清平教に変質してしまった残念なUCの姿(石をパンに代えてしまった)




友人があるMLに投稿したものです。一読に価するでしょう。


チョンピョンでの霊的な役事摂理?が1995年頃から始まりました。

そのほとんど開始直後に、ある先輩が、

「チョンピョンの霊界解放摂理なるものは、真の霊界の解放ではない。「蕩減復帰」は、地上人に霊界が協助して、神の復帰摂理・<み旨の成就>に同参することで、霊界の霊人・先祖達は復活、復帰できるという「UC神学・統一原理」の教えと違っている。

 統一教会が、<清平・チョンピョン役事教>の様な、「霊界解放」、霊界の救いの別次元の教えを執行して、「献金集め」も行うようになり「先祖・解放」の為の条件が「献金」であれば、あのルターの時代の「免罪符」と同様に、おかしなことになりかねない。我々は、清平の役事:「清平チョンピョン教」と統一教会は全く別物だと理解しておくべきである」

と言う話をしあったことを覚えています。

 その初期の初期の時点では、一過性の行事であり、霊的な役事体験、聞けば、天使群を主催者・霊能者・金女史が、天界から招霊して、各位参加者に吹き込んで、悪しき霊を追い出し、聖化するのであると言う。どうせ一過性の特別行事であるだろう。・・というような話であった。・・・

 それが、一段とエスカレートして、<多額の献金を集める場所>として定着したのか、四半世紀・25年以上も続き、驚くなかれ、先祖解放に210代解怨などという、理解に苦しむ段階にまになっているのだ。『ファミリー』から、最近のTMさまのみ言葉によれば、「清平は、<独生女を産んだ・テモ二ムのおられる至聖所>で、世界の聖地であります」との説明がありました。


1)1994年に「従軍慰安婦16万人蕩減復帰・日本女性修練会」が長期にわたりアボジ直接主管で開催された。貴重なみ言葉も多々あったのでしたが、なんといっても参加者各位=1万ドル・120万円という膨大な献金が、不思議な事であったが、長期の修練会が、開催される初めには、献金の話は、皆無であり、<「16万日本女性修練会」が、すべて終了した後から、献金がノルマのように、打ち出された>のが、重要なポイントであった。

 修練会の会費は、実費だけで、終了したあとで<加重されて別に1人・120万円>という連絡であったので、16万人の数合わせに、善意で、二度、三度、・・あるいは一家で二人、三人と参加した方々&家では、240万、360円が<請求された>のであった。

 この巨大な<後出し献金ノルマ>?の総額は驚くべきものがあったのだ。1995年から挙行された「清平・チョンピョン摂理?」は、1994年の「16万日本女性・従軍慰安・蕩減復帰・修練会」での巨大な献金パワーを継承する為にも必要とされたようだ。私はアボジ又は誰かに、ひらめいたのであったと思います。下記の「秘密資料」はその裏幕を証言しています。

 初期は清平修練会で、従軍慰安婦の事を祈り、悔い改めて献金もしたのでありました。それが、一段と先祖解放へと向かっていったのでしょう。


2)「献金すれば救われる」という考えは、ルター時代の「免罪符」の様な志向で、統一原理とは別ものであります。「献金が集まり、統一教会の活動推進資金」の為に、活用されて来た点が少なからずあるために、問題あるが、「チョンピョン献金役事」は、今日まで天も黙認されて、献金システムとして存在してきたのしょうが、・・先祖210代、420代解放などとなると「カルト集団を超越」しています。210代は聖書6000年史の向う側、未知の世界に入ってしまいます。


3)日本からの献金が殆ど「清平献金システム」で吸収されてしまい、日本のみ旨成就:国家復帰への系統だった活動が後退し、その結果、久保木会長時代のように、「国家に無くてはならない団体」反共・保守系団体など等の前向きのUC&IFVOC&世界日報発行など等の愛国的な浄化が、薄れて、「韓国の第五列」、反社会的団体、など等日本国家復帰という「み旨成就への使命感」までも薄れてしまったようです。

チョンピョン献金制度は、日本国家復帰への障害となったようであります。悪いことに、幾多のごたごた・裁判問題にまで発展したケースもあります。

 「み旨成就への貢献」が、善霊協助を引き出し、先祖解放、霊界解放への満ちであると「原理講論」は述べていますが、結果的に、国家復帰という・み旨(石)をパン(経済復帰・献金)に代えてしまい、ました。

 聖書には「あなた方は、まず初めに神の国と神の義を求めよ!」「石をパンに代えてはいけない」とあります。

 外国??清平へのひたすら・「献金に追われて」日本国家復帰を忘却し、先祖解放なる別物宗教に偏執したのが近年のUC運動の姿でしょう。

 またまた、天宙の偉大なる革命児であられるアボジは、天与の叡智で、あの手この手を駆使する、サタンとの戦いを続けてきた、超大物・メサイヤであり、真のメシアたる<神聖人>であるとともに、人知を超越された、<裏の手口・革命的な謀略的作戦の盟主>でもあり、あたかも悪役をも執行される、超人・「ツアラトウストラ」なのであろうか。

以上友人の論文終わり



かつてはそうだったように、日本UCが韓国至上主義の旗を降ろし、本当に日本国家に必要とされる団体に再びなっていくべきではないかと思われた方はクリックお願いします。
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霊界の働きとは(人為的なやらせか、それとも神様が働いたのか)




少し前に、清平役事が霊感商法を参考に日本人信徒を対象に献金を稼ぐために人為的に造られた証を米本ブログから紹介しました。

清平役事と霊感商法は人為的なやらせにもかかわらず、病気が治ったとか、先祖の因縁から開放されたとか、様々な霊現象が起きたとか、何らかの霊的恩恵を受けた人たちがいました。

勿論、壷を高額で買ったからといって、特に変ったことがない人たちも沢山います。清平役事も同じで、しらけた顔でそんなものを信じない韓国の先生方もいます。

私の任地国、St Vincentの国家メシアはその一人です。私に、私の家内がどうして任地国に来ないのですか、と聞くのです。

アボジの指示によれば、任地国に行く前に清平で40日間の修練会を受けなくてはならないのですが、仕事の都合で未だ行っていないのです、と答えたら、「清平ではただ手を叩くだけではないですか」と言うのです。

要するに、40日間も手を叩く暇があったなら、すぐにでも、任地国に来なさい、と言うのです。今思えば、我々が霊感商法の舞台裏を知っているように清平役事の裏を知っていたのでしょう。

問題は両者の共通点は全員では無いにしても、霊現象を体験した人たちが結構いたことです。体験したことのある人たちの共通点は本気でそれらを信じた人たちです。イエスが言うように、「汝の信仰が汝を救えり」と言うことなのでしょう。

霊界と言うものは信じる人に働くのでしょう。しかし、神がこのような「人的なやらせ」に働いたかどうかは分かりません。

十戒の中に、「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」という聖句があるのです。したがって、我々は「人為的なやらせ」を> 軽々と「神が働いた」”などと言わないほうが良いでしょう。せいぜい、神の自由許託圏内で人間の信仰に応じて働く霊界があると言った方が無難でしょう。

このよな霊界の働きは、世界救世教とか真光教とか、その他様々な似たような宗教界で起きているからです。勿論、韓国ではシャーマニズムの団体が至る所にあり、悪霊を追い出したり、癒しをしたり、似た様なことをやっているのです。

UCはただこれらと区別するために、彼らは先祖を解放しているだけで、我々は解怨をしているのだと言いたいのでしょうが、同じようなことを真光教も言っています。

悪霊を追い出すだけでは、また戻ってくるか、別な人に取り付くだけで、解決にはならないと言うのです。だから、御浄霊をするそうです。御浄霊とは霊を浄化してからより高い霊界へ送ってあげるそうです。要するに、恨みを開放してあげる> と言うことです。

