これからは日本人信徒の一人ひとりが神氏族メシアとなって協力しながら、み旨を成し遂げて行く時代(感動的なウズベキスタンの話)




韓国の文在寅大統領が1965年の国交正常化に合わせて締結された日韓請求権・経済協力協定は、元徴用工を含めた請求権問題について「完全かつ最終的に解決された」と定めたにもかかわらず、植民地時代に朝鮮半島から動員された元徴用工について、日本企業に対する個人請求権は有効だとの考えを表明した。(最近撤回したようですが)

この発言は1000年の怨みを抱き、日本に何かと難癖をつけてお金をゆすり取ろうとする賎しい民族を代表した感情の発言と受け取られるのは当然です。

日韓併合が朝鮮人が望み、各国が承認したにもかかわらず逆恨みし、たとえ李氏王朝からの解放、インフラの整備、教育の充実、経済の発展などのありとあらゆる近代化のための恩恵を受けても感謝はなく、あるのは難癖だけなのです。

聖書ではサタンとは讒訴の為に夜昼吠える者だというがまさにそれに酷似しています。

これに対して日本人はどうなのでしょうか?敗戦の時、満州やロシアにいた居留者は兵士であろうが民間人であろうが、特に何らかの技術を持っている人々は捕虜としてシベリヤなど、各地に連れて行かれ酷使されたのです。

捕虜待遇の国際法に反するような無慈悲な扱いを受け、多くの人々が命を落としましたが、日本は損害賠償を求めたのでしょうか。

それどころか、怨みに対して徳を持って返した日本人の美談が史実として称えられています。

ウズベキスタン共和国の首都タシケントにある国立ナボイ劇 場は、レンガ造りの三階建て観客席1400の建物で、市中心 部の代表的建造物として威容を誇っている。  

この劇場正面には、「1945年から46年にかけて極東から強制移住させられた数百人の日本人がこの劇場の建設に参加し、そ の完成に貢献した」とウズベク語、日本語、英語で表記された プレートが設置されている。  

ウズベキスタンには大戦後、ソ連によって約2万5千人の日 本人抑留者が移送され、水力発電所や運河、道路などの建設に あたった。

中山恭子元駐ウズベク大使は在任中に、いまも国民 に電気を供給している水力発電所の建設を仕切った元現場監督 に会った。

この人物は、まじめに、そして懸命に汗を流してい た日本人抑留者たちの思い出を涙ながらに語ったという。捕虜の境遇にあっても勤勉に働く日本人抑留者は、当時の地 元民に敬意を表された。

現地の人は、「絶対に帰れる」と励ま しながら、黒パンを握らせてくれたという。日本人抑留者が現地に残した遺産のシンボルが、約500人 の抑留者によって2年がかりで建設したナボイ劇場なのである。

レンガ製造から館内の装飾、彫刻まで抑留者が行った。  66年の大地震でタシケント市内の多くの建造物が倒壊した際 も、この劇場はビクともせず、「日本人の建物は堅固だ」「日 本人の建築技術は高い」という評価が定着した。

そのためか親 日感情が強い中央アジア諸国の中でもウズベキスタンの日本人 への好感度は飛び抜けている、という。

1991年に旧ソ連から独立して新国家建設を進めるウズベキス タンは、カリモフ大統領をはじめに日本の明治維新や戦後復興 をモデルとして「日本に見習え」を合言葉にしている。

劇場前のプレートの表記についてはカリモフ大統領が、「決 して日本人捕虜と表記するな。日本とウズベキスタンは一度も 戦争していない」と厳命したそうである。

2万人の抑留者のうち、800人以上が現地で死亡し、各地 の墓地に埋葬されたが、その多くは荒れ放題となった。しかし、 元抑留者たちが中心となって募金活動を行い、ウズベキスタン 政府の協力も得て、日本人墓地が整備された。

また「日本に帰っ てもう一度、花見がしたかった」と言い残して亡くなった抑留 者のために日本からサクラの苗木千三百本が送られた。整備の 発起人の一人、中山成彬衆院議員は「両国友好の証しになって ほしい」と話している。

過酷な環境の中で祖国帰還を夢見ながらも、勤勉に働いて、 ウズベキスタンと日本との友好の絆(きずな)を残してくれた抑留者の御霊に感謝と追悼の意を捧げたい。

以上がネットに掲載されていた記事ですが、これを読む限りでは日本民族こそが選民であり、朝鮮民族は賎民に思えます。

文教主の最大の”したたかさ”はこのお人好しの民族を伝道し、罪意識を植え付けて思い通りに主管したことです。それゆえに、UCはここまで発展できたのです。

・奇奇怪怪なのは千年の怨みを抱き、夜昼無く讒訴する民族と祝福受けることが光栄に思うように洗脳されているシック達です。

韓国人は誇りが高いと言われていますが、それは神が認める真の誇りではなく、劣等感の裏返しとしての歪んだ誇りに見えます。

ところで、これはウズベキスタン人だから、日本人捕虜に誠意と成し遂げた業績に対して素直に感謝していますが、これが韓国を含めた朝鮮民族ならどうだったでしょうか。

日韓併合時代に日本が韓国の近代化の為に多大な貢献をしましたが、感謝しているようには思われません。それどころか更なる難癖を探し当てるのに必死になっているように思われます。

アメリカのおかげで、韓国は日本から独立出来たにも係らず、アメリカにあまり感謝しているようにも思われません。むしろアメリカの忠告をウザく思いただ利用だけしたがっているように思われます。

北朝鮮と中国の関係も同じように見えます。利害関係が一致しているだけで感謝をしているようには思われません。これに対して、日本は信義の篤い民族に思えます。

他国に対してすら信義が篤いということはいずくんぞ神に対してはさらに篤いということです。したがって、この国は神が最も信頼できる国の一つでしょう。

肉的イスラエル(?)の韓国が失敗したからには、摂理は霊的イスラエルの日本に移ってしまったと言っても過言ではないでしょう。




これからは日本人信徒の一人ひとりが神氏族メシアとなって協力しながら、み旨を成し遂げて行く時代なのではないかと思われた方はクリックお願いします。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
日本ブログ村ランキングを見る!
スポンサーサイト

