心情の審判(UCが今後人々から受け入れられ、伝道が成功するためには)



私が赤羽教会長を辞任して家内の生まれ故郷の埼玉県の浦和に還故郷して、2年も経ったでしょうか、浦和駅に急ぎ足で向かっている一人の夫人とすれ違いました。

思わず、「Rさん!」と声をかけようかと思いましたが彼女は私に気づかず、蒼白の顔をして、髪の毛もとかさず、すり切れた靴を履いて、疲れきった顔をして東奔西走している様子でした。

R工務店が倒産寸前で、お金を借りる工面で東奔西走している話しは聞いていましたので、あえて話しかけることをせず、そっとしておくことにしました。

私が帰宅して、テレビをつけるとマザ-テレサの生き様が放映されていましたので、熱心に見ていますと、ある老人が病の為に道端に倒れ、何日間も放置され、悪臭を放つものだから、誰も恐れて近づかなかったという。

しかし、マザ-テレサがその老人を見たときには、その老人の顔がイエス様の顔に変わってしまったという。

そこで、テレサはその老人を通して神様ご自身がらい病(?)に犯され、道端に倒れ、放置され、誰からも省みられない状態にいることを悟ったと言う。それで、連れの者、シスターたちの手を借りて「死者の家」に運び入れ、死ぬまで見取ったと言う。

私はこの番組をみている時に、大変な心情の裁きを受けました。それは私に気づかず、蒼白の顔をして、髪の毛もとかさず、すり切れた靴を履いて、疲れきった顔をして東奔西走しているR婦人に中にイエス(メシヤ)の姿も、神の姿を見ることも出来なかったことでした。

なんと無く、他人のことのように見ている自分がいたのでした。私は祝福を受け、777双という大先輩の立場にいるにもかかわらず、その心情はテレサよりもはるかに劣るものでした。穴があったら入りたいとはまさしくこのことです。

マタイ伝には「あなた方によくよく言っておく、これらの最も小さい者の一人にしなかったことは、すなわち、私にしなかったのである」と、聖書が出来た当時から、言われ続けられていましたが、信仰生活をこんなにも長く続けて来た私の心情がそれを感じるまでに復活していなかったのです。

松涛本部がR工務店の主人を呼びつけ、5億円をちゃんと返すという条件で借りたのですが、まもなくバブル経済がはじけて、どこの銀行も融資をしてくれず、工務店の運営・資金繰りに支障が生じてきたわけです。

それで、やむなく5億円を返してもらう為に、松涛本部に行ったら、お金を借りた担当の者が居留守を使って出てこないと言う。
何時行っても同じことの繰り返しで、らちが明かないので、赤羽教会の壮年婦人たちからお金を借りまくったという。

その後、そんな事情を何も知らない韓国の若い教会長がこの教会に赴任して、しばらく後に、R婦人が挨拶に教会に行った時に、その教会長から、「あなたが壮婦からお金を借りまくったお陰で、当教会の献金実績は最低である」と苦情をいい、怒ったものですから、とうとうR婦人は切れてしまって、「それではすぐにでも返してあげます」と言い放って行ってしまったという。

その後、まもなく、R夫妻は被害弁連のところに走り、訴訟を起こし、松涛本部は借りたお金を粛々と払い続けていると言う。

それゆえ、同じような状況を体験したある教区長はUCが今後人々から受け入れられ、伝道が成功するためには

1. 嘘をつかないこと。
2. 人を騙さないこと。
3. 約束を守ること。
4. 人の信頼を裏切らないこと。

を守ることだと言ってはばからない。



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原理の日本文化への受容(西川先生の成功に学ぶ)




前回、戦後、信教の自由が日本にも到来した時に、様々な新興宗教が雨後の竹の子のように出現しましたが、キリスト教は今いち広がらなかったお話をしました。

その理由はキリスト教は西欧の宗教のイメ-ジが強く、日本文化になじまず、受容に失敗したせいであるということでした。

しかし、原理は西川先生のせいで受容に成功し、宣教に成功したのです。西川先生は幼少の頃、日本で育ったせいで日本文化・歴史に精通していたのです。

日本の美徳は君主に対する忠誠心です。忠臣蔵はその典型的な例です。西川先生はこの”忠”の文化を非原理世界のものだからといって否定したのではなく、天に繋いだのです。

例えば、山中鹿之助は「我に艱難を与えたまえ」と言ったというのです。非原理世界の武士ですら「艱難を与えたまえ」と言うのなら、いずくんぞ、我ら成約聖徒は彼以上の艱難辛苦を求めて、天の為、メシアの為に尽くそうではないか、と言うのです。韓国の英雄や偉人の名を挙げた例は無いようです。

和動会には、日本のヤクザ映画の”勘太郎月夜”の歌を歌い、日本人の人情の機微に触れるのです。誰よりも日本人になろうと努力した人でした。だから、伝道に成功したのです。したがって、この時代には韓国至上主義の李氏王朝的な絶対君主制は存在していなかったのです。

韓国の牧会者達が韓国の文化を天の文化として絶対化し、日本の文化をサタンの文化として否定するのなら、受容に失敗し、韓国のカルト宗教として停滞し、先細って行くでしょう。残念なことです。

次に、アメリカにおける原理の受容について論述してみましょう。

1976年頃には日本のUC信徒がアメリカに次から次へと動員され、私もその一人でした。文教主は日本人信徒を用いて天の伝統をアメリカに立てるのだ、と息巻いていましたので、我々もその気になって、日本のUCで培われた天の伝統やらを彼らに教育し始めました。

ここで最大の問題点は”ヤコブの知恵”なのです。天の為ならたとえウソをついても善であるという価値観です。

日本では目的は明らかに伝道なのですが、青少年の育成の為にとかそれに類する社会的大儀名文を掲げて、花売りをしたり、様々な物品を売りに歩くのです。

これがエスカレ-トすると”偽カンパ集め”になったり、身体障害者のふりをして物品を売りに行くのです。そして、かの悪名高い霊感商法が生み出されて行くのです。

しかし、この日本UCのやり方を天の伝統と称してアメリカの信徒にやらせると彼らは悩むのです

カメリカの美徳はloyaliy(忠誠)よりもhonesty(正直)なのです。十戒にも「汝は偽証してはならない」とあるようにウソをついてはいけないのです。

アメリカの憲法は十戒を基にして作られていると言われています。キリスト教国家だから倫理、道徳、法律の根底には聖書の教えがあるのです。

すると、ここでは天法と人法が一致して来るのです。日本のように人法より天法が大事だというようには行かないのです。

戦国時代では信長や秀吉や家康にいかに忠誠を尽くすかが大切であったように、統一教会ではアベルに忠誠を尽くすことが大切なのです。

そこで、アベルの命令に従って、ウソの大義名分を使って物品を売りに歩くとhonesty(正直)が否定されるので良心が苦しみ、アメリカ人のidentityを失ってしまうのです。

その結果、1984年には、これまでに献身していたメンバ-が11000人いたのが1000人足らずになってしまったという。確かに、各州の教会では教会長だけがアメリカ人で、残りは皆、日本人だったという記憶があります。

要するに、アメリカにおいては原理の受容は失敗したのです。さらに、問題なのは韓国リ-ダも日本のリ-ダも自分達が受容に失敗したことに気がつかず、アメリカ人のせいにしていることです。

loyaliy(忠誠)もhonesty(正直)もどちらも美徳なのです。honesty(正直)を天に繋げてアメリカ人を活かして行くことをしなかっただけなのです。

ここでは、日本とアメリカについてのみ扱いましたが、やることなすことが何処でも似たようなものですから、総括として、文教主の勝利は条件的な勝利で終わってしまったのです。

しかし、これはとても大切な勝利なので、この勝利を基にして我々は実体的な勝利の道を歩めるのです。それが我々の神氏族メシアの勝利にかかっていると言って過言ではないでしょう。



UCが韓国至上主義の李朝時代のような封建的組織を目指すのではなくて、我々が氏族メシヤを勝利してUCが本当の意味で社会から受容されていったらいいなと思われた方はクリックお願いします。
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奇奇怪怪な話(韓国人は特殊な恨みの民族)




プサンの市議会が全員一致で、日韓政府が合意に反して設置した日本領事館前の慰安婦像を市が監理することになったと言う。これは市が公認したということでしょう。

問題は、日本UCは日本を代表して、韓国への蕩減摂理と称して、借金と自己破産までして献金をして来たし、韓日祝福と称して7000名の女性(人材)まで、韓国に捧げて来ましたが客観的には何の効果も無かったようです。

