宗教と政治・国家の歴史的問題(今の韓国が世界を支配することを願うのか)



先回の日記に私が次のように書きましたが、このことに関して少し追加のコメントをします。


>彼らは日本UCが韓国UCの植民地であるように、国家も韓国の殖民地であることを願っていますので、そのようにするのです。


・この問題は宗教と政治・国家の歴史的問題なのです。キリスト教史の中で、ヴァチカンがイタリア国家と一体でしたので、ヨ-ロッパの各国の献金がイタリアに税金みたいに流れて行くのです。

英国のヘンリ-8世は離婚問題に加えて、これを快く思っていませんでしたので、英国国教会を設立し、カトリックに対抗したと言われています。

即ち、カトリックから独立することによって、後継ぎを埋めない妻と離婚も出来、献金が英国からイタリアに流れて行くのを防いだのです。

献金ぐらいなら、未だ良いのですが戦争になると宗教と国家の問題は決定的になります。ドイツ・日本・イタリアが同盟し、連合国と戦うハメになりますと、ヴァチカンも攻撃の対象になります。そこで、時の法王はムッソリニ-と話し合って、ヴァチカンはイタリアから独立したのです。

・このようにヴァチカンは独立国家になることによって、政治的中立を保つことが出来るようになったのです。

然るに、UC/家庭連合はどうでしょうか。韓国を天一国にしてしまうと宗教と国家が一つになってしまい、政治的中立を保てなくなってしまうのです。

結果的に、韓国のUCが世界のUCを主管しているのと、同じように韓国が世界を主管することを願い、発言するようになるのです。



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澤田氏のデモについて思うこと



・澤田氏のデモが問題なら井口氏が神山氏の講演に会場の前で、仁王立ちになって、そこに行く人を威圧し、嫌がらせ(?)をする行為はこれもデモであり、問題にしなければならないでしょう。

・「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」とお母様が言われたのであれば、家庭連合はこれを尊重しなければならないでしょう。

お母様が公言しているものを隠すということはお母様に対する不信仰になるでしょう。これは建前、即ち、口先ではTMに信仰的に従っているようには見えますが、本音では不信仰であり、不従順です。

・米本氏のブログで、井口氏が原研を指導する対場にある時に、彼らに身体障害者の振りをさせて物を売らせたことが暴露されたという話を聞いていますが、誰かそのブログの箇所を示してくれるとありがたい。

さらに、徳野氏も一緒になってやらせていたので、これに躓いて去っていった兄弟もいるという。これは明らかに詐欺行為であり、反社会的行為であるので、マスコミに暴露され、警察に逮捕されるのは澤田氏よりも井口・徳野氏ということになるでしょう。

・ちなみに、原研時代は井口・澤田氏の両名はどちらも早稲田出身で仲の良いコンビで、何処に行くのも一緒だったという。今では、まるでお笑い劇を演じているようです。

・TMのこの発言は逆説的には、大いなる貢献です。お陰でこのようなデモが起こり、見ざる、言わざる、聞かざるの信徒達の目覚める数が多くなるでしょう。

・韓国人幹部らは日本UCが韓国UCの植民地であるように、国家も韓国の殖民地であることを願っていますので、そのようにするのです。TMの発言がシックを目覚めさせ、日本UC/家庭連合の独立を促すことに役立てば逆説的貢献になるでしょう。




日本にいる韓国人幹部たちには韓国に早く帰っていただいて、日本家庭連合が韓国の植民地的な組織ではなく、本当の意味で神様を喜ばせる独立した組織になってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
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韓国文化の問題点(恨みありきの文化)

韓国は初めに、「恨み」ありきの文化であり、檀君神話、シャ-マニズム、儒教、仏教、キリスト教の雑居文明です。

アボジの問題点は韓国の雑居文明や問題点を棚上げして、日本やアメリカなどの他国の問題点をあげつらうことです。

残念ながら、このような傾向は韓国人特有の一般的な文化であるということです。従って、アボジがあまり他国のことをあげつらうと、メシアといえども所詮、韓国文化の所産と見なされて、人類普遍のメシアとは見なされなくなってしまう恐れがあります。

神の恨(ハン)と言う言葉がアボジが語るみ言葉(?)のkey
wordになった事がことがありましたが、今となっては、この言葉は誤解を生む言葉になっています。

朴大統領が日本に千年の恨みを置くといったり、10億円を受け取っておきながら、今、なお、慰安婦像を造り、日本領事館前に置き続ける恨みの執拗さは世界の顰蹙をかい、神から遠い世界です。