日韓併合について、最終回(貿易輸出額は50倍 道路は25倍)




水間政憲氏(近現代史研究家)の日韓併合についての記事の続きです。



日本の統治時代に朝鮮半島から経済的に搾取を行った事実もありません。むしろ日本の統治時代に朝鮮半島の経済は飛躍的に発展しました

まず農業を見てみましょう。

「朝鮮総督府東経年報」を見ると、合邦当初の1912年の耕地面積が約284万町だったのに対して、1942年には447万町とほぼ倍増しています(1町は3300坪)。

耕地面積の拡大だけでなく、土地改良などの近代農法の教育や品種改良なども行われました。重工業も発展し、世界最大級の窒素肥料工場をはじめ、製鉄所、セメント工場などが建設され、朝鮮経済は加速的に成長して行きます。

「日本貿易清覧」「朝鮮貿易年表」を見ると、朝鮮半島の貿易額は1911年では輸出1885万円、輸入5408万円に対して、1939年には輸出10億679万、輸入13億8448万円と桁違いに増大していたことが分かります。

 インフラも急速に整備されていきました。道路の延長距離を2つの年で比べると、1912年の一等道路は282キロ、二等道路は714キロに対して、1942年には道路(一等道路に相当)1万1731キロ、地方道路(二等道路に相当)1万5258キロとなっています。

国鉄・私鉄を合わせた鉄道の営業線距離は、1912に1356キロだったのが、1944年には6373キロとなっています。上下水道も整備され、鴨緑江につくられた水豊ダムは霞ケ浦の2倍の面積を誇る、当時世界最大級のダムでした。

 このように数字で、日本の統治時代を見れば、「世界一過酷」な日本統治時代とする言説は全くデタラメであることが明らかです。

これからは韓国などの感情的な反日プロパガンダに対して、明確な証拠を持って統治時代の実態を主張していく必要があるのです。


水間政憲氏の記事引用終わり



これに対する師観のコメント:

日韓併合は汚職や収奪が当たり前だった李氏朝鮮から決別をもたらしてくれました。李氏朝鮮末期、国家財政は破たんし、国土は荒れ、政治と行政は腐敗しきっていた。

だが日韓合邦後、政治システムは近代化され、人々の暮らしも飛躍的に向上したのだった。

にもかかわらず、自叙伝には米などの食べ物は日本にみんな持っていかれ、草の根を食べたなどの感情的な史実とは違う反日プロパガンダ書かれています。

文教主がかつて日韓併合がなかったら李氏王朝に殺されていたであろうと言っていたのを思い出します。これはヘロデがメシア生まれたのを聞いて、一歳児を皆殺しにしたと言う同時性的出来事なのでしょう。

自叙伝が反日韓国の文化に受けるように編集されていますので、このようなもっとも大切なみ言葉を意図的に掲載しないのです。




自叙伝の書写が日本人信徒に罪悪意識を植え付け、献金を出させるために使われるとすればそれは神様から遠いものではないかと思われた方はクリックお願いします。
↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
日本ブログ村ランキングを見る!

日韓併合について、その4(地方行政は朝鮮人が握っていた)



水間政憲氏(近現代史研究家)の日韓併合についての記事の続きです。


少し古い資料になりますが、「写真帳 朝鮮」(1921年)には、議員の数の日本人と朝鮮人の数が記されています。

これによると朝鮮人の公職者は、道評議会員362人中273人、府協議会議員190人中67人、面教義会員24160人中23515人でした。

面とは日本における村にあたり、朝鮮半島の村会議員は実に97%以上が朝鮮人だったのです。

さらに公務員の数はでは、47150人中45471人が朝鮮人であり、日本人の比率はわずか0.2%でした。朝鮮半島の地方行政は実質的には朝鮮人が担っていたのです。この実態の一つを取っても、朝鮮半島における慰安婦の強制連行などできないことがわかるでしょう。

水間政憲氏の記事引用終わり



これに対する師観のコメント: 

今はどうかは知りませんが、金孝南さんが清平を担当していた時、アトピ-炎の日本シックが結構やって来ました。

何故その方々がアトピ-になってしまったかというと、日韓併合時代に日本人が慰安婦の強制連行をするために韓国の村々にやって来たが、村人は地下に穴を掘って隠れてしまったと言う。

それに腹を立てた日本人が腹いせに家に火を放った。おかげで、地下に隠れていた村人が火傷を負い、皮膚がアトピ-のようになってしまった。そのようにして死んでいった村人の怨みの霊が日本人に憑依したので日本人にアトピ-が多いと言う。

その話をまともに信じたある日本のシックのS君が40日の清平役事に参加しましたが直りませんでした。

そこで高知県にある有名なアトピ-専門の病院(丹羽)に入院したら、見違えるようにきれいな顔になって帰ってきました。

私の娘も軽いアトピ-でしたが、その病院が出している塗り薬で1週間で直りました。よくもまあ、口から出任せ(?)に作り話をしてナイ-ヴなシックを信じ込ませるものです。




UCが、このように日韓併合に関する事実と異なる内容を信徒に信じ込ませるのをやめるべきではないかと思われた方はクリックお願いします。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
日本ブログ村ランキングを見る!

