宗教と政治・国家の歴史的問題(今の韓国が世界を支配することを願うのか)



先回の日記に私が次のように書きましたが、このことに関して少し追加のコメントをします。


>彼らは日本UCが韓国UCの植民地であるように、国家も韓国の殖民地であることを願っていますので、そのようにするのです。


・この問題は宗教と政治・国家の歴史的問題なのです。キリスト教史の中で、ヴァチカンがイタリア国家と一体でしたので、ヨ-ロッパの各国の献金がイタリアに税金みたいに流れて行くのです。

英国のヘンリ-8世は離婚問題に加えて、これを快く思っていませんでしたので、英国国教会を設立し、カトリックに対抗したと言われています。

即ち、カトリックから独立することによって、後継ぎを埋めない妻と離婚も出来、献金が英国からイタリアに流れて行くのを防いだのです。

献金ぐらいなら、未だ良いのですが戦争になると宗教と国家の問題は決定的になります。ドイツ・日本・イタリアが同盟し、連合国と戦うハメになりますと、ヴァチカンも攻撃の対象になります。そこで、時の法王はムッソリニ-と話し合って、ヴァチカンはイタリアから独立したのです。

・このようにヴァチカンは独立国家になることによって、政治的中立を保つことが出来るようになったのです。

然るに、UC/家庭連合はどうでしょうか。韓国を天一国にしてしまうと宗教と国家が一つになってしまい、政治的中立を保てなくなってしまうのです。

結果的に、韓国のUCが世界のUCを主管しているのと、同じように韓国が世界を主管することを願い、発言するようになるのです。



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澤田氏のデモについて思うこと



・澤田氏のデモが問題なら井口氏が神山氏の講演に会場の前で、仁王立ちになって、そこに行く人を威圧し、嫌がらせ(?)をする行為はこれもデモであり、問題にしなければならないでしょう。

・「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」とお母様が言われたのであれば、家庭連合はこれを尊重しなければならないでしょう。

お母様が公言しているものを隠すということはお母様に対する不信仰になるでしょう。これは建前、即ち、口先ではTMに信仰的に従っているようには見えますが、本音では不信仰であり、不従順です。

・米本氏のブログで、井口氏が原研を指導する対場にある時に、彼らに身体障害者の振りをさせて物を売らせたことが暴露されたという話を聞いていますが、誰かそのブログの箇所を示してくれるとありがたい。

さらに、徳野氏も一緒になってやらせていたので、これに躓いて去っていった兄弟もいるという。これは明らかに詐欺行為であり、反社会的行為であるので、マスコミに暴露され、警察に逮捕されるのは澤田氏よりも井口・徳野氏ということになるでしょう。

・ちなみに、原研時代は井口・澤田氏の両名はどちらも早稲田出身で仲の良いコンビで、何処に行くのも一緒だったという。今では、まるでお笑い劇を演じているようです。

・TMのこの発言は逆説的には、大いなる貢献です。お陰でこのようなデモが起こり、見ざる、言わざる、聞かざるの信徒達の目覚める数が多くなるでしょう。

・韓国人幹部らは日本UCが韓国UCの植民地であるように、国家も韓国の殖民地であることを願っていますので、そのようにするのです。TMの発言がシックを目覚めさせ、日本UC/家庭連合の独立を促すことに役立てば逆説的貢献になるでしょう。




日本にいる韓国人幹部たちには韓国に早く帰っていただいて、日本家庭連合が韓国の植民地的な組織ではなく、本当の意味で神様を喜ばせる独立した組織になってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
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韓国文化の問題点(恨みありきの文化)

韓国は初めに、「恨み」ありきの文化であり、檀君神話、シャ-マニズム、儒教、仏教、キリスト教の雑居文明です。

アボジの問題点は韓国の雑居文明や問題点を棚上げして、日本やアメリカなどの他国の問題点をあげつらうことです。

残念ながら、このような傾向は韓国人特有の一般的な文化であるということです。従って、アボジがあまり他国のことをあげつらうと、メシアといえども所詮、韓国文化の所産と見なされて、人類普遍のメシアとは見なされなくなってしまう恐れがあります。

神の恨(ハン)と言う言葉がアボジが語るみ言葉(?)のkey
wordになった事がことがありましたが、今となっては、この言葉は誤解を生む言葉になっています。

朴大統領が日本に千年の恨みを置くといったり、10億円を受け取っておきながら、今、なお、慰安婦像を造り、日本領事館前に置き続ける恨みの執拗さは世界の顰蹙をかい、神から遠い世界です。

また、TMにおきましては、韓(ハン)鶴子ではなく、恨(ハン)鶴子 になってしまっています。

アボジから絶対信仰、絶対服従を要求されたが、それが勝利できず、逆にアボジに対する恨(ハン)になってしまったのでしょう。



お母様が、女王のように君臨するのではなく、以前のようにアボジの相対として、対象の立場でアボジの価値を証するような人に戻ってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
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霊的な人が再臨主を証する価値



姜賢實先生のお話の中に次のような内容がありました。


 それで私は全国を回りながら、再臨主を証しし、弥勒仏を証しし、真人を証しし、鄭鑑録を証ししながら、悟ってみるとこれらの方々はお一人だ、お一人とは誰かというと、今日キリスト教徒が待ち望んでいる再臨主であられる、即ち私達のお父様であるということを私に教えてくださったのです。

このみ言は皆が理解することができなかったみ言でしたが、行って伝えてみると驚くべき役事が起こったのです。

この方はイエス様を信じてもいない人でしたが、霊界には通じる人でした。私が教会に1954年5月1日に、お写真を置いておきました。

そうするとその人がそのお写真をじーっと見て、「うわーっ、今日私はここで大きなものを探し出しました。」と言いました。その大きなものが何かというと、その人がお写真を指差しながら「世界を統一なさるのはこの方です!」と言ったのです。(拍手)

それで私はとても驚きました。お父様に会ったこともなく知りもしないのに、そのお写真を初めてみただけなのに、その人が言うには「世界を統一できる神様の御子であり、再臨主として来られたのが即ちこの方です!」と証ししたのです。

以上引用終わり


これに対する私のコメント:

これを読んで、霊界からの証しの効果について、考えてみました。結論として、効果はほとんど無いということです。なぜなら、霊界の存在を信じていない人が圧倒的に多いからです。

それゆえに、たとえ霊界が分る人がいて、アボジの写真を見て、いくらアボジが再臨のキリストだ!と叫んでも、圧倒的に多いキリスト教徒以外の人々にとっては、So what?(だから、どうしたの?)、再臨のキリストってなあに?ということになるので、何の影響力も無いに等しいのです。

さらに、悪いことには、霊的な人は世間で公認された霊能者でない限り、変人扱いされ、うさんくさい目で見られているので、そのような人がアボジの写真を見て、いくらアボジが再臨のキリストだ!と叫んでも、相手にしてくれる人はほとんどいないのです。

その上さらに、悪いことはクリスチャンです。アボジの写真を見て、アボジが再臨のキリストだ!と叫んだら、異端扱いか、カルト扱いされて迫害までされてしまうのです。

現実は皮肉なもので、イエスはメシアを待ち望んでいたユダヤ教徒によって処刑され、ユダヤ教に全く関係のない異邦人のギリシャ・ロ-マ人によって受け入れられたのです。

同様に、UC原理も韓国ではクリスチャン故に、異端扱いされましたが、アボジが雑居文明と馬鹿にしている日本で受け入れられたのです。

それゆえ、雑居文明に感謝すべきであって、見下したり、馬鹿にしてはいけないのです。そして、原理が日本で広がったのは、霊能者がアボジの写真を見て、「アボジが再臨のキリストだ!」と叫だからではないのです。