霊界をむやみに使い出すと、その個人(霊能者)や宗教団体は蕩減を受けて悲惨な末路で幕を閉じます、UCもそのつけが来たのでしょうか?UCは三つ巴に分裂し、妻の方が創始者より偉大で、神の実体の妻であり、創始者はその露払いに過ぎないと言う。

これでは、教義が根底から覆り、韓鶴子教になってしまうでしょう。自分では何のカリスマ性もなく、教会の一つも作れない女性が、苦難の道程を歩み、カリスマ性に満ちた創始者が築いた組織をいとも簡単に乗っ取って行くストリ-だ、と言うのです。

これはいわゆる韓ドラでよく見られる韓国文化の典型的なものでしょう。 クワバラ、クワバラ・・・




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史吉子先生の証(劉孝元先生が行かれた霊界についてのお話)




史吉子先生の証によれば、劉孝元先生が行かれた霊界についてのお話が有名です。

なにやら、死後行かれたところは薄暗い霊界だったそうです。韓国の教会長という位置のゆえに、アボジから愛されて、光り輝いていたが、霊界に行ったらアボジから愛されて輝いていた輝きは、全部奪われ、自分が愛した輝きしか残らなかったそうです。

霊界では、一番輝くものは、イエス様のように自分を迫害する者を愛するという美徳だと言う。劉孝元先生は幸い、原理を知っていましたので、徳を積んで奥様に相対できるところまで、上ってきたそうです。

この証を聞いた信徒たちは、祝福をたとえ三度も受け、恩赦を受けたとしても、自分が人を愛するという徳を積まない限り、劉孝元先生のように暗い霊界にしか行かれないことを悟ったと言う。

紀元節の聖酒を飲んで祝福を受けれたと言って、安心し、喜んでいる人は決して少なくは無いでしょう。逆に、自ら敢えて受けない人も少なくは無いでしょう。どちらにしても、一番大切なことは人から愛された徳よりも、神を真に愛し、自分を迫害する者までも愛することが出来る徳なのでしょう。




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久保木会長から聞いた話(日本が韓国に代わって代理蕩減している)




基元節の為に同じ宿泊所で宿泊した777双の者達の中には久保木会長のそばでみ旨に従事していた者がいましてあまり知られていないみ言を語ってくれました。

本来ならば韓国はメシヤを受け入れなかった時点でイスラエルのように選民ではないと言うのです。

それでも尚、選民の位置を保っていられるのは、アダム国家の失敗をエバ国家である日本に韓国に代わって代理蕩減してもらっているからだという。

これは久保木会長がじきじきにアボジから会長としてしなければならない使命として言われた事だと言う。韓国のすべての失敗をエバである日本に蕩減させるのでどうか韓国を選民からはずさないように神に懇願したと言う。

そう言うことならアダム国家を救う為に人肌脱いでも良いかという気持ちになりますが、そのことも知らずに当然の顔をして、韓国を併合した贖罪と思い込み威張ってごり押しをするとどうでしょう。

それが30年以上も続くと堪忍袋の尾が切れる人も出てくるでしょう。人に自分の借金を払ってもらっているのに、その人に感謝もせず、当然の顔をされると気持ちの良いものではないでしょう。

この間、777双と1800双を教会に招いて慰労会をお母様の計らいで開催していただきましたが、一人の古参の食口が10年間も教会に来なかった理由を語ってくれました。

それは自分のアベルである韓国のリーダーがその人の知り合いに、「お前も統一教会に入らないか。ここでは日本人を顎で使えるよ」と言った言葉に切れてしまったという。

これは彼の自己紹介の時に話したので、前宋会長も地区長も教区長も教会長も聞くハメになったのです。




恩人を顎で使うとは何か勘違いをしているのではないでしょうか?韓国と韓国UCは恩を仇で返すようなことをすべきではないと思われた方はクリックお願いします。
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家庭連合の恐れるもの(お母様の語られた新しい教義をなぜ隠すのか)




私の友人中には、未だ家庭連合の中枢部にいる人たちがいます。長い間の戦友ですから、積もる想いも沢山あり、時々語り合うことがあります。

話が中枢部の悩みや、恐れに触れますと、それは言うまでもなく、韓鶴子女史の以下の発言です。

「私は腹中から3代一人娘の母系として血統転換し、原罪を清算して純潔で誕生した独生女だ。ところがお父様は原罪を持って生まれた。私は一人娘として生まれたが、お父様には複数の兄弟がいる。お父様が原罪なく生まれたなら、その兄弟たちも原罪がないという話になる。したがって、お父様は原罪なく生まれたのではないということだ」


「原罪を持って生まれたお父様は、原罪なく地上で生まれた独生女に会って原罪を清算した。したがって、お父様は私に会う前に、他の女性との結婚をしてはいけなかった」

この発言を直接、あるいは間接的に聞いた36家庭はもちろんのこと、家庭連合の中核のメンバ-たちにも襲撃が走ったという。

中には、長老のカン・ヒョンヒル先生のように耐え切れなくなって家庭連合を飛び出し、H2のところに行ってしまった方もいるくらいである。

家庭連合にとって、何が恐れかというと、文教祖に原罪があったとなると、復帰原理の教義を完全に修正しなければならないことである。

この問題は韓国の家庭連合に止まることなく、全世界の家庭連合に及ぶのです。日本では、すでに神山氏が除名され、江利川女史は退会し、最近では、桜井婦人まで退会し、いつ誰が退会してもおかしくない状況だという。

家庭連合本部の悩みはお母様の言うことをまともに受けとめると、原理の教義と矛盾するし、かといって、お母様は家庭連合の中心だから、アベルに従わなければならないし、ジレンマの真っ只中に置かれているという。

さらに、恐れることは一般の信徒にこの発言が知れ渡り、動揺が走ることだという。それゆえ、対策として、見ざる、聞かざる、言わざるの対策を取らざるを得ないと言うのです。

だから、本部は神経が過剰に過敏になり、神山氏の追悼式に行くなとか、神山夫人の話を聞くなとか、桜井夫人と接触を持つなとか、いちいちお触書を出してくるというのです。

これではまるで、共産主義の監視体制になってしまうでしょう。最後に家庭連合の最大の悩みは、家庭連合自体が最大の分派、すなわ、”韓分派”になってしまったということです。

それゆえ、家庭連合は自分のことを棚に上げて、H1やH2やその他のグル-プを分派呼ばわりしないことです。



UCが本当にお母様に従うつもりなら、このお母様の有原罪、無原罪発言を隠すのではなく、堂々と全シックに公表し、新しい宗教として再出発すべきではないかと思われた方はクリックお願いします。
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現代摂理を振り返って(伝道摂理から経済摂理への転換の真意)




日本が5万50万を失敗したからその蕩減で経済摂理になったと言われていますが、それについての話です。


5万、50万を伝道せよ!というのは簡単です。アボジによれば、何事も自分に同じことを命令して、出来るという確証を得てから、命令するという。

売り言葉に買い言葉という応酬話法の道理によれば、”だったら、自分でやってみたら!”という答えになります。先ず、アボジ自身が韓国で5万、50万を伝道して見せることです。

結論はアボジと韓国UCは伝道において、失敗したのです。5万、50万を伝道できなかったのです。これは36家庭の先生方と韓国に伝道のお手伝いに行った日本シックたちの赤裸な証です。

その理由はUCが淫教のメシアとその教団として、韓国のマスコミに報道され、そのイメ-ジが社会に定着してしまっているからだ、と言うのです。

だから、いくら伝道してのその壁は厚いというのです。教義の中心が血統転換で、聖酒式も三日行事も象徴的に、文教主と女性信徒が性的に交わり、清められた女性信徒が天使長である男性信徒と交わるというのですから、一般人から見るととても受け入れられるものではないでしょう。