また、TMにおきましては、韓(ハン)鶴子ではなく、恨(ハン)鶴子 になってしまっています。

アボジから絶対信仰、絶対服従を要求されたが、それが勝利できず、逆にアボジに対する恨(ハン)になってしまったのでしょう。



お母様が、女王のように君臨するのではなく、以前のようにアボジの相対として、対象の立場でアボジの価値を証するような人に戻ってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
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霊的な人が再臨主を証する価値



姜賢實先生のお話の中に次のような内容がありました。


 それで私は全国を回りながら、再臨主を証しし、弥勒仏を証しし、真人を証しし、鄭鑑録を証ししながら、悟ってみるとこれらの方々はお一人だ、お一人とは誰かというと、今日キリスト教徒が待ち望んでいる再臨主であられる、即ち私達のお父様であるということを私に教えてくださったのです。

このみ言は皆が理解することができなかったみ言でしたが、行って伝えてみると驚くべき役事が起こったのです。

この方はイエス様を信じてもいない人でしたが、霊界には通じる人でした。私が教会に1954年5月1日に、お写真を置いておきました。

そうするとその人がそのお写真をじーっと見て、「うわーっ、今日私はここで大きなものを探し出しました。」と言いました。その大きなものが何かというと、その人がお写真を指差しながら「世界を統一なさるのはこの方です!」と言ったのです。(拍手)

それで私はとても驚きました。お父様に会ったこともなく知りもしないのに、そのお写真を初めてみただけなのに、その人が言うには「世界を統一できる神様の御子であり、再臨主として来られたのが即ちこの方です!」と証ししたのです。

以上引用終わり


これに対する私のコメント:

これを読んで、霊界からの証しの効果について、考えてみました。結論として、効果はほとんど無いということです。なぜなら、霊界の存在を信じていない人が圧倒的に多いからです。

それゆえに、たとえ霊界が分る人がいて、アボジの写真を見て、いくらアボジが再臨のキリストだ!と叫んでも、圧倒的に多いキリスト教徒以外の人々にとっては、So what?(だから、どうしたの?)、再臨のキリストってなあに?ということになるので、何の影響力も無いに等しいのです。

さらに、悪いことには、霊的な人は世間で公認された霊能者でない限り、変人扱いされ、うさんくさい目で見られているので、そのような人がアボジの写真を見て、いくらアボジが再臨のキリストだ!と叫んでも、相手にしてくれる人はほとんどいないのです。

その上さらに、悪いことはクリスチャンです。アボジの写真を見て、アボジが再臨のキリストだ!と叫んだら、異端扱いか、カルト扱いされて迫害までされてしまうのです。

現実は皮肉なもので、イエスはメシアを待ち望んでいたユダヤ教徒によって処刑され、ユダヤ教に全く関係のない異邦人のギリシャ・ロ-マ人によって受け入れられたのです。

同様に、UC原理も韓国ではクリスチャン故に、異端扱いされましたが、アボジが雑居文明と馬鹿にしている日本で受け入れられたのです。

それゆえ、雑居文明に感謝すべきであって、見下したり、馬鹿にしてはいけないのです。そして、原理が日本で広がったのは、霊能者がアボジの写真を見て、「アボジが再臨のキリストだ!」と叫だからではないのです。

へたに、そんなことを言ったら、知性人はその唐突さに苦笑いして、原理を聞こうとはしなかったでしょう。




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最近のお母様の発言について(無原罪とは何か)



ある人から興味深い質問がありましたので、紹介したいと思います。


質問:

今日、内部の確かな筋から、以下のような内容を聞きました。

韓鶴子女史は、前々から何度も「自分は三代かけて聖別されてきた原罪の無い独生女」であると言われてきました。これは先刻ご存知のことだと思います。

この独生女問題については賛否両論色々議論があるところでありますが、今回は文鮮明先生について見逃せない発言が韓鶴子女史
からあったということです。

「文先生は原罪を持って生まれてきたが、原罪の無い私が無原罪にしてあげた」と。

これはあまりにも重大発言で、内部では封印されているようですが、本人は大真面目だそうです。

ここに到り、姜女史は、孤独や寂しさも相俟って、この発言は、聖書からは到底導きさせないとサンクチャリーに行かれたというのです。

百歩譲って「独生女」論だけなら大目にみて、見逃してもいいかも知れませんが、文鮮明先生に原罪があり、自らが無原罪にしたという発言は見逃せません。

本件、どう思われますか。貴殿の意見をお聞きしたいと思います。



返答:

韓鶴子女史は、いろいろと問題発言をしていますが、今や、言論の自由を謳歌しているのでしょう。

毛沢東と同じで、晩年には文化大革命を引き起こし、大変な問題の人物になりましたが、totalで評価すると、革命の父という称号を得たように、韓鶴子女史もト-タルでは真の母の使命を果たして来たと思います。お陰で、祝福家庭が生まれ、我々も祝福できるようになったのです。

TMがいくら有原罪のアボジが無原罪のTMのお陰で、無原罪になったと言っても、UC内部が封印しているということは、これを認めていないということです。

それゆえ、大きな心を持って、逝去の時まで、言論の自由を謳歌させてあげることです。逝去したらUCもアボジのみ言葉に戻るでしょう。しばしのTMの我がままを泳がすしかないでしょう。

この失言のお陰で、姜賢実女史のような長老が家庭連合を卒業出来たのですから、逆説的にはありがたいことです。

この失言はこれからも姜女史のような長老級の卒業生を出す大義名分を与えただけではなく、日本の家庭連合がTMが主管する家庭連合から独立出来る大義名分を与えたことにもなります。

仮に家庭連合が踏みとどまったとしても、独立の有志達を押さえる口実を失ったことになるでしょう。

「文鮮明先生に原罪があり、自らが無原罪にしたという発言」は、新たな神学的問題を提示しています。

それは、 韓鶴子女史が当然、無原罪だという原理的、神学的根拠が問われることになります。

しかし、この問いは、文鮮明師にも同時になされることにもなります。即ち、お互いに何を根拠にして無原罪と言えるのかという問題を提起しているのです。

このような問題を公然と議論できる大義名分を与えたとすれば、これは韓鶴子女史の逆説的貢献と言うことになるでしょう。

シック達はアボジがどのようにして無原罪であるのかをよく分らないまま漠然、あるいは盲目的に、曖昧に信じて来た問題点にTMの発言は挑戦したかたちになります。

注:文鮮明師における無原罪説には幾つかあります。

1.神の妻と言われている女性と儀式をして、無原罪になった。

2.従祖父の文潤国氏がザカリヤの立場で、TFの母との儀式でTFが誕生したから。

3.金百文と儀式をして血統転換をした女性と儀式をしたから。

4.血統転換はザカリアとマリアの儀式で無原罪のイエスが誕生した時点で終了しているので、TFは無原罪で誕生した。但し、この解釈を採用すると、TMも同じ理由で、無原罪を主張できることになります。



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お金の奴隷になってしまったUC組織



ある人は次のように言いました。

それから、UCIがかっぱらって行った多額の金もまた「真のお父様の業績」の一部ですな。そういう事実にも目覚めなければなりません。


これに対する私のコメント:

H1がUCIをUCから奪ってしまった問題の背後には極めて複雑な事情があり、一言で奪ってしまったとは言えないものがあるようです。

複雑な事情とはいわゆる束草事件です。TM・教権側・H2・国進氏が一緒になって偽の霊界メッセ-ジを作成し、H1に九分九厘決まっていた後継者の位置を陰謀によって奪ったとしたなら、これは奪い合いと言うことになります。

因果応報の原理から見ると、教権側がが日本のシックに膨大な借金をさせてまでの献金を課し、ねこぞぎ韓国に持って行き、資産を築きあげたものですから、自分がやったようにられたまでのことに過ぎません。

無理が通れば道理がへこむのです。お陰で、日本には借金以外に何もありません。TMと教権側はその出来事から何も学ばず、借金で喘いでいる日本シックに更なる献金ノルマを課し続けています。

H2によれば、TMと教権側はサタンの中のサタンであり、バビロンの大淫婦と言うのですから、もっと多くの資産がかっぱらわれたことになります。これではかっぱらい合戦と言うことになります。

こうなってしまった以上は仕方がありませんので、どちらがかっぱらった資産を私物化しないで、人類の救済のために使っているのかを見守るしかないようです。

ところで、原理ではサタンは神より万物を全て奪ってしまい、サタンの物になっていると言って、買い物してもいちいち聖塩を振り掛けて聖別しますが、果たしてそうでしょうか? 

