受容と埋没(UCの世界化の為にどうしても必要なこと)




私は、本部の対策を担当し、非合法から合法への改善に仲間と共に努力をしましたが、駄目でした。

それで、野にくだり、氏族メシヤの摂理でカイン圏にマザ-テレサのように仕えまくって、同情と尊敬と祝福の言葉を勝ち取る、すなわち、長子権復帰をする為にここさいたま市で戦っています。

当時、私を対策に任命した副会長は、「師観は逃げた」と言っていたという話を人づてに聞きました。副会長も改善しようとして私を頼りにしていましたから、その気持ちは痛いほど分ります。

現在ではクリスマスコンサ-トを通して市民権を獲得しつつあります。市民にとって無くてはならない存在になろうとしています。勝利をして良い見本を示せばいいのです。

前置きが長くなりましたが、「ヤコブの知恵」の伝統は1973年ごろから日本からアメリカに渡っていきました。

そして「heavenly deception」、直訳すると、「天的騙し」がアメリカの信徒に教え込まれて行ったのです。花売りから始まったのですが、大義名分と実際の使い道は違うのです。それゆえ、信徒の中には深刻な葛藤が生じてくるのです。

アメリカの法律の基本はクリスチャン国家であるために、旧約聖書や新約聖書の書かれている律法や道徳・倫理に基づいてつくられているというのです。

例えば、十戒で「汝、偽証するなかれ」という律法は人法でもあるが同時に天法でもあるのです。なぜなら、神が直接に人間に与えた律法であると信じているからです。したがって、これに基づいて出来ている法律は天法でもあるわけです。

それゆえ、この天的文化を無視して、「heavenly deception(天的騙し)」を命じますと、良心的なユダヤ人やクリスチャンのシックは葛藤するのです。

そのためでしょうか、1976年にアメリカを後にして、1984年に再びアメリカに行った時には、総勢13000人ほど献身したアメリカ人信徒は1000人足らずに減っていました。そして、生き残った疲れ切ったようなシックに、その理由を聞いてみたら、disillusion(幻滅)したというのです。

宗教学者はこの現象を見たら、「受容」に失敗したといいます。受容とは具体的な例を挙げますと、ヘブライズムであるキリスト教がギリシャ・ロ-マの文化、即ち、ヘレニズムを受け入れることによって受け入れられて行くことを言います。

具体的には、アウグスチヌスが当時ロ-マで崇拝されていたネオプラトニズムのギリシャ哲学を枠組みにして、キリスト教の神学を構築したので、ロ-マを中心とするヘレニズム文化圏、ヨ-ロッパの国々へ、キリスト教がその本質を失わずに受け入れられて行ったのです。

本質まで失ってしまいますと「受容」ではなく「埋没」と言います。ここは区別しなくていけません。例えば、日本の信徒たちが韓国の指導者たちからアボジに近い心情の世界、文化を受け継ぐことは受容ですが、公金で自分の車や家などを得ようとするような文化まで受け入れると埋没になります。

また、アメリカでは、ユダヤ(旧約)・キリスト教(新約)の伝統を受け入れることは受容ですがフリーセックスや離婚まで受け入れると埋没になります。

ちなみに、仁進様のやってしまったケ-スはアメリカの文化に埋没してしまったと見なされるでしょう。

このように、日本UCの天的騙しを押し付けて受容に失敗すると、宣教に失敗しますが、かといって何でも受け入れると埋没します。受容とは本質を失わすに宣教対象国家文化の中に根付く事なのです。




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韓国至上主義の階級社会とは全く違う万民一家族の世界(我々が本当に目指すべきもの)





「笑う以外に方法が無い」といういう意味は、あまりにも 次元が低い話なので、あきれ果てて、ものも言えなくなり、苦笑いしている状態です。 (何に対して笑うのかわからない人は、1つ前の投稿「お笑い」をお読みください。)

それゆえに、私個人としては、そのような教会の主管を避けるために、1993年には教会長を辞任して、還故郷し、氏族メシヤ教会の勝利に向かって歩んでいます。

その内容は、韓国至上主義の階級社会とは全く違う万民一家族の世界です。

市民運動としては、ハレルヤコ-ラス愛唱会を立ち上げ、クリスマスコンサートを目指して月に二回ほど練習しています。歌の内容は「バンザイ、バンザイ、キリストが王の王、主の主としてやって来た。お陰で、神の御支配が天地に永遠に及ぶ!ハレルヤ(バンザイ)、ハレルヤ(バンザイ)」です。これをみんなで歌うと、聖霊が皆さんに相対して降りてきます。

小2の子供から83才の老人まで参加していますので、観客は我々のことを"ハレルヤファミリー"だ!と言って喜んでくれます。これは聖霊に満たされた一つの宗教団体みたいです。

コンサ-トが終わった後で、「聴衆の皆さんも参加しませんですか」というと、私も、私もと言ってハレルヤフアミリーに入ってきます。

神学的には旧約時代には父なる神が働き、新約時代には子なるイエスが働き、成約時代には再臨を通して聖霊が働くのだ、といいながら伝道しています。

その中にはクリスチャン、創価学会、左翼、右翼もいますがみんな一緒になって歌っています。

したがって、これもまた一つの天国なのです。スポ-ツもそうですが芸術は宗教、性別、年齢、民族イデオロギ-も超えることが出来ます。

芸術とは国語辞典によれば、「美を表現する手段」だという。それでは最も美しいものは何でしょうか? それは神です。それゆえ、多くの芸術家は神を表現する為に生涯を掛けてきました。特に、クラシックと呼ばれている分野はそれです。

それゆえ、私はここに目をつけて神を表現しようとしているのです。UCには希望がないという人たちがいます。なぜかと聞いたら、韓国が第一という序列が引かれていて、日本人や他の国々の兄弟がいくら頑張っても上には上がれないからだ、という。