UCの教義では、日韓のUC内部で蕩減条件を立てれば、そこに神と霊界が働き、外的な日韓関係も変わると説くのですが、現実はただの思い込みであって、全くと言ってよいほど、関係が無いようです。言い換えれば、ただの観念論に過ぎなかったということです。

韓国の一般市民から見れば、いくら日本UCが教祖やその教会の発展の為に根こそぎ人材や金材を捧げても、それはカルトと思われているUCの内輪の出来事であって、自分達には関係のないことなのです。

それどころか、文という男は上手い具合に日本人の弱みに付け込んで、彼等を主管し、貢がせているな、と思っている人もいるでしょう。

日本のUCが韓国のUCの自己顕示のためではなく、市民の公共の施設や事業の為に市民も認めざるを得ないような目に見える具体的なことをすれば、ただ内輪で尽くしているよりは効果があったことでしょう。

分りやすく言えば、韓国で病気で苦しんでいる人がいれば、病院に連れて行くのではなく、また、飢えで死にそうな人がいれば、食べ物を上げるのではなく、教会に献金すれば、神と霊界が面倒を見てくれると観念的に信じ込むことです。そして、それが信仰だと思い込むことです。これは奇奇怪怪な信仰でしょう。

しかし、道理としては、献金を受け取った韓国の教会がそのお金で、病院代を払い、食べ物を買って上げない限り、病人は死ぬでしょうし、餓えた人は飢え死にするということです。

マザ-テレサは修道院でただ祈り続けていても、具体的な救いに結びつかないので、具体的な救済活動を行ったのです。

但し、韓国人は特殊な恨みの民族ですから、日本のUC信徒がいくら韓国内で救済活動を展開しても、倫理的、道徳的、霊的に生まれ変わらない限り、益々助長し、益々千年の恨みを抱き、献金奴隷になることを要求するのかも知りません。

事実、10億円を日本政府に貢がせ、市民には慰安婦像をいたるところに設置させているわけです。口実として、いくら政府間で決めても市民が納得しないので、仕方がありませんと言うのです。要するに、韓国の政府は市民の行動に責任を取らない前近代的な未開な国家だということです。

更に奇奇怪怪なのは、日本政府はこれに対して何の対抗策もとっていなので、舐められ放っしの状態に甘んじている(?)ことです。



国家間の約束を無視し、市民の行動に責任を取らない韓国は、前近代的な未開な国家ではないかと思われた方はクリックお願いします。
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メシヤとは何か、「真の父母の概念」は旧約時代と新約時代のメシヤ観を統一するもの




私は数年前にNYに住んでいる数人の牧師や神学者を訪れました。そして自己紹介で名前と自分のミッションを紹介するたびに“国家メシヤ”とは何ですかという質問を受けました。

そこで、私は“国家メシヤ”とは何であるかということを説明する前に、メシヤとは何であるかを説明しなくてはなりませんと答えました。

メシヤとはヘブライ語で「油を注がれた者」を意味し、それをギリシャ語訳したのがキリストです。

ところで、油を注がれた者は聖書の中に何人いるのでしょうか、と尋ねたら、誰も覚えていませんでした。そこで、私は39名ですと答えました。

そのうち、王は何人いますかと尋ねると誰も覚えていませんでした。無理の無いことです。神学者や牧師といえども細かいところまでいちいち覚えてはいません。

王は29名もいるのです。油を注がれた最初の王はサウルでした(サムエル上24/6)。その後、ダビデ、ソロモンと続き歴代の王が油を注がれますが、祭司の場合もあり(レビ4/3.5)、時には預言者の場合もありました(列王上19/16.イザヤ61/1)。さらに預言者とみなされた族長(詩105/15)や異国王、ペルシア王クロス(イザヤ45/1)までもメシヤと呼ばれています。

それでは、どうして異国の王のクロスが油を注がれた者、すなわちメシヤと呼ばれるようになったのでしょうか。

それは旧約時代のメシヤの使命を考えますとすぐに分かります。

イスラエル民族にとってメシヤとは、神を冒涜する人々をこの地上から一掃し、神の支配(神の国)をこの地上にもたらし、神の民であるイスラエルを敵から守り導くことでした。

したがって、メシヤは民族の政治的救済者であり、やがては万民の征服者となるべき存在だったのです。すなわち、メシヤは第一に王として、神の民、イスラエル民族を神の敵より守り導き、第二にはエルサレムに神殿を建設することだったのです。

ペルシアのクロス王はバビロニアを征服し、そこに捕われていたユダヤ民族を解放して故郷に帰還させ、神殿を再建するための基金までも持たせてやったのです。このようにして、クロス王の行ったことはメシヤの条件に合致したのです。

したがって、そこにはメシヤが人類を罪から贖う“贖罪者”であるというような、キリスト教的な観念は存在していなかったのです。ここに旧約時代と新約時代のメシヤ観との間に大きなギャップがあるのです。

ところで、クリスチャンはイエスをキリスト、すなわちメシヤであると信じていますが、イエスは聖書のどこに“油を注がれた”と書かれているのでしょうか。あなた方クリスチャンは油を注がれてもいないイエスをどうしてメシヤと信じているのですか。

この質問を牧師や神学者にしましたが、満足いく返答が返ってきませんでした。ここに居る皆さんはどう思いますか。それでは文鮮明師はメシヤをどのように定義し、理解しているのでしょうか。

カナダのトロント大学の神学者、ハーバート・リチャードソンが文師に、「あなたはメシヤですか」と問うた時に、文師は「メシヤとは、思いを尽くし、心を尽くし、魂を尽くして、地上に神のみ旨を成そうとする人のことをいう。

私もメシヤになろうとしているし、あなたも、あなた方みんなメシヤにならなくてはならない。」と答えたといいます。

それゆえに、St.Vincentの国家メシヤとは、私の任地国であるSt.Vincentにおいて神のみ旨を成し遂げようとする人のことです。それが私の使命なのです。

そしてここにいる平和大使のみなさんもこの国において神のみ旨をなす国家メシヤにならなくてはならないのです。

ところで、文師のこのようなメシヤ理解、すなわちメシヤ観は聖書的に正統なメシヤ観なのでしょうか。そうです、これこそが旧約聖書の中に39回も登場してくる、神が聖典である旧約聖書を通して示された本来のメシヤ、“油を注がれた者”の概念なのです。

そして、神学者はこれを機能的メシヤと呼んでいるのです。ちなみに、現代神学者たちは、イエスについてのメシヤ概念を、ニカイヤやカルケドンの信条を通して見るのではなく、史的イエスからその概念を見出そうとしています。

そのメシヤ概念は、存在論的なもの、すなわちメシヤをある特定の神的存在である個人ではなく、来るべき神の国をこの地上にもたらす、機能的な概念なのです。

 さらに、「神のみ旨をなそうとする人」がメシヤであるというメシヤ観は旧約にも新約にも当てはまるので、新旧のギャップがなくなるのです。

異文化の受容

文師はスピーチの中で、世界四大河川地域を中心として第一歩を踏み出した文明が、その後地中海圏に上陸し、ギリシャ・ローマのような地中海の半島文化として、花を咲かせるようになり、この地中海文明は、再び英国、米国を中心とした大西洋文明として移動し、日本、韓国をつなぐ太平洋文明として結実するようになる、と言っています。

ここで大切なのは、地中海圏時代と環太平洋時代の歴史の同時性なのです。地中海圏時代において、神は人類救済の摂理としてメシヤを送るための内的、縦的準備としてイスラエルを選び、外的、横的準備としてローマを用いました。

したがって、イスラエルのヘブライズムとギリシャ・ローマのへレニズムとの出会い方がとても重要になってくるのです。  

ところで、宗教社会学では異文化の出会い方を “受容”といいます。ヘブライズムの産物であるユダヤ的キリスト教がヘレニズムの世界に受け入れられる為には、ヘブライズムがヘレニズムを受け入れながら受け入れられていくというのです。これが“受容の法則”なのです。

それでは、ユダヤ的キリスト教はどのようにしてギリシャ・ローマの世界に受け入れられたのでしょうか。

その第一は、パウロがヘブライズムの産物である肉的割礼を廃止して霊的“心の割礼”というように、割礼を再解釈したことです。これによって、ギリシャ・ローマ人たちは肉的割礼を受けなくてもキリスト教徒になれるようになったのです。