ちなみに、H1が日本に来ているリーダたちに向かって、「あなた方は韓国で失敗して来た人たちではないですか?その失敗したパラダイムを持って日本人をどのように指導するのですか?韓国人というだけで、指導できると思ったら大間違いです。その内容のない権威主義がいけないのです」といったという。

いみじくも、同じことがアボジにも言えるのです。失敗したパラダイムを持って、日本に5万、50万の命令をしてはいけないのです。そして、出来なかったから、蕩減として経済復帰に切り替えるというのであれば、これはヤクザのせりふと同じことになるのです。

Kも同じです。到底、達成できないような巨額な献金額を期限を切って命令し、出来なければ、蕩減と言って、韓国人がリ-ダとして、日本人を支配するために送られて来るのです。

ところが、問題はアボジ自身も、そして、それに従ってきた韓国人たちも5万、50万に失敗したパラダイムなのです。

韓日祝福の大義名分の下に、日本人女性が韓国にお嫁に行きましたが、実態を見て来て、その現実的な意味がよく分かりました。

長男の嫁の父がゼンラナンドウのある教会長だったので、挨拶に行った時に、日曜礼拝に参加しました。前の方に、年老いた見るからに、ヨレヨレの老人が4人と10数人のお嫁に行った日本人女性がいました。

そして、教会の活動は韓国人教会長一人と日本人女性でした。彼女らの話によれば、韓国の教会全体が似たような状況だという。

したがって、見方によっては宗教的に美化された大義名分の下に、韓国教会の人手不足を補うために、彼女らは動員されたということです。このように宗教的に美化された大義名分の下に、人もお金も根こそぎ韓国に持ってゆくのです。

蛇の道は蛇の道というように、TMはアボジの極めて韓国人的なやり方を良く見て来ているわけですから、アボジがいくら、絶対信仰、絶対服従をTMに求めても従うはずがないのです。

逆に、”原罪を持って生まれたお父様は、原罪なくして生まれた独生女に会って原罪を清算した”といわれる始末です。失敗したパラダイムを持ってどのように妻を主管しようというのでしょうか?所詮、無理な話なのです。統一家の女性の子女たちは大方TMを支持しているという。

おめでたい日本人信徒は徳野会長を初め、多数の信徒がTMの新しい分派に何の疑問も待たずに(?)に従っているように見えます。クワバラ、クワバラ・・・




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210代の解怨をすれば天国へ行けるのか?(解怨はお金によってなされるものではない)




210代の先祖を解怨する事自体は良いとしても、やらせでなく、韓国の名のある本物の霊能者を招いて210代の先祖の解怨献金を完了した信徒達が霊界をみてももらうと、全然、解怨されていないという。解怨とはお金によってなされるものではないという。

・解怨はお言葉でなくみ言葉(神の言葉)をを受け入れ、実践し、人格を高めて行くことでなされていくのであって、お金の額ではないのです。

韓国の良く祈る人たちが懸命に祈っている中で、神からの啓示が数人の方々に降りて来たという。その内容は「神は文師に平和な世界を造ってくれることを願ったが、自分の王国を造ってしまった。さらに、み言葉(石)をお金(パン)に変えてしまった」ということだという。

それゆえに、教会は分裂し、真の家庭にも問題が起こるという。そして、事実はその通りになって来たということです。要するに、文師はこの2点において失敗したということです。

しかしながら、失敗したからといってメシアではないというのではありません。サウル、ダビデ、ソロモン・・・・、イエスまでも失敗したというのですから、歴史的に珍しいことではありません。

・私が教会長であった時に、突然、献金の要求がアボジからやって来て、勤労青年も一人30万は献金しろ、というのです。さらに、それをしないと祝福が受けることが出来ないというのです。

そこで、青年部の責任者にその話をしたら、献身した青年は献身する時にすべて献金してしまったので、何もないというのです。献身していない勤労青年は信仰深い人ほどすでに貯金も全部捧げたので何もないというのです。

・すると、信仰が浅く、ずるして未だ献金をしていない人や最近原理を聞いたばかりの信仰暦がほとんどない人が祝福を受けれることになってしまうのです。

これは大いなる矛盾なのです。メシアたるお方はこのようなバカな命令を出してはいけないのです。おかげで、文師はメシアとしての資質と資格が疑問視され、失いかねないことになるのです。

残念なことに、青年部の責任者は自分が献身させたばかりに、または在家の青年は早々と全部献金させてしまったことに責任を感じて、辞任し、去ってしまいました。メシアたる者はこのように矛盾した指令を出して、純粋な信徒を躓かせてはいけないのです。

・210代の先祖を解怨の献金額は70万の210代を掛けると1、470万円になります。献身者は勿論のこと、信仰暦の長い信者ほど、そんなお金はどこにもありません。

聖書を読んだことのある人は、アボジの言葉とイエスの言葉を比較します。「金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るよりも難しい」とイエスは言ったが、文師によれば、「貧乏人が天国に入るのはラクダが針の穴を通るよりも難しい」ことになる。

日本の信徒だけでなく一般の日本人の中にはそんなお金を持っていない人は沢山います。いずくんぞ、世界中には数え切れないほどいます。

人類の救世主たるお方が、献金額を設定したために、世界中には数え切れないほどいる貧者を救えないとなると、もはや救世主ではなくなるのです。

献金というものは、イエスが言うように、「あのやもめを見ないか、献金は高額ではないがもてる財産のすべてを捧げたのだ!」と言うのです。それが、神の目から見た献金の価値だ、と言うのです。

・日本が億単位(?)の祝福をするように言われたが出来なかったので、その蕩減として、国家メシアが17年ぐらい前に、パンタナ-ルのレダに住み着き開拓するように指示が下りました。

その当時は教会から一切の資金援助がありませんので、自分たちでお金を出し合ってやる以外に道はありませんでした。210代の献金があるぐらいなら、レダ建設に注ぎ込めというのです。

神山氏が隊長でしたので、レダ摂理のために210代の献金が出来なくなり地獄に行くというのなら、喜んで行きましょうと彼は言ったのです。

そもそも、私どもが献身したのは天国に行きたくて献身した覚えはありません。むしろ、自分一人が地獄に行くことによって多くの人々を救えるのなら、喜んで行きましょうというのです。

・一匹の羊が地獄に迷い出るのなら、天国にいる99匹の羊を残してでも、探しに行くのが羊飼(神様)だと言うのです。

それゆえ、仮に私が210代の献金を果たして、天国に行けるとしても、果たしたくても果たせない貧しい食口を見たら、たとえ天国に行けてもそこは地獄なのです。

結局、自分の完了したお金をそのような貧しい食口に差し上げて、替りに自分が地獄に行かざるを得なくなるでしょう。なぜなら、神はそういうお方だからです。そして、神と共にいることがたとえそこが地獄であろうとも天国なのです。

・マザ-テレサは異臭を放ちながら倒れているカルカッタ-の老人の顔がイエスの顔に変ったという。私達は210代の献金を果たせないで、困っている人の顔の中にイエスの顔を見、さらには、すべてを捧げてしまうほどの信仰があったばかりに、祝福献金を出来ずに祝福が受けられない勤労青年の中に神の姿を見るようでなければテレサ以下の人格と心情の持ち主になってしまうでしょう。成約聖徒と言うのであれば、彼女を超えて余りある人格と心情の持ち主になりたいものです。

注:アボジがレダに立ち寄った時に、210代の献金問題の質問があった時に、あれば献金を促進する方便に過ぎず、国家メシアが受けているレダ摂理の使命は自分の先祖の次元を超えたもっと大きな次元の使命であることに言及していた記憶があります。

事実、水増しした420代の解怨の献金の話は、韓国の幹部たちがいかにも取って付けた捏造したものに聞こえます。

ちなみに、30万の献金をしないと祝福が受けれない話も、献金促進のための方便でしょう。韓国の牧会者たちはこのようなアボジの指令を文字通りに本気に受け止めないようです。これは韓国文化と日本文化との違いでしょう。