しかし、オリンピックや芸術は国に関係なく、一位は一位、二位は二位というようにとても平等であり、フエア-だというのです。それゆえ、そのような神の国を願うというのです。私は、そのような神の国を築こうとして邁進しています。

日韓の一体化の問題におきましては。数年前に、新大久保で一人の日本人を助けようとしてある日本人と韓国学生が線路に跳び降りて、電車に轢かれて死んでしまいました。

この日韓の尊い精神を風化させてはいけないということで、定期的にイベントを開いてチャリティ活動をしている人たちがいます。

私共のハレルヤファミリーに声がかかり「千の風」を歌うことになりました。そして、大事なことはここに韓国が第一位という序列が無いことです。

私が体験した神の愛の世界には序列がありませんでした。そんな世界を各祝福家庭が氏族メシヤ教会を築き、連合して、連合体の協会をつくりましょう。

そうすると、今の天使長的な教会は要らなくなり、祝福家庭連合体が主流になって行くことと思います。アボニムもオモニムもそれを願っていると思います。それが平和連合家庭協会では無いでしょうか。




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お笑い(韓国人の不可思議な行動)


(お笑い1)

数年前、宣教団解団式に伴い、韓国の国家メシヤである分捧王たちもにも解団式となった。

そこで、40ケ国に選ばれなかったある国の分捧王がアメリカから解団式の前に日本に飛んで来て、自分の任地国の宣教師たちを集めて、宣教団解団式は悪霊の集会だから解団式に出席しないように説得して廻って歩いたと言う。

お母様が決められた解団式を悪者扱いして出席しないように勧めるとはさすが韓国人である。幸いその国の宣教師たちは無事に出席していたようなので、日本の国家メシヤもほっとしたようである。

それではどうして分捧王たちは韓国に帰るように指示されたのであろうか。

公式的説明では、お母様は韓国、日本、アメリカの三ヶ国に伝道を集中する為、特に氏族伝道のために、呼び戻すようにしたという。

しかしながら、スタッフによる非公式の説明では分捧王たちは任地国や近くの先進国に渡り、そこに居座って日本の宣教師たちに宣教という口実ではあるが実際は自分たちのぜいたくな生活のために送金を要求するようになってしまったからだという。


(お笑い2)

数年前に、パラグアイの大統領一行が日本の国家メシヤが理想郷を目指して開拓しているレダに視察にやって来ました。

決して普段は来ない韓国のリ-ダたちも来たという。その中に韓国の女性が二人ほど来ていたが、みんな人手不足で準備しているのに何の手伝いもしなかったという。

しかし、大統領と写真を撮る段階になると真ん中に席を取って写ろうとしていたという。

そして、普段は来ない韓国のリ-ダ達はさっそく、その写真を持ってお母様のところに行き、自分たちの実績として報告したと言う。

おかげで、お母様は説教の場で韓国の食口たちにその吉報をいち早く知らせることが出来たと言う。

英語にはGod works through a mysterious way.(神は時には不思議な方法で働く)という諺がある。しかし、結果がよければ何でも良いでは信仰生活の手本にはならないでしょうという国家メシヤもいる。


(お笑い3)

八冊のみ言葉選集の中には光言社出版でない本もありましたのでどうしてか聞いてみたら、前の前の総会長がリベイトを自分の物にするためにワザワザ韓国の出版社に出版させたという。

次の総会長は全国を巡回して巡回料金を稼いでいたという。みんなあきれで笑っている。それゆえ、今度の総会長には期待するものが大きいという。


これはあきれて笑う以外に方法がないのですよ。

このことは、ヌンチという文化を聞いてから理解できる面も出てきました。例えば、アボジが日本にいる韓国のリ-ダに100%やれ!と命令して、日本の食口が文字通り100%やった場合、韓国のリ-ダたちはこれはやりすぎだ、と解釈するのです。

なぜなら50-60%やれば上出来だ、と考えるからです。すると、60%はアボジにあげて、後の40%は自分たちの実績だ、と見なすというのです。

そして、これをみんな(彼ら)で 分けるという。そこには何の良心の呵責もないと言うのです。海外宣教も同じような感覚でやっていたのでしょうが、オモニムの観点からはそれでは通用しなくなってしまったと言うことです。

すなわち、100%投入しないと天の伝統は立たないと見なしたのでしょう。ここに、従来の韓国の文化、伝統を超えた天の伝統に立って、オモニムが英断したところに希望があります。

それゆえ、今となってはお笑い話になるのです。



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ヌンチの文化(日本人の知らない韓国文化の一面)



基元節の時に韓国へ行ってまいりましたが、宿泊の相部屋にある教会の教会長がいまして、日本のUCが破綻寸前まで来ていることを話しながら大変心配していました。

どうやらその元凶は「ヌンチ」にあるそうです。

具体的な例を挙げますと、韓国に留学した日本人学生がゼミで小論文を発表するに際して、先生からその資料を全部コピ-してゼミ参加の学生に配るように言われて、その通りにしたら、先生も学生も驚いたと言う。

「ヌンチ」とは先生が100%やって来いと言うのであるが、頑張った結果、50%出来れば良しとする文化であると言う。ところが、日本の学生がすべての資料を大変苦労してコピ-を取り、しかも全員の学生に行き渡るように配ったので、みんな驚いたと言う。

しかし、それは感心しているが同時に「こいつバカでないか」とも思っているという。この学生はそのような韓国文化を分るのに随分時間が掛かったという。

このことは、アボジのノルマについてもいえることであって、総会長を通して、更には韓国の地区長などを通してノルマの額が課せられる時に、これらの韓国のリーダーたちは各教会が100%を達成するとは初めから思っていないという。