すなわち、パウロが割礼を廃止することによってキリスト教がユダヤ教的色彩から脱し、異邦人キリスト教へと発展して、西欧礼会へ伝播して行ったのです。

その第二は、アウグスチヌスが当時のローマ人たちが崇拝していたギリシャ哲学を用いてキリスト教神学を構築したことです。すなわち、ヘブライズムから生まれたキリスト教がギリシャ哲学を受け入れることによってギリシャ・ローマ世界へと受け入れられて行ったのです。

こうして、ヘブライズムからヘレニズム世界への受容は成功裡に展開され、ユダヤ的キリスト教から西洋的キリスト教へと発展して行ったのです。


西洋的キリスト教の限界

しかし、この様なキリスト教の発展は、いまだ「西洋的キリスト教」の次元であり、「世界的キリスト教会」には至ってないというのです。

したがってキリスト教が“世界の教会”となる為には、第三期(完成期)の「世界的キリスト教会」時代へと移行しなければならないのです。これが環太平洋時代のキリスト教なのです。

それでは、西洋的キリスト教の本質的な問題とその限界点は何でしょうか。それはキリスト教が神学的に体系化される段階で、プラトン哲学、アリストテレス哲学などの枠組みの中で体系化されたところに問題があるのです。

彼らの哲学によれば、個々人の存在の“実体(substance)”、すなわち“本質(ousia)”は、おのおの完全に独立したものであって、他者との関係なしに存在できるものということなのです。

これを神やイエスに当てはめると、神はそれ自体で完全であり、人間やその他の被造物に無関係に独立して存在し、また、イエスも然りである。家庭など持つ必要はさらさらなく、それ自体で完全な存在だというのです。ここから、人間の最少単位は個人であるという概念が生まれてきます。

しかし、実際には個人では存在できないのです。日本にはかつてトキという鳥が沢山生息していました。それが乱獲や環境汚染で、年老いた雌のトキしか存在しなくなったのです。

これでは、トキという種が絶滅してしまうのです。幸い、中国に生息していたトキのつがいを連れて来て、卵を人工的に孵化して、やっとの思いで日本にもトキが存在するようになったのです。

全ての高等生物はみんなペアシステム(つがい)に創造されているのです。創世記には「神がご自身にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。(創1/27)」と書かれているように、神のかたち(像)は男性性相と女性性相のペアシステムから成り立っているのです。

だから、人間も個人だけでは、人間という種が一代で消滅してしまうのです。そこで注目に値するのは、“人”という漢字です。漢字の「人」は、二つの棒が互いに支えあって成り立っているのです。

これは東洋哲学によれば人間の最少単位は個人ではなく家庭であるということを示しているのです。この家庭の概念を、環太平洋時代のメシヤ観に当てはめたらどうなるでしょうか。当然のことながら、メシヤは“真の父母”ということになるのです。

人類を“罪より救済するメシヤ”は救済後にはその使命が終わり、不必要となって消えていく概念であるが、「真の父母」は、人類始祖が堕落しなくても必要であった概念であり、創造本然の世界において永遠に必要とする存在なのです。

したがって、メシヤの本質的な使命を「真の父母」と定義したことは、やがて消え行く贖罪的メシヤ概念よりも、より重要な概念なのです。

ところで、旧約時代のメシヤ観は前述したように、“メシヤ”とはその使命において特別な存在だったのであり、存在論的には我々一般の人間と何ら異なった特別な存在ではなかったのです。

したがって、このようなメシヤを神学では機能的メシヤと呼んでいるのです。これに対して、新約時代のメシヤ観はメシヤとはある特定の神的存在である個人、すなわち、神学的には存在論的メシヤであったのです。それゆえ、この二つの概念は決して相容れることのない概念だったのです。

しかし、「真の父母」の概念は人類の根源的罪、つまり、原罪より人類を解放し、天地に神の支配、すなわち神の国をもたらすという機能的メシヤ概念と同時に、人類の救済後にも「真の父母」として永遠に存在する存在する存在論的メシヤ概念であるが故に、旧約時代のメシヤ観と新約時代のメシヤ観を統一できるメシヤ観なのです。それ故、文師のメッセージは最後に“真の父母の業績”について言及して終わっているのです。

以上が私の解説であります。



これは、私がSt. Vincentで、英語でスピ-チをした内容です。日本語に翻訳しましたので参考になれば幸いです。私のスピーチの後には、VIPたちが次々とやってきて握手を求め、英語で書かれた著書があるのなら是非読ませて頂きたいと言ってきました。

それで、本はありませんが英語の論文なら沢山ありますのでそれを送りますと答えておきました。熱心に聞いていた医者の夫婦が感心して平和大使になってくれたことは感銘の一ページとして記憶にのこるものでした。

長文を最後まで読んでくださりありがとうございました。

統一教会のメシヤ観についてもっと詳しく知りたい方はこちらをお読みください。
http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-2.html




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韓国人に対する世界の評価(韓国人は霊的に生まれ変わるべきだ)



じっくり読んで考えてみて欲しいものの中に以下の発言があります。

1800双のある古参のシックが「アボジは韓国人は日本人の三倍の価値がある」と言ったという。

言われてみれば、小山田夫人からサ-キルジャ女史が同じようなことを言っていたような話を思い出しました。言論の自由だから何を言ってもかまいませんが、問題は韓国の牧会者がこの言葉をみ言葉(神の言葉)として受け止め、ふんぞり返って日本人シックを顎で使うことです。

お陰で、躓いた人達が私のところにやって来て憤慨した気持ちをぶちまけます。クワバラ、クワバラ・・・

・マルスムの韓国語の意味は”み言葉”では無くて”お言葉”だそうです。校長先生のマルスム(お言葉)というような使い方をするようです。韓国人が言うのですからこれは間違えありません。

お言葉は人間の言葉ですからみ言葉ではありません。神学ではキリストには神性と人性の両面があるといいます。451年のカルケドン会議では「まことに、まことに神であり、人である」という見解を出したのです。

この見解は使えそうです。神がアボジを通して語った時はみ言葉でしょう。しかし、アボジが自分の5%で語った時にはお言葉になります。

したがって、「韓国人は日本人の三倍の価値がある」はアボジの人性からでてきたウリナラフアンタジ-に見えます。現実(実態)は逆でしょう。

セウル号沈没惨事を見て、法王は韓国は道徳的にも霊的にも生まれ変わらなければならない、と言うのです。これに対して、東北の地震津波の惨事を受けた日本人はコンビニの前で行儀よく並んで食糧を得る順番を待っていたという。

世界中から、韓国の新聞まで日本人の資質を賛美する有様です。お陰で、こちらは何時ボロがでるかと思い、ハラハラです。日本は決して完全ではありませんが、世界の評価はアボジのそれとは逆なのです。実態はみ言葉より勝るという。

・この言葉がみ言葉として公的な出版物に記述されていないことを願います。せっかく勝共運動や平和大使摂理で繋がった影響力のある著名人はこれを聞いたら文師にがっかりするでしょう。また、世界の人々がこの発言を見たら文師をどのように評価するでしょうか?

世界の国々の好感度を調査する機関によれば、日本やカナダは世界1,2番を競ってはいますが、北朝鮮、中国、韓国はワ-ストであると言う。

アボジがこんな発言をすると、メシアとして信じがたい人物になってしまうことでしょう。しかし、奇奇怪怪なのはこの暴言をみ言葉として、本気で信じている日本信徒が沢山いることです。クワバラ、クワバラ・・・

・これに対するM氏のコメントは「似たような話では清平でテモニム(金孝南)が日本人は韓国人の乞食よりも劣るということを言っておりました。これは韓国人特有の病気の一種ではないかと思います。

ノーベル賞も日本人が連続受賞した時、韓国のマスコミがまた日本人、韓民族は優秀なのに何故受賞しないのかと、あくまでも自分たちが日本人よりも優秀なんだという怨念が込められています。」というものでした。

・韓国民族は心情的で神に近いと言うのであるならば、霊的、精神的、性相面での分野で世界から評価されるように努力をしたらようでしょう。なにやら、ブ-タンは経済的な豊かさは決してた高くはありませんが、精神的な幸福度は国連からも評価されているようです。