日韓併合について、その3(創氏改名の真実)




水間政憲氏(近現代史研究家)の日韓併合についての記事の続きです。

創氏改名について

創氏改名についても強制ではありませんでした。創氏改名は、朝鮮人の求めに応じたのが実態で、殺到した人々の写真報道記事も朝鮮版朝日新聞に掲載されています。

創氏改名は1940/2/11-8/10までの6ケ月間の限定された期間に受付が成されました。すると朝鮮人全体の約79%が創氏改名の届け出を出したのです。

これには朝鮮半島ならではの事情があります。当時の朝鮮半島には苗字を持たない賎民階級が30%-40%程度いました。こうした苗字を持たない朝鮮人が中心となって創氏改名の希望者は殺到したのです。

創氏改名をあまりに多くの朝鮮人が希望するために、「朝日新聞中鮮版」(1940/3/6)には「氏の創設は自由強制と誤解するな 総督から注意を促す」という記事が載ったほどです。創氏改名はむしろ朝鮮人が望んだものだったのです。

創氏改名と似た例として志願兵制度があります。当初、韓半島には兵役の義務は無く、徴兵制が実施されたのは1944年9月のことです。

徴兵はありませんでしたが、多くの朝鮮半島の青年は日本軍に入ることを希望していました。1938年に朝鮮半島に志願兵制度が実施されると2000人の定員に約3000人が応募、倍率は1,5倍です。

「朝日新聞 南鮮版」(1938/1/20)には、「志願兵不合格を悲観して自殺」という痛ましい記事があります。その後も志願者は増え続け、徴兵制が導入される直前には倍率は50倍に達します。

水間政憲氏の記事引用終わり



これに対する師観のコメント:

1. 私が献身して頃には、創氏改名は強制的になされたという話を刷り込まれました。おかげで、多くのnaive(世間知らずの)の食口達は罪意識を植え付けられ、献金路程に走らせられたものでした。

今でも同じ事をさせられているのでしょう。「講論」に書かれているように、無知から知への啓蒙が必要です。


2. アボジの自叙伝の中に事実と随分違う箇所が掲載していたのを思い出します。

問題は自叙伝の「事実と異なる記述」を信徒に書写させることを通して罪意識を植え付けることです。これを訂正しなければなりません。以下の記述はある知人が自叙伝の問題点を指したものです。


(p.22) 家も土地も日本人に奪われて、生きる手立てを求めて満州に向かった避難民が、わが家の前を通り過ぎていきました。

→ いわゆる「日帝の収奪」が事実誤認であることについては世の中で多く語られているので再言の必要はないと思います。TFはこのように書いていますが、地元の自分の村や近隣で「収奪」の事実があったとは一言も出てきません。風評だけだったのだろうと推測されます。

また再臨論には「数多くの韓国人たちは日本の圧政に耐えることができず、肥沃な故国の山河を日本人に明け渡し、自由を求めて荒漠たる満州の広野に移民し、云々」とありますが、自叙伝によると「我が家の前を通り過ぎて」行った人たちは、政治的な理由(祖国解放)でも「自由を求めて」でもなく、単純に経済的な理由、つまり職を求めて移動していたことがわかります。そして、満州に至るまで移動の自由は確保されていた、ということもわかります。


(p.55) 五山学校は独立運動家である李昇薫先生が建てた民族学校です。日本語を教えないだけでなく初めから日本語を使えないようにしました。

しかし、私の考えは少し違っていて、敵を知ってこそ敵に勝つことができると考えました。それで、再び編入試験を受けて、今度は定州公立普通学校四年生に入りました。公立学校の授業はすべて日本語です。

→ 「民族の言葉を使わせないようにした」とよく言われますが、実態はこの通りでした。日本語を禁止する民族学校が堂々と運営されており、日本語を学ぶには、わざわざ遠く離れた普通学校にまで行かなければならなかった、という証言です。


(p.56) 私は志願して、彼らを前にして演説をしました。感謝の言葉を述べたのではありません。この先生はどうであり、あの先生はどうであり、学校制度にはこのような問題があって、この時代の指導者はこういう覚悟で臨むべきだ等々、批判的な演説を日本語で続けざまにやりました。

「日本人は一日も早く荷物をまとめて日本に帰りなさい。この地は、わが国の者たちが子々孫々にわたって生きていかなければならない先祖から受け継いだ遺産です!」

→ そんなことを卒業式で演説すれば当然問題にはなりましょうが、それ以上にはならず、留学の許可も警察署長と争ったら取れたというのですから、当時としては実に穏やかなものだったでしょう。

チベットやウイグルで「中国人は中国に帰りなさい」と演説したらどういうことになるか容易に想像できましょう。その場で取り押さえられ、二度と帰ってくることはありません。

中共まで行かずとも、家庭連合内で「韓国人は韓国に帰りなさい」と演説したらどうなるか、これまた容易に想像できます。現在の家庭連合は当時の日本以上に異論を容認しない所だということです。

いわゆる「世界史上最も過酷な支配」の実態というのはこのようなものであり、現代の日本家庭連合はそれよりも過酷な支配をしている訳です。


(p.79) 入学と同時に参加した韓人留学生会の新入生歓迎会で、私は祖国の歌を力強く歌って、熱い民族愛を誇示しました。警察官が居合わせた席でしたが、かまわず堂々と歌い上げました。

→ これも同じで、堂々と民族愛を歌い上げても日本人も日本の警察官も黙認していたということです。現代の韓国で堂々と日本語の民族愛を歌い上げたらどうなるでしょうか?日本人は当時から非常に寛容であったことがわかります。これまた、いわゆる「世界史上最も過酷な支配」の実態の証言です。


(p.80) 東京には、留学生で構成された地下独立運動組織がありました。祖国が日本植民統治下で呻吟していたのです。独立運動は当然のことでした。

→ 「他国人による統治で呻吟していたら独立運動は当たり前である」とTFは言明されています。現在の日本家庭連合に当てはめたらおもしろいですね。


(p.80) 大東亜戦争が織烈を極めるにつれて、弾圧は日に日に激しさを増していきました。日本政府が韓国の学生たちを学徒兵という名目で戦場に追い立て始めると、地下独立運動も次第に活発になっていきました。