それによって所有権をサタンから神に返還したと信じ込んでいるのは人間なのです。神を信じる宗教は神の名によって宗教戦争を起こしましたが、現実的には神の名で人間が戦争を起こしています。

同様に、宗教はUCも含めて、神の名によって、人間である教祖とその教団が信徒から集めた献金で資産を作り、主管しています。それでは、UCのどの資産がどの企業が人類救済に貢献しているのでしょうか?

問題はメシアは神の代身、自分はメシアの代身、故に自分が所有し、主管するものは神が主管していると錯覚をしている世界が
あるのです。

そして、このような錯覚に基づいて、以前の総会長はシックから献金を徴収し、韓国に自分が所有するビルを建てたりするのです。

UCの長の付く者達が自分に貢ぐ者は神に貢ぐことだと思い込み、信徒に貢がせる事件は後を絶ちません。

UCの最大の問題は献金の収支報告が無いことです。何処の教会でも信徒の前で収支報告をするものです。何処の組織でも会でもお金を集めたら報告する義務があるのです。

恐らく、神の名においてお金を遣うので、神が遣ったと思い込み、報告は要らないと思い込んでいるのでしょう。神様もいい迷惑していますので、聖書の神の名をみだりに呼ぶ無かれ!は大いなる真理です。



韓国人による献金の横領を防ぐためにも、少なくても、UCが会計の透明性を確保するために、献金の収支報告を公開すべきではないかと思われた方はクリックお願いします。
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UCの後継問題に対するN氏の意見(真の父母論に対する感想)



以下は真の父母論に対するN氏のコメントです。一読に価するでしょう。



UC後継問題に関してを感想・所感を投稿したく思います。


以下の文章は「真の父母論 師観・その2」からの抜粋であります。「宗教的帝国主義」問題が批判的に書かれ指摘されている部分であります。

:::::::::::::::::::::::::

★原罪論の最大の問題は宗教的帝国主義を築いてしまう危険性を持っていることです。

「宗教的帝国主義」とは私が造った造語ではなく、一般の宗教学会の国際会議で使われている用語です。

 原罪論故にイエス・キリストを通さないと誰も救われないと説くからです。一神教の排他性を問題にしていた投稿がありましたが、キリスト教は宗教学会では排他性の典型的な宗教として、認識されているのです。

 統一教会も同じです。文鮮明夫妻の祝福を受けないと、誰も救われないということになり、全ての宗教を改宗しなければ救われないことになり、「宗教的帝国主義」になってしまうのです。

それが実態が伴ったどの宗教も出来なかった人格完成、完成した家庭、氏族、社会を築いたなら、人々はさすが祝福を受けて原罪を脱いだ人々は違うということになりますが、反社会的宗教団体を形成してしまうと、それはウソになってしまうのです。

(師観)


::::::::::::::::::::::


 霊的な救済を主張してきた新約摂理時代のキリスト教であって,もキリスト教の独善性と排他性は十字軍戦争を見るまでもなく,イスラム教が「コーランか剣か」との歴史を残した事実に負けず劣らずの「キリスト教的帝国主義」の様な、他宗教に対する無知・無理解や誤解・偏見と自己満足の選民思想によって多くの命までも奪うような犯罪的な史実を重ねて来たのです。

 卑近な例では1945年3月10日の東京大空襲での無差別11万人殺害&200万世帯の無差別焼却など等・・に始まり、広島、長崎での21万人原爆投下背の爆殺など等、ほぼ無抵抗の日本民間人を、この5か月足らずの間に「90万人」の老若男女民間人無差別殺傷の背後には「宗教的な偏見と人種的な偏見」があったと、2000年度のピューリッツアー賞受賞作家のジョンダワー著『人種的偏見』には書かれています。

 いわんや霊肉救済&地上天国を主張する「成約キリスト教・UC統一運動」においては、霊的救済を説いて世界化を図って来たキリスト教にも勝る「独善性と排他性」が生じかねないのです。

 アボジ自体にも「文家自体による12支派の統一王国理想の夢」があったことは歴然とした事実であり、全祝福家庭を12人の文家の子女様たちに区分けして12支派の分類の様なシック仕分け事をされ「文王朝の統一王国」の模倣、夢想をされていたのでした。