へたに、そんなことを言ったら、知性人はその唐突さに苦笑いして、原理を聞こうとはしなかったでしょう。




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最近のお母様の発言について(無原罪とは何か)



ある人から興味深い質問がありましたので、紹介したいと思います。


質問:

今日、内部の確かな筋から、以下のような内容を聞きました。

韓鶴子女史は、前々から何度も「自分は三代かけて聖別されてきた原罪の無い独生女」であると言われてきました。これは先刻ご存知のことだと思います。

この独生女問題については賛否両論色々議論があるところでありますが、今回は文鮮明先生について見逃せない発言が韓鶴子女史
からあったということです。

「文先生は原罪を持って生まれてきたが、原罪の無い私が無原罪にしてあげた」と。

これはあまりにも重大発言で、内部では封印されているようですが、本人は大真面目だそうです。

ここに到り、姜女史は、孤独や寂しさも相俟って、この発言は、聖書からは到底導きさせないとサンクチャリーに行かれたというのです。

百歩譲って「独生女」論だけなら大目にみて、見逃してもいいかも知れませんが、文鮮明先生に原罪があり、自らが無原罪にしたという発言は見逃せません。

本件、どう思われますか。貴殿の意見をお聞きしたいと思います。



返答:

韓鶴子女史は、いろいろと問題発言をしていますが、今や、言論の自由を謳歌しているのでしょう。

毛沢東と同じで、晩年には文化大革命を引き起こし、大変な問題の人物になりましたが、totalで評価すると、革命の父という称号を得たように、韓鶴子女史もト-タルでは真の母の使命を果たして来たと思います。お陰で、祝福家庭が生まれ、我々も祝福できるようになったのです。

TMがいくら有原罪のアボジが無原罪のTMのお陰で、無原罪になったと言っても、UC内部が封印しているということは、これを認めていないということです。

それゆえ、大きな心を持って、逝去の時まで、言論の自由を謳歌させてあげることです。逝去したらUCもアボジのみ言葉に戻るでしょう。しばしのTMの我がままを泳がすしかないでしょう。

この失言のお陰で、姜賢実女史のような長老が家庭連合を卒業出来たのですから、逆説的にはありがたいことです。

この失言はこれからも姜女史のような長老級の卒業生を出す大義名分を与えただけではなく、日本の家庭連合がTMが主管する家庭連合から独立出来る大義名分を与えたことにもなります。

仮に家庭連合が踏みとどまったとしても、独立の有志達を押さえる口実を失ったことになるでしょう。

「文鮮明先生に原罪があり、自らが無原罪にしたという発言」は、新たな神学的問題を提示しています。

それは、 韓鶴子女史が当然、無原罪だという原理的、神学的根拠が問われることになります。

しかし、この問いは、文鮮明師にも同時になされることにもなります。即ち、お互いに何を根拠にして無原罪と言えるのかという問題を提起しているのです。

このような問題を公然と議論できる大義名分を与えたとすれば、これは韓鶴子女史の逆説的貢献と言うことになるでしょう。

シック達はアボジがどのようにして無原罪であるのかをよく分らないまま漠然、あるいは盲目的に、曖昧に信じて来た問題点にTMの発言は挑戦したかたちになります。

注:文鮮明師における無原罪説には幾つかあります。

1.神の妻と言われている女性と儀式をして、無原罪になった。

2.従祖父の文潤国氏がザカリヤの立場で、TFの母との儀式でTFが誕生したから。

3.金百文と儀式をして血統転換をした女性と儀式をしたから。

4.血統転換はザカリアとマリアの儀式で無原罪のイエスが誕生した時点で終了しているので、TFは無原罪で誕生した。但し、この解釈を採用すると、TMも同じ理由で、無原罪を主張できることになります。



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お金の奴隷になってしまったUC組織



ある人は次のように言いました。

それから、UCIがかっぱらって行った多額の金もまた「真のお父様の業績」の一部ですな。そういう事実にも目覚めなければなりません。


これに対する私のコメント:

H1がUCIをUCから奪ってしまった問題の背後には極めて複雑な事情があり、一言で奪ってしまったとは言えないものがあるようです。

複雑な事情とはいわゆる束草事件です。TM・教権側・H2・国進氏が一緒になって偽の霊界メッセ-ジを作成し、H1に九分九厘決まっていた後継者の位置を陰謀によって奪ったとしたなら、これは奪い合いと言うことになります。

因果応報の原理から見ると、教権側がが日本のシックに膨大な借金をさせてまでの献金を課し、ねこぞぎ韓国に持って行き、資産を築きあげたものですから、自分がやったようにられたまでのことに過ぎません。

無理が通れば道理がへこむのです。お陰で、日本には借金以外に何もありません。TMと教権側はその出来事から何も学ばず、借金で喘いでいる日本シックに更なる献金ノルマを課し続けています。

H2によれば、TMと教権側はサタンの中のサタンであり、バビロンの大淫婦と言うのですから、もっと多くの資産がかっぱらわれたことになります。これではかっぱらい合戦と言うことになります。

こうなってしまった以上は仕方がありませんので、どちらがかっぱらった資産を私物化しないで、人類の救済のために使っているのかを見守るしかないようです。

ところで、原理ではサタンは神より万物を全て奪ってしまい、サタンの物になっていると言って、買い物してもいちいち聖塩を振り掛けて聖別しますが、果たしてそうでしょうか? 

それによって所有権をサタンから神に返還したと信じ込んでいるのは人間なのです。神を信じる宗教は神の名によって宗教戦争を起こしましたが、現実的には神の名で人間が戦争を起こしています。

同様に、宗教はUCも含めて、神の名によって、人間である教祖とその教団が信徒から集めた献金で資産を作り、主管しています。それでは、UCのどの資産がどの企業が人類救済に貢献しているのでしょうか?

問題はメシアは神の代身、自分はメシアの代身、故に自分が所有し、主管するものは神が主管していると錯覚をしている世界が
あるのです。

そして、このような錯覚に基づいて、以前の総会長はシックから献金を徴収し、韓国に自分が所有するビルを建てたりするのです。

UCの長の付く者達が自分に貢ぐ者は神に貢ぐことだと思い込み、信徒に貢がせる事件は後を絶ちません。

UCの最大の問題は献金の収支報告が無いことです。何処の教会でも信徒の前で収支報告をするものです。何処の組織でも会でもお金を集めたら報告する義務があるのです。

恐らく、神の名においてお金を遣うので、神が遣ったと思い込み、報告は要らないと思い込んでいるのでしょう。神様もいい迷惑していますので、聖書の神の名をみだりに呼ぶ無かれ!は大いなる真理です。



韓国人による献金の横領を防ぐためにも、少なくても、UCが会計の透明性を確保するために、献金の収支報告を公開すべきではないかと思われた方はクリックお願いします。
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UCの後継問題に対するN氏の意見(真の父母論に対する感想)



以下は真の父母論に対するN氏のコメントです。一読に価するでしょう。



UC後継問題に関してを感想・所感を投稿したく思います。


以下の文章は「真の父母論 師観・その2」からの抜粋であります。「宗教的帝国主義」問題が批判的に書かれ指摘されている部分であります。

:::::::::::::::::::::::::