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どのようにして清平役事ははじまったのか。(A氏の証言)




 私がこのAさんの証が必要だと思うようになってきたのは、家庭連合が分裂したのは、信徒の中に清平で210代の先祖解怨をしていない人たちが未だ沢山いるからだ、という人が現れたからです。

210代の先祖解怨は文教主の命令であり、み言葉だという。

以前にも話しましたが、マルスムという意味は”お言葉”という意味だという。お言葉の中には、神が人間を通して語るみ言葉もありますが、人間の責任分担において語る言葉もあります。

キリスト教では、イエス・キリストは神性と人性の両面を持つ存在であるという。文社長(弟)によれば、アボジは神の夢と理想を語る人であるという。

だから、What(なにを)を聞いても良いが、How(いかに)を聞いてはだめだという。メシアだから、知らなくても答えざるを得ないので、その通りやるとほとんど失敗してしまうという。

清平役事は、どのようにして経済復帰をしようかという手法の問題ですから、これは明らかに、Howの領域です。したがって、210代の先祖解怨は明らかに経済復帰の手段でしょう。

したがって、これは神が語ったみ言葉ではなく、人間文師が人間の責任分担の領域で語った”お言葉”でしょう。その結果、日本人は一代が70万、アメリカははるかに少なく、韓国人はただ(?)も同然だという。

要するに、いい加減だということです。そのようなお言葉をみ言葉と間違えて、絶対化し、210代の先祖解怨を迫るとは言語道断でしょう。

文教主はかって、日本人は16万人の韓国人女性を性奴隷にした蕩減だと言って、16万の日本人女性に一人につき100万円の献金を持って水沢里の修練所に来いという摂理を展開しました。

しかし、日本が16万人の韓国人女性を性奴隷にしたという事実はなく、それは吉田清治が捏造した造り話でした。捏造を史実と間違えて摂理を展開することは決して神から出てきたものではありません。あまりにも人間的であり言語道断です。

残念ながら、文教主のなすことの中には、このようなことがあまりにも多いのです。至近な例では、束草事件はその典型的な例でしょう。

捏造されたメッセ-ジを金孝南が霊界から受けたメッセ-ジとして読み、H1を世界会長の立場を解任するやり方は誰が見ても精神衛生に悪いやり方です。それゆえ、韓国の古参の信徒の中には、文教主はメシアではないと思う人は西川先生の他にも、結構いるのです。

All or Nothingの立場から見れば、文教主はメシアではありません。したがって、偽メシアだといわれても仕方がないのです。

メシアとは絶対的神的存在だと思っている人には当然なことです。しかし、Totalでみれば、偽メシアではないのです。

メシアとは「油を注がれた者」という意味で、旧約聖書には39人もいます。その内、29人が王で、残りの10人の中には、預言者、
祭司、族長、ペルシャのクロス王までも油を注がれた者なのです。メシアとは人ではなくて使命であり、役職なのです。

39人の中には、立派なメシアもいますが、そうでないメシアもいるのです。完全なメシアは一人もいませんでした。

それでも、メシアはメシアなのです。毛沢東は良い例です。大躍進や文化大革命では大きな失敗をしましたが、彼なくしては中国革命は出来ませんでしたので、革命の父として評価されたのでした。

文教主もUC家庭連合の父であることには変りありません。人類の真の父母の称号は、人類から未だ頂いていませんので、これからです。文夫妻が築いてくれた土台の上に、志を受け継いだ者たちがどれだけ神と人類の前に証を立てるかにかかっているでしょう。



参考:昔米本ブログに載った清平誕生の話(A氏の証言)

 

 証言いたします。

 清平の役事は、もともと会議で決められて始まったものです。
1993年に、お父様が「韓国は独立経済でやるように」とおっしゃり、運営に困った幹部の方々が私的な会議を何度か持ちました。最初の会議は1994年の夏のことでした。

<注>文鮮明氏の指示は、霊感商法が激しく批判されたために、高額大理石(霊石)の壺売りを中止せざるを得なくなり、統一教会の財政が厳しくなった結果であろう。


 場所は、世界日報の社員食堂の入口右側の特別室です。

 そのとき、私は食堂の清掃をしていました。会議には36家庭の方数名を中心に7~8名が参加していました。

<注>36家庭の名簿は、朴正華の『六マリアの悲劇』(初版は1993年11月)の235~6頁に載っている。


「独立経済だって、どうする?」

「霊感商法騒ぎや3万双(合同結婚式の報道合戦)で、日本の教会が打たれ、壺も全く売れないしなあ」

「でも、一心石材さんは今まで儲かったじゃないの」

「水沢里(すいたくり)も、日本人がたくさん来て、大きくなったしなあ」(16万人女性研修時のこと)

「日本人って、いろいろなものを買っていくよね」(み言葉集とか写真集など)

「清平も、世界万邦の朝貢を受けるって、御言あるけどなぁ」

「なあ!清平で先祖解怨、やらないか!?日本人相手に。でも、もう興進様(ブラックフンジンのこと)、使えないよね」

「興進様が使えなくても、まだ大母様(韓鶴子の母、洪順愛の霊のこと)もいるよ」

「あっ、それなら俺、ちょっと霊的な姉妹知ってる」

「でも、それ、ちょっと、食口を騙すことにならない?」

「大丈夫!韓国は奪われてきたから、盗んでも罪にならないって、御言あるし!」

「だけどさぁ・・・」

「やぁやぁ、俺たちは御言を成就させなきゃいけないじゃないか。あんな田舎の清平が、今のままでどうやって世界万邦の朝貢を受ける、って言うんだ」

「・・・・・」

「じゃあ、その姉妹に連絡して・・・」

「まあ、何とかなるか。興進様のときみたいに失敗しても、まだ忠母様も恵進様もいるしなぁ」

 その姉妹とは金孝南のことです。当時の地位は婦人部長より下で基台長クラスだったと思います。若い頃は目立たない人でした。

 なお、「忠母様も恵進様も」と語った人は、<どうして俺の独り言のつぶやきまで聞こえるんだ?!と、不気味に思われることでしょう。

 神様がよく聴いておくようにと私の耳を開かれたからとしか言えませんが、聞こえてきたのは事実です。


 清平役事が始まったのは1995年1月です。

 前年のうちから「大母様が降臨した人がいる」という噂がしきりに流れていました。

 役事が始まってから1カ月後に、また会議がもたれました。

「上手くいってるじゃないか」

「蝋燭(ろうそく)も売れてるしなぁ」

「先輩、うちの湯薬(漢方薬)売れませんかね?大母様(金孝南氏)にお口添えいただいて」(発言者は72家庭の漢方薬の店主)

「おう、任せとけ」

「私の話も聞いてください!世界日報はいいですよ。日本人隊員をたくさん投入してもらって。だけど、うちの宗教新聞は全くです!お父様は売れ売れとおっしゃるけど、あんなの売れませんよ!」

「まあまあ、それもお口添えしていただこう」

 こうして、漢方薬は霊が取れる薬として、販売されました。東洋医学は心身ともに治療するので、霊が取れたような気がするかもしれません。また、「あなたの信仰があなたを救ったのだ」ということもあるでしょう。

 宗教新聞は、韓国食口に対して、「皆様!大母様から啓示が降りました!お父様が創られた宗教新聞を忘れていませんか?! 天はとてもお怒りです。世界日報は体(からだ)・カイン、宗教新聞は心(こころ)・アベルです。アベルである宗教新聞をもっと大切にして、食口全員、講読するように!」 と給い、部数は増えました。が、本来この新聞は他の宗教人に読んでいただく新聞だと理解しています。