 1992年;ソウルオリンピックスタジアム「三万双国際合同祝福結婚式」にて「私は再臨主の使命を果たした」と自ら公式の場で「再臨宣言=勝利宣言」をされました。

 それから7年後に「神様王権復帰宣言」をされて「自ら王冠をかぶられ:王の王宣言と王権摂理宣布」をされたのでした。それから12年後(2012年2013:1月13日)を最終摂理として摂理化されて歩んできたのでした。

 「韓国型・文王朝」はあたかも「李氏朝鮮王朝再興」の世界化への道のように描かれてきたのでありました。思えばこの日のために12人以上の子供を産んで備えたようなことでした。一人の女性がまさか12人の子供を産むなどとは可能性を信じても実際想像することは困難であったことでしょう。

 恐れ多いことでありますが、多くの庶子の様な子女様たちまでも出生されたことは「アボジの文王朝・統一王国理想」は、悪しき?思い込みであったのではないか!?」と思った次第であります。TMは苦悩の中で決心されて自ら12人の御子女様たちを生まれたのでした。

 先日熊本出身のKIさんが自身の故郷と自宅の被害のために、帰国されたのでしたが、彼は5人の子供が生まれて、その5人がすでに15人の子供=「お孫さん達」が生まれ、すでに合計20任になっていると言っていました。

 アボジも、二代、三代のスパンで考えたら、血族だけでも12人どころかKIさんのように20人~30人~40人~120人・・一人から12人を産んだTMの無理な事態ではなくKIさんのように考えたら、色々とやちゃこしい問題(6マリア問題など)起こらずに、さらに現状の様な「文家の親子分裂と葛藤問題」などが起こらずに全てが自然に平和裏に、愛の絆太く「誇るべき・真の家庭」になったと私は思っています。

 アボジには「12支派による世界支配・文王朝の使命」の思い込みが焦り急いだ無理な人生となったのだと、恐れながら思った次第であります。

1)文王朝的な「統一王国」にはアボジの思い込みが先行したのです。

2)アボジと文家庭・文氏族は統治行為を「直接主管時代」に終止符を打ってあたかも日本国の天皇制のように「国民・万民統合の象徴家庭」になるべきであったと思います。1992年メシア宣言以後なのか、2000年「神様王権復帰宣布」以後にそうすべきだったでしょう。

3)地上の事は「ローマ法王」の様な立場に権限を付与して復帰摂理の戦いを進めるべきであったと思います。UC運動も各国で「自主独立体制整備」に進むべきで、韓国人メンバーの支配構造から脱皮すべきでありました。

人事権や財務権をいまだに握っているようでは、万が一には責任をかぶってしまうでしょう。メシアでなくなってしまいます。

4)「祝福の権限」も「文家の専権事項」ではなく1992年以後には各国に付与し、段階的に各国の教勢に準じて、例えば日本であれば、中央1か所=本部が統括、各ブロックへ権能の付与・移行がなされて、やがて各県ごとに「祝福式」の権能が定着してゆくべきでありました。

 「祝福」が文家族の一員になるというよりも、文家族による恩寵によって「神の家族」天国へと「入籍」される恩寵を頂くという観点の認識が弱かったので「文家への入籍・独占」みたいにだらだらと続いていたことは、帝国主義的な文王朝的な流れを加速したままであったと思います。

 お金・献金の為に・・「祝福の権限の世界化」の道がなされずに、ボケたのでしょうか??

5)祝福問題=「血統転換論」=「入籍問題」には、UCでは触れていない、キリスト教でも触れていない根本の大問題が別にあります。

 「取って食べれば死んでしまう」の真の意味が、「親子関係の断絶」「戸籍の抹消・市民権抹消」であるのか?否かが大問題であります。「親子血縁関係が断絶」するのであれば、キリスト教は客観的にも唯一的に正しいと言えるのであり、「血統転換論のみが正しい」のですが、もしも「子供が罪・とって食べた罪:を犯した場合にも親子関係の断絶はありえない」との観点であれば、必ずしも「血統転換論=再入籍の儀式」は必用が無いでしょう。もちろん罪人として「悔い改めと反省の条件」は必要であることは言うまでもありません。