★原罪論の最大の問題は宗教的帝国主義を築いてしまう危険性を持っていることです。

「宗教的帝国主義」とは私が造った造語ではなく、一般の宗教学会の国際会議で使われている用語です。

 原罪論故にイエス・キリストを通さないと誰も救われないと説くからです。一神教の排他性を問題にしていた投稿がありましたが、キリスト教は宗教学会では排他性の典型的な宗教として、認識されているのです。

 統一教会も同じです。文鮮明夫妻の祝福を受けないと、誰も救われないということになり、全ての宗教を改宗しなければ救われないことになり、「宗教的帝国主義」になってしまうのです。

それが実態が伴ったどの宗教も出来なかった人格完成、完成した家庭、氏族、社会を築いたなら、人々はさすが祝福を受けて原罪を脱いだ人々は違うということになりますが、反社会的宗教団体を形成してしまうと、それはウソになってしまうのです。

(師観)


::::::::::::::::::::::


 霊的な救済を主張してきた新約摂理時代のキリスト教であって,もキリスト教の独善性と排他性は十字軍戦争を見るまでもなく,イスラム教が「コーランか剣か」との歴史を残した事実に負けず劣らずの「キリスト教的帝国主義」の様な、他宗教に対する無知・無理解や誤解・偏見と自己満足の選民思想によって多くの命までも奪うような犯罪的な史実を重ねて来たのです。

 卑近な例では1945年3月10日の東京大空襲での無差別11万人殺害&200万世帯の無差別焼却など等・・に始まり、広島、長崎での21万人原爆投下背の爆殺など等、ほぼ無抵抗の日本民間人を、この5か月足らずの間に「90万人」の老若男女民間人無差別殺傷の背後には「宗教的な偏見と人種的な偏見」があったと、2000年度のピューリッツアー賞受賞作家のジョンダワー著『人種的偏見』には書かれています。

 いわんや霊肉救済&地上天国を主張する「成約キリスト教・UC統一運動」においては、霊的救済を説いて世界化を図って来たキリスト教にも勝る「独善性と排他性」が生じかねないのです。

 アボジ自体にも「文家自体による12支派の統一王国理想の夢」があったことは歴然とした事実であり、全祝福家庭を12人の文家の子女様たちに区分けして12支派の分類の様なシック仕分け事をされ「文王朝の統一王国」の模倣、夢想をされていたのでした。

 1992年;ソウルオリンピックスタジアム「三万双国際合同祝福結婚式」にて「私は再臨主の使命を果たした」と自ら公式の場で「再臨宣言=勝利宣言」をされました。

 それから7年後に「神様王権復帰宣言」をされて「自ら王冠をかぶられ:王の王宣言と王権摂理宣布」をされたのでした。それから12年後(2012年2013:1月13日)を最終摂理として摂理化されて歩んできたのでした。

 「韓国型・文王朝」はあたかも「李氏朝鮮王朝再興」の世界化への道のように描かれてきたのでありました。思えばこの日のために12人以上の子供を産んで備えたようなことでした。一人の女性がまさか12人の子供を産むなどとは可能性を信じても実際想像することは困難であったことでしょう。

 恐れ多いことでありますが、多くの庶子の様な子女様たちまでも出生されたことは「アボジの文王朝・統一王国理想」は、悪しき?思い込みであったのではないか!?」と思った次第であります。TMは苦悩の中で決心されて自ら12人の御子女様たちを生まれたのでした。

 先日熊本出身のKIさんが自身の故郷と自宅の被害のために、帰国されたのでしたが、彼は5人の子供が生まれて、その5人がすでに15人の子供=「お孫さん達」が生まれ、すでに合計20任になっていると言っていました。

 アボジも、二代、三代のスパンで考えたら、血族だけでも12人どころかKIさんのように20人~30人~40人~120人・・一人から12人を産んだTMの無理な事態ではなくKIさんのように考えたら、色々とやちゃこしい問題(6マリア問題など)起こらずに、さらに現状の様な「文家の親子分裂と葛藤問題」などが起こらずに全てが自然に平和裏に、愛の絆太く「誇るべき・真の家庭」になったと私は思っています。

 アボジには「12支派による世界支配・文王朝の使命」の思い込みが焦り急いだ無理な人生となったのだと、恐れながら思った次第であります。

1)文王朝的な「統一王国」にはアボジの思い込みが先行したのです。

2)アボジと文家庭・文氏族は統治行為を「直接主管時代」に終止符を打ってあたかも日本国の天皇制のように「国民・万民統合の象徴家庭」になるべきであったと思います。1992年メシア宣言以後なのか、2000年「神様王権復帰宣布」以後にそうすべきだったでしょう。

3)地上の事は「ローマ法王」の様な立場に権限を付与して復帰摂理の戦いを進めるべきであったと思います。UC運動も各国で「自主独立体制整備」に進むべきで、韓国人メンバーの支配構造から脱皮すべきでありました。

人事権や財務権をいまだに握っているようでは、万が一には責任をかぶってしまうでしょう。メシアでなくなってしまいます。

4)「祝福の権限」も「文家の専権事項」ではなく1992年以後には各国に付与し、段階的に各国の教勢に準じて、例えば日本であれば、中央1か所=本部が統括、各ブロックへ権能の付与・移行がなされて、やがて各県ごとに「祝福式」の権能が定着してゆくべきでありました。

 「祝福」が文家族の一員になるというよりも、文家族による恩寵によって「神の家族」天国へと「入籍」される恩寵を頂くという観点の認識が弱かったので「文家への入籍・独占」みたいにだらだらと続いていたことは、帝国主義的な文王朝的な流れを加速したままであったと思います。

 お金・献金の為に・・「祝福の権限の世界化」の道がなされずに、ボケたのでしょうか??

5)祝福問題=「血統転換論」=「入籍問題」には、UCでは触れていない、キリスト教でも触れていない根本の大問題が別にあります。

 「取って食べれば死んでしまう」の真の意味が、「親子関係の断絶」「戸籍の抹消・市民権抹消」であるのか?否かが大問題であります。「親子血縁関係が断絶」するのであれば、キリスト教は客観的にも唯一的に正しいと言えるのであり、「血統転換論のみが正しい」のですが、もしも「子供が罪・とって食べた罪:を犯した場合にも親子関係の断絶はありえない」との観点であれば、必ずしも「血統転換論=再入籍の儀式」は必用が無いでしょう。もちろん罪人として「悔い改めと反省の条件」は必要であることは言うまでもありません。

 私はこの再重大問題のために、多くの祝福メンバー(家庭持ちで子供持ちの)聞きました。結論は「親子の関係・絆は切れない」という結論でありました。

キリスト教が「親子の関係・親子の絆が切れる」と言ってきたのは「事実ではなく脅かし」であったように理解可能です。

 キリスト教は最強の「脅かしの宗教」であったのでしょう。キリスト教は間違いであっても人間の幸福と完成と祝福を願う真の父母たる神の立場からの「脅かし」の意味ある宗教であり、宗教としては「信仰の真理」であり「客観的真理とは言えない」としても、神の愛の教え故に「宗教としては正しい」のであると考えます。

 しかしそうであれば、キリスト教以外の宗教に対して、原罪論の独善から他の宗教に対して「独善性発揮」してはならないでしょう。キリスト教「原罪論」には「絶対性がない」のであります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「文家の後継問題」は「皇室の皇位継承問題」に準じる

 天皇は「君臨すれども統治せず直接主管せず」日本国「憲法第一章」には「天皇の国事行為」に関する規定が明記されています。

これは再臨主家庭に在っても立派な参考文献であります。天国は法治主義国家であるべきです。天皇は「統治行為禁止」が核心であり、「国民統合の象徴」が存在意義であります。

