ある韓国人二世姉妹の怒り(UCの実態と韓国の儒教原理)




ある時、希苑教会に行って返って来た二世の韓国人(婦人)が私の家に立ち寄った。それは長男の嫁が韓国人なので、時々尋ねてやって来るのです。

私が今日の礼拝はどうでしたかと聞くと、突然強い語調で怒り出した。

説教者は日本人二世だそうですが、TMが統一家の子女達の問題を批判してはならない。 なぜなら、TFもTMもカインの子女である祝福家庭を愛しなければならなかったので、自分の子女達を教育する暇が無かったからだと言ったという。


彼女の怒りの内容は:

1. 自分の父は高校生の時に原理を聞いて献身し、地方の貧しい教会の教会長だったので、子供たちは食べるのもママならない生活だったという。お陰で、大学に行けず、高卒で働きに出て、せめて弟だけでも大学に行かせようとして、婚期を遅らせてまでも送金してあげねばならなかった。

然るに、統一家の子女達は執事までついており、高級車を乗り廻していた。しかし、地方の教会長達は自分達の子女を犠牲にしてまでも、統一家に貢いで来たというのです。


2. 彼女の母は自分の子女を家に残したまま、教区長の子守の為に働いていたので、長女の彼女が3人の弟妹の面倒を見なければならなかった。


3. 韓国社会は上司が部下の家族の為に犠牲になるというシステムは無く、その逆のシステムになっているので、下層階級の教会長達の生活は惨めである。


4. 彼女の父は高卒で献身したため、原理を聞いても献身しないで、大学を出てから来た者はその間、信仰の訓練は無いにもかかわらず、学歴が優先されて、彼らの上司になって行く。


5. 彼女の父は年齢制限の為、退職させられ、住む家も無く、次女のアパ-トに老女の妻と共に居候の身であるため、彼女は日本で働き、老いたる父母の為に送金している。


6. 然るにTMと子女様たちは宮殿や豪邸に住み、王族の生活をしている。それゆえ、家庭を犠牲にして尽くしてきたのは、下層階級の地方の教会長達であって、統一家ではない。

子女様たちはそのほとんどがお金を積んでハーバ-トに入学し、多額の学費を使うことが出来ましたが、彼女の妹達は高校に通うだけでも大変であった。それゆえ、TMの発言を聞かされた時、積もり積もった感情が爆発した。


7. 日本人信徒の大多数はTMを無条件に崇め奉るが、韓国の信徒達の中には逆に、腹を立てたり、怒りを爆発させたり、恨みを抱き、少なくても敬服してはいない人々がけっこういる。


それに対する私のコメント:

以前にも話しましたが、統一神学校の権威ある宗教辞典に中に統一教会の特色の一つとして、教祖と幹部達が裕福な生活をしているが平信徒たちの生活水準は低いという。

また、別な資料によると、韓国では、「父母」とは子供の為に自分を犠牲にして尽くし、愛情を限りなく注ぐ存在を意味するのではなく、家族の中の王様であり、子供達が忠孝を尽くすべき存在である。

これは李王朝時代に形成された朱子学の親子観と言ってよいであろう。親は子供を生んだ時点で権威をもち、生んで育ててもらった子供たちは親に絶対服従し、自分を犠牲にして忠孝を尽くすことによって、家庭の秩序が保たれ、社会秩序が保たれるという。

ちなみに、シムチョンという娘が盲人である父を助ける為に、自分の身を漁師に売り、船から荒海に飛び込む物語がある。これは、一見美談に見えるが一方的である。逆に父が盲人の娘の為に荒海に飛び込む物語も必要であろう。

セウル号において、父母の立場ある者達(船長とそのクル-)が子供の立場に立つ学生達を犠牲にして逃げ出す訳だが、彼らの精神構造は彼らの儒教観を如実に示している。

統一教会においても、「真の父母」と信徒に言われている方々は、その一族と宮殿に住み、その維持費や諸々の事業の為に子女の立場にある信徒たち、特に日本の信徒達に過剰な献金を数十年に渡って課する文化構造は韓国の儒教原理主義に酷似している。家や土地を売らせ、自己破産させ、しまいには自殺にまで追い込もうが献金ノルマは加重されても減少することは無い。

これは明らかに「講論」が説く、万民一家族の共生共栄共義主義の神を中心とした社会主義社会ではなく、李王朝に酷似した絶対君主制社会になりつつある。

そこで、実体が伴わない教義は、ただの観念論に過ぎないのであるが、信仰義認という便利な神学がある。この神学の教義によれば、メシヤはすべてを成したといったのだから、その言葉を信じる者は神によって義認され、救われるという。

これに対して、神学の中には信仰だけでなく、罪・堕落性が清められ、聖化されてこそ救われるという教義もある。教会史の中では、どちらかと言えば、カトリックは聖化の重要性を説き、プロテスタントは義認を説いてきた。

UCの中にも実態がどうあれ、メシヤが「すべてを成した」と言ったのだから、それを信じれば義認され救われるという信徒もいる。しかし、実態が伴ってこそ神の国は地上に実現すると説く信徒もいる。さて、皆さんはどちらでしょうか。


注:アボジの在任中に自己破産で自殺者が出たが、その事実は恐らくは誰もアボジに知らせはしなかっただろと思われる。


参考(霊界の実相と地上生活p37): 

36家庭は家庭の階級においては最高ではあるが、最高の地位において赤裸に自分の誤りをすべて露にして生きて行く苦しみとは表現しがたい。

地上にいるとき、女性問題、公金問題、その他の問題に引っかかった家庭は、地獄にいるのではなく、神のそばにいながら、あらわになった姿で生きて行かなくてはなりません。それは言葉で言えない苦しみです。

例えば、他の女性と性関係を持っている場面が随時、みんなの前に見えるのです。また、公金を自分勝手に使いながら、酒場に行って女と堕落しながら、お金をばら撒く姿がはっきりと見えるのです。一言で、地獄よりも恐ろしいところです。

(霊界の実相と地上生活p37)引用終わり


これに対する私のコメント:

実態の伴わない信仰義認で天国に行ってもこれでは地獄より恐ろしいところになる。それゆえ、松涛本部の教義の責任者が信仰義認論を説くとは奇奇怪怪な話しである。



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