なのに達成すると、期待していた以上にやった分は自分たちの指導のせいでやったのだからその分は自分たちがもらって当然だ、と考えると言う。

そのお金で、家を建てたり、高級車を購入したとしてもなんの良心の呵責も感じないので、日本の信徒から見ると公金横領に見えるのである。

問題なのはこのようなバカ正直な日本人を見ると、益々出させるコツを覚えて、もっと絞れば出るのではないかとすら言い出すという。それゆえ、このような状態を続けると時間の問題で教会の経済は破綻すると言うのです。

かって、アボジは国家メシヤに「パラグアイ川には2000種以上の魚がいるのだよ・・・」と言われ、だから魚を捕るように指示を出していましたが、専門家が調べたら、200種ぐらいだったと言う。このように輪をかけて話す手法は「ヌンチ」文化の一種と見てよいでしょう。

従って、従軍慰安婦16万人の蕩減ノルマも文字通り受け止めると、事実に反するという議論になり喧々諤々になりますが、「ヌンチ」の文化から解釈しますと、ソウル大学のイ ヨンフン教授(大韓民国の物語p163)の言われるただの慰安婦1400人は妥当な見解と言えるでしょう。

ちなみに、摂理を推進するために、我々も何かある目標を達成してもらいたい時は程度の差はありますが、輪を掛けて発破を掛けることがあります。

この世でもスポ-ツ界では優勝して来いとか、メタルを取って来いとか・・・、発破を掛けています。




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自叙伝についてのコメント(自叙伝の内容から見えてくる歴史的事実)




私共が愛読しているネットに文師の自叙伝についてのコメントがありました。自叙伝と言えば家庭連合では書写の書だという。書写そのものは立派な修道の行為なのですが、問題は書かれている内容が、史実に合っているかどうかです。


日本語の自叙伝の最後のページには次のように書かれています。

350ページ・・・なお、原書を翻訳するに当たり、史実に誤りがあった部分は訂正し編集しました。・・・

また原著は韓国人読者を主な対象として編集されたものであるため、韓国中心に記された箇所が散見されますが、文先生は日本の将来を誰よりも案じ、一貫して世界人類の救済のために歩んでこられたことをご理解ください。・・・

以下はT氏のコメント:

韓国原書に史実に誤りがあったとは驚いた。この書籍を出版するに当たってUC韓国本部は相当の力を入れたはずなのに、事実に誤りがあったことに気がつかないまま出版されたということは、理解に苦しむ。

史実に誤りとは、いったいどのようなことか。誰がどのようなところを指摘したのか。

日本語版はどこを、どのように訂正されたのか比較してみたい。


次にI氏のコメントを紹介します:

自叙伝はツッコミどころ満載なのですが、愛国者を自認するTF自身の証言によって日韓併合当時の実態を見ることができます。では見ていきましょう。



(p.22) 家も土地も日本人に奪われて、生きる手立てを求めて満州に向かった避難民が、わが家の前を通り過ぎていきました。

→ いわゆる「日帝の収奪」が事実誤認であることについては、すでに一般にも多く語られているので再言の必要はないと思います。TFはこのように書いていますが、自分の村や近隣の村で「収奪」の具体的事例があったとは一言も出てきません。風評だけだったのではないかと推測されます。

また再臨論には「数多くの韓国人たちは日本の圧政に耐えることができず、肥沃な故国の山河を日本人に明け渡し、自由を求めて荒漠たる満州の広野に移民し、云々」とありますが、自叙伝によると「我が家の前を通り過ぎて」行った人たちは、政治的な理由(祖国解放)でも「自由を求めて」でもなく、単純に経済的な理由、つまり職を求めて移動していたことがわかります。そして、満州に至るまで移動の自由は確保されていた、ということもわかります。



(p.55) 五山学校は独立運動家である李昇薫先生が建てた民族学校です。日本語を教えないだけでなく初めから日本語を使えないようにしました。しかし、私の考えは少し違っていて、敵を知ってこそ敵に勝つことができると考えました。それで、再び編入試験を受けて、今度は定州公立普通学校四年生に入りました。公立学校の授業はすべて日本語です。

→ 「民族の言葉を使わせないようにした」とよく言われますが、実態はこの通りでした。日本語を禁止する民族学校が堂々と運営されており、日本語を学ぶには、わざわざ遠く離れた普通学校にまで行かなければならなかった、という証言です。



(p.56) 私は志願して、彼らを前にして演説をしました。感謝の言葉を述べたのではありません。この先生はどうであり、あの先生はどうであり、学校制度にはこのような問題があって、この時代の指導者はこういう覚悟で臨むべきだ等々、批判的な演説を日本語で続けざまにやりました。

「日本人は一日も早く荷物をまとめて日本に帰りなさい。この地は、わが国の者たちが子々孫々にわたって生きていかなければならない先祖から受け継いだ遺産です!」

→ そんなことを卒業式で志願して演説すれば当然問題にはなりましょうが、それ以上にはならず、留学の許可も警察署長と争ったら取れたというのですから、当時としては実に穏やかなものだったでしょう。

チベットやウイグルで「中国人は中国に帰りなさい」と演説したらどういうことになるか容易に想像できましょう。その場で取り押さえられ、二度と帰ってくることはありません。

中共まで行かずとも、日本家庭連合内で「韓国人は韓国に帰りなさい」と演説したらどうなるか、これまた容易に想像できます。現在の家庭連合は当時の日本以上に異論を容認しない所だということです。

いわゆる「世界史上最も過酷な支配」の実態というのはこのようなものであり、現代の日本家庭連合はそれよりも過酷な支配をしている訳です。




(p.79) 入学と同時に参加した韓人留学生会の新入生歓迎会で、私は祖国の歌を力強く歌って、熱い民族愛を誇示しました。警察官が居合わせた席でしたが、かまわず堂々と歌い上げました。