→ 朝鮮人の志願兵(強制的な徴兵ではない)については、朝鮮人自身が志願に殺到したのであり、志願者の中には不合格を悲観し自殺した者まで出た、というのが事実であることは、世の中ではすでに明らかにされているので、これも再言は不要でしょう。


(p.87) 日本が始めた大東亜戦争の戦況は日増しに切迫していきました。切羽詰まった日本は、不足する軍人の穴を埋めるために、健康な二十歳以上の学生を休学させて、学徒兵として出征させました。そのため、私も六カ月早く卒業することになりました。

→ 学徒兵として徴兵されたのは日本人のみでした。朝鮮人であったTFは六カ月早く卒業したあとソウルに帰っていきました。これも「朝鮮人の強制的な徴兵」というものは虚言であるという証言です。


(p.80) 日本の天皇をどうするかについて色々と討論したこともあります。私は組織上、留学生を束ねる責任者となり、金九先生の大韓民国臨時政府(金九は当時主席)と緊密に連携しながら、同臨時政府を支援する仕事を受け持ちました。

→ これこれ。こんなことを公言して自慢するから、日本から拒絶されて当然。自分の民族感情は大げさに公言して自慢するのに、他国の民族感情は逆なでして省みるところがありません。


(p.80) そのため、警察に捕まって、取調べを受けたり殴られたり、留置場に拘禁されたりしたことも、数え切れないほどありました。追いかけてきた警察と四ッ谷の橋で、欄干の柱を抜いて戦ったこともあります。この当時、私はぐつぐっと煮えたぎる火の玉のようでした。

→ ぐつぐっと煮えたぎる火の玉のように、欄干の柱を抜いて警官と戦えば、そりゃ警察に捕まります。地下独立運動を知られている上にこんなことをして、それでも釈放されているんですな。戦争の真っ最中でありながら、当時の日本の警察はずいぶん甘いものだったと言うべき。


(p.75) ソウルにいた時も熱心に教会に通いました。最初は黒石洞五旬節教会に通い、漢江の向こう側(北側)にあった西氷庫五句節教会にも通いました。

その後、内資洞(現在のソウル特別市鍾路区内)のイエス教会と黒石洞にあった明水台イエス教会に通いました。教会で日曜学校の先生を務めたことを思い出します。私の話は抜群に面日くて、子供たちがとても喜びました。

→ 再臨論では「八・一五解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は、実に極悪非道なものであった。」とのことですが、自叙伝を見ると、ソウルにはいたるところにキリスト教の教会があり、子供も何の不安もなく教会に通い屈託なく笑って話を聞いていた、という証言です。


(p.88) 日本留学を終えて祖国に帰ってきたものの、それまでと何も変わるところがありませんでした。日本の圧政は日々激しくなり、国土は血の涙に濡れていました。

私はソウルの黒石洞に再ぴ腰を落ち着けて、明水台イエス教会に通いながら、日々新たに悟るすべての内容を、几帳面に日記帳に書き留めることにしました。

→ これは留学から帰ってきた話ですから戦争の真っ最中ですが、その当時も自由にキリスト教教会に通うことができた、という証言です。


(p.92) 四月に結婚式を挙げる予定が、義父が急に亡くなったので、当初の日取りを延期して一九四四年五月四日に婚礼を行いました。五月は普通ならのどかな春の日ですが、その日は土砂降りの雨でした。イエス教の李浩彬牧師が主礼(結婚の儀式を執り行う人のこと)を務めてくれました。

→ やはり戦争の真っ最中でも、キリスト教教会で、牧師が主礼となって普通に結婚式を挙げていたという証言です。「極悪非道なキリスト教弾圧政策」とはどこの話なのでしょうか?


(p.96) その時はもう共産党から逃れようと、北から避難民が続々と南下してきていました。特に、共産克が宗教を迫害したので、多くのキリスト教徒が宗教の自由を求めて南側に下ってきました。宗教はアヘンであるとして、民衆に宗教を持たせないようにしたのが共産党です。

→ 逆に言えば、日韓併合時代には北にも多くのキリスト教徒が宗教の自由を享受していたという証言です。


(p.97) 一九四六年六月六日、平壌に到着しました。もともと平壌は「東洋のエルサレム」と呼ばれたように、キリスト教が深く根を下ろしている所です。日本の占領期には、神社参拝は言うに及ばず、皇居のある東方に向かって敬礼させる東方遥拝など、ありとあらゆる弾圧が縱橫に加えられました。

→ 歴史的事実としては、

① 日韓併合時代以前の大韓帝国時代にはキリスト教は朝鮮に根がほとんどありませんでした。

② 日韓併合時代には『「東洋のエルサレム」と呼ばれたように、キリスト教が深く根を下ろし』た。

③ 日韓併合時代が終わると信仰の自由が失われて信者は逃げてきた、

ということです。客観的に見て信教の自由を認めていたのは誰であり、「ありとあらゆる弾圧」を「縱橫に加え」ていたのは誰でしょうか?


(p.90) 彼女(注:第一のお母様)はとても由緒ある家庭で生まれ育った真心を尽くす女性でした。小学校しか出ていませんでしたが、ほんのわずかでも人の世話にはならないという性格で、神社参拝を拒否して十五歳で獄中生活をしたほど、信念のある信仰深い女性でした。

→ 具体的な状況はわかりませんが、神社参拝を拒否して投獄される、という事例はあったようですね。一方、TFが神社参拝を拒否して投獄されたという話は自叙伝には一回も出てきません。

TFは神社参拝をしたのでしょうかね?それとも、しなかったけれども黙認されていたのでしょうか?TFの周囲にもこの女性以外には「神社参拝を拒否して投獄」の具体的事例はありません。どれくらい一般的で強圧的だったのか疑わせるに足るものです。