 事情がわかっている人たちは、「あいつら上手くやったなあ」「ああ、俺たちも何か売るものないかなあ」 とか言っていました。

 役事を始めて7ケ月も経ってから、幹部がお父様に報告しています。

「お父様!お父様!大変すばらしいことが起きています。大母様が降りていらっしゃって、人々を教え、癒していらっしゃいます」

 お父様は、金孝南氏を呼び、霊界の実相について話すように指示されました。 金孝南氏が答えると、お父様は「言ってることは正しい」とおっしゃいました。
 
 清平全部をお父様が許可したと誤解している人々がいます。そうではありません。
 
 皆様、たとえどんなに小さき者でも原理を語れば、お父様は「おまえの言うことは正しい」とおっしゃるでしょうし、サタンが原理で讒訴(ざんそ)すれば、「おまえの言うこうとは正しい」とおっしゃるでしょう。また、霊界から興進様、大母様が人々に(食口ひとりひとりに)役事していらっしゃることも事実でしょう。

 更に私が目撃したのは、内輪もめしていた事です。全てがお芝居であると、清平役事スタートスタッフは全員、認識していたのです。

 1995年8月、祝福式前の修練会で、役事の時間に、当時の修練院院長が役事の司会者に掴みかかって、「俺は院長なんだぞ!どうして大母役のあっちのほうがもてはやされるんだ!」

 と、内輪もめしてましたね。全てがお芝居なのに、それはそれは不公平なことでしたね。

-小括-清平役事は韓国統一が経済的に自立するために編み出されたものだった-

「悪霊分立」「先祖解怨」は“会議室から編み出された「金の成る木」”。つまり、無から有、なんにもないところからお金がわき出すようにしたということなのだ。

 これは、大成功した宗教界の「天宙ウルトラ・ベンチャービジネス」といっていい。

 売り上げは1995年から2015年の20年間で、1兆円はないにしても数千億円にはなる。なにせ、前回の記事で書いたように1年間で200億円も、だから。

 世界日報の会議室で知恵を絞った、先祖解怨そしてそれを金孝南女史にやらせようと思いついた7、8人の古参シックは、イグノーベル経済学賞の有力候補だとして事務局に書類を送りました。やったぜベービー、かわいくないベービーに ハイ、大拍手~ぅ

 2006年6月13日。天正宮博物館奉献式及び天宙平和の王・真の父母様載冠式において、功労者として霊界の興進様、大母様が賞を受け、代理人として薫淑様と金孝南氏がその賞を受け取りました。

 薫淑様が慎んで受けてらっしゃるのとは対照的に、金孝南氏は満面の笑みを浮かべ、薫淑様より前に出て、とても得意気な表情で、拍手する観衆に手を振っていました。

 大母様は、決してああいう表情はなさいませんでした。一生涯影のように暮らし、決して表に出ず、ご父母様が世界に出られるよう、ご子女様に侍りながら、家を守っていらっしゃいました。

 ご子女様の切った爪を「これはメシヤのお子様の爪だ」として、お一人お一人のを大切に宝物として保管なさっていた方です。

 そんな方が興進様の代理である薫淑様より前に出て、観衆に手を振るなんてことは絶対になさいません。韓国の侍る文化からしても、絶対にありません。

 権進様、栄進様がマッチングを受けられ、食口の前でお披露目に出られたとき、栄進様の相対者が栄進様の前を歩いて出てきました。その姿にギョッとしましたが、案の定、大変問題のあった人でした。そういえば、その相対者を紹介したのも金孝南氏ですよね。

 大母様は生前なさっていたように、神の子たちが主の前に行けるように、陰ながら役事なさいます。興進様、大母様は地縛霊でもないのに、どうして清平の限られた場所でのみ役事なさる必要があるのでしょうか?

 今は、真のお父様は霊界にいらっしゃいます。主の霊により直接導かれることを祈りながら、私の証言を終わります。

(補足)
 霊感商法も弟子が考え出して始めたことです。

 ある人がお父様に「これ(壺)は、本当にいいものですか」と聞いたところ、「これは、終わりの日に、これを持っている者までも、先生が私の子だよと主張するためのものだよ」とおっしゃったそうです。

 その御言を聞いた、けっこうな人数の食口たちが、救いの保険のように壺を買い求めたようですが、ご父母様を受け入れている食口、祝福家庭は当然、「私の子」なので、それらのものを買う必要はありません。

A氏の証言終わり



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無知から知への解放(朴正煕大統領のお話)




私も含めて、古参のシックたちは、原理講論の再臨論の反日史観を長い間そのまま信じて来ました、

私などは最近になって、キム・ワンソプの「親日派のための弁明」やイ・ヨンフンの「韓国の国史を書き変えよ」などを読み、目を見張る思いでしたが、決定的にこの真逆の論調に確信したのは、石原慎太郎氏と朴正煕大統領(当時)の対話でした。



朴氏:「しかしあのとき、われわれは自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。

もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。

もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。

日本を選んだということは、ベストとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、セコンド・ベストとして私は評価もしている」(拍手)。

 朴さんが、「石原さん、大事なのは教育だ。このことに限ってみても、日本人は非常に冷静に、本国でやってるのと同じ教育をこの朝鮮でもやった。これは多とすべきだ。私がそのいい例ですよ」と言う。

「私は貧農の息子で、学校に行きたいなと思っても行けなかった。日本人がやってきて義務教育の制度を敷いて子供を学校に送らない親は処罰するといった。日本人にしかられるからというんで学校に行けた。

その後、師範学校、軍官学校に進み、そこの日本人教官が、お前よくできるな。日本の市谷の士官学校に推薦するから行けといって入学。首席で卒業し、言葉も完璧でなかったかもしれないが、生徒を代表して答辞を読んだ。

私はこのことを非常に多とする。相対的に白人がやった植民地支配に比べて日本は教育ひとつとってみても、かなり公平な、水準の高い政策をやったと思う」・・・



これに対する私のコメント:

これは西欧の植民地そやり方とは違って、実にアベル的な統治ですね。

しかし、よく分らないのはアボジの反日スタンスです。一方では、日本が李王朝を倒していなかったら、アボジが王として 再臨すれば殺されていたであろう、と言うみ言葉を聞いたが、もう一方では、

1993年=「旅順に安重根記念館創設」=安重根を称えている事、及び1994~95年にかけて「16万人:従軍慰安婦・強制連行・蕩減復帰修練会」(蕩減献金=各自1万ドル問題)・・など等~~「日本加害者・罪悪史観」が強調されて来たことです。

一つ考えられることは、アボジが摂理を推進するに当たって、多額の献金が必要としたら、史実などどうでも良いことで、問題にせず、方便として、日本シックに罪悪感を植えつけて、献金路程に邁進させることです。

しかし、これはえげつないやり方なので、蕩減を受けることになるのです。その結果、アボジ自身が基元節の前に逝去し、家庭は三つ巴に分裂し、TMとその教権側はアボジの「日本加害者・反日罪悪史観」を踏襲し、今日に至っています。

そして、韓国自体が経済的にも政治的にも、行き詰まり、衰退しつつありあります。

したがって、このような状況を見る時に、天運を失い、神の祝福からは遠く見えるのです。



それゆえに、N氏の以下の論調は真に正論でしょう:

 日本の日清、日露の戦いの勝利と「40年併合時代」は「最大の神の愛の証」であり、これら無くして、だららだと500年続いた「暗黒・李王朝」が延長したら、再臨主降誕どころの騒ぎではなく、朝鮮半島は、ソ連&中共の支配下の国となっていた・・・。

解放者であり守護者であった「日本に感謝」すべきを彼等はこれをねじ曲げ、真逆の評価を行ってきたのです。

日本を通じての神の摂理と40年併合時代における「至高の神の愛の証」に対して、これを最も強調され、韓国の「怨日・反日国是解消」&「韓国新生復活」&「韓日一体化」への道が、神の準備された摂理であると理解するのが正常でしょう。

このメッセ-ジを通して多くの洗脳されたシックが無知から知へと覚醒されることを願います。


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人間の偶像化(人間を敬拝しているのか、それとも神様を敬拝しているのか)