 天皇制問題では極めて厳格に天皇家・皇室の後継問題・皇位継承問題は規定されていることは近年の日本国民的なニュースとなって明白になっています。

世界的天宙的な「皇室&万民統合の象徴」であられるメシア家庭の「相続・皇位継承問題」も同様に原則から外れることはできません。

 文家庭の相続と継承はH1氏が相続するでしょうが、彼がメシアの同類の位置・文鮮明師と同様の相続ではなく、あくまでもメシアはTF以外にはありえないことでありましょう。

 「統治権を行使せず」「万民統合の象徴家庭」には一気には成れないでしょう。二代、三代、四大・・七代・・と時間がかかることを万民も忍耐して待つべきでしょう。

同様にすべての祝福家庭も「四位基台完成・三代祝福完成・四大心情圏完成」なるみ旨の成就&完成には、年代および時間性がかかることを理解しながら、神の創造理想&み旨成就に対して寛大に考えて行くべきでしょう。

 最短の三代でも100年であります。  アージュ&合掌




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真の父母論その4(信仰による義か、それとも実態によって救われるのか)



「実態」という言葉も出てきました。蘇生・長成・完成という言葉は心霊的な成長段階に相関するものだと思いますが、実態と成長段階についても1ダースほど疑問が出てきます。

「右の強盗」というものがいます。十字架上でイエスを信じたというだけで、あら不思議、誰も行ったことのない楽園に行ったという。

この疑問に答えるには恩寵論を理解しなくてはいけません。

人は信仰によって義認されるのか、行い、実践、実体、実態によって救われるのかは教会史の中で、長い間議論されて来た問題です。

パウロはロマ書の中で、全ての律法を実践してみたが、救いの実感を得なかったと言います。しかし、イエスが我々の罪のために、十字架で贖罪してくれたことを信じることで、救いを実感出来たといいます。

ここから、いわゆる、恩寵論が出てくるのです。何処の教会に行っても、同じような内容の説教がなされます。

これに対して、ヤコブ書は実践の伴わない信仰は意味が無い、と言います。ここから、聖化(罪の清め)論が出てきます。

キリスト教は信仰と聖化の両輪の教義で、この両者の緊張関係を保ちながら今日まで存続して来ました。

神学者のボンヘッファ-はナチスが台頭してきて、ドイツや近隣諸国を危機に曝したとき、何処の教会も十字架の恩寵論にドップリ漬かってこの危機に無関心で何の行動もしませんでしたので、このような恩寵論(grace)をcheap grace(安っぽい恩寵論)と言い、これを批判しました。

そして、マルクスは「宗教はアヘンである」と言うのです。これを今日のUC・家庭連合に当てはめてみますと、韓国の教権組織に絶対服従し、献金だけしていれば、その人は救われ、天国に行ける、と言うようなことになるのでしょう。

従って、世界の危機に対しては全く無関心です。再臨主による地上天国実現は何処に行ってしまったのでしょうか?

アボジの証しによると、「聖書を信じて、イエスに従えば、イエスのような人格者になれるのですか」と牧師に聞いたら、「罪は許されるがイエスのようにはなれない」と言われたという。

勿論、アボジはこれには満足は出来ませんでしたので、イエスのようになろうとして、原理という教義を構築したのでしょう。

そして、アボジは、「クリスチャンはイエスの背中に乗って天国に行こうとしますが、これは自己中心以外の何ものでもありません。然るに、我々はイエスを乗せて天国を築いて行く者とならなければならない。」と言うのですから、アボジの信仰観は実践、聖化を伴った信仰観と言うことになるのでしょう。

禅仏教は、釈尊が先駆者として、自分の中の仏性に目覚め、それを開花し、立派な仏(正覚者)になったように、我々一般人も自分の仏性に目覚め覚醒すれば釈尊のようになれることを説きます。

人間の本性が仏性ですから本来、人間には罪などと言うものは無いということになり、本性でない罪には相対しないように意識を持って行くのです。初めに原罪ありき、だからメシアが必要というパラダイムにはならないのです。

歴史的には仏教国とキリスト教国では果たしてどちらが立派な人格を形成したのでしょうか。私には甲乙を付けがたく見えます。

かつてヨ-ロッパはクリスチャンダムと言われ、キリスト王国でしたが、中世暗黒時代を形成したので地上に天国を築けなかったようです。

原理もUC規模での王国を韓日米に築きましたが、日本には献金暗黒時代を築き、韓国には主権の奪い合いをめぐっての暗黒時代を築き、米国には家庭連合とH1,H2が三つ巴の分裂暗黒(?)時代を築いていますので、人類から相手にされず、歴史の片隅に埋もれて行くことでしょう。


・私の祝福の時の神体験では、神は親として、優秀な子もそうでない子も平等に愛しているという実感でした。

当時、自分に最も相応しいと思える候補者を5人を紙に書き出すのです。私は最も嫌いな女性の順番に書き出しました。すると、自己否定した心に、神が相対し、神の愛の前にはみんな平等だよ、と神が語りかけて来るのです。

・この世の親も出来の悪い子ほど、心配し、思いが行くといいますが、イエスの放蕩息子の話から鑑みて、神も同じようです。献金もどのような方法、かたちでしようとも誠を尽くして捧げれば、神は平等に扱うと思います。

・イスラエルの大統領、ベングリヨンだったでしょうか?とにかくキブツ出身の大統領です。彼は大きな仕事をして、高齢になってキブツに帰りました。

すると、みんなはご苦労様でしたと言って、もっと楽な仕事を与えますと言う事で、鶏のお世話の仕事を貰いました。ここでは、平であろうと、社長であろうと、偉人であろうと平等な扱いを受けるのです。

・神の愛の前には放蕩息子も聖人も等しく神の子女として愛される存在だと思います。

・原罪が無くなったと言う言葉は恐ろしい言葉です。なぜなら、信徒達はこの言葉によって、全ての罪が無くなったような錯覚に陥るからです。

・このように、いくら原罪が祝福によって無くなってもその他の罪によって支配されるなら、現実的意味が無いのに等しいものになります。逆に、原罪があるにも関わらず、聖人又はそれに近い人、偉人はなどは沢山います。

そのような良心(本心)家達によって構築された社会や国家の方が、原罪だけは無いが色欲・情欲に支配され、自己中心的な人々によって形成された社会や国家よりもはるかにましだと思います。

・特に、韓国人とその国家は「初めに恨みありき」で、その恨みに取り付かれたよう行動しているように見えます。

これは祝福受けて無原罪になったと思い込んでいる韓国のシック、日本UCを支配している長の付く人たちも例外ではないようです。

良心は神・父母・先生より偉大であるのならば当然、原罪よりも偉大です。故に、UCも原罪(未祝福)か、無原罪(祝福)で人間の価値を判断するのではなく、良心基準が高いか低いかで判断した方が良いでしょう。




祝福を受け、無原罪になったはずの人たちが、「献金さえすれば天国へ行ける」と叫びながら献金暗黒時代を築いてしまったUCから、アボジが言われたように、原理を実践し、自らを聖化した信徒を輩出できるUCになってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
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姜先生と日本人食口のミーティング、日本語1月8日(我々の信仰の原点を求めて)



すでに、いくつかのブログで取り上げられているようですが、1日8日に姜先生が日本人を集めて日本語でお話をされました。

サンクチュアリ教会で話されたので、サンクチュアリ系の話も含まれているのですが、キリスト教伝道師としてのイエス様に対する態度やUC草創期におけるお父様との思い出など、とても貴重な内容が含まれています。

まさに、我々の信仰の原点のような内容です。

サンクチュアリの人も、顕進様派の人も、家庭連合の人も。元信者の人も互いに非難し合うのではなく、このような話を聞いて、我々の信仰の原点に戻ってみるのが良いのではないかと思います。

我々の信仰の原点を求めて、今週末にこのビデオを見ましょう。


姜先生と日本人食口のミーティングその1(59分)
https://www.youtube.com/watch?v=x54Ybli-Piw


姜先生と日本人食口のミーティングその2(30分)
https://www.youtube.com/watch?v=8HXoX3Tdj3I</a>



姜先生と日本人食口のミーティングその3(49分)
https://www.youtube.com/watch?v=4DuXmLCTdCo




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真の父母論その3(信仰の論理と客観論理)




人間が「創造本然の人間」という理想の姿になれるのか?