(p.107) 川崎の鉄工所で働いた時、タンクに入っていって硫酸を清掃しましたが、毒性のために死んだ人を数人目にしました。しかし、興南工場はそれとは比較にならないくらいひどい所でした。硫酸は有毒で、触れると髪の毛が抜け、皮膚から粘液が流れます。硫安工場で六カ月も働けば、喀血して死ぬ人もいます。(注: 以下、惨憺たる状況説明が続く)

→ つまり「史上最悪の植民地支配」の日本よりも、同じ朝鮮民族の行わせた強制労働の方が「比較にならないくらいひどい」という証言です。なるほど。


(p.32) 一九四五年八月十五日の光復以後共産党が牧師や独立運動家をむやみやたらと殺害する事件が起きました。大叔父は幸いにも難を逃れ、家族に迷惑をかけないように共産党を避けて、三八度線を越えて南の旋善に向かいました。

→ これは潤國大叔父の話です。「牧師や独立運動家をむやみやたらと殺害する」ことは、日韓併合時代にはなかったが、同じ朝鮮民族による共産党支配時代には起こったという証言です。これを見ても、どちらが本当に凶悪だったのか見て取れます。




UCは、日韓併合に関する事実と異なる内容を献金集めの道具として利用するのではなく、自叙伝の中からでさえ読み取れる日韓併合の歴史的真実を教会の内と外に対してもっと訴えるべきではないかと思われた方はクリックお願いします。
↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
日本ブログ村ランキングを見る!

日韓併合について、その2(学校数は100から5000に増大)



水間政憲氏(近現代史研究家)の日韓併合についての記事の続きです。


学校数は100から5000に増大

「世界一過酷」な韓国統治の例として、皇民化教育と創氏改名があります。韓国の文化を破壊し、日本への同化政策が進められた、という批判です。しかし、これは事実とまったく異なります。

まず皇民化教育ですが、それまで朝鮮半島では貧しい者は教育を受けられませんでした。

日韓併合後、初代総督になった伊藤博文は学校教育の充実を最優先に進めるために、日本銀行から借り入れた借款の10%を教育振興に当てました。「普通学校令」「師範学校令」などの法整備も進められ、日本統治時代には学校数は増え続けます。
 
 具体的な数字を見てみましょう。合邦当時、公立学校は日本の保護国時代に設置したものも含めて100校しかありませんでした。

「朝鮮学校一覧」(朝鮮総督府学務局)を見ると1943年には国民学校4271校、認定学校126校、簡易学校1563校、中等学校268校、師範学校15校という膨大な数に膨れ上がったことが分かります。

さらに日本国外初の帝国大学である、京城帝国大学も1924年には設置され、高等教育も拡充されました。翌年の1944年の国民学校数はさらに増え、5213校、生徒数は238万9135人にのぼります。

朝鮮のすべての国民に普通教育を施される体制を日本は目指し続けたのです。

 日韓は合邦したのですから、これらの学校では日本語が教えられた一方で、ハングルも教えられました。ハングルは日韓併合前には蔑まれ、女性が細々と使っていた状態でした。

ハングルは合邦後の普通教育の拡充によって、朝鮮半島全体に広まったのです。日韓は合邦したのですから、日本語とハングルの両方を教えることは当然のことだったのです。

 朝鮮半島の文化財が外国に流出売却・売却されることを防ぐために朝鮮皇室博物館もつくられました(後に、朝鮮総督府博物館に名称変更)。

これが現在の韓国国立中央博物館の前身です。日本は韓国の文化を略奪・破壊するのではなく、むしろ保護、促進したのです。次回は創氏改名についてレポートします。

水間政憲氏の記事引用終わり



これに対する師観のコメント:

1.ある日、祈祷室に入ったら数人の姉妹たちが「日本は韓国人から言語まで奪ってしまった。申し訳ない・・・」と悔い改めの祈りをしている声が聞こえてきました。

文教主が言ったのか、側近の幹部からすりこまれたのかは知りませんが多くの信徒は未だにそのように思い込んでいるようです。客観的に歴史的事実を学ぶように啓蒙が必要です。


2.日本のUCが日本政府が韓国にしたことを蕩減するのだという口実のもとに、日本からの献金を根こそぎ持っていき、韓国にエンジェルス学校からソンムン大学に至るまで色々な学校を建てたが、日本には光の子幼稚園以外には何もありません。

韓国は日本政府から膨大な恩恵を受けたにも拘らず、まるで逆恨みでもしたかのような勘違いをして、恩を仇で返すようなことをすると、逆に蕩減を受けることになるのでしょう。

統一家には堕落と不和の問題が起き、UCは三つ巴に分裂し、世間の笑われ者になっていると言う。


3.逆恨みはなお続き、韓国人の泥棒が対馬の寺から盗んだ仏像を日本に返さないことにしたと言う。それでも、飽き足らず、お稲荷様の像の首を破壊してみたり(韓国人?、中国人?)、靖国神社に放火を試みたり、枚挙に暇がありません。恩恵に対して、千年の怨みを置くとは言語道断です。


4.韓国は故朴大統領が言ったごとく、日韓併合が無ければ、間違いなくソ連か中国によって共産化されていたでしょう。



UCは間違った歴史観を信徒に植え付け異常献金の口実にするのではなく、歴史的真実を教え、恩を仇でかえすようになってしまった韓国人を再教育すべきではないかと思われた方はクリックお願いします。
↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
日本ブログ村ランキングを見る!