→ 堂々と民族愛を歌い上げても日本人も日本の警察官も黙認していたということです。現代の韓国で堂々と日本語の民族愛を歌い上げたらどうなるでしょうか?日本人は当時から非常に寛容であったことがわかります。これまた、いわゆる「世界史上最も過酷な支配」の実態の証言です。



(p.80) 東京には、留学生で構成された地下独立運動組織がありました。祖国が日本植民統治下で呻吟していたのです。独立運動は当然のことでした。

→ 「他国人による統治で呻吟していたら独立運動は当たり前である」とTFは言明されています。現在の日本家庭連合にもあてはめてみるべきですね。



(p.80) 大東亜戦争が織烈を極めるにつれて、弾圧は日に日に激しさを増していきました。日本政府が韓国の学生たちを学徒兵という名目で戦場に追い立て始めると、地下独立運動も次第に活発になっていきました。

→ 朝鮮人の志願兵(強制的な徴兵ではない)については、朝鮮人自身が志願に殺到し不合格で悲観し自殺者まで出た、というのが事実であることは、世の中ではすでに明らかにされています。TFはその事実を目で見ていたはずですが、「視れども見えず」の心理状態だったことがわかります。



(p.87) 日本が始めた大東亜戦争の戦況は日増しに切迫していきました。切羽詰まった日本は、不足する軍人の穴を埋めるために、健康な二十歳以上の学生を休学させて、学徒兵として出征させました。そのため、私も六カ月早く卒業することになりました。

→ 学徒兵として徴兵されたのは日本人のみでした。朝鮮人であったTFは六カ月早く卒業したあとソウルに帰っていきました。これも「朝鮮人の強制的な徴兵」というものは虚言であるという証言です。



(p.80) 日本の天皇をどうするかについて色々と討論したこともあります。私は組織上、留学生を束ねる責任者となり、金九先生の大韓民国臨時政府(金九は当時主席)と緊密に連携しながら、同臨時政府を支援する仕事を受け持ちました。

→ これこれ。こんなことを公言して自慢するから、日本から拒絶されて当然。自分の民族感情は大げさに公言して自慢するのに、他国の民族感情は逆なでして省みるところがありません。



(p.80) そのため、警察に捕まって、取調べを受けたり殴られたり、留置場に拘禁されたりしたことも、数え切れないほどありました。追いかけてきた警察と四ッ谷の橋で、欄干の柱を抜いて戦ったこともあります。この当時、私はぐつぐっと煮えたぎる火の玉のようでした。

→ 欄干の柱を抜いて警官と戦えば、そりゃ警察に捕まります。地下独立運動を知られている上にこんなことをして、それでも後には釈放されているんですな。

戦争の真っ最中でありながら、当時の日本の警察はずいぶん甘いものだったと言うべき。日本以外の国ならあっという間に抹殺されたでしょう。現代の北朝鮮・中共は言うに及ばず、ロシアでも、反体制的な人物は次々と抹殺されていることと比較すべし。



(p.75) ソウルにいた時も熱心に教会に通いました。最初は黒石洞五旬節教会に通い、漢江の向こう側(北側)にあった西氷庫五句節教会にも通いました。その後、内資洞(現在のソウル特別市鍾路区内)のイエス教会と黒石洞にあった明水台イエス教会に通いました。教会で日曜学校の先生を務めたことを思い出します。私の話は抜群に面日くて、子供たちがとても喜びました。

→ 再臨論では「八・一五解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は、実に極悪非道なものであった。」とのことですが、自叙伝を見ると、ソウルにはいたるところにキリスト教の教会があり、子供も何の不安もなく教会に通い屈託なく笑って話を聞いていた、という証言です。



(p.88) 日本留学を終えて祖国に帰ってきたものの、それまでと何も変わるところがありませんでした。日本の圧政は日々激しくなり、国土は血の涙に濡れていました。私はソウルの黒石洞に再ぴ腰を落ち着けて、明水台イエス教会に通いながら、日々新たに悟るすべての内容を、几帳面に日記帳に書き留めることにしました。

→ これは留学から帰ってきた話ですから戦争の真っ最中ですが、その当時も自由にキリスト教教会に通うことができた、という証言です。



(p.92) 四月に結婚式を挙げる予定が、義父が急に亡くなったので、当初の日取りを延期して一九四四年五月四日に婚礼を行いました。五月は普通ならのどかな春の日ですが、その日は土砂降りの雨でした。イエス教の李浩彬牧師が主礼(結婚の儀式を執り行う人のこと)を務めてくれました。

→ やはり戦争の真っ最中でも、キリスト教教会で、牧師が主礼となって普通に結婚式を挙げていたという証言です。「極悪非道なキリスト教弾圧政策」とはどこの話なのでしょうか?



(p.96) その時はもう共産党から逃れようと、北から避難民が続々と南下してきていました。特に、共産克が宗教を迫害したので、多くのキリスト教徒が宗教の自由を求めて南側に下ってきました。宗教はアヘンであるとして、民衆に宗教を持たせないようにしたのが共産党です。

→ 逆に言えば、日韓併合時代には北にも多くのキリスト教徒が宗教の自由を享受していたという証言です。



(p.97) 一九四六年六月六日、平壌に到着しました。もともと平壌は「東洋のエルサレム」と呼ばれたように、キリスト教が深く根を下ろしている所です。日本の占領期には、神社参拝は言うに及ばず、皇居のある東方に向かって敬礼させる東方遥拝など、ありとあらゆる弾圧が縱橫に加えられました。

→ 歴史的事実としては、① 日韓併合時代以前の大韓帝国時代にはキリスト教は朝鮮に根がほとんどありませんでした。② 日韓併合時代には『「東洋のエルサレム」と呼ばれたように、キリスト教が深く根を下ろし』た。③ 日韓併合時代が終わると信仰の自由が失われて信者は逃げてきた、ということです。

客観的に見て、信教の自由を認めていたのは誰であり、「ありとあらゆる弾圧」を「縱橫に加え」ていたのは誰でしょうか?