・この質問の答えになるかどうかは知りませんが、参考例なら挙げることが出来ます。

釈尊も無明煩悩(堕落性)について随分悩んだ方と伝えられています。しかし、6年間、菩提樹の下で瞑想し、ついに涅槃の境地、悟りを開いたという。

これを原理の観点から解釈すると、堕落性を突き抜けた世界に、創造本性である真善美聖愛の神性に目覚め、これを仏性と呼び、釈尊だけでなく万人が本来持っている性質であることを悟ったということでしょう。

大事なことは釈尊が自力で創造本性である仏性を開花した先駆者であるということです。弟子達は釈尊と同じような瞑想(禅)という方法で、先駆者と同じ境地に至ろうとします。

従って、原始仏教は自力で悟りを開くのであって、キリスト教のようにイエスの十字架での贖罪によって、原罪を含めた全ての罪が許されるという他力本願ではないのです。ちなみに、禅宗はこれを踏襲しています。

私が3年間修業をしていたヤマギシズムは盤珪禅の流れを汲んいて、瞑想の代わりに研鑽会という円座を組んでお互の我執を取り除く話し合い(放し合い)をします。

これは自己啓発セミナ-に似ていますが、歴史的にはヤマギシズムの方が先です。ここで大事なことは、所有観念を一切捨てて、無所有の境地に至り、自己(小我)に対する自覚が、大宇宙の生命の流れとしての大我に目覚めることです。

結果として、キブツのような生活共同体を形成するようになったのです。会員には献身者の村内会員と村外会員がいますが、村で起きた美しい話をしてみたいと思います。

村内会員のある仲の良い恋愛中の若い男女がいました。よく二人で仲良く手をつないで日向で寝ている姿を目にしました。

あんまり仲が良いので、古参のメンバ-から、「お前たち、そんなに仲が良いのならキスして見せたらどうだ」と冷やかされるほどでした。

この二人は4年後に結婚しましたが、その間、一度も性的関係はなかったという。恐らく、家庭を持つ前の面接の時に、証しをしたのでしょう。これは村の美談になっていました。

彼らは立派に原罪を持った人たちでしょうが、本性から湧き出る本心・良心の導きによって、清らかな愛の花を咲かせたのでしょう。

これとは逆に、祝福を受けて、原罪が無いはずのシックがポルノに取り付かれて、奥さんから離婚された人もいます。これは、誰が見ても実態の伴わない無原罪は実態が伴っている有原罪より劣るように映るでしょう。

無原罪もこうなってしまうと形骸化されてしまい、単なる信仰の論理になってしまうのです。問題は何を信じるかよりも何をやるかの方にもっと重きを置くことです。

マザ-テレサは道端で倒れている人々を「死者の家」まで運んできて、死ぬまで世話をしますが、葬式は個々人の所属する宗教に基づいて行われるといいます。

彼女は恐らく、自分の宗教が信仰の論理であることを知っているのでしょう。だから、相手の信仰の論理の違いも尊重できるのです。

厄介なのは、自分の信仰の論理が客観論理と思い込んでそれを絶対化することです。客観的に自分の宗教が正しくて他は間違えであると信じ込んでいる教条主義者は異教徒を打て!という狂信的バリ教に陥りるのです。

異端者のレッテルを貼って除名に走るTM教権派は明らかですが、H1・H2はさすが違うといわれるようにならないと程度の差こそあれ似たりよったりだと言われてしまうでしょう。



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キリスト教の最大の問題点とUCがこれから行くべき道



キリスト教の最大の問題はその独善性にあります。

独善性とは何か、と言いますと、「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことは出来ない」というみ言葉です。

伝統的なキリスト教の教義によれば、アダムとエバの堕落の結果、人類は原罪を持っているので、無原罪のイエス・キリストを通さないと誰も救われないと説くのです。

それゆえ、中世においては、キリスト教のみを絶対化し、異教徒を打てといって、他宗教を改宗させるために、遠征するのです。十字軍戦争もそうでしたが、アフリカや南米や東南アジアなどはその標的になりました。

先に、宣教師を送り、その後、軍隊が派遣されるのです。日本では、秀吉がそれに気づいてキリスト教を禁止したとも言われています。

原理によれば、全ての善なる宗教は善の主体である神から時代と環境に応じて出てきたものであるという。

したがって、程度の差はあるかも知りませんがイエスだけが道であり、真理であり、命であり、イエスによらないと神のもとには行けない、ということにはならないのです。

排他性が強いといたるところに、宗教戦争を引き起こすのです。キリスト教徒と回教徒の戦争も然りですが、キリスト教内部でもカトリックとプロテスタントの宗教戦争も凄まじいものでした。ペストの流行も加わって、この宗教戦争のおかげで、ヨ-ロッパの1/3の人口を失うほどでした。

イスラム教も右手にコ-ラン、左手に剣というのですから、独善的排他性は避けられません。

かつて、イスラム教徒がインドを侵攻した時、仏教徒は一網打尽でした。しかし、ヒンズ-教徒は生き残ったのです。出家の仏教は寺を襲われたら、一網打尽ですが、在家のヒンズ-教は生活・文化そのものがヒンズ-教なので、国民全部を殺さない限り、生き残るのです。

アボジはよく世界の各宗教に呼びかけて、超宗教会議を行いましたが、キリスト教の代表とイスラム教の代表は過去の負の遺産故に、度々、学者達から批判に曝されることがありました。

ところで、統一教はどうでしょうか?超宗教会議に集まってくる宗教家や学者の中には、警戒心を持っている人が多いのです。なぜなら、その教義がキリスト教と同じように、原理以外に救いの道はないという独善性とそれに付随する排他性があるからです。

アボジがスポンサ-になって、旅費も宿代も滞在費も会議にかかる一切の費用を出して、宗教的寛容さを示しているにも拘らず、その教義故に警戒するのです。

即ち、誰であろうと、文教祖の祝福を受けて、血統転換されない限り、原罪は脱げず、何人も天国には行けないという教義があるからです。

以前にも、話しましたが、ガンジ-の著名な弟子が超宗教会議に参加して、こんな小さい宗教団体(UC)が、一切の費用を受け持つものですから、その宗教的寛容さに感銘し、アメリカの統一神学校に客として暫く滞在し、原理を聞きました。

すると、激怒して帰って行きました。彼は、ヒンズ-教徒ですが、原理を聞いて統一教に改宗しない限り、救いはないというという教義だと思ってからです。

超宗教という衣の下に原理への改宗という鎧が隠されていると思ったのでしょう。要するに、本音を知ってしまったのです。

原理によれば、どんな義人・聖人も原罪故に長成期完成級まで行けるが、そこでメシアを迎えて血統転換し、原罪を脱がないと人格完成は出来ないという。

さらに、生霊体級の霊人だけが天国に行けるという。それでは、UCの中の誰が人格完成したのでしょうか?

