそれほどまでに愛したお母様、このような事がなければ誰が教会から私を押し出しても出ていきません。私はそれほどお母様のお側を慕い愛した人のなかの一人です。

今私は去っても、いつも忘れずお母様を記憶し愛していきます。
そしてもっとお父様に近く、もっと近づこうとサンクチュアリ教会に行きます。

私は歳をとっていますが、私がサンクチュアリ教会に来たのは、私の考えと意志で決定しましたし、神様の御心と真のお父様の勧誘であったと思われます。それで私はペンシルベニア サンクチュアリ教会に来ました。

お母さま、お元気でいて下さり、霊界に行ってからお会い致します。

2016年12月21日 姜賢実(カン ヒョンシル)拝上




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本当の人間の価値?




仁進様の略奪婚や 妍進様と情進様の事実婚が到来した今となっては、祝福を受けた人と受けない人の違いは無くなりつつあります。

UCが信徒を留めておく、切り札は祝福を与える権限です。それでは、祝福を受けた人と受けない人の違いは何でしょうか。

幸福でしょうか?仁進様は朴氏の息子と祝福受けましたが全然幸福になりませんでした。これを見ていた妍進様と情進様は「ああ、アボジが決めた相手と祝福を受けたらあんなふうになってしまうのか」と思ったことでしょう。あんなふうになるくらいなら、自分の好きな人と祝福を受けてた方がましであると考えるのは自然なことです。

神よりも偉大なものがあるとしたら、それは真の愛による幸せでしょう。なぜなら、親は子女の幸せを願うからです。

神が与えた祝福のせいで子女が苦しみ、不幸になり、逆に、サタンが与えた祝福のお陰で、人間たちが幸せなら、神の負けです。

不思議ですね?祝福を受けたら原罪が無くなり、受けていない信徒達より神が相対してくれるので、神による喜びが大きいはずですが、実態はどうでしょうか?必ずしもそうではないようですね。

アボジの最晩年のみ言葉によれば「実体(実態)はみ言葉の数十倍の価値がある」という。

すると、どうなるでしょうか。実態からみて、親も子女も祝福の方が幸せになれるのかそれとも相思相愛の人と普通の結婚した方が幸せになれるのか、結構深刻な問題となることでしょう。”To be Blessing or Marriage, that is the question.”です。

私の近くに、韓国の男性と祝福を受けたのですが、幸せになれず、子供を連れて日本に帰り、アルバイトをしながら細々と暮らしている女性がいます。

相思相愛の人と普通の結婚したクラスメイトがやって来て、色々と彼女の世話をしています。

恐らく、無理な祝福を受けるぐらいなら、相思相愛の人と普通の結婚した方が良いでしょうと言われているのでしょう。

私は人間の価値を祝福や無原罪では評価していません。「為に生きている」かどうかで評価しています。

お陰で、世界のいたるところで「為に生きている」有原罪の人々の番組を見るたびごとに心情の裁きを受けています。



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祝福は天国に入る資格?



ミムネットで、「祝福を受けさえすれば天国に行けるという事はないとしても、祝福を受けることは天国に入る資格、パスポートが与えられるようなものと今まで思ってきましたが、間違っていたのでしょうか?」という質問を受けましたので、それに対する私の考えを書きます。

それは間違えではないと思います。神が1匹の迷える羊を救う為に、地獄まで降りて行くとしたら、その神をさしおいて、自分だけ天国でのうのうと暮らせるものではないと言っているのです。

史実に基づいて書かれた小説、クオヴァデス(神よ、何処に)が映画化されましたが、その中で、クリスチャンが捕縛され、ロ-マの円形競技場で、火あぶりにされたり、ライオンの餌にされたり、大変な迫害を受けていました。

ペテロは身の危険を感じて、ロ-マを去って安全なところへ行こうとしますが、イエスが霊界から現れて、迫害されているクリスチャンと運命をともにするように促します。

そこで、帰ったペテロは捕らえられ、逆さまに十字架に掛けられ、殉教します。

ペテロはすさまじい殉教をしていくクリスチャンの姿がイエスの姿に変わっていくのを見たと言う。すなわち、その悲惨な姿の中に神の姿を見たのです。

マザ-・テレサもライ病で倒れている老人の顔がイエスの顔に変わっていくのを見たという。

それゆえ、祝福を受けて天国に入る資格を頂くことは、地獄に行く資格を頂くことと実質的には同じことだと思います。

なぜなら、地獄で苦しんでいる人々の中に神の姿を見たら、我々祝福家庭もその神様の下へ飛んで行かざるをえないからです。

分り易く言いますと、医者や看護婦の資格を得たら、その資格ゆえに、地獄のような死と隣り合わせの戦場に派遣され、手足が吹き飛ばされたて苦しんでいる負傷兵の看護をしなくてはならないのと言うのです。

しかし、それは強制ではなく、人格が段々完成し、心情が神に近くなるに連れて、自らそうせざるをえなくなると思います。



ペテロやマザーレレサのように神様と同じ立場に立って、地獄で苦しんでいる人に手を差し伸べることができる祝福家庭になってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
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UCの中の兄弟姉妹の関係が希薄になってきている



ミムネットで以下のようなUCの現状を憂う内容が投稿されました:


>貧困も互助精神があれば乗り越えられたはずでした。しかし、みな知っているのにしらんふり兄弟姉妹になってしまいました。

>「天国は与える世界です」牧会者がそう講義してましたよね?で、どこにあるん?と言われます。


それに対する私のコメント:

・人情よりも天情を優先することが善と言う教えでしたので、親兄弟の肉親の情よりも 神を愛し、み旨を愛し、教祖を愛するように情そのものが変化し、転換してしまったのです。

そのような情の転換はアベル・カインの情の組織的構造へと発展して行くのです。

その結果、信徒達は教会長との情における縦的関係を強要され、兄弟姉妹の授受作用までも禁じられ、悪だとさえ言われるようになったのです。

こうして、信徒達の兄弟愛が薄情なものになってしまったのです。即ち、経済的に貧困に陥って、困っているいる兄弟姉妹を助けるというみ旨が出てこないのです。
 
これに対して、マザ-テレサは貧困で見捨てられた人々、病気で道端に倒れている人々の中に神の姿を見たのです。そして、このような困っている人々を助けることがみ旨なのです。

神はテレサを通して何がミムネであるかを啓示し、教えてくれているのです。

私はUCで犠牲になった兄弟姉妹を助ける為に互助会を立ち上げたいと思っています。荒川氏の運営するアカデミ-ハウスには、貧困で行く場を失ってしまったシック達が沢山いるといいます。


更にミムネットでUCの現状について次のような指摘がありました:

>結局幹部たちが、奪い合っていた金融システムだったということが白日のもとに明らかになりました。奪って忘れなさい」というのですか。口と行動が真逆です。


これに対する私の感想:

・これはいかにもUCの韓国人幹部がやり、それを見習って日本人幹部もやりそうな話しですが、実際はどうなのでしょうか?



高額献金摂理中心のUCから、本当の意味での兄弟姉妹の関係を築いていた草創期のUCに戻ってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
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桜井夫人に続いて息子が書いた手紙もなかなかすばらしい


もうだいぶ前に、彼自身のブログで公開されているので多くの人はすでに読まれたと思いますが、桜井夫人に続いて息子の正美君が彼自身のブログに書いた手紙がなかなか素晴らしいので、まだ読んでいない人のためにこのブログにも書いておきます。



以下は正美君のブログより引用:
http://ameblo.jp/stfspirit/entry-12226975556.html



愛する祝福中心家庭の皆様



真の家庭を愛する会



日本の公職者の真価が問われる時。組織ですか、真の家庭ですか



 共同体に素晴らしい文化を立てるにはどうしたらいいでしょうか。外的な構造やシステムを変えたら文化が変わるのでしょうか。そうではありません。人は価値観に従って行動するため、外的なものではなく、目に見えない内的価値観を変えることでよき文化を打ち立てることが出来るのです。

 お父様のみ言を学び、お父様と同じ価値観を持って行動したならば、そこに作られる祝福家庭共同体の文化は、自然に真の愛の心情文化となるはずです。

内的な性相が原因であり、形状は外的な結果ですから、真の愛を価値視する組織の構造は、真の愛を反映するものになるはずです。

 ところがUC組織の現状はどのようなものとなっているでしょうか。組織の現状を客観的に見つめることで、その背後の霊界がどのようなものなのか、内的実体を看破できるようになります。



第一に、UCは神の息子娘である祝福家庭の知る権利を蹂躙し、情報統制をしています。「見るな、聞くな、触れるな」と言って祝福家庭の目と耳と霊的感性を塞ぎ、まるで水の中に沈んだような状態を強いています。

第二に、UCは神の息子娘である祝福家庭に、愚民化政策を強いています。神・良心ではなく、組織上層部からの指示だけを信じ、原理と自分の良心基準で考えずに、ただ従う「僕」の信仰教育をしています。

第三に、UCは神の息子娘である祝福家庭に、恐怖政治を行っています。組織に対して異を唱えることを不信仰とし、沈黙を強要し、沈黙しない者は村八分、人格殺人、除名、更には子供の祝福の道まで閉ざすなど本人だけではなく家族全体を処罰します。

第四に、UCは神の息子娘である祝福家庭に、密告制度を敷いています。お互いの言動を監視し上に報告させることで、自由にものも言えない不信の文化を造成しています。

第五に、UCは神の息子娘である祝福家庭に、祈福信仰を刷り込んでいます。崇高な神の夢の成就ではなく、自分の救いを強調し、お金で恩恵や救いを買えると言わんがばかりの物品販売、中世カトリックの免罪符のような祈願書販売が当たり前のように行われています。

第六に、UCは神の息子娘である祝福家庭を高額献金故の貧困生活で喘がせておきながら、最高幹部の公金横領、不正蓄財などの不正腐敗が横行しています。



情報統制・愚民化政策・恐怖政治・密告制度・祈福信仰・最高幹部の不正腐敗、、、北朝鮮を彷彿させるその構造の背後にあるのは正にサタン文化です。勿論上にあげた内容は全ての教会にあてはまる内容ではありません。