(p.90) 彼女(注:第一のお母様)はとても由緒ある家庭で生まれ育った真心を尽くす女性でした。小学校しか出ていませんでしたが、ほんのわずかでも人の世話にはならないという性格で、神社参拝を拒否して十五歳で獄中生活をしたほど、信念のある信仰深い女性でした。

→ 具体的な状況はわかりませんが、神社参拝を拒否して投獄される、という事例はあったようですね。一方、TFが神社参拝を拒否して投獄されたという話は自叙伝には一回も出てきません。

TFは神社参拝をしたのでしょうかね?それとも、しなかったけれども黙認されていたのでしょうか?TFの周囲にもこの女性以外には「神社参拝を拒否して投獄」の具体的事例はありません。どれくらい一般的で強圧的だったのか疑わせるに足るものです。



(p.107) 川崎の鉄工所で働いた時、タンクに入っていって硫酸を清掃しましたが、毒性のために死んだ人を数人目にしました。しかし、興南工場はそれとは比較にならないくらいひどい所でした。硫酸は有毒で、触れると髪の毛が抜け、皮膚から粘液が流れます。硫安工場で六カ月も働けば、喀血して死ぬ人もいます。(注: 以下、惨憺たる状況説明が続く)

→ つまり「史上最悪の植民地支配」の日本よりも、同じ朝鮮民族の行わせた強制労働の方が「比較にならないくらいひどい」という証言です。なるほど。



(p.32) 一九四五年八月十五日の光復以後共産党が牧師や独立運動家をむやみやたらと殺害する事件が起きました。大叔父は幸いにも難を逃れ、家族に迷惑をかけないように共産党を避けて、三八度線を越えて南の旋善に向かいました。

→ これは潤國大叔父の話です。「牧師や独立運動家をむやみやたらと殺害する」ことは、日韓併合時代にはなかったが、同じ朝鮮民族による共産党支配時代には起こったという証言です。

自叙伝には書いていませんが、南でも暗殺だらけだったことが知られています(何で書いていないのかな?日本には勇敢なTFも韓国には及び腰みたいですね)。

いずれにしても、このような証言を見ても、どちらが本当に凶悪だったのか見て取れます。

なかなか重要な証言が載っていますね。

以上I氏のコメント終わり



反日国家韓国で主に韓国人のために出版された自叙伝の中からでさえ、このような歴史的事実が浮かび出てくることはとても興味深いことではないかと思われた方はクリックお願いします。
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奇奇怪怪な話(教会に巣くうゴロツキたち)


原理研究会のあるブロック長がH1の講演会に行っただけで、解任されましたが、韓国人の牧会者は男女問題を起こそうが、公金・献金をいかに乱用しようが、解任されずに本部預かりだという。

その理由は以下の通りですが、私が聞いている情報では、解任された韓国人牧会者は裁判に訴えて、教会側が負けたという。それで、本部預かりだと聞いています。要するに、韓国人の牧会者は教会に給料を払わせ続けているという。

そこで、奇奇怪怪なのは、解任された原研のブロック長の無抵抗ぶりである。ゴロつきと言われている韓国人の牧会者が教会に給料を払わせ続けているというのなら、同様にこれを盾にして彼にも教会に給料を払わせ続けさせるのが妥当でしょう。

教権側に簡単に法的には解任など出来なくすることが大切なのです。


原理を語るゴロつき

 ワルの韓国人幹部は少なくないようだが、横綱クラスはなんといっても、金ヨンイル大分教区長だろう。 この御仁の名前を覚えておいでの読者は相当、記憶力がいい!

 そう、金ヨンイルは佐賀教会の元教会長。佐賀聖殿堂建設をめぐって、ブログ「目安箱」で批判されてきた人物である。



この御仁、信仰者などでは決してなく、統一原理を語るゴロつきである。その男が大分から外され、本部預かりとなった。いったい、何があったのか。


情報通が話す。

「篤志家ラインから上がった献金を教会の会計に渡さず、教区長個人が勝手に使っていたとして、会計含む数名から本部に報告(告発)がいったようです」

「また、佐賀の篤志家から献金してもらった3500万円を食口たちに利息(10%)をつけて貸し出そうとした疑惑も持ち上がっています。本部がこのことを質問しても、本当のことを言わないという」

「またあろうことか、本部の動きに対抗して金ヨンイルは大分の食口たち120人に教区長は悪くないという本部への嘆願書にサインさせたそうです」

「女性教会員の胸を触ったという話も流れています。もうやりたい放題。佐賀時代と同じことをやっています」

「彼は地区長も経験しており、秘密をばらせば本部が困るような事実を多く知っている人物です。開き直られたら本部が抱えている裁判がひっくり返ってしまう可能性もあり、完全に首を切れず本部待機になっていると思われます。本部も本人も腐りきってます」




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天国とは神を父母として侍る万民一家族の世界




ある兄弟がある牧師から次のように言われたそうです。

「家庭連合は日本のキリスト教を救う存在だ」

この言葉を聞いて、彼は、「自分は今の家庭連合には希望を感じないが、A牧師は日本を家庭連合に任せようとしている。どちらが正しいのだろうか。」と思ったそうです。

これに対する私の考えは次のようなものです。


それは嬉しい話ですが、同時に怖い話しです。UCのあらゆる問題点を知っていて、そのように言ったのならよろしいのですが、表面のみを見てそのように言うのであれば、実態を知ったときそのA牧師はどのように反応するのでしょうか。