先日、文教主が神に祈っている写真のような絵を見つけました。これこそ、メシアの真の姿に思えましたので、祭壇に父母様の写真の代わりに置きましたら、とてもよい感じになりました。

何人であれ、人間が神に祈る姿は謙虚で、美しくさえ見えます。そして、それが自然に見えます。ところが、いつの間にか文夫妻の写真が一人歩きを始め、その写真の前で敬礼するようになってしまいました。

いかに教条的な食口といえども、写真そのものに敬礼をしている意識はないでしょうが、写真に写っている人物を神の代身と見なし、神に敬礼するよりも教主自身に敬礼するようになり、神と教主の区別がつかなくなって行くのです。十戒の第一条は神以外のものを崇めてはならないというのです。

したがって、信徒といえでも、教主が崇めている神を崇め、教主が敬礼する神に敬礼するのが道理なのです。

しかしながら、次第に文夫妻を崇めるようになり、特に、メシアである文教主を崇めるような伝統が出来てしまうと、文教主の逝去後は、妻である韓鶴子女史が教主にとって替わり、自分自身を文教主以上に崇めることを要求しだしたのです。

すなわち、被造物である人間を崇めさせるというボタンの掛け違いの代価を払う結果が韓鶴子分派を生み出してしまったのです。このように偶像化された教会は分裂して行くのは当然の結果なのです。

ところで、文教主のいわゆるみ言葉は曲者です。教会の長のつく者が説教をし、すばらしい感動的なみ言葉を語った時には注意をしなければならないというのです。

その人が語った後に、その人の印象が残ったら、どんなすばらしい説教でも、それは失敗だというのです。その人の印象が消えて神の印象が残らなければならないというのです。

メシアたる者はあくまでも人々を神につなげる仲保者であって、自分が神にとって替わってしまってはいけないというのです。

それゆえ、八大教本もよいけれども、それは文教主のみ言葉集なのか、全く人間臭さを感じさせない神の言葉なのかが重要な問題になってきます。

そこで、皆さんの感想を聞かせていただきたいものです。この問題はTFだけではなく、TMやH1もH2にも同じことが言えるのです。



アベルを神格化するのではなく、本当の意味で神様を敬拝するUCになってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
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神の国はどこへ行ってしまったのか(我々は政治理念を失ってしまったのか)




私がクリスチャンだった頃は、個人の魂の救いが中心であった。要するに、洗礼を受けてキリスト教徒になれば、原罪だけでなく、これまでに犯してきた罪は一切許されるという。

これは、明らかに個人の救いが中心である。勿論、それだけではなく、イエスが説いた倫理・道徳があり、その中には自分を愛するように隣人を愛せよ、というような美しい教えがあった。

だが、残念ながら神の国を地上に実現するという意識はなかった。

カトリックに飽き足らず、プロテスタントの様々な教派を尋ねたが大小に拘らず、どれも似たような意識であった。

その共通点は地上に神の国を実現するような教義はなく、死後の世界における個人の魂の救いであった。

大学に入ってみると、60年安保の直後だったので、マルキストが自治会を独占し、革命意識が盛んであった。

国家の政治を変革し、資本主義国家から社会主義、共産主義国家に変革しようと言うのです。

ここで、驚いたのは彼らの意識です。個人の救いは二の次にして、国家、世界の救いを第一義に考えて、革命の為なら、個人の命も犠牲にする意識です。イデオロギ-の違いはともかくとして、公的意識に関しては、クリスチャンよりもはるかに高いのです。

キリスト教は、世俗の社会や政治を変革する理論を持っていないがゆえに、クリスチャンが世界に対する責任を果たそうとして社会問題に取り組む時に、最も力強い世俗社会の革命論理を持っている共産主義に引き込まれてゆく傾向があります。

その為に、非常にあいまいなかたちで、社会意識の高いクリスチャンは共産主義者と政治活動をします。私も自治会の執行部の活動家と共に反戦活動のデモに参加したものだった。

なぜなら、反戦は本来クリスチャンが主導してやるべきものだと考えていたからです。

そんな時に、原理に出会ったのです。原理はこの地上に神の国を実現するという教義、即ち、神を真の父母として侍る万民一家族の共生共栄共義主義と言う政治理念を持っているのです。

それに向かって勝共理論も生まれ、統一思想も出来ては来ました。

しかし、今のUC(家庭連合)はどうでしょうか。死後における個人の救い、先祖の救いに最重点(?)がおかれ、そのためには地上での生活を犠牲にしてまでも献金することを要求し、政治には全く無関心、せいぜい韓国人リ-ダが民進党・共産党と同じような論調で安倍政権を批判し、日本が韓国に従属することを説くぐらいです。即ち、地上天国実現は何処吹く風に成り下ってしまったのです。

韓国のリ-ダ達が日本の政治に口を出したいのであるなら、韓国に帰って、自分の国の政治を改革したらいかがなものでしょうか。

地上天国の日本における政治理念が全くない外国のリ-ダ達が日本UCの幹部に居座っていることは実に不条理な話なのです。



地上天国実現のためのしっかりした政治理念を持ったUCに、少しでも再び戻ってほしいな、と思われた方はクリックお願いします。
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UCが本質を失わずに仏教神道の背景のある日本に受容されるには(キリスト教に学ぶ)



実質的に昨年8月から始めた師観のブログのアクセス数が7万を超えました。約11か月で延べ7万人もの人に読んでいただけるとは思っていませんでした。読んでくださった方ありがとうございます。

まず、キリスト教がどのようにしてローマ帝国に受け入れられていったかですが、神本主義のヘブライズムと人本主義のヘレニズムとは明らかに異なった文化であり、交わりそうもありません。

しかし、受容とはヘブライズムのキリスト教がギリシャ・ロ-マのヘレニズムの文化を受け入れることによって、受け入れられていくことです。

アウグスチヌスは当時のありとあらゆる哲学・宗教に精通していましたので、それが出来たのでした。当時はネオプラトニズムがロ-マに流行して、教養のある庶民や知識人たちはそれを崇拝(?)するほどでしたので、そこに彼は目をつけたのです。

当時流行していた密儀宗教もそうでしたが、プラトン哲学はあの世である形相(イデア)世界(性相)は実相の世界で、この世(形相)は影のような世界で、幻でも見ているような世界なのです。

したがって、この両者は交わらない分離された形而上学的二元論の世界なのです。プラトンによれば、形相(イデア)は霊的不変的な世界であり、質料は物質的可変的な世界な世界なのです。

前者は完全な世界であり、後者は不完全な世界で、完全と不完全は交わることなく、永遠の平行線をたどる世界なのです。

さらに、プラトンによれば、神は形相(性相)でもなく、質料(形状)でもなく、デミウルゴスと呼ばれる全く別な存在なのです。そして、デミウルゴス(神)と形相、すなわちイデアと質料の三者は永遠の昔である初めから個々に独立して存在しているのです。

これでは、まるで形而上学的三元論です。そこで、神はイデアをもって質料に刻印してこの世界を創造するのです。したがって、この世界は質料から出来ていますから、神からも、形相(イデア)からも断絶しているのです。

そこで、アウグスチヌスは神を万物の始原、根源者とし、さらに、形相(イデア)を神の内部にあるロゴスとし、質料は神によって
”無”から創造されたものとしたのです。このようにしてキリスト教の無からの創造論が出来上がって行くのです。

さらに、中世になると、今度はトマス・アクイナスがアリストテレスの哲学を用いて、神学を体系化して行くのです。キリスト教神学がギリシャ哲学の枠組みで構築されたとはこのことなのです。

このようにして、キリスト教がヘレニズム文化であるギリシャ哲学を受け入れることによって、ロ-マ帝国に受け入れられていったのです。このように本質を変えることなくその国の文化を受け入れることによって、受け入れられて行くことを受容と言います。