具体的には原罪の無いはずの統一家の誰が人格完成したのでしょうか? み言葉によると、天国とは三対象の愛を完成した夫婦がそろって行くところだと言う。アボジの伴侶である韓鶴子女史が堕落したバビロンの大淫婦なら、アボジは単独で天国に行ったのでしょうか。

長女の誉進さんは、父母から愛されなかったという恨みを抱いています。それは、期待した男の子でなく女の子であったからだという。

アボジはがっかりして、あまり喜ばれなかったので、TMまでもあまり愛してくれなかったという。ところが、次に、長男の孝進氏が生まれた時にはアボジもTMもめろめろに彼を愛したという。

韓国文化の中で、彼女は男と女の価値の差を痛感したのです。お陰で、彼女はフエミニストのようになってしまい、独生女論を支持し、唱えています。

このような子女を出してしまったということは、父母の愛が全うされなかったということです。子女の愛は、離婚、不倫、略奪婚、事実婚、不従順などが展開され、大方の子女達が父母の愛に対して、美を返していませんので、全うされていないことになるでしょう。

原理によれば、主体なる神は対象である被造物が完成しない限り神も完成しないという。

ならば、真の意味において対象である妻や子女の完成がなくして、父母の完成はあるのでしょうか?さらに、たとえ、アボジ一人が天国にいけたとしても愛と心情の観点から見て、妻や子女が地獄で呻吟しているのを見て、そこは天国なのでしょうか?

原理は、内的真理ですら論理的、科学的、実証的でなければならないと言いますが、原理は所詮、形而上学的仮説に過ぎません。科学的仮説と言うものは、仮説を立てて、片っ端から実験して行けば、良いのです。

ならば、原理と言う仮説に基づいて実験(実践)した結果、どうなったでしょうか?三つ巴の分裂と献金地獄の状態が出来上がったのです。

世の人々は聖書に習って、これを「実を見れば木が分る」という。即ち、結果から判断して、原理は神話かウリナラファンタジ-ということになってしまうのです。

無原罪の人々の集まりがこの状態では有原罪の義人、偉人、聖人よりも劣ることになります。

原理を天法と見なし、地の法を軽んじ、サタン扱いまでした結果、霊感商法などによってカルトに分類されてしまったのです。

この宗教は非常に独善的です。そして、原罪論に固執する限り、排他的にります。したがって、原罪論では普遍的宗教にはなれません。盲目的に信じる限られた人しか入って来れなくなります。

しかし、幸いな事に、アボジは良心は神よりも、父母よりも、先生よりも偉大だと説いているので、他宗教も無神論者も、原罪、無原罪に関係なく、万民が受け入れることが出来ます。

原理によれば、良心作用は良心がその主体である神と授受作用する時に生じるというのですから、本心と同じ意味になります。

そして、ここまで来ると、「メシアとは心を尽くし、思いを尽くし、魂を尽くして神のみ旨をなす者」と言うみ言葉が活きて来るのです。ここでは、無原罪のメシアも有原罪のメシアも競争して(?)良心に従ってみ旨に邁進すれば良いのです。

そうすれば、未祝福、祝福の差別は無くなり、ヤコブ(信仰二世)と祝福二世の差別も無くなり、未祝福の高齢の女性達も肩身の狭い思いをせずに過ごせるのです。

さらに、良心に基づいて、円満に相思相愛で結婚している人を差別しなくなるでしょう。

だからといって、祝福するなと言っているのではありません。人間の価値をただ単に、原罪、無原罪で決めるな、と言っているのです。人間の内容が良心に従って、どれだけ神の願いを果たしているがもっと大切だといっているのです。

そして、これからは神よりも偉大な良心を中心とした価値観で教会の方向性を転換することです。これが我等が目指す方向性でしょう。

したがって、吉田松陰ではありませんが、松下村塾のような良心塾が必要です。かって、久保木会長を中心に救国連盟をつくりかけたことが、ありましたが、今では松下聖経塾があり、小池塾まで出来つつあります。

名前はともかくとして、救国連盟のコンセプトを持った組織作りが必要なのです。結果的には、戦略として、従来の原罪論と平行して良心論が台頭したかたちの二刀流で展開されることになるでしょう。

前者は極めて宗教的で、外部の人達を内側に取り込み、indoctrinate(教え込む)ことになりますから、求心的です。

後者は人々がすでに抱いている問題意識に呼びかけることになりますから、遠心的です。これを展開する為には宗教論理である原理を哲学化した統一思想の充実が求められます。



原理を知っているから傲慢になり、教会外部の人を有原罪として見下げるのではなく、原理を知っているがゆえに社会から人格者であると評価されるようなUCになっていきたいなと思われた方はクリックお願いします。
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真の父母論その2(原罪論と良心論)



一番の根本は「原罪」の精算は誰により可能であるか?という問題です。私たちは祝福を受けて原罪を精算し、神の血統に接ぎ木されたと思っているが、これは嘘か真か?もし真ならば、それと同じ「祝福」を、これからの人たちも受けることができるのか?


・嘘か真かは個人の実感によって違うようです。私のように実感している人も少なくはありませんが、実感できずに以前と変わらないY氏のような人も少なくありません。

Y氏によればセクシ-な女性を見れば欲望が刺激され、世俗的欲望から解放されないという。恐らく、先祖の因縁が違うのでしょう。

まして、真の家庭の子女達が不倫の問題を起こすと、彼においては「嘘」のように思えるでしょう。

しかし、私は彼を責めたことは一度もありません。アメリカでは祝福受けてもホモの欲望から解放されない信徒は沢山います。欲望のレベルで実践をしていない人、時々する人、シック同士でしばしばする人、毎週ペン・ステ-ションのトイレで誰彼なく相手を見つけてしている人などがいるようです。

原罪が無くなったと言う言葉は恐ろしい言葉です。なぜなら、信徒達はこの言葉によって、全ての罪が無くなったような錯覚に陥るからです。

・このように、いくら原罪が祝福によって無くなってもその他の罪によって支配されるなら、現実的意味が無いのに等しいものになります。

逆に、原罪があるにも関わらず、聖人又はそれに近い人、偉人はなどは沢山います。

そのような良心(本心)家達によって構築された社会や国家の方が、原罪だけは無いが色欲・情欲に支配され、自己中心的な人々によって形成された社会や国家よりもはるかにましだと思います。

・原罪論の最大の問題は宗教的帝国主義を築いてしまう危険性を持っていることです。「宗教的帝国主義」とは私が造った造語ではなく、一般の宗教学会の国際会議で使われている用語です。

原罪論故にイエス・キリストを通さないと誰も救われないと説くからです。一神教の排他性を問題にしていた投稿がありましたが、キリスト教は宗教学会では排他性の典型的な宗教として、認識されているのです。

統一教会も同じです。文鮮明夫妻の祝福を受けないと、誰も救われないということになり、全ての宗教を改宗しなければ救われないことになり、「宗教的帝国主義」になってしまうのです。

それが実態が伴ったどの宗教も出来なかった人格完成、完成した家庭、氏族、社会を築いたなら、人々はさすが祝福を受けて原罪を脱いだ人々は違うということになりますが、反社会的宗教団体を形成してしまうと、それはウソになってしまうのです。




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年始のエルダー氏と江利川さんのメッセージ(一読に価するでしょう)