地域によっては本当に素晴らしい文化を築いている所も多くあることでしょう。しかしUC全体を見た時にはそうなってしまっているのは事実ではないでしょうか。

 もし嘘を隠そうとすれば情報統制をしなければいけません。組織に問題がある場合、深く考えずに組織を支えることを善だと感じるようにする必要があります。真実を知り、組織に問題意識を持った人が声をだしたら「混乱」が起こるので、恐怖政治、密告制度をしきます。

組織維持に多額のお金が必要なら、人の信仰心を利用することも辞さないことでしょう。もしUCが真実の基盤の上に立っているのだとしたら上記したような構造はつくられるはずがありません。

 結局組織を守ろうとするあまり、真の愛よりも組織、真の家庭よりも組織、神様の摂理よりも組織を重要視するようになってはいないでしょうか。公職者の主張を聞いていると、全てのことを「組織的観点」で捉えて真の愛よりも組織のルールを上に置いているように見えることが多々ありました。

 何を重要視するのかという価値観が行動を変え文化を創ります。公職者にとって重要なものとは何ですか。何よりも神様のみ旨、創造目的の成就ではなかったのですか。その中心は真の愛であり、真の家庭であり、究極的に心情文化が創建された人類一家族世界ではなかったのですか。

 顯進様を隔離し、顯進様に対するネガティブイメージを食口に植えつけ、カインの子女とアベルの子女の一体化を阻むことはその信念に反することではないのですか。

 家族を通して日本の公職者に対して何度も聞いてきたことがあります。「日本には本気で改革をしようとしている良心的な公職者が多くいる」と。「深刻な問題があってもそこから逃げずに、泥をかぶりながらも、必死に教会を変えようと努力しているのだ」と。

涙ぐましい地方の牧会者の話も聞きました。素晴らしい文化のある教会の話も聞きました。しかしそうであるならば、真の家庭を一つにするために、カインの子女として悔い改め、サタンが作った分裂の壁を撤廃しようと、組織を越えて動くべき時が今ではありませんか。

 少なくとも私の家族は、今までそのような良心的な公職者たちであることを信じ、私にいつも証ししていました。。。。。。


<記事引用終わり>



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桜井夫人の「祝福家庭の皆様へ」を読んで思うこと



N氏の桜井夫人の手記を読んでの感想がなかなか良いのでここに紹介します。



祝福家庭の皆様へ」を読んで、「思うこと」

 日本UC運動の初代からの一貫した開拓者であって、多くの食口・メンバーの先がけを歩まれた桜井節子大先輩による苦悩の告白レポートは、現在多くのメンバーが抱えている内的な苦悩と葛藤の世界を代弁していただいたように思います。

よくぞこのタイミングで勇気をもって、UCの現実を直視し真実の声を上げてくださったと、多くのメンバーからは共感溢れる心情で受け止められたことでしょう。

 我々UCメンバーにとって『統一教会の分裂』、その内的な要因である「文ファミリーの分裂と葛藤」も全くの想定外の事でありました。

またこれに加えて、摂理的国家であるアベル&アダム国家としての韓国国家復帰の確立は全く見られず、アダムの位置の確立には完全に失敗状態であり、UCメンバーの失望は大きいものがありましょう。

 日本UCメンバーの信仰、教育の指導者として、韓国・朝鮮からのリーダーを日本へ人事,派遣して、日本の韓国化?を追求した取り組みはかれこれ20数年にもなるのです。

 近年の韓国、朝鮮の内外の実情からして、韓国朝鮮至上主義、韓国中心主義による、日本の韓国化の試みは完全に転換の時を迎えていると断言できるでしょう。

「日本UC家庭連合の主要な人事権までが韓国サイドからなされてきたのでしたが、人事権と財務権を日本に返還し、日本の国家復帰に責任を持てるように転換すべきであり、合わせて日本を含めて世界各国のUC家庭連合の国別の「自主独立体制確立」の時が来ています。

このあまりにも当たり前の「自由と責任」の基本原理の確立がなされてこなかったことも大いに問題でありました。

 さて桜井さんが一読された著書『統一教会の分裂』はアボジのみ言葉に依拠した「第一次資料」を最大限に引用した点に、意義と価値があり、説得力のある著書であります。詳細は本書に譲るとして、いくつかのポイントを記述すれば

 第一に:再臨運動の主導権を「文家」のH1様から「韓家」のTMに転換する葛藤の物語であります。

文家の後継問題は、H1様に継承されるのが本然の流れでありますが、韓TMさまが驚くべく知恵者として4男さま、7男さまと連合して、H1様=「文家の継承者」の血統的な流れを断絶し、これを「韓家のTMさま」が奪取する「韓流ドラマ」のようにも理解できるものであります。

 驚くべきことに、この流れには超ご高齢のTFさままでが、TMさまの政治的な戦略に乗せられて?結果、H1様をUC運動の後継のお立場から追放する?という、「現代版UC韓流ドラマ」の再現であります。『分裂』の背後には、文家&韓家をめぐる実際の「文・韓・王朝、韓流ドラマが詳細に描かれています。

 私はこの本を読むまで、人間的な視点から、TMさまとH1様は何故に親子でありながら決定的な断絶と「葛藤」があるのだろうかと、長く解りませんでした。

しかし、背後には「再臨運動の主導権」に関するものがあるのではないかと「独生女論」などと重ね、『分裂』を読んで理解するようになりました。

H1様追放劇に見られるTMさまの超高度、非凡な「霊的・摩訶不思議な政治的戦略力など全く想定外のビックリ・ポンでありました。

 第二には、この著書は基本的にH1様を高く評価して、追放されたH1様に同情的であり、H1様を被害者の様な観点から書かれています。

そういう点では、H1追放劇では、TMさまも、アボジTFさままでもが直接&間接の加害者?として書かれていて、大局での印象では、被害者であられるH1様への理解と同情を引き出すような著書なのであります。
 
桜井先輩も日ごろからの御自身のH1さまに関する思いに重ねて、この著書を拝読された結果、心定まり、決意表明、信仰告白の様な「祝福家庭の皆様へ」の執筆に至ったのだと考えています。

 第三の印象は、この著書の、何か所にも、何度も、何度も「絶対服従」をTFさまがTMさまに強いる場面が出てきます。家族の中にとどまらず、多くのUCメンバーの面前であります。

 私にはTFさまがどうしてこれほど執拗に、何度も何度も公衆の面前で「TMさまを糾弾、強制的に「絶対服従を迫る」のか驚きであり、理解を超えるものでありました。

われらの知らない天的な切羽詰まった内情、焦りがあるのでしょうが、人間的に見たらば「やりすぎ」「無茶」「過分な行為」のように思えました。

天的な特殊な夫婦間の出来事とは言え、生身の人間であるTMさまには過重なる「絶対服従」プレッシャー・強要は「拷問の様な問題であるように思いました。

 TMさまもプライドの有る「真の母の立場」であるからして、苦渋はいかばかりであったかと。なんでこれほどまでに何度も「絶対服従」の命令の様な圧力を公衆の面前で繰り返すのでしょうか。

 「絶対服従」の言葉は、問題であると前々から嫌な言葉、危険な言葉であると思ってきましたが、このような重大な場面で具体的に展開したのでした。

これでは、真に失礼ですが、父母主義ではなく「李王朝儒教原理主義」の悪しき再現であり、現代版、韓流ドラマの再演でありましょう。このような「絶対服従の強要」の様なことがUC全般に展開していれば、悲劇でしょう。

 結局TFに対するTMの「わだかまりと葛藤」が内的な「負のマグマ?」になったのでした。その結果が想定外の「文家と韓家の再臨運動の主導争い」に展開した内的な要因とも言えるでしょう。結果アボジなきあとの後継問題にまで発展してしまったと思いました。

著書にはTFさまからTMさまに対しての禁句である「離婚問題」の様な驚くべき言葉まで、脅かし??でしょうが、出てきますが、あとでアボジも真逆の「同じ禁じ手で、TMさまから脅迫される?場面が書かれています。

真意の程は解りませんが、一発でTFさまアボジのKO負け?となったような、TMさまの逆襲勝利の場面が極秘に記述されています。

『聖書』には、「人は己の裁く裁きで裁きに会う」と書かれていますが、アボジの手口と言葉を、TMさまが逆手に取って、アボジをKO?する場面も極秘に記載されています。

その内容は畏れ多くて、詳しくは転記できませんが、この点でもTMさまは、見た目には解らない、気合の入った「勝負師??」なのだと私は驚きました。 「蜂の一刺し」は有名な言葉ですが、一発でTFさまをKOしたとの??場面は衝撃でありました。

 われら下々の人間に在っては、UCにあるもう一つの危険な言葉:「所有権返還論」という、共産党も驚く理念と、「絶対服従」のこの言葉の「乱用、悪用」があれば、悲劇的な結果は目に見えています。 

紙一重で「人権問題発生」でしょう。要注意であり、できることならば、修正、抹消していただきたく願うものでありました。

こんな重苦しい空気の中で発せられた「祝福家庭の皆様へ」の大先輩からのメッセージには多くのメンバーの心からの共感が寄せられたことでしょう。

昨今に見る日本の「皇室の家系・皇位継承問題」にみられる原理原則のように「文家の家系の、後継・継承、相続問題」も、継承の優先権は、長男、次男と続き、三男・H1様になることは「原理原則であり、伝統死守」の問題でありましょう。

 何時の日か、TMさまの逝去・聖和の日が来れば、その日以後には「文家の家系相続権問題」に関しては、日本の皇室のように「原則を踏み外すことはできない」ことでしょう。

UC家庭連合は、H1様の文家の後継・相続のことを「当然の事」として受け入れることにならざるを得ないでしょう。その点では、桜井先輩の苦悩の結果には間違いはないように思います。もしかしたらUC本部は脅威を新たに抱くかもしれませんが、・・