但し、私は今の時代はUCの春と思っています。春とは韓国至上主義の絶対君主制による献金奴隷制度の崩壊です。

献金の額によって天国に行くのではなく、愛の完成、人格の完成によって地獄へ行くのが天国です。私どもは自分が天国に行きたいから献身したのではありません。地獄を解放するために献身したのです。

そもそも自分が天国に行きたいから献身するのは一種の現世利益と同じです。ご利益を地上から霊界に摩り替えたに過ぎません。その共通点は欲望から出ていることです。

仏教の真髄は欲望からの自由になることです。キリスト教においても、愛が完成し、人格が完成に近づけば近づくほど、99匹を天国に残してでも、迷える子羊を捜し求めて、地獄にまで降りて行くことを自然の発露として厭わなくなることなのです。

然るに、UCはどうでしょうか?UCの祝福や聖和式を受けないと天国に行けないとか、地獄に行くとか脅しているではありませんか。

また、誰々の聖酒を飲まないと天国に行けないとか、地獄に行くとか・・・、似たようなものです。

そもそも、天国とは脅されて行くところではありません。再臨は地上に天国を築くためにあるというのなら、霊界の天国を云々する前に、この地上に天国を築くことに邁進することです。




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「各教会の悩み」に対するN氏のコメント

先回の投稿「各教会の悩み」に対するN氏のコメントです。一読に価するでしょう。


N氏のコメント:

 経典である「天聖経」の中にTMを批判している箇所があるとは驚きでありますが、印刷する前の点検と校正&修正?が重要でしょう。下記の様なことが事実であれば、幾重にも問題があるでしょう。

 高額献金されて購入したご本人にはショックであり、悲劇でありましょう。それにしても欠陥商品化した聖典「天聖経」の処理に困り、そのまま保管状況が続き、そのためにかなりの「高額保管費用」を払い続けているという告発はお笑いの様な悲劇であります。

 このような事項で、私にも間接経験があるので思いだし、一報したく思います。

 1980年代に、米国で「移動VIDEOセンター」との触れ込みで、ベンツの二倍以上もすると言われていた「豪華なキャンピングカー」超・高級マイクロバスを購入して改造し、各車に10台(12台)ほどのVIDEOを設置した「モービル・ビデオ・カー」を各州に5台=50州で:250台~~を[一気に整えた]ことがありました。

 韓国のリーダー的なメンバーの推薦でTFさまは「一気に決断」し、各州に「モービル・カー」が、日本からの献金で購入されて、「VIDEOモービルカー」として設置されたのでした。

 各車・10台(~12台)のVIDEOの数も、250車×10台=2500台~で巨大です。米国に行ったばかりの私でしたが、決定される場面はTFさまが1500~2000人のメンバーの前でなされたのでよくよく覚えていました。

 結果は,

1)教区&教会は、全くVIDEOキャンピングカーでの伝道体制が造れていなかったこと。

2)巨大?&ベンツの2倍以もする高額車両なので「保険金などの維持経費も高額」であり各州・教区はこの点からも活用できなかったようでした。

 結局VIDEOを取り払って移動用のマイクロバスのようにある時期ファンドレイジングなどに活用されたのでしたが、やがて未使用状態に至り、「駐車場保管」となったようです。

きけば、車保険代も高く・・ほとんどが、結局駐車場を借りて:「保管するのみ」になったとのことでありました。

 大勢のメンバーの前で、TF直接の決断で購入されたことであり、教区は処分も出来ず車は駐車場で何年もするうちに「朽ち果て」、さびた屋根から雨水が社内に入って、くたばり/朽ちはてた「モービル・カー」となったのでした。

 全部が全部ではないでしょうが、私は、朽ち果てた「栄光の・モービルカー」に入ってみて、あの華々しかった250台~~購入の場面を思い出し涙したことがありました。

 また山の様なほとんど活用されていなかったVIDEOの山を我らの倉庫で引き受けていた体験も致しました。


 私はまた:ボストン:グロスターで「ボート・ニューホープ」〇〇〇台ほどの老朽化してしまったボートの死体の様な山を一面に目にしたこともあり、ショックでありました。

 「オーシャンチャレンジ」では個人的には大きな恩恵を受けたので感謝が一杯でしたが、大々的なボートの製造と使用は、夏季の一時期だけであり、結果的には一時代だけで終わってしまった感があり、廃棄に至るボートの群れを目にしたときは、「この写真が取られ、悪用されたなら大変だ」と思ったことがありました。このことは全くたまたま見た心痛き光景であり体験でありました。

 TF上様の決断は超越的で、蘇生、長生、完成の様な原理の観点を超えて、暴走?の様相があるようでいつも超越的でダイナミックであります。

韓国の先生や長老たちは、TF様をよくよく知って、「さじ加減」でTF様の言葉を話半分??とらえるようになっていたようですが、日本人食口メンバーはそのまま正直に受け止め結果「無理と無駄」とが結果になるようでした。

 再臨主である超超宗教家のアボジの「統治行為&直接主管」は、かなり超越的で我ら下々には大きな試練であり、時には「無理難題&無駄と悲劇」をも生みかねないと実感した者であります。

 「メシアの直接統治=メシアの直接統治権行使」には絶対的命令??の様な、弊害も多いので、「再臨主・メシア様には宗教的な勝利基準が立ったのであれば、それ以外の、経済、政治・・などの実務に対しては現場主体の主義で、「メシアの・直接統治行為」には最大のご遠慮と配慮をお願い&祈る者であります。

 天宙の皇族圏の主体・中心であられる・メシアの象徴ともいえる:日本国天皇は、「君臨すれども統治せず」のお立場で、憲法第一章天皇条項には「天皇の国事行為」が明記さていますので、参考になると私は考えています。「皇室範典」も完備されていま
す。