 

日韓併合について(人治国家から法治国家へ)




盆休みに友人がやって来て、別冊宝島という本を置いて行きました。

その中に、水間政憲(近現代史研究家)の日韓併合についての記事が掲載されていましたので、紹介します:



 韓国大統領に親北派の文在寅が選ばれました。案の定、日韓合意によって最終的に解決したはずの慰安婦問題は蒸し返され、あらためて日本に謝罪を要求してきています。

このことは今までの歴代政権を見れば、驚くにあたいしません。なぜならば反日は韓国世論のアイデンテイテイでもあり、政界も含め韓国は人治国家なのです。法治国家ではないのですから国と国との法的な約束が守られるはずがありません。

韓国は、日本の統治時代は「世界一過酷」なものであると主張しています。この主観的、抽象的な批判に対して、日本は客観的な情報をもとに韓国統治時代の実態を主張して行かなくてはなりません。

客観的な情報とは、すなわち「法と証拠」です。

 すでに周知の事実ではありますが、日韓併合は国際法に則ったものです。朝鮮半島は歴史上1000回以上も中国から侵略されています。

実質的な中国の属国状態を抜け出すのは、1895年に日清戦争で日本が中国に勝利してからです。晴れて独立へと歩むはずの朝鮮半島でしたが、いざ独立が間近になると、ロシアの潜在的脅威などから朝鮮人の民間団体からの日本との「合邦」を望む電報が日本へ送られるようになりました。

 例えば、100万人の会員がいた朝鮮人団体・一進会は、「弊会が日韓合邦の議を提出せしば、決して独断的に出したものではなく、各階級との連絡を通し、一般人民の不同意少なきを確かめ」とありまっす。民間からも日韓併合は望まれていたのです。

 日本が日露戦争に勝利すると、韓国はそれまでの親露侮日的な態度から親日へと転換します。こうしたことから1910年、日本は「韓国併合に関する宣言」を10ケ国(アメリカ、ドイツ、オ-ストリア・ハンガリ-帝国、ベルギ-、中国、デンマ-ク、フランス、イタリア、イギリス、ロシア)に発して承認されました。

日韓併合は日韓の2国間の合意によるだけでなく、国際的にも承認された出来事だったのです。(次回に続く・・・)

水間氏の記事終わり



これに対する師観のコメント:

1.この資料がどの程度、事実に正確なのかについては皆さんの意見を期待しています。

2.韓国が法治国家でなく人治国家であることは国際的観点から見て問題です。なぜならば、国と国との法的な約束が守られないと国際的に信用がされなくなるからです。

3.顕進氏はKorean Dreamを提唱するのは良いのですが、その内容の中に、先ず第一として韓国を人治国家から法治国家にすることが提唱されていなければなりません。これは余りにも基本的なことなのです。

これは享進氏においても同じことです。統一家全体がそうでなければならないのです。当然、文教主もその夫人もこのことを提唱しないと世界的、国際的メシアにはなれません。

韓国が天一国になる為には倫理的、道徳的、霊的にも生まれ変わらなければなりませんが、人治国家から法治国家に生まれ変わらなければならないのです。




UCが人治国家の状態の韓国で韓国至上主義を唱え、これを世界に向かって普遍化することは言語道断なのではないかと思われた方はクリックお願いします。
↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
日本ブログ村ランキングを見る!

NHKの番組で描かれた大戦末期の日本と今のUCの姿




・昨今のテレビ番組では太平洋戦争の様子がとれもリアルに放映されていました。


注:このNHKの番組のは左翼的反戦思想に基づいて編集されています。戦争の残虐非道を放映するのなら、アメリカの原爆投下の残虐性はは日本兵が成した非をはるかに超えているでしょうし、ソ連が日本人兵士を捕虜にし、シベリヤで強制労働で殺した数は比べものにはならないでしょう。概して、NHKの番組は自虐史観を植えつけます。それらのことを理解した上でこの文を読んで下されば幸いです。




NHKの特別番組ではアメリカがいかにして軍事施設のみの攻撃から、一般市民の攻撃、動くものなら何でも攻撃するように変って行き、最後には原爆を投下するに至ったのかを放映したり、池上彰の特集では特攻隊の凄惨な生き方、死に方を放映しているのです。

自ら志願して特攻隊に入隊する者もいますが、上から強制的に入隊させられた10代の若者が特攻機からのがれられないように、ロ-プで縛られた状態で飛び立った証言もあったと番組では描かれていました。

この番組によれば、沖縄を守るために戦艦大和まで、特攻艦に使わざるを得なかったという。アメリカの余りにも数の多い戦艦の攻撃に対抗するためには、大和を沖縄の海岸に移動させて、迎撃するために使う予定であったと言う。

大本営の一億玉砕のスロ-ガンとは裏腹に、妻子を抱えた夫の苦悩や自分が死んだら、誰が代わって老いた母や姉妹たちの面倒をみるのか、と悩んで出陣する若者の手記も公開されていた。

大本営の中には、国民の最後の希望である大和が轟沈することにことによって、負けて目覚める最上の道だと考えていた幹部もいたと言う。


・これは他人事ではなく、UC・家庭連合もヨイドの裁判に負けて、100億を払わざる立場におかれ、日本では公職者をまもなく300人も退職させざるを得なくなり、とりあえず、10億を世界本部から送金してもらう状況だと言う。

これは沈みかけている戦艦に酷似しています。一方、H1は勝ち誇ったように自分の船に乗り移れと息巻いています

幸い神氏族メシアという救命ボ-トが用意されていて、すでに乗り移って入る人達も少なくありません。


・それはそれとしてこの番組では、戦時中には、全国の大学から細菌を研究している医学教授やそれに準じる学者、研究者が中国にある秘密の研究所に集められ、細菌爆弾の研究に従事していたという。

この部隊は731部隊と呼ばれ、マルタと呼ばれる中国人捕虜やロシア人捕虜に細菌の感染を調べるために人体実験をしていたと言う。目の当たりに見た者たちの証言によれば、それはまさに生き地獄であったという。

しかし、研究者たちは彼らの研究成果をアメリカに差し出すことによって、処刑は免れたのです。これは戦争における正義とは何かということを我々に問いかけています。

しかし、これも他人事ではなく、私たちも神とサタンの戦争というコンセプトを抱き、あたかも自分たちUCのみが神側の立場にあるから、サタンが主管するこの世に対しては何をしても良いのだと言わんばかりの行動を取ります。