 私はこの桜井先輩の「祝福家庭の皆様へのメッセージ」を拝読し以下の二つの事を思いました。

 第一には「あなた方はもはや文家とUCの卒業生だ」というアボジのみ言葉であります。

著書『統一教会の分裂』は、アボジの語られたUC関連の「一次資料に最大限に依拠して、書かれているところに特徴と価値と説得力がある貴重な本であります。

この著書の43p~49pにも詳細にアボジのみ言葉が「第一次資料の出典」により、記載されています。内容の詳細は『著書』に譲るとして以下の様なことが記載されています。 アボジのメッセージであります。

★「これからは皆さんに会わなくともよい。『卒業証書』も与えたし、すべてを教えてあげた。だから先生も必要ない。良心の教えを悟り、そのまま生きれば宗教も真の父母も必要ない。先生は『八大教本を遺言』として残した」など等・・・・

 このことは全ての祝福家庭のメンバーは、アボジの勝利された基台と伝統を相続し、再臨のミッションに生涯をささげ「み旨成就」の道を切り開かれたアボジ、第三アダムの後継者=「第4アダムとの自覚でメシアのミッションを継承して欲しい、という意味でありましょう。

 2000年前にイエスを降誕された神様の願い「メシア降臨の真意」は、「数千、数万、・・無限の・・イエスの様なメシア的・イエス的人物を生み出すことにあった」(『キリストの再臨と日本』:西希悦著:119p~120P参照)で解説されているように、成約再臨時代に、神様が再臨の主、第三アダムを降誕させた天の願いも同様であり、第二、第三、・・数千、数万、・・無現のメシア的人物:「メシアの後継者を生み出す」ことにあったのであります。

 故にアボジ・文鮮明師の言われる「あなた方はもはや卒業生なのだ」ということは、各自がメシアの代理使命者になって、神の復帰摂理に参加して、「神の創造目的復帰」=「み旨成就の為のミッションを果してほしい」という意味なのであります。

 そういう意味で、我々祝福家庭は「父親離れ」「父母離れ」「文家卒業生」「文家離れ」「統一神学校:卒業生」として、再臨主を踏み台にして真の父母であられる創造主・神に帰依し「自立してミッションに参加」すべきでありましょう。このことは下記の事を意味しています。

神のみ旨成就=祝福家庭のゆく道:「家庭復帰完成」も自力・「各位の責任分担」で果たすのが5%の責任分担であり、合わせて、兄弟姉妹&国民が力を合わせて参加して「国家復帰・神の摂理的祖国創建」は同じく5%の人間の責任分担であり、またそのような人生を通じて「人格完成」へのチャレンジは人間各位の永遠の「天与のミッション・責任分担5%」なのであります。

神と真の父母の協助はあっても、5%の人間の責任分担は各位の責任分担であり、メシアの責任分担とは別ものでありましょう。

もはやTM派だの、H1派だの、H2派だのとの次元を超克して、各位が神の子女=天民であり、真の父母たる神の家族の一員であるとの自覚に立ち返り、天地の創造の神であられる「真の父母なる神に、入籍・帰依・帰属」すべきでありましょう。

 人間を「現人神」としてきた歴史もありますが禁じられた「偶像崇拝」とまで言われかねません。人類を天地の創造の主であられる、神の血族・「父子関係の絆復帰&人類を神に帰依させるべきことが仲保者・メシアであるアボジのミッションでもありました。

 真の父母たる・神に帰れ!神に帰依・帰属せよ!とみ言葉に語られているのです。宗教の極意はこの点にあるのでしょう。

 我ら祝福家庭は、神様の家族なのであり、真の父母の恩寵によって「天の国の国民」として入籍しているのであります。



補記:「思うこと」・・桜井レポートには書かれていないことなど

第一には:

★我ら祝福家庭も「文家メシア家庭」も「家庭の蕩減復帰には、二代、三代、・・ 七代 ・・など等・・時間性と代々を超えてゆくべき段階と期間が必要でしょう。

文ファミリーも、一般の我らの家庭などよりもお立場上、広義の十字架があるでしょうから、一層困難な課題があるでしょうが、混乱ある現状の時代を超えて、必ず天の期待される「天的真の家庭・天の皇族」「ひな形家庭創建」=「万民統合の中心家庭・万民統合の象徴家庭」の「御本家=天与の皇族圏になって下さるはずであります。

愛と許しの神様のように、寛大に&寛大にお互いを長きスパンで信じ、理解し合う必要もあると思います。一夜&一代、二代、三代・・では家庭も神の祖国も完成できないと思います。

天を信じ、天にゆだねつつメシアTF家庭の未来を忍耐をもって期待すべきでしょう。何時の日にか、天与の皇室=「中心家庭」になって欲しいと。祝福家庭の祈りの結集が必要であると思います。

第二には:

★最大の問題として:「UC家庭連合は、:国家復帰のミッションを忘却しているところにあるのではないか」ということであります。

 み旨成就の基本とは、天民主義=「共生共栄共義主義」=「天与の家族主義の理念」に立脚しての「家庭復帰&国家復帰」であり、大きくは「世界復帰・ワン・ファミリー・アンダー・ゴッド」であります。神様のなされる責任分担95%の基台に依拠して5%の「人間の責任分担」であります。

家庭復帰&国家復帰、世界復帰に5%の責任を全うする中で「三大祝福成就・4大心情圏完成&人格完成」の責任分担を果すことであります。

 久保木会長時代の1960年代~70年代~80年代の日本UC運動には、国家復帰の使命感にみなぎるパワーが満ち溢れていたのです。大学の「原理研究会」や、世界平和教授アカデミーなど・・大学内や青年たちが参加する「愛天・愛国・純潔運動」として自他ともに誇れるものがありました。

 久保木先生と言えば、岸元総理、福田元総理、中曽根元総理・・・以下期待された尊敬と信頼の基盤があったのでした。

アボジの日本での「希望の日:講演会」(後楽園ドーム)、「希望の日:晩餐会」(帝国ホテル孔雀の間)など講演は「神様の摂理と日本の使命」が語られ、1970年日本開催の「WACL大会」(日本武道館)、久保木修己会長の「希望の日講演全国ツアー」でも「救国の予言」のメッセージが語られました。

 久保木会長の著書『美しい国・日本の使命』『愛天、愛国、愛人』などを通して、愛国運動に通じた「国家復帰への意識」とミッションに一同邁進していたのであり、学生、青年達の参加が多く、愛国・救国十字軍なども結成されて、多くの国会議員、学者、文化人、有識者までが勝共活動などを通じてUC運動に期待し賛同してくださったのでした。

 思えば今から50年前1966年夏季・8月には、当時東京オリンピック直後、いまだにそのまま存在していた「代々木オリンピック選手村合宿施設」を借り切って「全国高校生原理研究会合宿大会」まで盛大に行われた驚くべき歴史もあるのです。

 UC&IFVOCは愛国運動、愛国団体と記憶されていた時代があったのです。

しかし、現在はもとより、UC家庭連合の近年、1990年代以後の、20~30年間の活動の最大の問題点は、「国家復帰と愛国者育成」&青年伝道、純潔運動などとの本来の天与のUCミッションを忘却してしまっていることにあると言えましょう。

 聖書には「まず始めに神の国と神の義を求めよ」とあり、「石をパンに変えてはいけない」ことが言われていますが、国家復帰という課題を後回しにして経済・万物復帰、献金活動に邁進し続けて「石をパンに変えた」ごとき結果は残念でありました。
 
 祝福家庭は全員、再臨のメシアとしてのミッションに生涯をささげられた「アボジの勝利」と「アボジの伝統」を継承・相続した「文家の卒業生」として、国家復帰のミッション、真の愛国運動の再興に取り組むことこそが、現状を克服してゆく正道ではないかと思う次第であります。

文家の卒業生は、天与の成約統一神学の「母校に誇りを持ち、母校の愛と統一の教えと伝統を死守し、「神の祖国と神の義」をうち立てる、神の神兵であるべきでありましょう。 アージュ




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人格完成の虚像と実像(いつからこのようになってしまったのか)




み言葉によれば:

「我々は、真の父母および、その父母から生まれられた真の子女と一体化することによって、再び生まれるための条件を立てていくわけであります。…カインの立場にあるものは、アベルであるところの真の父母、真の罪なき子女と一体化しなければならないのであります。

彼らと一体化することにより、我々は復帰された子女として、同じ恵みを受けることができるのであります」
(御旨と世界 p140)だという。

ところが、桜井夫人によれば、「教会内で、少しでも子女様を擁護したり、一つになるべきだ、などと発言した時点で”分派”とされてしまうでしょう」という。

さらに、Kの証しによれば:

現場の信徒達が返済の苦労をしながら、あるいは、生活苦で信仰をすてた者達。先輩方はそういう信徒達の生活苦を聞いてはいるだろうが、自分のことではないので、その実体を知らない。

牧会者達は、絶対信仰を振りかざして、本当の意味での信仰牧会をせず、まわりがなんとかするだろう・・・将来救われるだろう・・・と、しながら、何もしていないのではないでしょうか? ・・・という。

この二人の陳述を見ただけでも、UCとそれを構成している人たちの人格(特に幹部達の人格)は完成から程遠く見えます。

原理では、過去のいかなる義人、聖人も長成期完成級までしか行けず、人格完成をするためには、長成期完成級で祝福を受けて、原罪を脱いで、メシアと共に完成期を歩まなければならないといいます。

そして、我々も含めて、彼らはメシアより祝福を受けてメシアが逝去するまで歩んで来た人々です。

たとえ、子女様方がどんな状態になろうとも、人格者たる者は子女様を擁護したり、一つになるべきだと発言すべきものです。それはご父母様に反逆する意味で、子女様を擁護したり、一つになるべきだと言っているのではないのです。

