210代の解怨をすれば天国へ行けるのか?(解怨はお金によってなされるものではない)




210代の先祖を解怨する事自体は良いとしても、やらせでなく、韓国の名のある本物の霊能者を招いて210代の先祖の解怨献金を完了した信徒達が霊界をみてももらうと、全然、解怨されていないという。解怨とはお金によってなされるものではないという。

・解怨はお言葉でなくみ言葉(神の言葉)をを受け入れ、実践し、人格を高めて行くことでなされていくのであって、お金の額ではないのです。

韓国の良く祈る人たちが懸命に祈っている中で、神からの啓示が数人の方々に降りて来たという。その内容は「神は文師に平和な世界を造ってくれることを願ったが、自分の王国を造ってしまった。さらに、み言葉(石)をお金(パン)に変えてしまった」ということだという。

それゆえに、教会は分裂し、真の家庭にも問題が起こるという。そして、事実はその通りになって来たということです。要するに、文師はこの2点において失敗したということです。

しかしながら、失敗したからといってメシアではないというのではありません。サウル、ダビデ、ソロモン・・・・、イエスまでも失敗したというのですから、歴史的に珍しいことではありません。

・私が教会長であった時に、突然、献金の要求がアボジからやって来て、勤労青年も一人30万は献金しろ、というのです。さらに、それをしないと祝福が受けることが出来ないというのです。

そこで、青年部の責任者にその話をしたら、献身した青年は献身する時にすべて献金してしまったので、何もないというのです。献身していない勤労青年は信仰深い人ほどすでに貯金も全部捧げたので何もないというのです。

・すると、信仰が浅く、ずるして未だ献金をしていない人や最近原理を聞いたばかりの信仰暦がほとんどない人が祝福を受けれることになってしまうのです。

これは大いなる矛盾なのです。メシアたるお方はこのようなバカな命令を出してはいけないのです。おかげで、文師はメシアとしての資質と資格が疑問視され、失いかねないことになるのです。

残念なことに、青年部の責任者は自分が献身させたばかりに、または在家の青年は早々と全部献金させてしまったことに責任を感じて、辞任し、去ってしまいました。メシアたる者はこのように矛盾した指令を出して、純粋な信徒を躓かせてはいけないのです。

・210代の先祖を解怨の献金額は70万の210代を掛けると1、470万円になります。献身者は勿論のこと、信仰暦の長い信者ほど、そんなお金はどこにもありません。

聖書を読んだことのある人は、アボジの言葉とイエスの言葉を比較します。「金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るよりも難しい」とイエスは言ったが、文師によれば、「貧乏人が天国に入るのはラクダが針の穴を通るよりも難しい」ことになる。

日本の信徒だけでなく一般の日本人の中にはそんなお金を持っていない人は沢山います。いずくんぞ、世界中には数え切れないほどいます。

人類の救世主たるお方が、献金額を設定したために、世界中には数え切れないほどいる貧者を救えないとなると、もはや救世主ではなくなるのです。

献金というものは、イエスが言うように、「あのやもめを見ないか、献金は高額ではないがもてる財産のすべてを捧げたのだ!」と言うのです。それが、神の目から見た献金の価値だ、と言うのです。

・日本が億単位(?)の祝福をするように言われたが出来なかったので、その蕩減として、国家メシアが17年ぐらい前に、パンタナ-ルのレダに住み着き開拓するように指示が下りました。

その当時は教会から一切の資金援助がありませんので、自分たちでお金を出し合ってやる以外に道はありませんでした。210代の献金があるぐらいなら、レダ建設に注ぎ込めというのです。

神山氏が隊長でしたので、レダ摂理のために210代の献金が出来なくなり地獄に行くというのなら、喜んで行きましょうと彼は言ったのです。

そもそも、私どもが献身したのは天国に行きたくて献身した覚えはありません。むしろ、自分一人が地獄に行くことによって多くの人々を救えるのなら、喜んで行きましょうというのです。

・一匹の羊が地獄に迷い出るのなら、天国にいる99匹の羊を残してでも、探しに行くのが羊飼(神様)だと言うのです。

それゆえ、仮に私が210代の献金を果たして、天国に行けるとしても、果たしたくても果たせない貧しい食口を見たら、たとえ天国に行けてもそこは地獄なのです。

結局、自分の完了したお金をそのような貧しい食口に差し上げて、替りに自分が地獄に行かざるを得なくなるでしょう。なぜなら、神はそういうお方だからです。そして、神と共にいることがたとえそこが地獄であろうとも天国なのです。

・マザ-テレサは異臭を放ちながら倒れているカルカッタ-の老人の顔がイエスの顔に変ったという。私達は210代の献金を果たせないで、困っている人の顔の中にイエスの顔を見、さらには、すべてを捧げてしまうほどの信仰があったばかりに、祝福献金を出来ずに祝福が受けられない勤労青年の中に神の姿を見るようでなければテレサ以下の人格と心情の持ち主になってしまうでしょう。成約聖徒と言うのであれば、彼女を超えて余りある人格と心情の持ち主になりたいものです。

注:アボジがレダに立ち寄った時に、210代の献金問題の質問があった時に、あれば献金を促進する方便に過ぎず、国家メシアが受けているレダ摂理の使命は自分の先祖の次元を超えたもっと大きな次元の使命であることに言及していた記憶があります。

事実、水増しした420代の解怨の献金の話は、韓国の幹部たちがいかにも取って付けた捏造したものに聞こえます。

ちなみに、30万の献金をしないと祝福が受けれない話も、献金促進のための方便でしょう。韓国の牧会者たちはこのようなアボジの指令を文字通りに本気に受け止めないようです。これは韓国文化と日本文化との違いでしょう。



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