 私はこの再重大問題のために、多くの祝福メンバー(家庭持ちで子供持ちの)聞きました。結論は「親子の関係・絆は切れない」という結論でありました。

キリスト教が「親子の関係・親子の絆が切れる」と言ってきたのは「事実ではなく脅かし」であったように理解可能です。

 キリスト教は最強の「脅かしの宗教」であったのでしょう。キリスト教は間違いであっても人間の幸福と完成と祝福を願う真の父母たる神の立場からの「脅かし」の意味ある宗教であり、宗教としては「信仰の真理」であり「客観的真理とは言えない」としても、神の愛の教え故に「宗教としては正しい」のであると考えます。

 しかしそうであれば、キリスト教以外の宗教に対して、原罪論の独善から他の宗教に対して「独善性発揮」してはならないでしょう。キリスト教「原罪論」には「絶対性がない」のであります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「文家の後継問題」は「皇室の皇位継承問題」に準じる

 天皇は「君臨すれども統治せず直接主管せず」日本国「憲法第一章」には「天皇の国事行為」に関する規定が明記されています。

これは再臨主家庭に在っても立派な参考文献であります。天国は法治主義国家であるべきです。天皇は「統治行為禁止」が核心であり、「国民統合の象徴」が存在意義であります。

 天皇制問題では極めて厳格に天皇家・皇室の後継問題・皇位継承問題は規定されていることは近年の日本国民的なニュースとなって明白になっています。

世界的天宙的な「皇室&万民統合の象徴」であられるメシア家庭の「相続・皇位継承問題」も同様に原則から外れることはできません。

 文家庭の相続と継承はH1氏が相続するでしょうが、彼がメシアの同類の位置・文鮮明師と同様の相続ではなく、あくまでもメシアはTF以外にはありえないことでありましょう。

 「統治権を行使せず」「万民統合の象徴家庭」には一気には成れないでしょう。二代、三代、四大・・七代・・と時間がかかることを万民も忍耐して待つべきでしょう。

同様にすべての祝福家庭も「四位基台完成・三代祝福完成・四大心情圏完成」なるみ旨の成就&完成には、年代および時間性がかかることを理解しながら、神の創造理想&み旨成就に対して寛大に考えて行くべきでしょう。

 最短の三代でも100年であります。  アージュ&合掌




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真の父母論その4(信仰による義か、それとも実態によって救われるのか)



「実態」という言葉も出てきました。蘇生・長成・完成という言葉は心霊的な成長段階に相関するものだと思いますが、実態と成長段階についても1ダースほど疑問が出てきます。

「右の強盗」というものがいます。十字架上でイエスを信じたというだけで、あら不思議、誰も行ったことのない楽園に行ったという。

この疑問に答えるには恩寵論を理解しなくてはいけません。

人は信仰によって義認されるのか、行い、実践、実体、実態によって救われるのかは教会史の中で、長い間議論されて来た問題です。

パウロはロマ書の中で、全ての律法を実践してみたが、救いの実感を得なかったと言います。しかし、イエスが我々の罪のために、十字架で贖罪してくれたことを信じることで、救いを実感出来たといいます。

ここから、いわゆる、恩寵論が出てくるのです。何処の教会に行っても、同じような内容の説教がなされます。

これに対して、ヤコブ書は実践の伴わない信仰は意味が無い、と言います。ここから、聖化(罪の清め)論が出てきます。

キリスト教は信仰と聖化の両輪の教義で、この両者の緊張関係を保ちながら今日まで存続して来ました。

神学者のボンヘッファ-はナチスが台頭してきて、ドイツや近隣諸国を危機に曝したとき、何処の教会も十字架の恩寵論にドップリ漬かってこの危機に無関心で何の行動もしませんでしたので、このような恩寵論(grace)をcheap grace(安っぽい恩寵論)と言い、これを批判しました。

そして、マルクスは「宗教はアヘンである」と言うのです。これを今日のUC・家庭連合に当てはめてみますと、韓国の教権組織に絶対服従し、献金だけしていれば、その人は救われ、天国に行ける、と言うようなことになるのでしょう。

従って、世界の危機に対しては全く無関心です。再臨主による地上天国実現は何処に行ってしまったのでしょうか?