また、子女様が見かけは反逆しているかのように見えても、心情的には反逆している訳ではないのです。むしろ、誰よりも父母様を愛していることでしょう。

人格者とは立場が違っても、敵に塩を送ったり、駆逐艦”雷”の工藤艦長のように、困っている時には敵兵を救ったりするものです。

然るに、教会は意見が違うだけで、相手の人格や心情を無視して、すぐ”分派”のレッテルを張ろうとします。これをやると、原理の人格完成は虚像になってしまいます。なぜなら、言っていることとやっていることとが余りにも違うからです。

K氏の証を見れば、人間の価値を人格完成におかず、献金額においているように見えます。これは、献金を沢山する人は、信仰のある人、人格のある人という信仰観、価値観を想起させます。

もう一つ加えれば、週間ブリーフィングでも再三報告されている、祝福活動(430組氏族メシア祝福活動)も、人格完成という側面は、なおざりにされ、何組が儀式に参加したか?という事に重きが置かれて、数の理論になっていると思います。

数を集めて儀式をする事が、あたかも氏族メシアの使命であるかのような扱いです。

これでは、結果として、統一教会のアイデンティティは、人格完成は虚像で、献金や数を集めて儀式をする事が実像になってしまい、信徒達を”分派”扱いするところは既存のそこらの宗教と何も変わらないということになってしまうでしょう。

そして、世の人々はこれが、統一教会の正体だと思うことでしょう。

クワバラ、クワバラ・・・



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韓国は本当に選民国家か?(本当の選民の資質とは)




韓国に長く住んだ方が、次のようなコメントを書かれました:


韓国に三年以上住んで、多くの韓国人と深く付き合ってみてください。なぜ選民なのかに気付くでしょう。


これに対する私のコメント:

・このように、思えることは大切なことであり、この方においては、それが宝だである、と言って過言ではないでしょう。

韓国人においても、自分で自分のことを選民と言うよりは、日本人にそのように思ってもらえることは、ありがたいことでしょうから、我々も、それを批判したり、冷ややかな目で見る必要もありません。むしろ、異なった実存を尊重することが大切です。

但し、皆がそのように思えるかと言うと、答えは違うようです。桜田淳子や山崎浩子などが受けた三万双の祝福の時、アボジが韓国の教会長に、祝福の数のノルマを掛けるものですから、地方の教会長はありとあらゆる知恵を絞ってノルマを達成する為に、あの手、この手を考え出すのです。

統一教会に入ったら、日本から大学出の持参金付きの女性を嫁にもらえるぞ!と言うのです。

祝福の条件として、数日間の原理修錬会に出ることが条件でしょうが、動機が原理を聞きたくて参加しているのではなく、嫁欲しさに聞いていますので、中には世俗的な価値観を転換してくれる人もいるでしょうが、残念ながら、その多くは嫁さえ手に入れたら、教会とは疎遠になって行くのです。

特に、日本女性に取っては、相手が酒を飲み、タバコを吸い、働かないで不倫をも辞さないとなると、それは地獄です。

事実、そのような夫を殺してしまった事件すら起きている始末です。被害を受けている日本女性から見ると、選民ではなく、賤民に見えるのです。

そのような夫も持ってしまい、子供を連れて、騙されたという恨みを抱いて、日本に帰って来る女性は少なくありません。実は、私の妻の霊の子女はそのような苦い経験をした一人です。

それは人間を手段として扱ったから、このような悲劇が起きるのです。これについては、哲学者のカントから学ぶものがあります。

彼によれば、「人間は人間自身が目的であって手段ではない」というのです。いかなる組織も、いや、国家ですらも人間を手段に出来ないというのです。

それでは、神なら人間を手段にしてもいいのであろうか。み言によれば、神すらも人間のために生きていますから、人間は神が愛する対象、即ち目的であって手段ではないというのです。

それでは、神の摂理のためなら、人間を手段にしていいのでしょうか?

すなわち、摂理のためなら人間を犠牲にしてもいいのでしょうかという問題です。一見いいように見えるのですが、摂理は人間の救援摂理というのですから、人間を手段にすることではなく、救済することが目的です。

然るに、祝福の数のノルマ達成が自己目的化してしまい、ノルマだけを達成してしまえば、アボジに責められずに済むとか、褒められることが目的になってしまい、祝福後の日本人女性の幸せなど考えなくなってしまうのです。これは、人権を無視した天法第一条の心情の蹂躙罪です。

そして、これは人間を人間として扱わないで、物扱いした結果なのです。サタンは結果責任を追求し、それを指示した総司令官であるアボジに帰結するので、アボジを讒訴するでしょう。その結果、メシア家庭が蕩減の代価を払わされ、今日の悲惨な状態になってしまうのです。

選民の資質に話を戻しますと、セウル号の船長やそのクル-たちの自己中心な振る舞いやナッツ姫の我がままな振る舞いと言う事実から鑑みて、ロ-マ法王から、韓国は生まれ変わなければならないと言われてしまうのです。

更に、韓国の歴代の大統領が辞任した直後、ほぼ例外がないほど、汚職事件で本人、または、家族、血縁関係の者が逮捕されているのです。

このような実態から判断して、韓国民族が選民だというのは、洗脳されたUC信徒を除いて、人類である世界の人々は言語道断であるというでしょう。




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大統領弾劾訴追案に対するお母様の解明避けられない(UCの混乱と韓国の混乱のリンク)




ついに昨日(12月9日)に朴槿恵大統領弾劾訴追案が可決された。このことがわかUCとお母様にも少し関係があるようだ。

12月3日、朴槿恵大統領弾劾訴追案が発議され、その全文が発表された。ところが弾劾訴追事由において、まず第一に、憲法違反行為の라項に憲法が保障する言論の自由と職業選択の自由を侵害したとしながら、世界日報事例をその例として適示した。

弾劾訴追案によると「大統領府高官が統一教会の総裁(韓鶴子)に電話をかけ、ジョ・ハンギュ社長の解任を要求した」としている。
(詳細については下記の弾劾訴追案原文の赤字を参照)

この主張に対する証拠として提示されたのは「鄭允会文件報道報復関連ジョ・ハンギュ元世界日報社長インタビュー記事」であった。
(弾劾訴追案全文の最後に出てくる証拠リスト15番)

大韓民国の歴史以来、最大の国政壟断事件の主犯として朴槿恵大統領の責任を問う弾劾訴追案に韓鶴子真のお母様の名前が上がったのである。

弾劾訴追案のこの部分を適示するため、野3党が教会側または世界日報側と確認作業を経たのかもしれないが、状況からすると徹底した確認作業が行われずにジョ・ハンギュの言葉だけを根拠に大統領府の関係者が韓鶴子総裁に電話をかけて圧力をかけたと断定したようである。

このように記載された以上、これは言論弾圧の有無を明らかにする非常に重大な事案であるため、韓鶴子総裁は事実関係を明らかにしなければならない。

もしかすると、そのために韓総裁や統一教会核心関係者を国政調査に召喚するかもしれない。特検においても召喚対象であり、弾劾が国会で通過された場合、憲裁でもこれを調査することになるだろう。

これが事実ではなく憶測であることが明らかであるならば、大統領府側や与党側で韓総裁を含む関係者を特検参考人調査、または国政調査参考人として召喚形式をとってでも、これを積極的に究明しようとするだろう。

まさに進退両難の状況になってしまった。これが事実ではないと主張すれば、弾劾訴追案の重要な事例の一つが虚構、もしくは無理な主張であることが明らかになるのだろうが、ややもすると朴槿恵を保護しているという式で誤解を受け、多くの国民から怒りを買うことになるかもしれない。

だからといって事実であると主張すれば、統一教会の教主が一介の大統領府幹部の圧力に膝を屈したことを認める格好となり「一発、強く出ろ」と語られた当時の発言は虚勢であり、結局、統一教は権力の前に寄生する3流宗教となってしまい、韓総裁の名誉もまた地に落ちるだろう。

崔順實世界日報インタビューで恥をさらした上、崔順實と統一教会の巡回師であるS氏との関係がマスコミによく取り上げられている中、もう一人のドジョウが突然現れ、泥水を巻き起こし、結局、その汚水の中にお母様まで引きずり込んだ。

どうしたものか。彼を任命した人もお母様であったので…

今日、発表された弾劾訴追全文を引用した下記の事項を読んでみてほしい。本部はのんびりと年末を過ごす考えをせず、緊急対策機構でも整えなければならないだろう。


.言論の自由(憲法第21条第1項)、職業選択の自由(憲法第15条)の条項違反

言論の自由は「民主国家の存立と発展のための基礎」となり、したがって「特に優越的な地位」を持つ。憲裁1991. 9.16.宣告89憲마163決定。

ところが崔順實ら「秘線実勢」の国政壟断とこれによる私益追求を制御しなければならない朴槿恵大統領およびその指揮監督を受ける大統領秘書室の幹部は、むしろ崔順實ら秘線実勢の専横を報じたマスコミを弾圧し、メディア扇動に圧力を加え、新聞社社長を退任させた。

一例として、世界日報は2014年11月「朴槿恵大統領の国会議員時代、秘書室長であり崔太敏の婿である鄭允会がドアノブ3人を含む大統領府内外の人士10人を通して、各種の人士介入と国政壟断をしている」と「鄭允会文件」を報道した。

これに対し、朴槿恵大統領は2014年12月1日、非正常的な国政運営が行われているという報道内容の事実確認に関し言及するところがなく「基礎的な事実確認すらしないまま外部に文件を流出したことは国基紊乱」としながら、文件の外部流出および報道が問題であるという趣旨で発言した。

その後、金ギチュン秘書室長は2014年12月13日、文件捜査を「早期終結するように指導しろ」と金ヨンハン元民政首席秘書官に指示し、ウ・ビョンオ当時民政秘書官は、当時の文件流出者として指名されたハン・イル元警衛に「自主出頭して自白すれば不起訴便宜をはかることができる」とし、金サンリュル大統領府教育文化首席秘書官は2015年1月、世界日報編集局長ハン・ヨンゴルに、シン・ソンホ大統領府広報特報は世界日報ジョ・ハンギュ社長に会って、世界日報の追加報道について収拾を願うメッセージを伝達した。