人間の欲望の質的転換

人間の欲望には限りがありませんが、その欲望を満たす物質の量には限りがあります。

限られた資源の中で、人間の欲望が野放しにされるのなら、地球の資源は遅かれ早かれ枯渇してしまうことでしょう。

しかし人間には、衣食住、性などを追求する肉体的、物質的欲望のほかに、真善美、聖、愛などを追求する崇高な本能ともいうべき精神的、人格的な価値追求欲があります。

それゆえ、生きるに必要な物質が獲得された後には、欲望の質的転換が必要となります。



韓国が 欲望の質的転換において、霊的に生まれ変わり、世界からブ-タン以上に評価されることを願われる方はクリックお願いします。
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ウリナラファンタジーからの決別(日本UCの行くべき道)




韓国人は外国人の目には以下のように映るのだと豪語するという。


韓国人はユダヤ人をなまけ者に見えるようにする唯一の民族であり、批判的専門家顔負けの情報力で武装した国民だ。世界で最も気が強い民族として韓国人は強い人には必ず「奴」の字を付ける。米国奴、倭奴(ウェノム、日本人の蔑称)、垢奴(テノム、中国人の蔑称)、ロシア奴など無意識的に「奴」の字を付けて見下すのが習慣になった。しかし弱小国には寛大な指向を見せる。アフリカ人、インドネシア人、ベトナム人などの国には「奴」の字を付けない。

韓国人は世界で最も気が強い民族だ。これは韓国の独立運動史だけ見ても知ることが出来る。中国は広大な大陸、限りない砂漠、広い高原に言及して自らを大人と呼ぶが、決定的に韓国人より気が弱い。

1932年、日本が中国に満州国を建設して1945年に崩壊するまで13年間、南京大虐殺を含み日本によって死んだ中国人は3200万人に達した。しかし中国人が日本高位層を暗殺した場合は殆どない。これに比べて韓国は35年間、3万2000人の人命被害を出して、中国の1000分の1に過ぎなかったが、日本高位層暗殺の試みと成功回数は世界が感心するほどであった。


これを読んでウリナラファンタジ-を思いだしました:

あるMLに以下のような投稿がありましたので、私のコメント添えて紹介します。



呉善花女史がある対談の中で、一般の韓国人の言っている韓日一体化とは日本が韓国に絶対服従をすることを意味するので、現実では一体化はあり得ないというようなことを言ってたように思います。それはウリナラファンタジーを信じ込みそう思ってしまう民族であるからだという。

朝鮮人の遺伝子の中には6万3千の人間のものとは思えないものが含まれておりあまりにひどいので遺伝子学会に正式に報告できないというほどです。

朴正煕下大統領も「あまりに惨めな歴史しかない朝鮮族・・」と嘆いています。

朝鮮半島の大雑把な歴史は、

7世紀ころ百済・新羅・高句麗の三国時代は終焉し
7世紀:唐の隷属国
13世紀:モンゴルの属国
13世紀:エベンキ族の侵入により旧朝鮮民族消滅
1392年:李氏朝鮮時代が始まる
14世紀:明の隷属国
17世紀:清の隷属国
20世紀:日本が莫大な資本と人材の投与で近代化を進める。

http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-6da7.html 抜粋

風習から見て朝鮮のルーツは高句麗とは関係のないエベンキ族であることがわかってる。この民族は長い近親相姦で遺伝子異常が現れるようになった。

あまりに歴史がひどすぎるので直視できず、ウリナラファンタジーを真実と考えなければ自分を保てないのです。だから自分たちが常に上で日本人は下級民族だと思うのです。

ある人の投稿終わり


これに対する師観のコメント:

・なるほど、それで、ナゾが解けて来ました。私も原理が形而上学的仮説であることには気がつきましたが、ウリナラファンタジーであるところまでは、気がつきませんでした。ウリナラファンタジーの観点から考えると、説明できるものが随分あります。

1.韓国を唐突に選民だと言い出す。

2.韓国の気象庁ではダウンバ-ストが起こりうるから飛行機は飛ばないようにとの忠告があるにも拘らず、アボジはヘリを飛ばす。結果として、命はかろうじて取り留めたものの墜落です。

3.ハッピ-に毎月100億のお金を持って来るように命じ、韓国の事業担当の先生方が具体的な計画書も無いのに、夢を語れば、その金をばら撒く。それを4年間も続け、精算書はなし。

4.事業は次から次へと思いつきますが、アボジの言う通りにすれば、大方失敗する。その典型的例がメッコ-ル会社を拡大して失敗です。

お陰で、洪氏は辞任に追い込まれ、一時、韓国のUCの会長になりましたが、ヨ-ロッパの責任者に左遷(?)され、やがて、教会を離れて行く。息子である誉進氏の婿も離れ、娘のナンスク氏も離れて行く。

5.金百文の「血分け」を踏襲し、初期のUCでは一人が3人を相手に性の儀式を通して、神の血統になると信じ込み、実践する。結果は統一家の家庭を見れば、「実を見れば木が分る」という結果になる。さすがのTMも耐え切れず、独生女論を展開し、自分のカラ-を色濃く出し、現在に至る。

6.韓国にはメシアを名乗る人たちが50人もいるというが、ウリナラファンタジーで、自分がメシアだと思い込むのでしょう。

7.韓国は日本がアメリカと戦って敗れたので、独立を貰ったにも拘らず、上海に独立派の臨時政府があり、彼らが日本と戦って独立を勝ち取ったというウリナラファンタジーの歴史観を捏造する。韓国UCもその上に立脚している。

8.日本UCにお金を作らせ、根こそぎ韓国に持って行き、金の鳥である日本UCまで食い尽くし、それでも何とかなると思い込む。

9.結果として、UCは一代で分裂し、崩壊に向かう。

ざっと挙げてみましたが、挙げれば切が無いでしょう。興味深いのは、ウリナラファンタジーでも、本当に信じ込んで実践すれば霊界も働く(?)ようです。

でも、それは長続きしないようです。幸い、原理はウリナラファンタジーだけでなく、神を中心とした万民一家族のような神の創造理想や人類の普遍的な理想にも言及しているので、神も霊界も大いに働く部分があると思います。

問題は極めて個別的なウリナラファンタジーを神の創造理想や人類の普遍的な理想に結びつけないことです。

具体例を挙げると、韓国至上主義に基づいて、韓国人シックが日本のUCを主従関係で支配し、日本人に金を作らせ、韓国に根こそぎ持って行かないことです。

韓国人は自分の国に帰り、自力で伝道して、お金も自分達で作り、韓国の教会を発展させれば良いのです。日本のUCも独立して、韓国UCと対等の立場を確立することです。

そうすれば、韓国の先生方のように、自分達の友人に向かって、「あんたも、統一教会に入らないか、ここでは日本人を顎で使えるよ」と言うような言動もなくなるでしょう。また、古田氏のように、「韓国人が主人で、俺達日本人はイヌだ」という人もいなくなるでしょう。



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心情文化と韓国における現実(真理というものは誰が言ったかで決まるものではなく、何を言っているかで決まる)




ある兄弟が次のようなみことばを紹介してくれました:

お父様のみ言では、韓国人が選民とは、民族の優秀さでは無いと語られていたようです。アメリカ、日本民族のほうが優秀さでは上と語られていたようです。心情文化が神様と通じやすいと語られたようです。


これに対する師観のコメント:

・ここで問題になるのは、誰が言ったかではなく、何を言っているか、なのです。

わかりやすい例を1つあげましょう:

事実は地球が太陽の周りを回っているにも拘らず、もし神様が太陽が地球の周りを回っているといったならどうなるでしょうか。

自分に正直な小学生は「神様ってたいしたことは無いんだな!そんなことも知らないのか。」と言うでしょう。なぜなら、地球が太陽の周りを回っているのが真理だからです。神と言えども真理でないことを言うと、小学生に笑われるのです。

ところが、信仰者は全員ではないがこれが出来ないのです。カトリックが法王の権威の下に、太陽の方が地球の周りを回っていると言えば、信者はその通り信じるのです。

お陰で、科学者のガリレオは迫害されたのです。シックはアボジの言葉の権威の下に同じことをしてはいけないのです。信徒たる者はたとえ教祖の言葉であっても、鵜飲みにしないで吟味する責任があるのです。

分りやすい例を挙げるとオ-ムのサリンがそれに当たります。それを教祖の命令通りに実践してしまった信徒は教祖の言葉を鵜飲みにしてしまった責任が問われるのです。

だから、無罪にはならずに死刑になるのです。これは誰が言ったかが問題ではなく、自分が何をしたかが問題であるからです。

そこで、文教主の「心情文化が神様と通じやすいと語られた」を吟味・検証してみましょう。

心情の意味は国語辞典では「気持ち」ですが、原理では感情と区別して使います。「あの人は感情的ですね」とよく言いますがそれは自分の感情を理性でコントロ-ルできない人だ、と言うことです。これに対して、「あの人は心情的ですね」という場合は情が暖かく、思いやりが深い、という意味で使われます。