 昭和天皇も統治権行為を「直接執行」されたのは2/26事件の時と、終戦の時であり国家の究極の「非常事態」の二回だけであったと回想録にもあります。

 キリスト教はある意味でメシア・イエス様が天界におられて「君臨すれども統治せず」が成り立ってきたから、世界宗教に発展したように思います。アージュ




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各教会の悩み(真の信仰には良心と理性が必要なのです)




教会の悩みと言えば、色色あるでしょうが、その内の一つは古い天聖経、多宝塔、ミニ聖宮などのいわゆる教会グッズの置き場所に困っているいう。

なにやら、古い天聖経はアボジがTMを批判しているみ言葉(お言葉?)が載っているので、禁書ゆえ販売禁止になっているそうです。名目は誤字があるからと信徒には伝えるそうです。

天聖経は一冊430万だったかと思いますが、家や田畑を売ってまで、数冊買った信徒もいるようです。

しかし、TMを批判している箇所があるからTMから禁書扱いにされると、信徒たちは貧血を注いでまで購入したのに今更何だったなのかと呆然としているという。

これは立派な心情蹂躙罪です。主婦の信徒たちは夫に内緒でこれらのグッズを買っても、置くところがないので、結局、教会に預かってもらうという。

しかし、教会も置くところが無いので高い貸し倉庫を借りてまでも保管しているという。敬虔で信仰深い人ほど、このような被害に会うのです。

この報告を聞いた人たちの中には、アメリカにおけるボ-トとキャンピングカ-の失態を思い出した人がいます。

破格な金額を投入して、ボ-トを建造したのはよいが、200隻のボ-トが雨だらしに曝され、錆付いている姿は惨めなものです。

また、伝道の摂理の為にと言うことで、250台ほど、ベンツの数倍も高額なキャンピンギカ-を購入したのは良いが、何処の教会も維持費の為に万物復帰しなければならなくなり、伝道どころで無くなり、結局は宝の持ち腐れになり、雨に曝され、錆びて廃車になって行くのです。これらはほんの一例ですが、あらゆる分野で、特にビジネスの分野では日常茶飯事だったのです。

その膨大な損失のお金は日本の献金ノルマとして跳ね返って行くのです。それゆえ、心ある人々はこんなことを続けていたら、遅かれ早かれ、UCは破綻すると思ったのです。案の定、UCは教祖の死後、一代で分裂です。

これらの問題は信仰と現実との緊張関係、バランスを提示しています。また、真の信仰とはは何であるかという問題を提示しています。

オ-ム真理教では、真面目で熱心な信者ほど教祖の言うことがたとえ非理性的であってもに盲従し、サリンまでばら撒いたのです。

いい加減な信徒や冷徹な信徒ははサッサと逃げてそんなことはしません。信仰とは時には皮肉なものです。宗教戦争は神の名において、行われます。信仰の厚い熱心な信徒ほど、恐ろしいことをするものです。

良心がまともな人は天聖経に430万や聖本の3000万の値段を付けたりはしません。ウオンピル先生はこの事実を知って、”人はお金によって救われません”と叫んだのです。

だから、良心は神よりも偉大であるというのです。それゆえ、真の信仰には良心と理性が必要なのです。教会では、良心的な人を人間的事情に負けた人だと言い、理性的な人をカイン的だという傾向がありますが、実際にはアベル的と言われている人々の方が、何が真理であるのかを探究せず、アイヒマン(小役人)のように組織の上司に盲従するのです。

引っかからないように気をつけましょう。クワバラ、クワバラ・・・


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編 集

エロースの愛とアカペーの愛の統一について




性衝動の転換と愛



ナポレオンヒルは、彼の著書「成功哲学」の中で、「セックスエネルギーの正しい使い方を知らなければならない。男性が偉大になるためには、必ず女性の愛が必要なのだ。」と言った。

ヒルが言っていることを要約すると、

1.性の願望は、人間の願望の中でも最も強力なものであり、そこから出てくる性のエネルギーをビジネスの方向に転換させれば、最も旺盛な創造力、勇気や意志の力や忍耐力などを発揮するようになり、偉大な成功を収めることができるようになる。

2.性は必ずしも肉体的なものだけではなく、多分に精神的な側面を持っており、そこには建設的な役割がある。すなわち、人類の永続、健康の維持、凡人を天才に転換させることなどである。

3.歴史のページは、女性によって偉大な指導者となった人々の記録で満ちている。ナポレオン、ボナパルトの最初の妻、ジョセフィンに励まされていたことは、全く無敵であったが、彼の「わがまま」ゆえに、彼女と離婚してしまったときから、急速に衰退し、敗北となってしまった。

また、妻の影響力で大成功を遂げ、金と権力をつかんだ男が、その妻と離婚して新しい女と一緒になったとたんに破滅していった例はたくさんある。

4.性の感情を野放しにすれば、身の破滅をもたらすが、これを愛の感情と結合させることができれば、健全な調和のとれた理性で行動できるようになる。

それは、愛が無限の知性と交信を可能にするからである。それゆえ、節度あるセックスと永遠の愛が結合した結婚でなければ、幸福にもなれないし、永続きもしない。



以上がヒルの「性と愛」についての要約ですが、ここでは、ヒルは単に経験から「性と愛」について言及しています。そこで、私は次にこれらのテーマをもっと学問的な観点から整理して説明したいと思います。


アカペーとエロースについて

ヒルが言う性または性愛についての願望というのは、一般的に「エロース」と呼ばれている愛です。そこでまず「エロース」について語ってみましょう。

エロース(Eros)とは、ギリシア神話の愛の神のことですが、一般的意味としては上昇的な愛のことです。

ギリシアの哲学者、プラトンはエロースについての物語を、次のように展開しています。貧困の神(ぺニア)が豊饒の神(ポロス)と親しむことによって1人の子女を得ます。それがエロースの神なのです。