一方、その頃、大統領府高位関係者は、世界日報の社主である統一教会の総裁(韓鶴子)に電話をかけ、ジョ・ハンギュ社長の解任を要求し、ジョ・ハンギュ社長は2016年2月、世界日報社長から退き、世界日報はその後、追加報道を自制した。

このような大統領府による世界日報報道の制御および報道機関社長の解任は、崔順實らの非線実勢に対するメディア報道を制御し、他のメディアにも萎縮効果をもたらしたものとして、朴槿恵大統領と崔順實の緊密な関係および朴槿恵大統領による2014年12月1日の発言を考慮すると、大統領府の世界日報言論弾圧は朴槿恵大統領の指示、あるいは黙認の下で行われたものとして、朴槿恵大統領はマスコミの自由(憲法第21条第1項)と職業の自由(憲法第15条)の侵害に対する責任がある。



今の韓国における政治的、経済的な混乱は、摂理の中心であるUCの混乱の反映ではないかと思われた方はクリックお願いします。
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桜井夫人の手紙に対する師観の感想(現代の宗教改革とは)




桜井夫人の手紙に対して、いろいろな意見がネット上にあがっていますが、その中に以下のようなものがありました。



節子先輩の説くように、「H2とH1が一体になる事が解決の本筋であること、お母様の本来の役割は権力闘争をする息子達を愛と真で和解せしめる母親であること、に同意は同意はするが、H1の独善的な性格からして、正しいカインの立場に戻って、アベルたるH2に従うことは不可能に思えます」



というコメントをしてくれている方がいます。これに対して、以下のようなコメントをしてみたいと思います。


・キリスト教の歴史を見ますと、カトリックとプロテスタントは決して一体化することはありませんが、キリスト教の伝播・拡大と言う観点から見る時、全体としては対立しながら発展してきたと思います。これも一つの貢献の仕方でしょう。

原理だけに捉われず、もっと広い観点に立って観れば、物事を何でもカイン・アベルに分けて観るものの見方、即ち、このパラダイムは必ずしも通用しないようです。

イスラム教はスンニ-派とシ-ア派は対立しながらも彼らの宗教を発展させて来ました。

仏教などは教派を対立とは観ないで、発展に必要なものと捉えています。その意味では正分合の変形または、ヘ-ゲル的正反合の
パラダイムの方が説明がつきます。

・イスラム教に関しては、原理に観点では、恐らく、マホメットの血統のシ-ア派がアベルで、弟子のスンニ-派がカインだと分類することでしょう。

しかし、歴代の預言者の出現の伝統を見れば、血統とは無関係に出現しています。したがって、神から観れば、どちらが神の願い、みこころ、み旨を志して成し遂げてくれているのかが重要でしょう。

カトリックとプロテスタントの関係も同じことが言えるでしょう。要するに、み旨をよりなしてくれる方が大切なのです。

・これは、原理においても同じです。文家の直系であろうが、信徒であろうが、ミムネをより成してくれる方が大切であり、真のアベルなのです。

み言葉によれば、

「我々は、真の父母および、その父母から生まれられた真の子女と一体化することによって、再び生まれるための条件を立てていくわけであります。…カインの立場にあるものは、アベルであるところの真の父母、真の罪なき子女と一体化しなければならないのであります。彼らと一体化することにより、我々は復帰された子女として、同じ恵みを受けることができるのであります」(御旨と世界 p140)

と言うことですから、桜井夫人は以下のような解説をします。


引用始め

3家庭から始まった祝福行事がいつも子女様の受胎時にとり行われてきたのも、真の子女様の中に宿った真の愛と生命と血統とを、祝福家庭に相続させることを意味していました。

即ち、血統的には赤の他人であった私たちが祝福家庭となり、真の父母様を父母として侍ることができるようになった理由は、子女様ゆえなのです。

そのため、真のお父様は、幾度となく、私たち祝福家庭が子女様の双子の弟妹として、子女様と愛において一体とならなければならず、父母様を慕う子女様の心情と一つになって初めて、真の父母の血統の子女の立場に転換されるのだと教えて来られました。

引用終わり


・ところが、問題は子女様であるH1と心情を一つにし、侍り使えたら、反逆者扱いであり、サタン扱いにされるのです。

それでは、H2はどうでしょうか?全く同じです。TMに従わず、独自のサンクチュアリ教会を築いたのですから、同様に反逆者扱いです。

それどころか、H2から見れば、TMは堕落エバであり、バビロンの大淫婦なので、それに侍り、従って行くUC・家庭連合は同様に、逆に天の反逆者なるのです。

これでは、何処に付いても救いはないことになります。第三者である人類から見れば、要するにUCそのものに救いは無いことになります。そして、これが人間の赤裸々な姿であり、人間組織なのです。

救いの道があるとすれば、李ヨパネ先生ではありませんが、H1もH2も、TMもお互いに誰が先に天一国を築くのか、競争すれば良いのです。

これば分裂のエネルギ-を発展的エネルギ-に転換した発想です。私もこれには賛成です。

中世暗黒時代の再来を想起させる文王朝や韓王朝の人間の内外の本性を抑圧する体制に対する宗教改革やルネサンス版として、H1もH2も分裂と言う形を取りながら出てきたと見なしています。

したがって、信徒の行くべき道は一人一人が独立して、人間の良心・本心が本来の姿、即ち、創造本然の姿を追求し、神のみを真の父母として侍る万民一家族の道を行くべきでしょう。

ちなみに、トランプの出現もそうですが、EUの分裂現象をどう解釈すべきか興味深いテ-マです。

形骸化した状態を打破しょうとする行為が分裂・独立と言う形態を取った時、これは単なる分裂でしょうか?それとも、試行錯誤のジグザグの歩みをしながらの発展過程でしょうか?




UCがこの手紙をきっかけに中世暗黒時代の再来を想起させる文王朝や韓王朝の人間の本性を抑圧する体制に対する宗教改革の、のろしが高く上がったらよいなと思われた方はクリックお願いします。
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メシヤのみことばの価値(本当に世界を変えるためには)



ミムネットにM氏から以下の投稿がありましたが、コメントを致します。



非常にカイン的な質問をしますが、回答を頂ければ感謝です。
皆様は「メシアの御言葉」には本当に価値があると思っているのでしょうか?

ミムネットでは「メシアの御言葉」には人性と神性があると言われています。

そして「メシアの御言葉」には矛盾するような表現もあり、多様に解釈できるものが多いと思われます。また、和訳時には、日本人が躓く様な「メシアの御言葉」は削除されるということも見聞します。

私たちは、それがメシアの語った言葉と知っているから価値があると思うのでしょうか?それとも、誰が語ったか知らなくても、言葉の内容が素晴らしいから価値があると思うのでしょうか?

例えば、アボジの御言葉選集から適当に抜き出した10個の文章と他の著名な宗教家の本から適当に抜き出した10個の文章をランダムに並べて、感銘を受ける文章を10個選択すると、全てアボジの御言葉になるでしょうか?

世界を変える事が出来るのはやはりメシアの御言葉です。




これに対する私のコメント:

誰が言ったかではなく、何を言っているのかが問題です。

神が太陽が地球の周りを回っているといったら、小学生に神といえども笑われてしまうでしょう。何だ、神様って大したことがない方なんだ、と言われてしまうでしょう。

裸の王様に対しては大人の中には素晴らしい着物だという人もいるのかも知りませんが、子供は正直ですからありのままに言えるのです。

UCにおいては、大人とは信徒のことです。子供とは第三者の人類です。「世界を変える事が出来るのはやはりメシアの御言葉です。」は信徒にはそのように思える人がいても第三者はそのようには見ないでしょう。

他宗教の信徒達はそれぞれ「世界を変える事が出来るのはやはり我々の教祖様の御言葉です。」と言うでしょう。

一番公平な評価のやり方として、特定の思想、信条、宗教に属さない人々を集めて、それぞれの教祖の名言集を見せて投票をさせることです。


>それとも、誰が語ったか知らなくても、言葉の内容が素晴らしいから価値があると思うのでしょうか?


・これが一番公平な判断でしょう。メシアとはヘブライ語でマ-シ-アハであり、油を注がれた者の意味です。

ヘブライの聖書(旧約聖書)には39人のメシアがいます。その内、王は29人です。メシアとは使命においてメシアであって、ただの人間です。被造物である人間を崇拝すると偶像礼拝になるのです。

アリウスはイエスは人間だと言い出したものですから、キリスト教会は慌てふためいたのです。なぜなら、自分達がやっていることが偶像礼拝になってしまうからです。

そこで、アタナシウスはイエスは本質において神と同質(ホモウシア)と言い出したのです。

今統一教会で同じようなことが起こっています。TMは自分を神と同じ立場に位置づけているようです。

自分のことを神の実体だ、と言ったら、神と同じになってしまうのです。TFもそうです。人間を神扱いする信仰はヘレニズムです。それはギリシャ神話を見れば一目瞭然です。

そして、恐ろしいことはUCの多くの信徒がこれに陥っていることです。

ちなみに、厳密な意味では、神の実体と神の実体対象とでは意味が違って来るのです。対象なら神の実体でなくても被造物は対象にはなり得るのです。



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12双、トルコ国家メシア、桜井節子先生より 祝福家庭の皆様へ ( 対立と分裂の時代を越えて)




ついに桜井夫人が沈黙を破り、語り始めましたので、転送します。


拡散希望


祝福家庭の皆様へ

統一家族としての悔い改めと真の家庭に対する祈り

― 対立と分裂の時代を越えて ―

最近、「統一教会の分裂」という本が出版されました。内容の真偽はともかくとして、私たちの教会が今、決して一つではなく様々“分裂”していることは、否定できない事実でしょう。

こうした現実を前に、多くの兄弟姉妹が、この数年間、深い心の痛みと魂の渇きを覚えてきたに違いありません。

私たちは本来、神様のもと、真の父母様のもとに結ばれた一つ家族でした。

それゆえに、私たちはお互いを“統一家族(食口)”と呼び合ってきたのです。

言語や文化が違い、皮膚の色が違っても、私たちは共通の親をもった家族であることに変わりはありません。

それ故、私たちの運動は、教派や宗派を超え、思想や文化の違いを超えて、分裂している世界を一つに結ぼうとする運動だったのです。

今の私たちはどこに向かおうとしているのでしょうか?