アボジの証しによると、「聖書を信じて、イエスに従えば、イエスのような人格者になれるのですか」と牧師に聞いたら、「罪は許されるがイエスのようにはなれない」と言われたという。

勿論、アボジはこれには満足は出来ませんでしたので、イエスのようになろうとして、原理という教義を構築したのでしょう。

そして、アボジは、「クリスチャンはイエスの背中に乗って天国に行こうとしますが、これは自己中心以外の何ものでもありません。然るに、我々はイエスを乗せて天国を築いて行く者とならなければならない。」と言うのですから、アボジの信仰観は実践、聖化を伴った信仰観と言うことになるのでしょう。

禅仏教は、釈尊が先駆者として、自分の中の仏性に目覚め、それを開花し、立派な仏(正覚者)になったように、我々一般人も自分の仏性に目覚め覚醒すれば釈尊のようになれることを説きます。

人間の本性が仏性ですから本来、人間には罪などと言うものは無いということになり、本性でない罪には相対しないように意識を持って行くのです。初めに原罪ありき、だからメシアが必要というパラダイムにはならないのです。

歴史的には仏教国とキリスト教国では果たしてどちらが立派な人格を形成したのでしょうか。私には甲乙を付けがたく見えます。

かつてヨ-ロッパはクリスチャンダムと言われ、キリスト王国でしたが、中世暗黒時代を形成したので地上に天国を築けなかったようです。

原理もUC規模での王国を韓日米に築きましたが、日本には献金暗黒時代を築き、韓国には主権の奪い合いをめぐっての暗黒時代を築き、米国には家庭連合とH1,H2が三つ巴の分裂暗黒(?)時代を築いていますので、人類から相手にされず、歴史の片隅に埋もれて行くことでしょう。


・私の祝福の時の神体験では、神は親として、優秀な子もそうでない子も平等に愛しているという実感でした。

当時、自分に最も相応しいと思える候補者を5人を紙に書き出すのです。私は最も嫌いな女性の順番に書き出しました。すると、自己否定した心に、神が相対し、神の愛の前にはみんな平等だよ、と神が語りかけて来るのです。

・この世の親も出来の悪い子ほど、心配し、思いが行くといいますが、イエスの放蕩息子の話から鑑みて、神も同じようです。献金もどのような方法、かたちでしようとも誠を尽くして捧げれば、神は平等に扱うと思います。

・イスラエルの大統領、ベングリヨンだったでしょうか?とにかくキブツ出身の大統領です。彼は大きな仕事をして、高齢になってキブツに帰りました。

すると、みんなはご苦労様でしたと言って、もっと楽な仕事を与えますと言う事で、鶏のお世話の仕事を貰いました。ここでは、平であろうと、社長であろうと、偉人であろうと平等な扱いを受けるのです。

・神の愛の前には放蕩息子も聖人も等しく神の子女として愛される存在だと思います。

・原罪が無くなったと言う言葉は恐ろしい言葉です。なぜなら、信徒達はこの言葉によって、全ての罪が無くなったような錯覚に陥るからです。

・このように、いくら原罪が祝福によって無くなってもその他の罪によって支配されるなら、現実的意味が無いのに等しいものになります。逆に、原罪があるにも関わらず、聖人又はそれに近い人、偉人はなどは沢山います。

そのような良心(本心)家達によって構築された社会や国家の方が、原罪だけは無いが色欲・情欲に支配され、自己中心的な人々によって形成された社会や国家よりもはるかにましだと思います。

・特に、韓国人とその国家は「初めに恨みありき」で、その恨みに取り付かれたよう行動しているように見えます。

これは祝福受けて無原罪になったと思い込んでいる韓国のシック、日本UCを支配している長の付く人たちも例外ではないようです。

良心は神・父母・先生より偉大であるのならば当然、原罪よりも偉大です。故に、UCも原罪(未祝福)か、無原罪(祝福)で人間の価値を判断するのではなく、良心基準が高いか低いかで判断した方が良いでしょう。




祝福を受け、無原罪になったはずの人たちが、「献金さえすれば天国へ行ける」と叫びながら献金暗黒時代を築いてしまったUCから、アボジが言われたように、原理を実践し、自らを聖化した信徒を輩出できるUCになってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
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姜先生と日本人食口のミーティング、日本語1月8日(我々の信仰の原点を求めて)



すでに、いくつかのブログで取り上げられているようですが、1日8日に姜先生が日本人を集めて日本語でお話をされました。

サンクチュアリ教会で話されたので、サンクチュアリ系の話も含まれているのですが、キリスト教伝道師としてのイエス様に対する態度やUC草創期におけるお父様との思い出など、とても貴重な内容が含まれています。