したがって、エロースは父である豊饒の神と、母である貧困の神との両方の性質を備え、常に自らに何かを欠けており、満ち足りないものがあるがゆえに、豊饒を求め、満ち足りようとするのです。

すなわち、エロースの中の自ら満ち足らない焦燥と、無限な豊饒を求める渇望の二重性格が、神話の形で巧みに描かれているのです。ところが、このようなエロースは美を求めるのですが、それにはいくつかの段階があるのです。

はじめは、肉体的な美しさを求めることから始まり、次第に魂の美しさを求める段階に移っていくのです。

そして結局は美のイデア、すなわち究極の美に至るまで飽くことをやまないのです。このようなエロスの愛の性格を段階的に記述すると、次のようにまとめることができます。


エロースの愛

1.人間的愛
2.肉体的愛
3.自己中心の愛、同時に最も崇高な自己主張の形態
4.必要感によって獲得し、所有せんとする意志
5.自己のための、上昇せんとする人間の努力
6.対象の価値を認め、それゆえに対象を愛する


以上の説明からわかるように、エロースの愛は、対象の価値を追求する愛なのです。世の中には、このようなエロースの愛をエロスと呼び、エロチシズムと取り違えたような意味合いに受け止めてしまっている人も少なくはないのですが、それは大変な曲解です。


それでは、アガペーの愛とはどのような愛でしょうか。エーロスが対象の価値を追求するのに対して、アガペーは他者の為に生きる愛であり、自己否定を伴い、自己犠牲をもいとわない純愛なのです。このようなアガペーの愛をエロースに対比させてみると、次のように展開できます。


アガペーの愛

1.神的愛
2.精神的愛(隣人愛)
3.非利己的な愛、ゆえに惜しみなく自己を消費する
4.無条件に与え、与えたことを忘れるがゆえに所有を主張しない
5.上から自己を与えんとして降りてくるもの
6.まず愛し、したがって対象の価値を求めず、かえって対象の中に価値を創造する


以上がアガペーについての説明ですが、人間の中にはエロースの愛だけではなく、このようなアガペーの愛もまた存在しているのです。


日常生活への応用

それでは、ここで学んだエロースとアガペーという愛の概念は、私たちの日常生活にどのように適用できるのでしょうか。具体例として、あるフランスの哲学者が書いた小説の一節を紹介しましょう。

ある貴族の娘が恋人に向かって、「あなたが愛しているのは、私という存在そのものではなく、私が持っている美貌や地位や財産ではありませんか」という場面があります。

すなわち、彼女はここにおいて、恋人に対して、彼の愛が「対象が所有している価値」を愛するというエロースの愛の次元を越えて、彼女自身の存在を無条件に愛するというアガペーの愛に至っているかどうかを、問うているのです。

恋愛も、美貌や財産の切れ目が縁の切れ目では、「お岩さん」のように捨てられて,恨めしい物語で終わってしまいますから、それはアガペーの次元まで高められなければなりません。

エロースの愛の性格は、相手(対象)から愛されることを求めるので、互いに要求する愛で傷つけ合い、恋愛が必ずしも夫婦の愛に高まらず破綻に至る場合が多いのです。

これに対して、アガペーは互いに相手を大切にし、同時に相手に対して責任を持つ愛なのです。

従ってアガペーは、愛されることよりも愛することを願い、慰められることや求めることよりも、慰めることや与えることを願い、信じられようとする人よりも、まず自分が信じる人となり、認められようとすることよりも、まず自分が他者を認めようとするのです。

そこで、もしあなたがこのようなアガペーの愛を確立することができたなら、いかがでしょうか。

もしあなたが夫であって、妻や子供や友人、そして同僚や上役に対して、愛されることよりも愛することを、慰められることよりも慰めることを、信じられることを求める前に信じることを、認められたいと願うよりも、認めることができるならば、あなたの心は常に平安に満ち、あらゆる人間関係は円満に展開されていくでしょう。

また、あなたが妻であって、夫や子供や友人や隣人に対して、これらのアガペーの愛を実践できたなら、同様にあなたの心は平安に満たされ、あらゆる人間関係は円満に展開されていくでしょう。


アガペーとエロースの統一

それでは、いったいアガペーとエロースはどこで出会い、統一されるのでしょうか。エロースには美を追求して上昇していく性質があるので、究極的には魂の美しさを追い求めるようになります。

したがって、結局エロースは、アガペーに出会わざるを得なくなります。それでは、これらの愛はそれぞれの異なった独自性を保ちながら、どのように統一されうるのでしょうか。

それはまず、アガペーの絶対不変の愛を確立した土台の上で、エロースの愛を展開させれば統一は可能です。

すなわち、まず人種、国籍、肌の色、年齢性別などの違いを超えた人間としての類的、普遍的な価値を心の底から認め、これを十分に尊重し、その上でそれぞれ個々人が持っている価値を追求し合うところに、アガペーとエロースの統一があるのです。

そしてこれらの愛を統一的に管理できる人の事を成人(真の意味で人間になること)と呼ぶべきでしょう。

愛は美しく、豊かで、素晴らしいものですが、管理できずこれにおぼれると身の破滅を招き、家庭の崩壊をもたらします。そして、このような問題をテーマにしたメロドラマが、テレビを通して頻繁に放映されています。

西欧において、キリスト教の倫理がまだ健全に作動していた時には、愛は健全なものでしたが、キリスト教が衰退しだしてから「西洋文明の没落」や「民主主義の危機」などが言われ、愛も健全さを失い、暴力とセックスとエイズ等が横行する中で混迷しています。

そして日本は、混迷した西洋文明の影響をもろに受け続けています。それゆえ、未来に向けて「新しい文明」を語り、その建設に向かって努力することは、一層重要なこととなっていきます。しかし、「新しい文明」は、身近でしかも最も重要な「愛」というテーマを抜きにしては語れないのです。



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