私はもうこれ以上、分裂を助長し、闘いを熾烈化させるようなことはしたくありません。

しかし、だからと言って、問題に蓋をし、現実から目を背け、沈黙を守っていたいとも思いません。それはどちらも、お父様の願われることではないと思うからです。


私はもう78歳の老齢となりました。

先頭に立って人々を導くリーダーでもなければ、そうした力を持ち合わせているとも思いません。

古い者のこうした呼びかけがどれほどの意味を持つのかも分かりませんが、しかし、全国の兄弟姉妹と同様、真の父母を愛し、真の家庭を愛し、教会を愛し、この運動がもう一度、一つになる日が来ることを心から信じる者の一人として、この数年間、私自身が考えさせられ、思い続けてきたところを、正直に記してみたいと思います。



(1) 神様の願いは真の家庭の実現 

-復帰摂理歴史6000年の結実

神様の創造理想とは何だったのでしょうか?それは、言うまでもなく、神様を中心とした理想家庭の実現であり、その真の家庭を基軸として、そこから拡大されて行く、神様のもとの一家族世界の実現でした。

人類始祖アダムとエバを失って以来、神様が出発された復帰歴史6000年は、ひとえに、本然のアダムとエバ、つまり“真の父母”を地上に取り戻し、“真の家庭”という核を基盤とする一つの世界を実現することにあったのです。

神様の愛と生命と血統とは、真の家庭にあって、子女様の生命がお母様の胎に宿ったところに結実します。

3家庭から始まった祝福行事がいつも子女様の受胎時にとり行われてきたのも、真の子女様の中に宿った真の愛と生命と血統とを、祝福家庭に相続させることを意味していました。

即ち、血統的には赤の他人であった私たちが祝福家庭となり、真の父母様を父母として侍ることができるようになった理由は、子女様ゆえなのです。

そのため、真のお父様は、幾度となく、私たち祝福家庭が子女様の双子の弟妹として、子女様と愛において一体とならなければならず、父母様を慕う子女様の心情と一つになって初めて、真の父母の血統の子女の立場に転換されるのだと教えて来られました。

「我々は、真の父母および、その父母から生まれられた真の子女と一体化することによって、再び生まれるための条件を立てていくわけであります。…

カインの立場にあるものは、アベルであるところの真の父母、真の罪なき子女と一体化しなければならないのであります。彼らと一体化することにより、我々は復帰された子女として、同じ恵みを受けることができるのであります」(御旨と世界 p140)

真の家庭理想の定着なしには、神様の創造理想を天地に拡大していくことは不可能なのです。

父母様が子女様方を公的に立てられ、その勝利を願われたのも、真の家庭における三代圏の定着と勝利基盤こそ、天一国理想の中心軸となるからであり、私たちはその中心軸と心情一体をなし、真の家庭の勝利圏を横的に拡大させていくことを通して、初めて、天一国を実現することができるのです。

たとえ教会が崩れ去ったとしても、真の家庭がある限り、神の摂理は続いて行くでしょう。しかし、真の家庭が崩れてしまった場合、神の摂理はその時点で途絶えてしまうのです。


(2) カインの子女とアベルの子女 

-対立と分裂を生み出した原因

 私たちは長らく、真の父母様を絶対的なアベルとして侍ってきました。

しかし、お父様は70年、80年代の頃から私たちに何度も言われてきました。

「真の家庭の子女たちがまだ歳が幼いので、今は先生が君たちのアベルのような立場に降りて指導しているけれど、君たちの本当のアベルは、先生の子女たちだよ」と。

祝福家庭の本来のアベルは子女様方であられ、アベルの子女とカインの子女とが一体となって初めて、父母様が定着することができ、摂理を推進することができるのです。

2000年代を迎え、父母様はいよいよ父母の立場に立たれ、子女たちが御旨の主人となって摂理に責任を担っていく時代を迎えました。

天一国の実体化に向かう最終段階の摂理にあって、その内的摂理の中心は“子女間の一体化”であったに相違ありません。

しかし、私たちは長年の習慣性からか、ただ父母様のみを見つめ、父母様に喜んで頂きたい、何より父母様から愛されたい一心で歩んできたように思います。

その姿は、子女様から見つめる時、僕とは言わないまでも、極めて自分本位で独りよがりな幼い子女の姿に映ったに違いありません。


子女様方は皆、生まれながらに本性的で、真の愛の感性においては、人一倍、敏感でいらっしゃいます。

私たちの内に誤った姿勢や正しくない動機を見出す時、それを黙って見過ごすことはできなかったことでしょう。

兄の立場から私たちを強く、時には激しく指導することもあったに違いありません。

そんな時、私たちはとかく天使長のような情に流され易いものです。

「私はあなた方が誕生する前から父母様の傍らにいたのだ!」と。

両者の間に軋轢や葛藤が生じてきた時、お父様は決まって、アベルの子女様を打ち叱責されました。

お父様が子女様の勝利を願われないはずがありません。

しかし、カインの讒訴がある限り、お父様はアベルの子女様を認め、愛することも、かき抱くこともできないのです。

責任者たちの多くがこう言います。
「子女様は結局、父母様と一体となれず、絶対服従できなかったのだ」と。

しかし、そうだとすれば、子女様の前に果たすべき、カインとしての私たちの責任はどうなるのでしょうか。

極めて人間的な目で、自らの判断基準でアベルの子女様を見つめ、これを批判し、讒訴する時、そこにサタンの付け入る隙ができるのではないでしょうか。

カイン・アベル間の対立はアベルの子女様同士の対立へと飛び火して行きました。

サタンは子女様がズタズタになるまで攻撃し、次には、子女様の問題をもって、父母様を讒訴するでしょう。

「何が真の家庭だ!こんな状態で、どうして真の父母が勝利したと言えるのか!」と。



(3) 顕進様にみる真実 


-7年間の非難と迫害の中で


私が真の家庭に深刻な問題が起こっていると感ずるようになったのは、顕進様がお父様の命に背いて独自の活動を展開し、お父様の摂理基盤であるUCI財団をも占拠してしまった、という情報に触れた時でした。

2013年の基元節勝利に向け、摂理の最絶頂期を迎えていた2009年のことです。

顕進様は常に率直な方であり、時には、お父様に対してもご自分の意見を直言する、そんな子女様でした。

しかし、父母様への愛情や御旨にかける情熱においては、誰よりも深い世界をもっておられたに違いありません。

それだけに、顕進様の一件は、私には理解し難いものでした。

しかし、それ以上に目を疑い、深刻な思いにならざるを得なかったのは、その後起こってきた、教会組織を挙げての顕進様批判キャンペーンでした。

顕進様にどれほどの事情があったにせよ、アベルの子女様を“堕落したアダム”として排斥し、糾弾するあり様は、サタン的な動機や感情が見え隠れする、実に行き過ぎ、やり過ぎと言うべき行動以外の何物でもありませんでした。

さらには、内部の問題を公の場にまで持ち出し、外部の法廷に訴え出たり、メディアを通して誇張宣伝するなど、教会の不祥事を世間の目にさらして、一体、誰が、どの部署が得をし、勝利を得たと言えるのでしょうか?

もし、それを“父母様の指示だった”というのであれば、一体、どんな報告を、どのように説明すれば、父母様がそう判断されるのでしょうか。それは真の父母様の生き方とも、真の愛の思想とも、全く相容れないものでしかないからです。

教会では、顕進様がお父様に従わなかったことが発端だとされてきました。

確かに、たとえお父様の指示が事実と異なる誤った報告によって下されたものだったとしても、ひと度、お父様が下された判断には絶対服従すべきというのが私たちの一般的信仰観であるかもしれません。

顕進様がその時、自らの考えをも捨てて、お父様に従われたなら、そこに別の道が開かれたであろうと考える人々が多くいました。

しかし、もし顕進様が誰よりもお父様の御旨を思い、誤解や迫害をも覚悟で、子女としての責任を果たそうとする動機で行動されたのだとしたら、私たちはそれを非難できるのでしょうか。

「いや、それなら少なくとも、UCIの基盤を持って行ってはならなかった」と言われるに違いありません。確かにお父様がトップである以上、その許可なく組織を動かすことは容認できることではありません。

しかし、もし本当に、当時、顕進様側の人々が語るような深刻な課題があり、顕進様がお父様の願われる御旨を守り、摂理的基盤を守ろうという一念だったとすれば、私たちはどう考えるべきなのでしょうか。

様々な情報が錯綜する中、何が偽りで、何が真実なのかを判断することは容易ではありません。

しかし、もし私たちに判断基準があるとすれば、それは統一原理のみ言以外にありません。

真理と神霊をもって、天のみ意と真実を祈り求めるしかないでしょう。

人はその言葉と行動を見れば、動機や心情を感じ取るものです。

ここ7年間、顕進様がとって来られた言動とはどのようなものだったでしょうか。

教会に対する反対運動だったのでしょうか。

父母様や祝福家庭に対する恨みや批判の言葉だったのでしょうか。神の摂理に反する非原理的活動だったのでしょうか。

私は顕進様というお方を熟知している訳ではありません。

しかし、その言葉と行動から感じ取れる世界は、変わることのない神様、父母様への孝情であり、原理のみ言に対する確固たる信念であり、御旨に対する必死な思い、そして祝福家庭に対する兄としての愛情でした。