ティム・エルダー本部長の報告 2017年1月1日天一宮、入宮式にて

今日の式典は大きな悲劇の結果であり、また同時に神様の大きな祝福でもあります。

2012年9月3日、天基3年7月17日(陽9・3)のお父様の天宙聖和の後、それまで真の母として尊敬し崇拝してきた韓氏オモニが摂理から逸脱しました。教会と食口をわがものとするという邪悪で誤った行動をとりはじめました。

ここ最近、10日ほど前のできごとから韓氏オモニのその権勢欲は誰の目にも明らかになりました。

12月22日、姜賢實(カン・ヒョンシル)会長が私たちのもとに来られメッセージを発表されました。その中で「もうこれ以上家庭連合の背信に耐えることができない、『お父様は原罪をもって生まれ自分は無原罪で生まれた2千年間キリスト教が待ち望んだ独生女だ』というオモニの言葉は聖書に反する異端であり、どう考えても許容することができない」と述べました。

12月25日、オモニは15人から17人の元老食口を集め、姜賢實会長の問題についてアドバイスを求めました。世界中ではすでに1万人以上の人がSNSなどを通して姜先生のメッセージを読んでいました。

これまで数々の集会でお父様の原罪出生、自分の無原罪出生について韓氏オモニは言及してきましたが、25日の集会で一人の人が立ち上がり、「お父様が原罪をもっていたなど我々の信仰のアイデンティティを損なう恐れがある」と発言しました。その時点まではオモニは自分の無原罪出生を述べるだけでそれ以上踏み込もうとはしませんでした。しかし12月25日のクリスマス集会で姜会長の主張を裏付ける発言をしました。

12月29日、これが拡散しては大事になるとみた家庭連合は公文を出しました。その公文の内容は

「お母様はお父様が原罪をもって生まれたなどといわれたことはない。姜会長はサンクチュアリ教会の誤った言説を信じていたにすぎない。すべてサンクチュアリ教会の作り上げたデマだ」 というものでした。

この公文作成者の意図もものかは、韓氏オモニは公文が出された次の日(12月30日)に「お父様は原罪をもって生まれた」と公の場で発言したのです。今度はそこからさらに踏み込んだ発言です。

12月30日、1960年から1968年に祝福を受けた百名ほどが集まった席でオモニはこう発言しました。

「アボジは原罪をもって生まれました。無原罪でこの地に生まれた独生女に出会うことでアボジは原罪を脱ぐことができたのです。アボジは私に出会う以前に誰とも結婚すべきではなかった。」



江利川会長―2017年新年のメッセージ 日本サンクチュアリ協会公式サイトより

謹賀新年

2017年を迎えました。

昨年の動向を振り返りますと、2015年8月30日(天暦7月17日)の真の基元節が摂理の分水嶺になったことが明らかです。     

亨進王様を中心とした歩みが精誠の布石となり、私達の基盤も大きく強固になり、米国大統領選も天運の中でトランプ氏が勝利しました。

そして2017年1月1日、本日(天暦12月4日)、亨進二代王様が天一宮に入宮され、天の摂理に新しい時代が到来します。今年は、第二代王 亨進様を中心に、天一国創建の基盤を強く拡大していく年になると思われます。お父様の基盤を取り戻し、大きく発展する一年になると信じます。

皆々様のご家庭が、神様と真のご父母様の愛と天運の中に保護され、導かれますようお祈り申し上げます。

日本サンクチュアリ協会  協会長  江利川安栄




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真の父母論その1(ローマ法王的存在か、それとも万人祭司説か)



古参の友人が久しぶりに我が家にやって来て、真の父母の後継者についての持論を熱く語って行った。

彼によれば、後継者はロ-マ法王と同じで誰でも良いというのです。仮に統一家の子女が後継者になったとしても、それは法王の立場であって、二代目真の父母、三代目真の父母と言うようにはならないと言うのです。

真の父母は文鮮明師と韓鶴子女史だけであって、後は、代理に過ぎないというのです。

このような論説を推し進めて行くと、法王の立場である後継者は必ずしも統一家出身にこだわる必要はなく、将来、日本から出て来ても良いことになります。

ロ-マ法王になれる資格は選民とは関係ありませんので、何処の国が選民であるかを論じる必要がありません。同じことがUC・家庭連合にも適応できることでしょう。

但し、後継者という言葉を使うと、いかにも統一家にこだわったニュワンスを与えるので、法王のようにキリストの代理者の方が良いでしょう。

これに対して、プロテスタントでは法王などは存在しなく、万人祭司説ですから、これを家庭連合に適応すれば、信徒全員が神氏族メシアです。

家庭連合はこの両者を統一できる後継者論、代理者論が出て来てしかるべきでしょうが、現実的には、カトリックとプロテスタントが分かれて活動をしているように、UCにおいても分かれるでしょう。

ところで、H2側からの情報によれば、真の母とは韓鶴子女史に代わって、妻のヨナ女史が真の母(?)だという。このことは何を意味するのでしょうか?

原理によれば、本来アダムとエバが真の父母になる予定でしたが、堕落したために、第二の真の父母はイエスと聖霊になってしまったという。

しかし、イエスがイスラエルの不信仰のため、十字架で殺されてしまったので、霊的真の父、さらに、聖霊を迎え入れて霊的真の父母にしかなれなかったという。

従って、再臨は第三アダム・エバに当たる実体の真の父母、即ち文鮮明師と韓鶴子女史だという。

ところが、韓鶴子女史がその使命において失敗し、バビロンの大淫婦になってしまったという。韓鶴子女史が失敗して真の母になれなかたと言うことは、文鮮明師は真の母を復帰できなかったことになるので、真の父にはなれたかも知りませんが、真の父母になれなかったことになります。

更なる問題は、仮にヨナ女史が真の母の位置に立ったとしても、H2がアボジに代わって真の父にはなれないので、結果として、H2とヨナ女史は真の父母にはなれないし、真の意味で実体的には代われないことになります。

文鮮明師と韓鶴子女史が通って来た路程が彼らの路程とは余りにも違い過ぎるのです。

仕方がないので、アボニムもオモニムも石をパンに変えたり、文王朝や韓王朝を唱える以前の時代を真の父母としての勝利とし、後継者や代理者を立てざるを得なくなるでしょう。

注:信憑性はともかくとして、韓国の婦人達に降りて来た啓示によれば、神はアボジに平和世界を実現してくれることをお願いしたのに、自分の王朝を造ってしまった。

又、人はみ言葉によって、生き、完成して行くものを、それに多額の献金を課して、石をパンに変えてしまった。これらが間違えだと言う。

もう一つ、考えられることは、み旨成就の真の父母はともかくとして、み旨としての真の父母は絶対であるということです。それゆえ、我々は神の創造理想である「真の父母」の実現を理想として、使え侍り、目指して邁進して行く道です。

ここまで来ると、「メシアとは心を尽くし、思いを尽くし、魂を尽くして、神のみ旨を成就する者であり、私もメシアになろうとし、あなた方もメシアにならなければならない」というみ言葉が大切になって来ます。

そして、ここに向かって邁進する時に、教会として組織的に邁進する時には、法王的存在を立てて行くのも良いでしょうし、神氏族メシアとしてプロテスタント的に邁進するのも良いでしょう。



高額献金中心の文王朝や韓王朝をつくるのではなく、法王的な存在を立てていくか、プロテスタント的に氏族メシヤ活動に邁進して、心を尽くし、思いを尽くし、魂を尽くして神のみ旨を成就する者になっていきたいなと思われた方はクリックお願いします。
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師観の新年のメッセージ