しかし、ここで問題になるのは神観です。イスラエル民族の聖書を通しての神観がギリシャ哲学の枠組みでキリスト教の神観として構築される段階において、別なものに変質しまったのです。その理由をもう少し詳しく説明しましょう。

まず第一に、ギリシャ哲学の形而上学的二元論の形相と質料の説明をしてみましょう。

形相とは非物質的、不変的、完全充足的な概念であり、これに対して、質料は物質的、可変的、不充足的な概念なのです。無限と有限とは全く相容れないようにこの両者は全く相容れない概念であり、存在です。

アウグスチヌスの神もトマス・アクイナスの神も完全な形相なのです。それゆえ、神は非物質的、不変的、完全充足的な存在となります。まさに、自分は動かずして、すべてを動かす”不動の一者”なのです。

神はそれ自体「完全充足的」な存在ですから、被造世界を創造する理由は全くないのです。すなわち、被造世界などをわざわざ造らなくても、神は自分に満足できるのです。それゆえ、神学者は神の勝手気ままな創造論といいます。

無から創造された被造世界は原理でいう性相(形相)的な側面がありますが、神からではなく、”無”からですから、質料的であり、すなわち物質世界であり、不完全な世界なのです。

これは純粋・完全なる形相(性相)である神とは絶対に交わることはないのです。それゆえ、神の作品である物質世界を見れば作者である神が分かるという論理は成り立たないのです。

被造世界をいくら見ても、完全な神は見えないのです。いくら人間が神に似せて造られたといっても、質的に、似て非なる世界なのです。有限な世界をいくら見ても、無限な世界を規定できないのです。一部を持って全体を規定できないのです。だから、ソクラテスは「汝の無知を知れ」といったのです。

それゆえ、永遠に不完全な被造物がいくら成長して完成しても神の完全さとは質的に異なり、次元の違う世界なのです。これが形而上学的二元論の世界なのです。かくして、神は人間から遠い存在となるのです。

このような西洋文化に受容してしまった一神教の神は日本の文化に合わないことでしょう。

それでは原理の神の創造とはどんな創造論になるのでしょうか。

無からの創造論(エックス・ニヒロ Creation out of Nothing)がおかしいのです。これは言葉の誤魔化しです。Creation out of Nothingではなくて、”Creation out of Nothing but God”なのです。

要するに、無とは何もないことではなくて、”神以外に何もない”ということです。仏教のような東洋哲学では無とは形のない無限の有なのです。

この無が属性として知情意の機能を備えているとすれば神になるし、単に法を備えているとすれば究極の理法になります。ただし、大乗仏教ではこの法を擬人化して人格的な表現をします。

それゆえ、神は神から、すなわち神の属性である原相から創造したというのです。哲学では本質は現象するという。すなわち、神の属性である本性相と本形状が被造世界として現象化したので、すべての被造物は性相と形状を持つのです。

問題はこのような表現を使うと、異端として退けられた流出論と間違えられることです。目に見えない本質である神が実体として現象化したとなると、汎神論になってしまうのです。神と被造物との間に非連続性を持たせるためには神からではなく無からの創造が必要だったのです。

ところで、親(原因)が自分の体の栄養素を材料にして、子(結果)を産んだとしても、親子は似てはいますが全然違う存在です。

それゆえ、神が子を産むように人間や万物を流出(創造)したとしても、出てきたものは全く違いますので、現実的には汎神論にはなりません。

神と人間の関係を親子の関係として捉えることは、両者は心情的にとても近い存在になります。それゆえ、親なる神は子なる人間が完成しない限り、神の完成はないのです。

すなわち、主体なる神は神の最も本質的な愛の対象である被造物の完成をなくしては完成しないというのです。

親は子が出来て初めて親になれるのです。だから、子が原因で結果として親になれたというのです。子も、また、親が原因で結果として子になれるのです。

これを仏教では、原因結果相互依存の法というのです。般若心経の中に色即是空、空即是色という経文があります。色とは結果、現象界を意味し、空とは原因、本質界を意味します。

これは親と子の係わり方、原因と結果の係わり方、主体と対象の係わり方、創造主(神)と被造物との係わり方を法として説いているのです。

存在同士の係わりを実存といいます。これを即非の論理ともいい、西田哲学では神の創造の行為を神の自己否定として理解したのです。それゆえに、我々人間も自己否定しない限り、神と出会うことが出来ないというのです。

文教主の言葉を借りると、神の完全投入、絶対服従(自己否定)、絶対信仰、絶対愛ということになります。

余談になりますが、アベルの立場にある者がカインの立場にある者に対して自己否定をしないで、絶対服従を要求したら、神とは真逆の行為になってしまいます。

さらに、本質の自己否定としてそこから流出してくる現象を捉えたなら、これは連続ではなく非連続の連続になりますので、汎神論にはならないのです。

聖徳太子が日本に仏教を受け入れ、仏教徒の久保木会長とその仲間が原理を受け入れたおかげで、日本統一教会の基盤が出来たのですから、原理は仏教文化に受容されると、発展することは間違いないでしょう。

天地正教は献金の目的で出来てしまいましたが、純粋に仏教文化への受容として展開していたのなら、天地正教は仏教への架け橋になったかも知りません。同じように神道研究の方々も原理の受容の道筋をつけれることを祈ります。




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ある韓国人二世姉妹の怒り(UCの実態と韓国の儒教原理)




ある時、希苑教会に行って返って来た二世の韓国人(婦人)が私の家に立ち寄った。それは長男の嫁が韓国人なので、時々尋ねてやって来るのです。

私が今日の礼拝はどうでしたかと聞くと、突然強い語調で怒り出した。

説教者は日本人二世だそうですが、TMが統一家の子女達の問題を批判してはならない。 なぜなら、TFもTMもカインの子女である祝福家庭を愛しなければならなかったので、自分の子女達を教育する暇が無かったからだと言ったという。


彼女の怒りの内容は:

1. 自分の父は高校生の時に原理を聞いて献身し、地方の貧しい教会の教会長だったので、子供たちは食べるのもママならない生活だったという。お陰で、大学に行けず、高卒で働きに出て、せめて弟だけでも大学に行かせようとして、婚期を遅らせてまでも送金してあげねばならなかった。

然るに、統一家の子女達は執事までついており、高級車を乗り廻していた。しかし、地方の教会長達は自分達の子女を犠牲にしてまでも、統一家に貢いで来たというのです。


2. 彼女の母は自分の子女を家に残したまま、教区長の子守の為に働いていたので、長女の彼女が3人の弟妹の面倒を見なければならなかった。


3. 韓国社会は上司が部下の家族の為に犠牲になるというシステムは無く、その逆のシステムになっているので、下層階級の教会長達の生活は惨めである。


4. 彼女の父は高卒で献身したため、原理を聞いても献身しないで、大学を出てから来た者はその間、信仰の訓練は無いにもかかわらず、学歴が優先されて、彼らの上司になって行く。


5. 彼女の父は年齢制限の為、退職させられ、住む家も無く、次女のアパ-トに老女の妻と共に居候の身であるため、彼女は日本で働き、老いたる父母の為に送金している。


6. 然るにTMと子女様たちは宮殿や豪邸に住み、王族の生活をしている。それゆえ、家庭を犠牲にして尽くしてきたのは、下層階級の地方の教会長達であって、統一家ではない。

子女様たちはそのほとんどがお金を積んでハーバ-トに入学し、多額の学費を使うことが出来ましたが、彼女の妹達は高校に通うだけでも大変であった。それゆえ、TMの発言を聞かされた時、積もり積もった感情が爆発した。


7. 日本人信徒の大多数はTMを無条件に崇め奉るが、韓国の信徒達の中には逆に、腹を立てたり、怒りを爆発させたり、恨みを抱き、少なくても敬服してはいない人々がけっこういる。


それに対する私のコメント:

以前にも話しましたが、統一神学校の権威ある宗教辞典に中に統一教会の特色の一つとして、教祖と幹部達が裕福な生活をしているが平信徒たちの生活水準は低いという。

また、別な資料によると、韓国では、「父母」とは子供の為に自分を犠牲にして尽くし、愛情を限りなく注ぐ存在を意味するのではなく、家族の中の王様であり、子供達が忠孝を尽くすべき存在である。

これは李王朝時代に形成された朱子学の親子観と言ってよいであろう。親は子供を生んだ時点で権威をもち、生んで育ててもらった子供たちは親に絶対服従し、自分を犠牲にして忠孝を尽くすことによって、家庭の秩序が保たれ、社会秩序が保たれるという。

ちなみに、シムチョンという娘が盲人である父を助ける為に、自分の身を漁師に売り、船から荒海に飛び込む物語がある。これは、一見美談に見えるが一方的である。逆に父が盲人の娘の為に荒海に飛び込む物語も必要であろう。

セウル号において、父母の立場ある者達(船長とそのクル-)が子供の立場に立つ学生達を犠牲にして逃げ出す訳だが、彼らの精神構造は彼らの儒教観を如実に示している。

統一教会においても、「真の父母」と信徒に言われている方々は、その一族と宮殿に住み、その維持費や諸々の事業の為に子女の立場にある信徒たち、特に日本の信徒達に過剰な献金を数十年に渡って課する文化構造は韓国の儒教原理主義に酷似している。家や土地を売らせ、自己破産させ、しまいには自殺にまで追い込もうが献金ノルマは加重されても減少することは無い。

これは明らかに「講論」が説く、万民一家族の共生共栄共義主義の神を中心とした社会主義社会ではなく、李王朝に酷似した絶対君主制社会になりつつある。

そこで、実体が伴わない教義は、ただの観念論に過ぎないのであるが、信仰義認という便利な神学がある。この神学の教義によれば、メシヤはすべてを成したといったのだから、その言葉を信じる者は神によって義認され、救われるという。

これに対して、神学の中には信仰だけでなく、罪・堕落性が清められ、聖化されてこそ救われるという教義もある。教会史の中では、どちらかと言えば、カトリックは聖化の重要性を説き、プロテスタントは義認を説いてきた。

UCの中にも実態がどうあれ、メシヤが「すべてを成した」と言ったのだから、それを信じれば義認され救われるという信徒もいる。しかし、実態が伴ってこそ神の国は地上に実現すると説く信徒もいる。さて、皆さんはどちらでしょうか。


注:アボジの在任中に自己破産で自殺者が出たが、その事実は恐らくは誰もアボジに知らせはしなかっただろと思われる。


参考(霊界の実相と地上生活p37): 

36家庭は家庭の階級においては最高ではあるが、最高の地位において赤裸に自分の誤りをすべて露にして生きて行く苦しみとは表現しがたい。

地上にいるとき、女性問題、公金問題、その他の問題に引っかかった家庭は、地獄にいるのではなく、神のそばにいながら、あらわになった姿で生きて行かなくてはなりません。それは言葉で言えない苦しみです。

例えば、他の女性と性関係を持っている場面が随時、みんなの前に見えるのです。また、公金を自分勝手に使いながら、酒場に行って女と堕落しながら、お金をばら撒く姿がはっきりと見えるのです。一言で、地獄よりも恐ろしいところです。

(霊界の実相と地上生活p37)引用終わり


これに対する私のコメント:

実態の伴わない信仰義認で天国に行ってもこれでは地獄より恐ろしいところになる。それゆえ、松涛本部の教義の責任者が信仰義認論を説くとは奇奇怪怪な話しである。



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家庭連合の将来?(2世の残念な現実)




ビスマルクは「私にあなたの国の青年を見せよ!、さすれば、あなたの国の未来を予言できる」と言ったと言う。

現在の家庭連合の20歳以上の祝福子女は3万人であるという。その内、祝福を受けた者の数は1000人だという。すなわち、1/30の割合になる。ところが、実際に家庭を出発する数はもっと少ないという。

私なりに二世のUC離れの理由を考えてみると:

1.UC(連合)自体が三つ巴に分裂して、収拾の未透視がつかないこと(希望のモデルの崩壊)。

2.仁進さんの略奪婚に見られるような不倫や堕落が数多く真の家庭の中で展開され、祝福の見本となるべき神話が崩れてしまったこと。

3.UC自体が祝福の天的価値を下げ、この世の結婚相談所の道具に使っていること。

4.祝福を受けた家庭と一般の家庭との違いがほとんど変わらない状態になっていること。即ち、神の栄光らしきものが特に目に見える形で現れていないこと。

5.UCの信徒の家庭は過剰な献金や借金の為、子供達をほっとらかしに、教育が犠牲になっていること。例えば、世間では子供を塾に行かせるのは当たり前ですが、シックはそのようなお金がないこと。

6.一般社会では未来の発展の為に現在を犠牲にしますが、UCは目前の摂理成就の為に未来(子女たち)を犠牲にする。

7.UCの現状を見たら、世の人々からも、内部の二世からも希望が見えず、魅力がないこと。

羅列すると、こんなところでしょうか。皆さんはどのように思うのでしょうか。

これに対して、ある人が次のコメントをしました。

夫婦仲が悪いのが大きな比重を占めているように思います。
好き同士で夫婦となった訳ではないので、み言葉の理解度が低いと、夫婦の隙間風が一般家庭より強いように見受けられます。

このコメントで思い出しましたが、妻がもの凄いバリ教で、夫は現実的で、借金生活にはうんざりしている信徒が沢山います。ここに不和が生じます。

それを見て育った子女たちは祝福に希望を持てないのです。



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日本の信徒なしに、これまでの摂理は成し得たであろうか(UCの悲しい現実)




劉正玉氏の本体論のビデオを見ていたら、ところどころに日本人を小バカにした言動が目に付きます。このような言動は総じて、韓国のリ-ダ達の中に見られます。

ところで、このおめでたい(?)日本シックがいなければ、アボジのこれまでの国内外の摂理は皆無に等しいほど展開できなかったことでしょう。

日本の伝道が失敗して韓国だけでしたら、何が出来たのでしょうか。韓国にあるほとんどの企業、土地、その他の不動産、学校、新聞社、教会、その他諸々は日本シックの献金でできた物ばかりです。

時々感謝の言葉は聞くことはありますが、圧倒的に韓国に対する償い意識を植え付けて、自己破産しようが、自殺者が出ようがお構いなしの献金ノルマを課して来る収税人、両班的搾取です。

アメリカにおける資産のほとんども日本からの献金です。裏を返せば、日本シックがいなければ何も出来なかったということです。

TMの時代になると、その器から世界的摂理を展開する発想は生まれてきませんので、その違いは皮肉なほどに明確になってきています。

その一つの理由は、アボジ時代に、購入した赤字の企業の整理はしたものの、日本の献金なくしては運営できない事業体の整理や作り過ぎた箱物の維持費に追われて、国家復帰や世界復帰の新たな摂理を考えるどころではなくなって来ていることです。

そのくせ、韓氏族を讃える記念館を建てようとしているという。
非常に韓国人的で、自分の栄光にこだわった王朝的メンタリテイを感じさせます。

そして、日本人がいなければ何も出来ない韓国人の姿が益々露になってきています。

結局、極論すれば、彼らが出来ることと言ったら、両班的手法で、日本人を献金の名の下に搾取することだけです、と言っても過言ではないでしょう。

絶対服従という言葉が本来の意味を失って、一人歩きすると、脅し、弱い者虐め、威張り、傲慢が教会のカイン・アベルの関係で展開されてくるのです。

その典型的例が元青葉台教会の教会長の言動なのです。これは、彼が正直に本音を露にしただけで総じて彼らの本音を代表していると言えるでしょう。クワバラ、クワバラ・・・、



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