(4) 真のお母様の位相 


-お母様がお母様であるために


2009年以降、真の家庭を巡る問題が激化の一途をたどる中、2012年9月、真のお父様が聖和されました。

それはまるで、真の家庭と私たち祝福家庭の課題の全てを背負って行かれたようでもありました。全世界の食口たちがあまりのショックに言葉を失い、茫然としていた中、毅然として立ち上がられた真のお母様のお姿が、どれほど私たちの心を奮い立たせてくださったか知れません。

しかし、それとは裏腹に、真のお母様を取り巻く環境は難しくなる一方に思えました。


仁進様の問題、亨進様・國進様の課題、清平の出来事。

そして今や、お母様の言動そのものが、全国の食口たちに大きな波紋を呼び起こしています。“独生女(独り娘)”という言葉は、お父様が語られたものだとしても、お母様の生まれながらにしての胎中聖別、血統転換というお話は、お父様から教えていただいた内容と、いま一つ一致し得ないからです。


 私はお母様の言動を批判したいのではありません。

今、この時代にあって、真の母がおられることがどれほど感謝であり、天がどれほどの思いで真の母を待ち詫びたのか…、お母様は私たちにご自身の特別な価値について語っておられるのだと思います。

しかし、お母様の御言がお父様の御言と微妙に食い違ってしまう場合、或いは、お父様以上にお母様の価値を高め、強調されているような印象を受ける場合、多くの食口がそこに動揺を覚えざるを得ないのです。

 仮にお母様の周囲に、「お父様亡き今、お母様の権威を立てることが食口の支えになるのだ」と上申する人がいたとすれば、それは違います。

全世界の食口たちは、お母様に“お父様”を求めている訳ではありません。

私たちはお母様が“お母様”であることを願い、妻としてお父様をその傍らで支え、誰よりもその生涯を共にして来られたお方としてお父様のご生活やみ言を証しされ、母として子女たちを愛で包み込んでくださる、真の母としてのお母様の姿を慕っているのです。

私たちはお母様のお生まれや出生の背景によってお母様を慕ったのではありません。

お母様が人類の真の母として、如何なる困難な中でもお父様を支え、思春期の子女様たちの苦悩に心を痛めながらも、人類を思い、全食口の母として立ってくださった、そのお母様を心から愛しているのです。

子女様もまた、そうしたお母様に侍りたいと思っておられるに違いありません。

  顕進様は自らが迫害され続けた7年間、決して、お父様、お母様を攻撃したり、辱めるようなことはされませんでした。

しかし、お母様が“独り娘”のことを語ることに対しては断固、反対し、食い止めようとされています。そのことは逆に、真の母の位相を崩してしまうものだと、本気で危惧しておられるからです。

お母様が今、お父様に代わる権威をもつ存在として、ご自身の立場を強調されざるを得ない理由は、子女様方、特にお父様の使命を代身して立つべき男性の子女様方が傍らにおられないからではないでしょうか。

しかし、そうだとすれば、“独り娘”を語ることは逆効果と言えるでしょう。

今、私たち祝福家庭が見たいものは、その深い愛情で、全ての子女様方を包み込むお母様の姿です。

もし、子女様に対するカインの糾弾や批判の声が、お母様の子女様を愛し抱こうとする行為の妨げになっているのだとしたら、どうぞそうした言葉には耳を傾けないで頂きたいと申し上げたいのです。

子女様方の言動にも課題はあるでしょう。

しかし、周囲にいるどんな指導者たちよりも、父母様のことを本当に思っておられるのは子女様でいらっしゃるに相違ありません。



(5) 統一運動の未来と可能性 


-希望の灯はまだ消えていません! 


一度、分裂した宗教はもう二度と戻らない、それがこの世の通説だと言われています。

しかし、本当にそうだとすれば、私たちはこの世の宗教と何ら変わらなくなってしまうでしょう。自体内の分裂も収拾できない私たちが、どうして宗教統一・思想統一を果たせるでしょうか。

今、「全ての対立を越えて一つになりましょう!」などと言えば、両サイドから批判の矢が飛んでくるに違いありません。教会ではこう言います。

「子女様が過ちを認めて戻って来る以外に方法はない。そのためには、資産が底を尽き、従う者たちがいなくなるしかない」。

一方で、UCI側やサンクチュアリ教会では、こう言います。

「家庭連合は沈み行くセウォル号であって、教会にいては生き残れない。従う者がいなくならない限り、お母様も危機に気付けない」と。

双方が“中立はない”と言います。

教会内では、少しでも子女様を擁護したり、一つになるべきだ、などと発言した時点で“分派”とされてしまうでしょう。

現実をシビアに見る人々は言います、「戦争が起こってしまった以上、訴訟であれ、何であれ、行き着くところまで行くしかない」と。しかし、その闘いに勝者などいません。

不信から生まれた対立や分裂は“力”で解決し得るものではないからです。

この問題が続く限り、統一運動に未来はないでしょう。私たちは、過去の宗教が辿った歴史を、再び繰り返さなければならないのでしょうか。

私たちは今、この運動の中に、埋め難い溝ができているのを知っています。

しかし、もし神様が生きて働いておられるのだとしたら、希望はあるはずです。

一つになれる道もあるはずです。

私はその第一の可能性を、顕進様の中に見ています。

もし顕進様が周囲から言われている通り、真の父母を不信し、御旨の道から離れ、自分本位に生きているのだとすれば、希望は全くないでしょう。

また、自らの立場を恨み、父母様の権威に挑戦し、弟たちやカインの指導者たちに牙を剥くような状態でしかないとすれば、神様はそこに存在し得ません。

私が顕進様に可能性を見る理由は、顕進様がこの7年間、必死に守ろうとされてきたものは、自らの位置や立場などではなく、神様の御旨であり、摂理の方向性であったと信じるからです。

お母様が信じてくださり、顕進様を中心に立ててくださるなら、お母様を支え、弟の子女様方をかき抱かれながら、この運動を正しく導こうとされるに違いありません。

また日本には、今々の現状を憂い、この運動を本気で建て直そうとしている心ある指導者たちがおり、二世たちがいます。

また、どんなに厳しい状況でも、神様を愛し、父母様を愛し、自らの生活も、立場も、事情もかなぐり捨てて、御旨のために生きようと、涙ぐましい歩みを成してきた篤実な食口たちがいるのです。

真実を知り、正しい原理観に立てたなら、この勝者のない闘いを終わらせ、神様の願われる御旨を共に成そうとする人々も立ち上がるでしょう。

互いの非を糾弾し合い、家族の間に垣根を作り、「あっちだ、こっちだ」と分裂している昨今の教会を見ながら、「私たちは何のために生涯をかけてきたのか…」と思い悩んでいる全ての兄弟姉妹の皆さんに申し上げます。希望の灯はまだ消えていないのです!



(6) 私たちが果すべき使命 


-共に悔い改め、祈りましょう! 


今日のこの状況はどこから解決し得るのでしょうか?

もし、この一連の問題が、本当に父母様と子女様の間で起こったものであったとすれば、また、子女様同士の葛藤であったとすれば、そこで解決して頂く以外にないでしょう。しかし、そもそも、天が保護すべき真の家庭に、どうしてサタンが侵入できたのでしょうか?


ユダの荒野で、サタンがイエス様を試みることができたのは、洗礼ヨハネの基台が崩れたからです。

また、イエス様が最後に十字架の道に行かざるを得なかったのは、12弟子の基台が崩れたからでした。

お父様が興南の刑務所に行かれたのはキリスト教の基台が崩れたからであり、多くの子女様が数々の試練を受け、困難に陥り、真の家庭が多くの犠牲を払ってきた主原因は、私たち祝福家庭の基台が立たなかったからなのです。

とはいえ、それは大半の食口からみれば、身に覚えのないことでしょう。

しかし、ユダヤ民族は、当時のたった一握りの指導者たちと中心人物の過ちゆえに、イエス様を十字架の道に追いやったことの全責任を共に背負うようになりました。

キリスト教は神様と共に生きた2000年の涙ぐましい歴史をもち、全世界に数々の篤実なクリスチャンを有しているにもかかわらず、数名の中心人物の一時の不信によって、真の父母の基台となり得る選民としての資格を失ったのです。


こうした観点から見る時、神様の摂理はどれほど厳正で、且つ無慈悲なものでしょうか?また、天一国時代、いつの時よりも子女様との一体化が求められていた時に、これを果たせなかった事実はどれほど深刻でしょうか。

無論、子女様に何の落ち度もなかったと言うつもりはありません。

しかし、どんな事情があったとしても、私たちのアベルとして、兄として、真心の限りを尽くして侍るべき私たちであったはずです。

仮に、お父様に誤解が生じたなら、“それは違います”と、お父様にとりなすべきが私たちの立場だったのではないでしょうか。しかし、私たちはこれと逆のことをしてしまったのです。

顕進様の非をあげつらい、理解し難い部分を讒訴し、父母様との間の信頼を損なわせるようなことも多々あったに相違ありません。

サタンがそれを讒訴しないでしょうか? 彼は最大の実力を行使して、真の家庭を破滅に導こうとしてきたのです。

「お母様とだけ一体化していれば、全て解決される」という人も多くいます。

しかし、原理はそうなっていません。問題は、私たちの“父母様に対する姿勢”にあったのではなく、“子女様に対する姿勢”にあったからです。

摂理的観点からみる時、私たちはサタンの讒訴を免れ得ないでしょう。

しかし滅亡を免れ得ないソドム・ゴモラの町のため、アブラハムが必死にとりなしの祈りを捧げた時、神様は「十人の義人がいれば滅ぼさないだろう」と約束されました。

私たち統一家に、十人の義人がいないでしょうか?私は統一家全体が共に生きる道を見出したいのです。

子女様の行動が父母様の心に傷をつけたとして、子女様が父母様に悔い改めるべき点があったとしても、その前に悔い改めるべきは私たちなのです!