まさに、我々の信仰の原点のような内容です。

サンクチュアリの人も、顕進様派の人も、家庭連合の人も。元信者の人も互いに非難し合うのではなく、このような話を聞いて、我々の信仰の原点に戻ってみるのが良いのではないかと思います。

我々の信仰の原点を求めて、今週末にこのビデオを見ましょう。


姜先生と日本人食口のミーティングその1(59分)
https://www.youtube.com/watch?v=x54Ybli-Piw


姜先生と日本人食口のミーティングその2(30分)
https://www.youtube.com/watch?v=8HXoX3Tdj3I</a>



姜先生と日本人食口のミーティングその3(49分)
https://www.youtube.com/watch?v=4DuXmLCTdCo




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真の父母論その3(信仰の論理と客観論理)




人間が「創造本然の人間」という理想の姿になれるのか?

・この質問の答えになるかどうかは知りませんが、参考例なら挙げることが出来ます。

釈尊も無明煩悩(堕落性)について随分悩んだ方と伝えられています。しかし、6年間、菩提樹の下で瞑想し、ついに涅槃の境地、悟りを開いたという。

これを原理の観点から解釈すると、堕落性を突き抜けた世界に、創造本性である真善美聖愛の神性に目覚め、これを仏性と呼び、釈尊だけでなく万人が本来持っている性質であることを悟ったということでしょう。

大事なことは釈尊が自力で創造本性である仏性を開花した先駆者であるということです。弟子達は釈尊と同じような瞑想(禅)という方法で、先駆者と同じ境地に至ろうとします。

従って、原始仏教は自力で悟りを開くのであって、キリスト教のようにイエスの十字架での贖罪によって、原罪を含めた全ての罪が許されるという他力本願ではないのです。ちなみに、禅宗はこれを踏襲しています。

私が3年間修業をしていたヤマギシズムは盤珪禅の流れを汲んいて、瞑想の代わりに研鑽会という円座を組んでお互の我執を取り除く話し合い(放し合い)をします。

これは自己啓発セミナ-に似ていますが、歴史的にはヤマギシズムの方が先です。ここで大事なことは、所有観念を一切捨てて、無所有の境地に至り、自己(小我)に対する自覚が、大宇宙の生命の流れとしての大我に目覚めることです。

結果として、キブツのような生活共同体を形成するようになったのです。会員には献身者の村内会員と村外会員がいますが、村で起きた美しい話をしてみたいと思います。

村内会員のある仲の良い恋愛中の若い男女がいました。よく二人で仲良く手をつないで日向で寝ている姿を目にしました。

あんまり仲が良いので、古参のメンバ-から、「お前たち、そんなに仲が良いのならキスして見せたらどうだ」と冷やかされるほどでした。

この二人は4年後に結婚しましたが、その間、一度も性的関係はなかったという。恐らく、家庭を持つ前の面接の時に、証しをしたのでしょう。これは村の美談になっていました。

彼らは立派に原罪を持った人たちでしょうが、本性から湧き出る本心・良心の導きによって、清らかな愛の花を咲かせたのでしょう。

これとは逆に、祝福を受けて、原罪が無いはずのシックがポルノに取り付かれて、奥さんから離婚された人もいます。これは、誰が見ても実態の伴わない無原罪は実態が伴っている有原罪より劣るように映るでしょう。

無原罪もこうなってしまうと形骸化されてしまい、単なる信仰の論理になってしまうのです。問題は何を信じるかよりも何をやるかの方にもっと重きを置くことです。

マザ-テレサは道端で倒れている人々を「死者の家」まで運んできて、死ぬまで世話をしますが、葬式は個々人の所属する宗教に基づいて行われるといいます。

彼女は恐らく、自分の宗教が信仰の論理であることを知っているのでしょう。だから、相手の信仰の論理の違いも尊重できるのです。

厄介なのは、自分の信仰の論理が客観論理と思い込んでそれを絶対化することです。客観的に自分の宗教が正しくて他は間違えであると信じ込んでいる教条主義者は異教徒を打て!という狂信的バリ教に陥りるのです。

異端者のレッテルを貼って除名に走るTM教権派は明らかですが、H1・H2はさすが違うといわれるようにならないと程度の差こそあれ似たりよったりだと言われてしまうでしょう。



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