それが偽カンパや身体障害者の真似をして物品を売りに歩いたり、霊感商法をしたりするのです。

清平の役事も集金のための手段として捏造されたという証が本当なら目的(摂理)の為なら何をしても良いというやり方を正当化するカルトになってしまうのです。



・オームにおきましては、自分達だけが正義で、後はみんなポアしても構わないという独善的な宗教になり、細菌爆弾の代わりにサリンを製造して市民の殺戮に走るのです。

UC・家庭連合も自分達だけが無原罪で神の血統であり、それ以外の人々は有原罪でサタンの血統とし、彼らをヤコブの知恵で騙しても、それは善なのだという独善性を持っているのです。

かつて、経済を担当していたF氏が摂理を推進・全うするためなら、麻薬と売春以外は何をしても構わないのだと息巻いていたのを思い出します。クワバラ、クワバラ・・・




沈みかけた戦艦のようになってしまったUCが、独善性を捨てて氏族メシアを中心として新しく生まれていくべきではないかと思われた方はクリックお願いします。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
日本ブログ村ランキングを見る!


神様の夢の実現を志す者になろう(神の国の神の民になろう)




日本の家庭連合はいつまで存続できるのかという問題はシックの関心のあるところでしょう。

公金問題や男女問題で待機扱いの元公職者が10人は6月一杯で退職金と共に退職したと言う。

さらに、今後300人の高齢の公職者がまもなく退職予定であることは皆さんの知るところでしょう。

もはや、組織を維持するだけの献金が集まらなくなってきたのが原因だと言う。なにやら、一ヶ月の維持費が10億円かかるそうです。

連合の収入源と言えば、先祖解放・解怨と祝福献金でしたが、その両方とも行き詰まって来ているという。

解怨は清平で成されるので、日本の組織には降りてこないし、祝福も高齢者しかいなくなって来ているので祝福の70%は独身祝福だと言う。そもそも聖なるはずの祝福がお金集めの道具になっているとは、この組織が終焉に向かっていることを示すものでしょう。


・ヨイド裁判でUC・家庭連合は敗訴しましたので、敗訴の賠償金の判決は5/31には成され、その額は100億円だという。

表向きは維持財団が払うことになっているのでしょうが、清平財団や宣教財団が捻出しないと払えないと言われています。

第一回の賠償金は裁判が始まってから2010年での分が100億円ですから、さらに第二回、第三回と追加されて行くでしょう。

それゆえ、この調子で進んで行くと、UC・家庭連合は経済的に破たんするでしょう。

経済破綻対策として、世界本部は8人の国際巡回師を日本に送って、多額の献金を獲得しようとはしますが、天運を失った組織では先が見えているでしょう。

8人の巡回師の中には元総会長だった宋氏や男女問題や公金問題で知られている金明大氏のようないわくつきの人物がいますので、残りの人達も程度の差こそあれ、似たような人達でしょう。

日本からお金が集まらなくなると、韓国のそれぞれの財団が持っている資産を処分せざるを得なくなってくるでしょう。


・下部構造である経済が破たんすると、それに伴って上部構造である組織とそのイデオロギ-も変わらざるを得ないでしょう。

日本の家庭連合が経済破綻で機能しなくなると、世界献金どころではなくなりますから、信徒は上部構造の献金奴隷制度から開放される可能性は大きくなります。


・幸いに、神氏族メシアという方針が出されていますので、もはやトップダウンの組織であるエクレシアは機能しなくなるでしょう。すると、二人以上の信徒が祈ると神が働くという信徒の交わり、コイノニアが重要な役割を果たすようになるでしょう。


・TMも高齢に伴い認知症になりつつあると言いますが、それに伴い求心力を失ってくるでしょう。韓国人は変わり身の文化の所産ですから、信徒達は次の後継者としてH1やH2を迎い入れようと動くでしょう。

どちらの方に部があるでしょうか?H2が王冠をかぶり、ライフルを構えだしたとなるとこれ以上ついて行く信徒はあまりいなくなるでしょう。

一方、H1が Koran Dreamだけを訴え、American DreamやJapanese Dreamを訴えないとしたら、たとえ、One World under Godを唱えても、やはり限界があるでしょう。


・もう一つの勢力は、肉的血統のイスラエル(統一家)ではなく、霊統の霊的イスラエルの信徒集団です。

肉的イスラエルが失敗して霊的イスラエルのクリスチャンに摂理は移ったと言うのですから、その可能性は否定できないでしょう。

文教主はメシアとは心を尽くし、思いを尽くし、魂を尽くして神のみ旨を成す者、あなたたちもメシアにならなければならないというのですから、神のみ旨をなそうとする志を持った者たちが第三勢力になって来るでしょう。ちなみに、明治維新はそのような志士たちによって成されたのです。

もう、韓国至上主義の時代は終わったのです。反日に凝り固まり、日本に千年の怨みを抱き、安倍政権を批判し、日韓合意の慰安婦問題解決を無視し、慰安婦像を造り続け、今度は強制労働を持ち出して、難癖をつけようとしている民族は選民ではないのです。

それゆえ、ロ-マ法王に倫理的道徳的に、霊的に生まれ変わらなければならないとまで言われなければならないような神から遠い卑しい(?)民族です。


・これからは国境を越え、特定の民族を超え、宗教を超え,それを卒業した神の夢、The Dream of Godの実現を志す志士人々の結束によって成されて行く時代なのです。

統一原理が一つの別な宗教になってしまうような生き方、やり方には限界があるのです。

我々の国籍は神の国にあり、神の民なのです。ただし、目的を達成するためには、一歩手前の目標が必要であり、それを達成するためには方針や指針、さらに私針が必要となってきます。

氏族メシア活動は個人から始まりますが、祝福の子供たちも同じ志を持たねばなりません。

そして、地域社会、国家へと駒を進めて行かねばなりませんが、私の場合はすでに救国の志を持った宗教団体を訪問し、その中に合唱団を形成し、横の繋がりを強め、坂本竜馬のような試みをしています。

したがって、今や、UC内で分派などと言っている場合ではありません。彼らはすでに彼らなりに志を共にするもの達を結束しているのです。文教主自身が超宗教活動をするとしたら、超分派を志すことは当然なのです。



滅びゆく組織にしがみつくのではなく、氏族メシアとして神様の夢の実現を志す人になっていきたいなと思われた方はクリックお願いします。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
日本ブログ村ランキングを見る!