特に、孝進様が困難に陥ったその時から、自らがお兄さんに代わって長子の立場を守ろうとし、真の家庭に責任をもち、祝福家庭を正しく導くために、必死な思いで歩んできた顕進様の胸に、私たちはどれほど多くの心情の矢を突き立ててきたことでしょうか。

顕進様に浴びせられてきた迫害の一端を知る者として、顕進様のその間の御言や祈りを伝え聞いた時、悔い改めの涙を禁じることができませんでした。

顕進様は今もこう言っておられます。

「祝福家庭は私の家族だ。私には彼らに対する責任がある」と。

私たちが今すべきこと、それはまず、統一家族としての深い悔い改めであり、祈りではないでしょうか。

そうした悔い改めの渦が巻き起こり、その量が満ちる時、摂理の道も、統一家再生の道も開かれるのではないでしょうか。


私たちが見たいのは、顕進様をはじめ、真の家庭の全ての子女様が、父母様のもとに一つとなった姿であり、このような分裂した統一家族が再び一つになる姿です。

顕進様、國進様、亨進様が、天一国創建のビジョンと目的のもとに手を取り合う姿です。それが私たちにとってのビジョン2020の核心ではないでしょうか。


真の家庭さえあれば、この教会は何度でも立て直せるでしょう。それが神様の摂理の中心だからです!



(7) さいごに 


-真の息子・娘になるために


 こうした声を挙げるに至るまで、悩まない日はありませんでした。

できることなら、こうした重荷を背負いたくない、そんな思いも強くありました。しかし、祈れば祈るほど、霊的に突き動かされ、これを言わなければ、生涯、悔いるだろう、そう思えました。

古い者のできることはここまでです。

具体的に、今後、何をどうすべきは、志のある指導者たち、二世たちが教えてくれるに違いありません。

私などよりも顕進様をよく知り、子女様方を愛し、この7年間、より大きな痛みを覚えつつ、解決の道を模索しようと努力された方々がおられることを知っています。

こうした呼びかけが、そのような方々の心に届き、泥沼化した状況から、統一家全体を天願われる方向に導く一助となることを心から願ってやみません。最後に、お父様の御言と、顕進様の祈りを紹介して終わります。




お父様の御言 
― 1961年2月12 “七年の大患難時代” 


『 神様は終わりの日になれば、人類の前に7年の大患難があるだろうと予告されました。

この患難時期は6000年の歴史路程において、天の悲しい曲折が聖徒にぶつかる時です。

人間の絆がみな壊れていき、信じられない環境にぶつかる時です。

自分がどんなに良心的に正しく生きたとしても、その良心で自らの生涯を主張できない時です。

(中略)

その時は、希望が揺れる時であり、私たちが信じている信仰の中心が揺れる時であり、信じて従った指導者が揺れる時です。

(中略)

では、神様はなぜそのような世の中をつくっておかなければならないのでしょうか。

(中略)

そのような患難の中でも「神様を愛する」と言う、そのような難しい場でも「神様と共に生きる」と言い得る真の息子、娘を探すために、そのような時が来るというのです。

(中略)

神様が私たちに苦痛を与えるのは、神様との貴い一日、神様が経てきた苦痛の因縁を私たちに結んでくださるための、大きな約束であることを知らなければなりません。

そのような場で天を抱き締め、「一緒に行きましょう。

共に闘いましょう。

共に行動しましょう」と叫んで立つ人を探すために、そのような世の中が必要だというのです。

(中略)


神様が皆さんをいかなる苦痛の場に追い込んだとしても、その場で父を呼ぶことができる心をもたなければなりません。

いかなる場に落ちても、その場で天の心情のひもをつかんで上がろうと努力しなければなりません。

(中略)

その父を私の父と知り、その父の事情を私の事情として、その父の心情を私の心情として、その父の願いを私の願いとして訪ねてこられる父の前に雄々しく立って、

「(中略)私があなたの願いの実体であり、事情の実体であり、心情の実体です」と自信をもって立たなければなりません。

このような者であってこそ父の息子であり、またその父に侍ることができる者になるということを皆さんは知らなければなりません。』



顕進様の祈祷 
-2016年1月1日、真の神の日、零時の祈祷


『 (前略) お父様、私たちがあなたの真の息子・娘になること以外の、価値のない諸々のこと全てを捨てさせてください。

あなたの真の息子・娘として立ち上がるために、私たちに高潔さと神聖さを与え得るものだけを掴んで行けるようにして下さい。

(中略)

私はあなたがこの地上で摂理を実現するために、自らの責任を全うしようとする、真の担い手たちの舞台を準備して来られたことをはっきり知っています。

(中略)

お父様、あなたの種はまだ死んでいません。

あなたの主権はまだ消えていません。

そして、この身に一握りの力でもある限り、あなたのみ旨…あなたのみ旨…(涙)あなたのみ旨は必ず成し遂げられるでしょう。

そしてあなたの霊と恵みは何千何億の生命を感動させるでしょう。

また、永遠なる恩恵と救いのための約束の根となるあなたの祝福は、サタンの無知と恥辱の束縛の運命にある息子・娘たちをあなたのもとに取り戻し、彼らを神聖、且つ高貴な息子・娘にするでしょう。

そうしてこの子女たちは地上天国を建設する偉大な夢に鼓舞され、一家庭一家庭ずつ立っていくでしょう。

お父様、今日、この場を共にできない私たちの家族全員を心にとめてください。

彼らにあなたの愛と恵みを感じさせてください。彼らの心情を開き、謙虚さを見出し、その門を通して、あなたと出会えるようにしてください。

そして、お父様、もう一度、私たちの家庭が一つになるようにしてください。』

2016年11月30日 櫻井節子



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編 集

クリスマスコンサートを終えて(聖霊の働きを実感すること)



今年もクリスマスコンサートを無事に終えることができました。参加した人から感想が届きましたので、その感想とそれに対する私のコメントを書きます。


N氏からの感想です:

「クリスマス・コンサート」に参加させていただきました。

このような聖なるレベルの高い「クリスマス音楽の祭典」に参加できて本当に良かったと思います。久しぶりで身も心も洗われたような実感「洗礼・洗霊体験」をしたようでした。

500名の会場全体が讃美歌の歌声で清められ一体となり「平和の祭典・ハレルヤ」を実感できたひと時でありました。

よくもこの度出演され、ドイツ語、英語、イタリア語・・などの言語で歌われるような、音大出身の音楽エキスパートの様な方々が、多勢一同にお集まりくださったと感激いたしました。

「ハレルヤコーラス合唱団」は、合唱団としての練習を毎月2回、重ねてこのクリスマス・コンサートに備えるという。毎年、年末のクリスマスシーズンに合わせて開催されるので、次回・来年の開催も楽しみであります。

キリスト教が世界化し、世界宗教になった根底には「神様:メサイアを賛美」し、人々の心に「平安と癒しと希望の力」を与え「人々を一つに和合・融合」してくれる、宗教音楽・讃美歌の力によるものである、と改めて実感いたしました。 ハレルヤ、アーメン

以上感想終わり


それに対する私のコメント:

大変、ご親切なコメント、有難う御座います。

神学における経綸的三位一体論によれば、旧約時代は父なる神が直接、イスラエルの民を導き、新約時代は子なる神であるイエスがキリスト教界を導き、再臨の時代には聖霊が人類を導くという。

クリスチャンの教会では、み言葉を語る牧師をイエスの代理と見なし、奏楽者や聖歌隊を聖霊の役割と見なして、礼拝を行っているのです。

ヘンデルのメサイヤは全部演奏すると、3時間は掛かり、そこには合唱だけでなく、ソプラノ、アルト、テナ-、バスの各自の独唱が合間、合間に入り込み、オ-ケストラの伴奏で演奏されるのです。

これは芸術として、教会の次元を超えて、コンサ-トホ-ルなどで演奏され、一般市民に向かって聖書のメッセ-ジが届けられるのです。

ここまで来ると、聖霊が陰の存在ではなく、全面的に主体の立場に立って、人々の神性である真善美聖愛という本性を感性的に覚醒させる働きをなし、感動を与えてくれるのです。

聖霊の働きとは神を霊的に感じさせ、人々をキリストに繋げてくれるのです。したがって、聖霊の実体を名乗るTMとは随分と違うようです。

ハレルヤのメッセ-ジは、「王の王、主の主である神が世界を永遠に治めてくれる時が来た、ハレルヤ(バンザイ)」というメッセ-ジです。要するに、神の支配とは、本性人による世の統治のことであり、神の国の到来を意味するのです。

驚いたことは、和歌山市では市を挙げて、メサイヤの全曲を毎年演奏します。合唱は各高校と大学の合唱部が担当し、オ-ケストラは市民オ-ケストラが担当し、ソリストは和歌山市出身の音楽大生や卒業生の声楽家が担当するのです。

私が和歌山の教会長だった頃に、教会のクリスマスコンサ-トに彼等を数名招いて、教会のメンバ-と一緒にハレルヤコ-ラスを演奏したことがあります。中には原理を聞いてくれる人もいて、献身した人もいました。

本来ならば、UC・家庭連合が声楽家やそれに準じる信徒を集めて、成約合唱団を結成し、対社会に対して働きかけて行くべき聖業だと思いますが、残念ながら、献金以外には関心がないようです。

オボジのみ言葉の中には、「千の風になって」の詩よりも、もっと心を打つような詩的なものが沢山あるにも拘らず、それを作曲して、世に広めようとする方針が全く出てこないのです。せいぜい、自覚した個人が単発的に試みるくらいです。それゆえ、UC・家庭連合の文化・芸術は不毛なのです。

芸術とは、国語辞典によれば、「美を表現する手段」だという。それでは最も美しいものは何でしょうか?それは神です。

神を表現するのが最高の芸術なのです。私が目指しているものはこれなのです。その為に、毎年、クリスマスコンサ-トを開催しているのです。この趣旨に賛同できる方々は名乗り出て一緒にやろうではありませんか!




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