そこで、セウル号の船長とそのクル-は情が暖かく、思いやりが深かったのでしょうか。その逆でした。乗客よりも自分達の安全のみを考えて、責任を放棄して逃げ出したのです。だから、法王から韓国は道徳的にも霊的にも生まれ変わらなければならないと言われたのです。

次に、ナッツ姫はどうでしょうか、彼女のとった行動は「情が暖かく、思いやりが深い」行動でしたでしょうか。その逆でした。

最近ではサッカ-の試合で、浦和レッツが韓国のチ-ムに勝ったら、韓国人のサポ-タが腹いせに日本人選手に暴力を振るったのです。これは自分の感情をコントロ-ルを出来ない野蛮な行為なのです。

そして、それは心情文化とは違うものなのです。韓国では憲法よりも国民の情緒法が勝るといいます。情緒と言えば、聞こえはよいのですが、実態は感情です。

日韓の政府間で分別のある理性に基づいて、慰安婦問題を合意しましたが、過激派の民衆はその合意を無視して、今だ慰安婦像を造り、交際的な礼儀を無視し、ソウルの日本大使館前や、プサンの領事館間前に設置し、いたるところに設置し続けています。

しかも、過半数以上の国民がこの過激派の行動に同意しているという。これが神に近い心情文化でしょうか?

朴クネの言動によれば、「日本に千年の恨みを置く」、と言う。これが情が暖かく、思いやりが深い心情文化で神に近いのでしょうか?挙げれば、切りが無いのでこの辺にしておきましょう。


この辺で、アボジのエピソ-ドを紹介しょう。

アボジによれば、アダムの堕落はエバの影響で起こったように、第二次世界大戦の時、サタン側のエバ国である日本が戦争を始めたので、サタン側のアダム国家であるドイツが日本に刺激され、影響されて戦争を始めたという。

そこで、この言葉を鵜呑みした当時の副会長と原研会長は大学教授達の前で、アボジの言われた事をそのまま話したものだから、“笑い種”にされてしまったのです。

その結果、アボジのメシヤとしての権威までも失墜してしまったというのです。これは「信仰の論理」を「客観論理」と取り違えてしまった典型的な例なのです。

すなわち、客観的史実によれば、第二次世界大戦はドイツが1939年9月1日にポーランドに侵入を開始し、3日に英・仏もドイツに宣戦することによって始まったのである。

日本は1941年12月8日に真珠湾攻撃を開始することによって、参戦したのである。そして、これが太平洋戦争の始まりなのである。

この不名誉な話を見聞きしていた信徒たちは、「信仰の論理」を鵜呑みにした教会のリーダ達の幼さを嘆いていたのです。(彼らのおかげで、メシヤまでも恥さらしにさせたと言いながら)。

これは人間であるアボを絶対化するあまり、真理というものは誰が言ったかで決まるものではなく、何を言っているかで決まるという最も基本的なことを、いつの間にか忘れてしまった結果によるものと思われます。

教会側の弁護士によると、教祖と言う者は、啓示を受けてしゃべるから、一般的に過激なことや超現実的なことを言うものであるという。しかし、宗教法人はこれを客観的事実に照らし合わせて、社会的に問題が起きないように対処するものであるという。

それゆえに、UCのリーダたる者は、“YES MAN”だけでは不十分で、信仰の論理と客観論理とを区別しながら社会的に対処できる成熟した信仰を持っていなければならないのです。そして、これが出来ていないから問題が起こるのです。



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「統一教会が統一教会のために生きたら滅びる」とアボジは言われた




アボジによれば「統一教会が統一教会のために生きたら滅びる」という。

ただ教会の自己顕示やそれ自体の維持の為に生きたのなら教会の未来は推して知るべしである。一体全体、何人の人々がUCのお陰で幸せを感じているのであろうか。その教えと実態が一致しない限り、人々の心を捉えることは出来ない。

では、人々は何を求めて生きているのであろうか?
それは喜びと意義に満ちた人生です。

それでは如何したらそれらを手に入れることが出来るのでしょうか?それは神を手に入れることです。神はそれ自体が我々に「喜びと意義」を与えてくれる。

それゆえ、我々はすべてを捨てて献身した。そして、その喜びを他の人々にも分かち与えようとして伝道活動に邁進できた。これが原点のはずです。

今の教会には色々問題はあるけれども、今なお、我々が教会をやめないのは神が我々の魂の中に住んでいるからだと確信します。教会を出て、神をいっそう感じるのならそれはそれで良いことでしょう。神は遍在するがゆえに何処にでもいる。

人々は我々の神による喜びに満ちた実態を見て、心が魅かれ原理を聞いてみようという気持ちになるのです。

私がそうだった。喜びに満ちた伝道者を見て、北海道から鎌倉で開催される原理セミナ-にワザワザ参加する気になった。三人の霊の子女を復帰しないと自分の救済がないとか、祝福を受けられないとかは考えないほうが良い。

なぜなら、とたんに、自己中心の伝道になってしまうからです。そんなこと、微塵も考えないで、神を喜ばすために伝道をすると、結果として三人も四人も伝道していたというのが正論であろう。

我が任地国のVincentにDawnと言う婦人がいる。彼女は最初の夫と祝福を受け、知らないうちに、トリニダ-ドに引越して、次の夫とそこのUC教会で祝福を受け、今度はマイヤミに引越して、三番目の夫とそこでまた祝福を受けた。

現在はそこで留まっている。この婦人は代々牧師の家系で伝道しか知らない人だ。お陰で、メノナイト教会のSamel牧師を伝道し、その教会の信徒全員が彼女から原理を聞いている。

首相まで伝道して、昨年のアボジの聖和式の時には、Vincentの首相と前首相のビデオメッセ-ジを放映した。私もあきれて、唖然としている。

しかし、聖和式直前の韓国での修練会ではアボジは彼女を見るや否やとても驚き、「お前は男を主管できる玉だ」といって、大変喜び、大きな使命を与えたと言う。まあ、アボジに祝福されたと言える(?)のでしょう。

問題はこの婦人はいつも神を感じて燃えていることです。トンチンカンな祝福を勝手に受けて、どうして神が働くのかがナゾである。

ナゾと言えば仁進さまもその一人と言えるでしょう。何やら新しい夫とその子女を持って燃えている(?)という。

神を感じて燃えているのかどうかは分りませんが教会から離れるどころか逆に影響を与えているようだ。その内に、同じようなアメリカの信徒(?)たちが共鳴して一つの勢力になるのかも知りません。



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南米オリンポの修練会でのこと(天国は神様を喜ばすところです)




南米オリンポの修練会の時、韓国の金先生が韓国人の国家メシヤの参加者の数の方が多くて、日本国家メシヤの数が少ないなどと言われ、それが信仰のバロメ-タ-みたいなことを言われても何も反論できない日本人、そのくせ先生がいなくなったら何か言い出す。これを卑屈を言わずに何と言うのでしょう。

だから、私は日本の宣教師がみんなでお金を出して韓国の国家メシヤを送り出したから数が多いに過ぎないと明言してあげたのです。

しかし、金先生はそんなことは無いと言い出したので私が実例を挙げて反論したら、日本の国家メシヤたちが金先生の言う通りだと言い出すではないですか。そして、先生がいなくなると、師観さんの言う通りだと言い出す。

犬が尻尾を振っているみたいですね。一体、この人たちは何を恐れているのですか。日本人のいやな面を見た気がしましたね。

地獄を恐れてはいけません。保身の為に自分の魂まで売ってしまったら、それが本当の地獄です。我々は地獄に行くのを恐れて、あるいは天国に行きたくて献身したのではありません。

私の場合は、アボジにはアボジなりにやりたい夢があったが神のあまりにも悲しい事情を知ってしまった。そんな可愛そうな神様を見捨てることは出来なかったのでメシヤの使命を引き受けた、と言われたら、献身せざるを得なくなりましたね。

神様を喜ばすととても本心が喜びますね。それゆえ、天国とは神を喜ばすことです。

それ以上でもなければ、それ以下でもない。




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キリスト教を世に問う




随分前のことでしたが、キリスト教の学者や牧師や神父達による日本における宣教の総括会議が開かれました。

その内容は、「戦後の宗教の自由の下に。神道や仏教系の新興宗教が雨後の竹の子のように出て来て、創価学会のように、今日でも盛んなものがありますが、キリスト教はさぱっり広がらない。どうしたものか?」というものでした。