皆さま、あけましておめでとうございます。

ミムネットのHさんから、以下のような楽しいメッセ-ジがありました。


将来、霊界テレビと共に、原罪検出器が発明されるでしょう。

検体として、唾液を検出器に入れると、、、有原罪なら赤、無原罪なら緑、判定不能なら黄色ランプが点灯。

聖酒をのむと、、、検体ランプは赤から緑になります。

引用終わり


これについて、原理的な観点から真摯なコメントをさせていただきたいと思います。

・これは本人が気がついているかどうかは知りませんが、とても無視など出来ない深刻で重要なことを言っています。

本人は「そんなわけ、ないよね、、、無視して下さい」と言っていますが、このジョ-クは大変深刻で、恐ろしいほどの無視できない問題を提起しています。

このジョ-クを受け入れて論理を展開しますと、信号の色は逆になります。祝福を受けて無原罪になると赤信号になるのです。

我々が祝福を受けた当時は祝福後、一線を越えたら救いの道はないといわれたものでした。もし、救いがあるとしたら、サタンが救われた後であると言うのです。

それは長成期完成級でアダム・エバが堕落したので、アボジがメシアとして祝福で救えるのは長成期完成級までだ、と言うのです。それ以上のところで堕落したらメシアといえども救えないというのです。

だから、祝福は赤信号なのです。注:(今日では恩赦がありますが決して心地よいものではありません。その場に居合わせたスタッフによれば、恩赦に来た人々の顔を見ないようにして、無かったことにしようと、必死です。)

・そこで、ある姉妹から質問を受けました。アボジはそんな危険な祝福をどうして数合わせのように大量にするのですか、と言うのです。

み言葉によれば、旧約時代は万物を供え物にし、新約時代は子女イエスを供え物にし、成約時代にはメシアの家庭を供え物にして歩むというのです。

従って、祝福家庭が一線を越える問題を起こすと、メシアの家庭が打たれるというのです。だから、がれかれなく、大量に祝福をしてしまいますと、その分だけ祝福家庭の堕落も大量になるのです。

・答えとして、私も分りません。恩赦があるので、何か秘策があってのことでしょうとしか答えられないのです。

その内にアボジの家庭がメチャメチャになって来ました。恐れていたことが起こっているという感じでした。

なぜなら、自分の家庭を供え物にして、大量にだれかれなく祝福をすると、問題を起こす家庭が出て来て、自分の家庭が崩壊するのが目に見えているからです。普通の道理で考えますと、自分で自分の首を絞めていることになります。

・原理を解き明かし、サタンに勝てるほどの知恵者がそんな分りきったことをするはずが無いと考えますと、余りにも奇奇怪怪なナゾになるのです。

それはメシアの家庭が崩壊したら元も子もなくなってしまい、人類救済は単なるフアンタジ-になってしまうからです。

しかし、これだけではナゾを解いたことにはならないので、私なりに考えてみた回答を提示してみたいと思います。

イエスは捨て身の戦法で霊的勝利を勝ち取りました。アボジも捨て身の戦法で、即ち自分の家庭を犠牲にして祝福家庭の救いの道を開いたということです。

人類がどんなに頑張っても原罪の為に長成期完成級を超えることが出来ないとしたなら、人類の救いになりません。

なので、自分の家庭を犠牲にしてでも祝福によって原罪の壁を越えれるようにしておけば、誰かが人格完成を出来る道筋が立ったことになります。

それゆえに、祝福家庭は自分の名で神に祈ることも出来ますし、祝福も授けることが出来るのです。

即ち、万人がメシアになれる道を開いたということです。そして、この段階で、アボジの真の父母としての使命は完了・完結したことになります。

ここで最も大切なことは、統一家の子女だけでなく、各々の祝福家庭が祝福できるということです。そのことによって人類はあたかも鼠算式に祝福を受けて原罪を脱いで行く速さが増して行けるのです。

人格完成出来るかどうかは個々人の努力次第と言うことになります。さらに、大切なことは創造本然の神と人間の状態を取り戻すことです。

人格完成とは、自分が完成したなどと思わないことです。むしろ、まだまだだと思って、精進に励むことです。そして、完成を目指して歩む過程において、【一挙手一投足】が神と共にあるという実感が最も大切です。そうすれば、私を見た者は神を見た者なり、と自他共に言える様になれるでしよう。

そのような家庭、社会を形成した場合、長に立つ者は統一家の血統にこだわることはなく、適材適所の人格者をみんなで選べばよいのです。これが万民一家族に近い姿です。

問題は教権側の教会組織です。自分達が信徒を主管するために、祝福と聖和式の権能は教会組織にあることを主張して、祝福家庭にその権能を与えないようにするでしょう。

その時に大切なのはアボジのみ言葉です。祝福家庭が祝福を出来るというみ言葉があるはずですが、知っている人がいて、それを提示してくれれば幸いです。

顕進氏や亨進氏が統一家の権能で彼らに所属する祝福家庭に授けようとしているという話を聞いたことがありますが、それが本当なら、さすが子女様だということになるでしょう。

創造本然の世界ではアベル家庭もカイン家庭もありません。神の愛の前にはOne Family under Godであり、神の子女はみんな平等です。愛の前には儒教的序列はありません。

神の愛の前にはどの子女も平等なのです。この神体験の実感は啓示でした。


ここで、宮原氏のコメントも紹介しておきます。

→全く同意です。

少し失礼ながらコメントをプラスするとすれば、万人メシヤとは、友情で創る国家創造使命を自覚することだと思います。

アボジ自身が満身の力を込めて言われました。「これからは自分で考え、自分で決定し、自分で行動し責任を持つときだ」「出来るの?出来ないの? やるの、やらないの?」

一同:「やります」、アボジ:「それなら最期の講義・本体論講義を自分たちでやるんだ。」といって40日本体論講義がはじまりました。

私も、ラスベガスでの講義、韓国での講義に参加しました。そこで感じたことは、「本体論講義はゆうてへん氏がしましたが、内容が問題でなく、自分たちが計画し自分たちで学び出発した機会をアボジは与えてくれた」といううことです。

祝福の権能も当然与えられたということです。「すべてを行いなさい」と言われたからです。

更に「良心は神に勝る」、「兄弟の心情はあなた方が勝利し先生に教えてもらう」「神の前に私も子女だ、ただし長兄だ」「皆は兄弟の立場だ」と言われたのです。(日本語で聞いたものもありますし、韓国語で聞いたものもあります。DVDで聞いたものも)更にアボジは 天一国憲法を制定しなければならないと言われたときに、「堕落の陰もあってはならない」といわれたのです。

従って、これからの言論には堕落の陰が少しでもあってはならないのです。

しばらくは堕落のことを対比するときに少しは挙げないと論が成り立たないかもしれない。

万民メシヤとは、誰でもそれを確信する者は、神の子として歩めと言うことです。私は少なからず常に神を感じ神の臨在を感じます。アボジがそのように教育してくださったと感謝しています。

この意味ではアボジに感謝ですが、政治経済の方法論ではアボジに信頼をおいてはいません。

宗教的には完全にアボジには表現できないほどの感謝をしています。政治経済問題は従って我々の責任問題です。

現代は宗教の時代ではなく、現実に実体を完成していく時代です。そうして実体の究極の姿が「神の国」であり、神は神の国を通して神の全貌を現す。一家庭、一個人はあくまで神の部分的表現体です。

宮原氏のコメント引用終わり



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