彼らの出した結論はキリスト教が西洋の文化に変質してしまったので、キリスト教はバタ-臭いものになり、日本人の中に溶け込めないものになってしまった、と言うのです。要するに、受容に失敗したということです。

受容とはキリスト教がその本質を変えずに、日本文化を受け入れることで、受け入れられて行くことです。本質まで失うことを”埋没”と言います。

この総括はよく言えているように思います。その通りでしょう。ちなみに、内村鑑三は日本のキリスト教を目指した人物として知られています。

この受容と埋没の問題は原理教においても言えることです。原理の本質は普遍性を持っているにも拘らず、あまりにも韓国文化を受容し過ぎて、埋没してしまっている側面があるのです。まるで、李氏王朝を想起させる反日韓国至上主義の絶対君主制の文王朝や韓王朝(?)への傾斜はそれを物語っています。

しかし、原理は悪い意味での日本教に埋没している問題があるようです。霊感商法と”借り入れ”と称して、借金して献金する制度です。

壷や多宝塔を買った人々が原理を聞いて感動し、松涛本部を訪れたら多宝塔が無かったというのです。それで、彼らは躓いてしまったというのです。これは目的と方便としての手段が逆転してしまった結果なのです。

原理とは別な宗教が出来上がってしまったのです。これは当時”お壷教”と言われていました。その教義の中心は因縁ト-クです。これが韓国に逆輸入されて、”清平教”が出来上がったという。つまるところ、どちらもお金儲けや献金をさせるための手段なのです。こうして、原理キリスト教はご利益宗教へと埋没して行くのです。恐ろしいことです。

次に問題なのは、借り入れと称する借金献金制度です。こんな制度は韓国にもアメリカにも何処にもないという。

日本の信徒が考案して始めたこの便利な”手段教”制度に乗っかって、日本の長の付く者達と一緒になって推進いるのが韓国の牧会者達だという。

しかし、彼らは韓国に帰ったらこんなことはしません。TMもこのいびつな献金制度に乗っかって多額の献金を要求するとしたら、UC・家庭連合自体が”いびつ教”に埋没したことになります。

したがって、我々がしなければならないことは埋没ではなく、原理の日本文化への真の受容なのです。日本文化を知る為には、日本人の霊性を研究する必要があるでしょう。

霊性とは一神教や多神教を超えて存在するものです。西洋化された一神教の排他的なキリスト教はこの霊性を無視したために、宣教に失敗したのでしょう。

キリスト教の源はイスラエル民族のユダヤ教にありますが、これは砂漠の宗教なのです。砂漠と言えばサハラ砂漠に代表されるように、自然自体が生存に厳しく、その中に神やその恵を見るのは難しいのです。

それゆえ、神は自然界に内在する内在神では無く、自然界の外側に存在する超越神となるのです。したがって、自然界を崇拝すると偶像崇拝になりますので、排他的になるのです。

これに対して、日本の自然界は豊かな恵みを与えてくれるのです。よく、日本人は”お陰様で”で家の息子が受験に合格しました、と言います。

これを聞いた外人は、自分は何もしていないのに何故、”お陰様で”と言うのだろう、と思うというのです。”お陰様で”の起源は”お天道様”のお陰で米や野菜が採れるところから来ているといいます。したがって、日本人は自然界の中に神(内在神)を感じるのです。

西洋キリスト教に忠実になりすぎた日本の宣教師・牧師・信徒達はこのような日本人のmentalityを無視してしまったのでしょう。原理も同じで、韓国の原理教に忠実になり過ぎると同じことになり日本人のidentityを失います。結果として、韓国のポチになってしまうのです。

ところで、キリスト教は神について父と子と聖霊の三位一体の教義を構築してしまいましたが、この神観は一神教でありながら同時に多神教の神であることを示唆しています。

これは一神教のヘブライズムが多神教のヘレニズムの文化を受容する過程で生まれた教義ですから、日本に来た時には一神教と多神教は統一されてしかるべきなのです。

神は時空を超越しますから、超越神となりますが、同時にいかなる時空にも内在できますから、内在神でもあるのです。したがって、超越と内在はコインの表裏のようなものなのです。それゆえ、仏教では「一即多」と言うのです。そして、日本人の研ぎ澄まされた感性・霊性はこの「一即多」を悟りとして体感するのです。

経綸的三位一体論の教義によれば、旧約時代は父なる神が担当し、新約時代には子なる神であるイエスが担当し、再臨の時代には聖霊が担当し、よりいっそう働く時であるという。

すなわち、聖霊は万民に注がれ、万民がメシアとなって働く時代であるという。文師は「メシアとは、思いを尽くし、魂を尽くして、地上に神のみ旨をなそうとする人のことを言う。私もメシアになろうとしているし、あなたもメシアにならなくてはいけない」という。神氏族メシアはまさしく聖霊の時代であり、日本人の霊性によって、原理が再構築される時代でありましょう。



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アボジの神性と人性、身近なアボジの姿を求めて




原理講論における変な箇所や間違いの箇所は対策においては40箇所以上も指摘されており珍しいことではありません。

それ故、反対牧師に捕まったら100箇所以上の問題点を挙げてくるというのです。もっとも彼らから見ての問題点ですから果たしてどこまでが客観的間違いなのかは、うのみにする訳には行きませんが。

在日韓国人の対策の観点によれば、マルスムという意味はお言葉という意味で、その中にはみ言はもちろん含まれているが、単なるお言葉の部分も少なくないというのです。

それで、彼らの感覚ではお言葉の部分で間違いがあったからと言って、それが何だのだと言うのです。人間である以上は間違いは当然だというのです。

日本人信徒の完全主義とは受け止め方が違うようです。私においてもこのような受け止め方はとても参考になります。

メシヤの専門分野は血統転換ですからそれ以外のところで人間的間違いがあっても当然のこととして受け止めています。特に、ビジネスの分野では上手くいかない点が沢山あります。

神学的に言うと、メシヤの神性と人性という問題です。メシヤの中には神が直接メシヤの口を通して語られる部分と、アダム(人間)としての責任分担で語られる部分が沢山あります。

その中には食口の報告をそのまま信じて語る部分もあります。原理講論は宗教書であって科学書ではありません。特に堕落論は科学的には証明できません。

それゆえ、ブラック フンジンニムが現れて、霊界に行ってエバに会って話しを聞いたら実際はこうだったといえば、「ああ、そうかな」と思うし、李相軒先生の霊界の証しを読めば、「ああ、そうか」と思うし、また、エバの方がル-シエルを誘惑をしたといえば「ほう、それはまたまた新説だ」ということになります。

それゆえに、お言葉の部分(?)までもみ言と思い込んで絶対化するとつまずいてしまうという在日韓国人の解説は説得力があります。

アボジの言動の中には単なる凡ミスもあるようです。たとえば、

1.ある会議の席上で、一人の韓国人食口に日本語で語りかけましたが、何のことだかサッパリ分からず、ケゲンナ顔をしていました。すると、日本の食口の一人が「この方は韓国人です」といいました。

すると、アボジは怒ったような口調で、「日本人みたいな顔をしているんじゃないんだ!」といいました。

そこにいた誰もが「これは何か摂理的意味が隠されているのだ」とは思いませんでしたね。

だだ、よくにているので、見間違えただけです。これが客観論理から見た見解ですが、なんでもかんでも信仰の論理で解釈したい人はそこに摂理的意義付けをしょうとするのです。

2. 1973年にアメリカに渡った日本人信徒を集めて、Fundraising team(花売り部隊)をアボジ自らいくつか編成し、アメリカの地図に碁盤のように線を引き、くじ引きでそれぞれの班を振り分けました。

そこに、David Kim先生がやって来て、「ここ砂漠だよ、誰も人などいないよ!」とアボジを怒鳴りつけました。Kim氏はるかに年上だから、アボジの凡ミスを怒鳴ったりできるのでしょうね。

これは、信仰の論理から何か人間では計り知れない意味があって砂漠が当たったのだという人もいるかもしれないが、客観論理ではアボジはアメリカに来たばかりで、どこが砂漠なのかは知らないだけだということになります。

ちなみに、メシヤ=神と信じているクリスチャンにおいては、アボジが神の実体なら韓国人を日本人に間違えたり、アメリカにおいて砂漠がどこにあるかなどを知らないはずがない、といってつまずいてしまう。

損害は砂漠に行かされても、せいぜいガソリン代と花を枯らすだけで済みますがビジネスの失敗となるとかなり深刻なダメージを受けます。

36家庭の洪先生がメコ-ルを担当していて、たまたま地方でその売り上げがコカコ-ラを抜いたという。それを聞いたアボジは洪先生に生産と販売を拡大しろ、という命令を下した。

彼は現実的に難しいと思ったのでアボジに三回も問い直したという。それでも、それでも拡大しろといわれるので、とうとう拡大したら大失敗になってしまった。

そして洪先生はもはや社長ではなくなり、韓国のUC教会長となり、しばらくして、ヨ-ロッパの責任者になり、その後、去っていきました。

すると、その長男(誉進さまの婿)は去り、ナンスク様(孝進様の嫁)も去ってしまった。そこで、36家庭の先生方はアボジにビジネスをやらせるな!と言い出す。

これを見ていた顕進様は大変責任を感じ、ハ-バ-トのビジネススクールを出た責任もあり、自分が代わって何とかしようという思いを益々抱き始める。誉進様も長女としての責任を感じ、これと思う食口を呼びつけて自分が代わってUCに責任を待たなければならことを告げる。

このように、これらの経過を見てみますと、顕進様の問題は起こるべきして起こったともいえる。

事実、神学者たちは統一神学校(UTS)が主催する学術会議の中で、文教主の死後、UCは必ず分裂するであろうと、過去の宗教歴史から鑑みて推察していた。

私も遅かれ早かれそのような事が起こるかもしれないとは思いましたがアボジの生存中に来るとはさすがに思いませんでした。



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キリスト教の受容と統一教会の現実(UCが世界に受け入れられる為には)




宗教社会学では「受容」という専門用語が使われていますが、例を挙げて説明しますと 、ヘブライズムのキリスト教はギリシャ・ロ-マのヘレニズムを受け入れることによってその社会に受け入れられていったのです。

アウグスチヌスは当時流行していたネオプラトニズムを使って、それを枠組みにしてキリスト教の神学を構築していったのです。そうすることによって、ロ-マ社会と文化に受け入れられていったのです。

聖書の中にも、ロ-マの執権、ピラトに大変気を使ってイエスを十字架につけた責任をロ-マの側、すなわち、時の権力になるべくしないようにして、ユダヤ人のせいにしています。すなわち、時の権力ににらまれないようにしているのです(定番になっている学門的見解です)。

これはイエスが死んでから60年から100年にかけて聖書が書かれて行きましたので、その当時の社会情勢が色濃く反映しています。

原理本体論は講論から半世紀も経ってから書かれた代物ですから、今の韓国の反日社会情勢を反映するはずです。学問的には何処の宗教もそのようなものでしょう。

また、 強制従軍慰安婦論問題をオモニムに判断させるのも酷な問題です。これは学者の仕事であって、客観的、学問的調査を聴き取りで歩き回り、歴史的文献を集めて読みあさり・・・、そんなことをオモニムにやらせるわけにはいかないでしょう。

学者たちはアボニムもオモニムもある意味では韓国文化の所産と見ています。特に言葉はその国の文化を反映します。

メシヤといえども神性と人性の両面を持った存在ですから、神性面は普遍的ですが人性面はその国の文化、社会、歴史的な背景を抜きにしては語れないでしょう。

したがって、メシヤのUCの韓国的な側面という観点から研究すると韓国文化がたくさん出てくると思います。例えば式典のお供え物はヤン先生に言わせれば、そのほとんどが儒教の式典に酷似していると言います。

私が神学校で、学問的に権威ある宗教辞典で統一教会を調べてみると、嫌な事が堂々と書かれていました。

その特色の一つとして、上層部と下層部の経済的格差を取り上げています。これは韓国のヤンバン文化の反映と見なされているのです。

私の長男の嫁は韓国人ですが、大変親孝行です。シムチョンという物語は盲目の親の為に娘が漁師に身を売って、嵐の海の中に飛び込むお話しです。

残念ながら、私には50%は感動しますが、後の50%が感動しないのです。その逆でもあれば100%感動します。

ゆがんだ儒教思想でしょうか?子供は親の為に犠牲になるのは当然と言っているように感じるのです。

ある韓国の国家メシヤが任地国に入れないので、マイアミに拠点を構えていますが、自分たちの家庭は一段高いところで、椅子とテ-ブルで食事をし、日本の宣教師たちは土間(?)のようなところに新聞紙を敷いて座らせ、ファストフ-ドのような物を食べさせて、当たり前のよな顔をしている様子に大変激怒した食口の報告を聞きました。

これは親の立場にある幹部に子供の立場にある平信徒が犠牲になるのは当然という韓国の儒教思想から来ている出来事に見えます。

すると、どうでしょうか、日本の信徒を借金地獄しながら自分たちはその上にあぐらをかくということを平気できる事になります。

抗議をするよな信徒が出てきたら強制従軍慰安婦論で、自虐史観を植えつけるのです。これが彼らの日本UCに対する統治の仕方だと思います。

ただし、亨進様や顕進様のようなアメリカの民主主義の中で生まれ育った二世達の時代になると、世代をかけて変わっていくのでしょう。したがって、宗教学者たちは世代を通してこの宗教団体の行く末を見ようとしています。




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少子高齢化に対する家庭連合が取るべき道(この問題に対する家庭連合のトンチンカンな対応)




あるMLに次のような質問がありました:

ところで家庭連合に少子化対策の妙案はないのでしょうか。有効な妙案を提案すれば家庭連合の株はぐっと上がると思うのですが。


これに対する師観の返信:

原理は家庭的四位基台の重要性を説いています。原理の素晴らしいところは人間の最小単位を個人ではなく、家庭においているところです。

生物は単細胞分裂をする原始的な生物以外はペアシステムで存続するようになっているのです。人間もアダムがいかに立派に個性完成しても、男性一人では、一代で”種”が絶えてしまうのです。

それゆえ、神はアダムとエバを創造したのです。学問的には聖書はヘブライ神話ですから、科学的にはアダム・エバが実在したかどうかは証明できませんが、要するに、生物学的には最低、一男一女が必要であったということです。

それゆえ、復帰原理ではアダム家庭の復帰、ノア家庭の復帰、アブラハム家庭の復帰というように、復帰も家庭単位になっているのです。

復帰原理の中心は堕落したアダム・エバのお陰で、血統的に有原罪になってしまった彼らの子孫にメシアを迎えて祝福を受けて血統転換し、無原罪の神の子女になることなのです。これが人類に対する救いの道だというのです。

もしこのことが本当だというのなら、一般の人を伝道することは大切ですが、それと同時に無原罪の神の子女を生み増やし、内的にも外的にも立派に教育することがさらに大切なのです。

出エジプト記を見ると、奴隷であるイスラエル民族の繁殖力はエジプト人の繁殖力よりも神の祝福によりはるかに勝っていたという。それで、恐れをなしたファラオは国民全体に「生まれた男の子は、一人残らずナイル川に放り込め、・・・」(2:22)と命じるのです。

ここで、大切なことは神は聖書を通して、神の祝福を受けた人々はこの世の人々より、大いなる繁殖力を持って子女を生み増せ、エジプト(非原理世界)が認知せざるをえないような一大勢力になれ、と示唆していることです。

神学によれば、神の啓示には三つあるという。

1.宇宙啓示(宇宙自然界を通しての啓示)、
2.良心啓示(神から来る良心の声)、
3.歴史的啓示(聖書、歴史、世界情勢等)

などです。先進国の多くは何処でも少子高齢化で悩んでいるのが世界の情勢だとすれば、サタンが主管する世界(エジプト)が少子高齢化の現象になっている今の内に神が主管する無原罪の神の子女をイスラエル民族のように生み増やせ、と言うのが啓示だということです。

すなわち、UC・家庭連合は祝福の子女を大いに繁殖して、倫理的、道徳的教育は勿論のこと、外的にも証しになるような大学教育を受けさせ、少子化対策に大いに貢献して、市民権を勝ち取ってカルトの汚名を晴らしなさい、と啓示しているのです。


然るに、UC・家庭連合は何をしているのでしょうか?


1. 私が川崎に住んでいた時、ある小学校で勉強を全くせず、授業中に騒ぎ立てる名うての問題児が出現しました。

その子は1800双のある巡回師の子女でした。聞くところによると、家に帰って来るのが、夜の11時過ぎだという。大変強い縦的信仰の強い人で、神の摂理のために家庭を犠牲するほど邁進すれば、子供は親の姿を見て、立派に育つと思っていたのでしょう。

これは当時の教会の一般的な信仰観でしたが、これを普遍化してしまうと登校拒否の問題児が続出して来るのです。教会の弱点は例外的なケ-スを普遍化して、祝福家庭を顧みないことです。

その結果、投稿拒否どころか、男が男に体を売って生活する子女まで登場し、その証しを本にして、出版したのです。これは信徒の間ではかなり話題になっていました。


2. UC・家庭連合が、借り入れなどと称して信徒に借金してまでも献金させるようでは、彼らは子供を産んでも教育費までも犠牲にしてしまうので、安心して子供を沢山産めないのです。これでは、少子化対策になりません。

本当に、祝福家庭が原罪の無い子を産む唯一の家庭だと思うのなら、沢山子を産むことを奨励し、立派に教育することをみ旨の第一義に位置づけるべきなのです。

少子化を逆手に取って、原罪の無い子を沢山生み育てることでカトリックやモルモン教会のように教勢を伸ばすことが出来、この世に勝利するカギとなるのです。

小学生でも分りそうなことをやらずに、赤字の事業団や箱物の維持費に追われて、信徒に子供は一人で十分だからなどと産児制限みたいなことを言い出し、子供の養育費まで献金させている有様です。


献金は祝福家庭が沢山の子を生む奨励金として与えられ、生まれた子供たちは天の宝として、教会を挙げて公人公器として育てられ、貧しい家庭には奨学金として付与されるべきでしょう。

天の保育園、幼稚園が各教区に建てられ、日本にも天民教育をするための小・中・高・大学が必要でなのです。しかし、現実はやっていることがトンチンカンなのです。



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桜井夫人の退会に対する師観の感想

桜井夫人のUC退会という核爆弾爆発の余波で次のような心配をする意見があるシックからありました。



あらま、とうとうあちらに行ってしまわれたのですか。真面目な方ですから、「どっちでもいいじゃん」みたいに曖昧にできないのですね。

FFの懐の深さがますますなくなっていく=運勢を自ら閉ざす象徴的な事件です。

5/25となっていますが、5/21の尾瀬聖和祝祭には親子で来られていました。

余計な心配ですが、こういう場合、夫人が聖和された折には尾瀬に一緒に入られるのでしょうか?尾瀬はまかりならぬ、なんて非情なことは言われないといいですが。

あるシックの心配終わり。



これに対する師観の感想です。

韓国の幹部たちの中には、TMの逝去後のリ-ダを考えている人が、結構いるようです。この人たちは裏ではH1に繋がっているようです。準備をしているのでしょう。

TMの逝去後、手の平を返したようにH1を迎え入れたとしたなら、桜井夫人は功労者として尾瀬に迎い入れられるでしょう。日本の家庭連合にいる韓国人幹部たちも裏では同じような準備をしているでしょう。

TMが生まれながらの無原罪の独生女で、文師がTMと出会うことで、無原罪になったとなどと公言した時点で、幹部たちは誰も本心ではそれを受け入れてはいないのです。内心では困ったことを公言したものだ、と思っているのです。従って、彼らはそれを隠すので必死なのです。

問題なのは韓国人幹部はH1をサンザン否定しておきながら、主権が変わったなら、全ての責任を日本の幹部に転嫁して、自分たちは初めからH1の側にいたかのような行動をとるでしょう。韓民族とはそれが出来るところに民族の特色があるのでしょう。

事実、日韓併合の時代には、日本兵になる募集には定員のはるかに超える志願者がいたにも拘らず、日本が敗戦したら、彼らは初めから連合軍と共に戦ったような言動をとり始めるのです。これは、彼らはとうてい選民ではないことを証しているのです。



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受容と埋没その2(なぜ西川先生は日本伝道に成功したのか)




なぜ、西川先生は日本の伝道に成功したのかということが話題になったことがあります。

答えは日本文化の受容に成功したからだ、ということになります。すなわち、日本文化の一つである義理と人情と忠誠心を原理の価値観で否定せずに、逆にこれらの美徳を受容、すなわち、受け入れ、それらを天につなげたので、西川先生は日本人に受け入れられたのです。

具体的な例を挙げますと、和動会には「勘太郎月夜」を歌い、日本人の人情の機微に触れ、説教では山中鹿之助は「我に艱難を与えたまえ」と言って、義の為に死んでいったではないか。いずくんぞ、成約聖徒は天の為に命を捧げてみ旨を成すべきだ、と言って食口を激励するのです。このようにして、日本文化の美点を天に繋げたのです。

ところが、日本人食口がアメリカでアメリカ人食口を指導し、伝道したときには、アベルやその組織に対するloyality(忠誠心)を強調するあまり、アメリカ人の美徳であるhonesty(正直)を天につなげる代わりに否定してしまったのです。

具体的にはfundraising(花売りなどでの基金集め)の方針はウソも方便という「ヤコブの知恵」を全面的に押し付け、日本UCの伝統を天の伝統と称して、これをごり押ししたものですから、アメリカの文化の中にそれが根付かなかったのです。

その他、様々な理由で、すでに前述しましたが13000人居た献身者が8年間で、1000人足らずになってしまったのです。

そして、各州の責任者がアメリカ人一人に、教会員は全員、英語のあまり話せない日本人の教会が出来てしまったのです。だから、受容に失敗するとこのような惨めな結果になるのです。

日本においても、受容し過ぎて埋没してしまった例があります。それが霊感商法です。

手相・姓名判断・家系図・先祖の因縁論・いたこ、お告げ、お払い、などは民衆に根付いている民間宗教のようなものです。そこで、韓国からの大理石の壷を売る為に石材を担当している者達がここに目を着けたのでした。

これがすごく当たりまして、壷は爆発的に売れたのです。こうして因縁ト-クが広まり、教会までもやり始めました。しまいには、土地や家を売り払ってでも壷を買うように、薦めるようになりました。

その内にお壷を拝む「お壷信仰」が生まれてしまいました。さらに、壷や多宝塔を買った人たちを伝道するために教義的にも原理と結びつける工夫がなされました。しかし、これは新たな問題を引き起こすことになりました。

多宝塔から伝道された人たちが松涛本部に来てみたら、そこにはお壷は祭っていないし、多宝塔が置いていないので、躓いたというのです。

松涛本部は世界基督教統一神霊協会の本部ですから当然置いてはいないのです。さすがの小山田先生も壷に関しては、「あれは石灰岩がマグマによって結晶した大理石に過ぎないのだよ、とお父様が言っていた」と言って釘を刺していました。

もっと深刻な問題は韓国では同じような大理石の壷がせいぜい1万円以内で買えるものが、ここでは宗教的付加価値をつけて100-500万円で売るものですから裁判で問題になるのです。

商売行為として物を売る場合、原価の10倍を超えたら、公序良俗法に触れるというのです。それで、宗教的付加価値をつけたら、一体あなた方は何処の宗教団体ですかというのです。

まさか、統一教会だというわけにはいかないのです。その理由はいくらなんでも「お壷教」になるわけにはいけませんし、また、収益事業を一切していない立場ですから、この事件は松涛本部のあずかり知らぬところで起こった問題として処理しなければならないのです。

困ったことに、原理を直接聞いて入信してきた学生や青年に対してまでにも壷を買わないと信者になれないと言い出して、その購入を強要することです。

その理由は、堕落人間はみ言葉と直接相対できないので、供え物として万物を捧げることによって自分が象徴的に復帰されたという条件を立てなければならないからだと主張するのです。このように韓国では考えられないような「お壷教」の教義を作り出して、教会の中まで浸透してくるのです。

これは原理の日本文化への受容ではなくて埋没になってしまいます。結果は、左翼弁護士に捕まり、マスコミに社会問題として取り上げられ、UCがカルトのレッテルを張られてしまう結果になりました。

清平教もUCとは別な財団の下で、先祖解放と称してゴマ木の真似事のよな販売行為をしているようですが、これはまさしく「受容と埋没」のテ-マとして考えてみる必要があるでしょう。

日本の伝統的な価値観を天につなげないで、サタン扱いし、韓国の文化が天の文化としてごり押ししますと、受容に失敗し、伝道は伸びず、二世はもとより、一世の心までもUCから離れてしまうでしょう。私は、このことを大変恐れています。

そのようにならないことを祈ります。



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