UCの卒業生とは(神学者のテリッヒの神律とは)




先日、久しぶりで遠方より来てくれたUCの卒業生に会い、積もる様々な出来事、思いを語り合いました。

彼女も私と同様に歌声運動に従事し、地域に根付き、多くの自治体の人々が参加するほど成功裏に音楽活動を展開している音大卒の本格的な歌姫です。しかし、最近自分のやっていることに限界を感じて空しくなるという。

UCを卒業したのは良いのですが、神までも卒業してしまったのでしょう。普通、UCを卒業すると言う意味は神を愛するが故に、UCを卒業するのです。

桜井夫人や江利川さんががUCを卒業してそれぞれH1やH2と共に歩むようになったのは組織より神を愛したからからでしょう。混同してはいけないのです。

ちなみに、ルタ-は神を愛するが故にカトリックの組織を捨てて、プロテスタントを興したのです。


・以前にもお話しましたが、高野山を多くの外国人が訪れるようになり、その魅力は神々しく、敬虔であるからだという。これは寺院仏閣・教会などが共通して持っているオ-ラなのです。

神仏に対する篤い信仰心の表現としての芸術作品なのです。これは何も建築物に限ったことではなく、絵画、彫刻、音楽、小説、詩、文芸全般に及ぶのです。

芸術とは美を表現する手段だという。それでは、何が一番美しい存在でしょうか?それは勿論神です。それゆえ、人々は歴史的を通して、如何に神を表現するかという課題に取り組んで来たのです。

私はヘンデルのメサイア(メシア)を聞いて、宗教的感動を覚えたので、ハレルヤ合唱団を立ち上げ、毎年、年の暮れにクリスマスコンサ-トを開催して、来てくれた人々に神体験をしてもらおうと思っているのです。

篤い信仰心を持って演奏すると聖霊が降りて来て人々に宗教的な感動を与えてくれるのです。したがって、やればやるほど心は充実し、益々情熱が湧き上がって来るのです。

ちなみに、大阪では毎年第九の一万人演奏会が開催され、宗教と関係がない一般の人々でさえ宗教的感動に浸るのです。


・イエスは「私を見た者は神を見た者なり」と言いましたが、イエスの生き方、人生そのものが神を表して来たので、当然の表現でしょう。

人は”神の宮”だというのですから、我々食口も程度の差こそあれ、神の宮であり、イエスと同じことを各自の自身において言える者たちでしょう。

聖書は文学を目的にして書かれた訳でもないのにベスト10に入る文学作品だといいます。それは神が人間を通しての歩みが描かれているからでしょう。それゆえ、芸術とは絵画や音楽やその他の文芸作品に限られた物では無く、神と共に歩む人生そのものが芸術作品なのです。


・さて、この辺で私たちが今直面している現実を神学者のテリッヒの言葉(神律・他律・自律)を借りて説明してみましょう。

「他律」とは自分の外から、自分に与えられた法であり、重荷となってのしかかってくる。

一つの宗教が信仰内容とか行動とかに対し独善的な態度を取ろうとする時、それは他律となる。それは人間性、創造性、理性を無視したり、破壊したりする。自分こそ神に代わって語っているのだと言い、服従を求める。

中世暗黒時代には、教会が権威をふりかざし、思想内容は検閲を受け、あるまじき行為は罰せられ、神の掟がしかるべき組織の権威の座によって強いられるようになる。現在のUC・家庭連合はまさにこのような状態でしょう。


・他律に服従を強いられるとき、遅かれ早かれ人間は謀反を起こす。一般には「自律」という名の下に逆らうようになる。自律とは自分自ら己を律して行くことである。

この自律においては、自ら法を設定し、理性に従って行動を律して行く。自律的な人間は自分以外の何者の前にもぬかずくことを拒絶し、自分の運命と魂の支配を誰にも委ねない。

ルネサンスや18世紀の合理主義・理性重視を主張した啓蒙思想はまさしくこれにあたる。UCに躓き、原理を否定し、神に対する信仰までも放棄すると自ずから「自律」の道に傾斜して行くことでしょう。


・「神律」は他律と自律を共に拒否する。神に基づく最高規範は、同時にまた人間の内部にある内なる法である。したがって、この法は外部から押し付けられたものではなく、自分の心の中に見出したものともいえる。

神によって与えられた法は、人間の本性と調和したものものである。宗教改革の初期は神律の時代と言えよう。そこでは人生の究極的なもの、すなわち神が一切のものを通して光を放っていた。

神律の時代においては、信仰とは生活のごく自然な表現そのものである。聖と俗の区別もなく、すべての生活が神との関連においてのみ見られるのである。

このような社会では、宗教は人に対して命令すると言う係わり方をしない。むしろ一人ひとりの実存を生き生きと生きさせる血液の役割を果たす。

したがって、人々はもはや信仰を意識しない、と言うのである。これを原理の世界で言うならば、創造本性の本性人であり、天地自由人と言うところでしょう。

ちなみに、ヤマギシズムの共同体では極めてこれに近い生活をしています。欲望から自由になった世界であり、「欲するに従えてのりを超えず」の境地でしょう。廃品回収をしていた統一教会の初期にはまさにこのような生活していた記憶があります。



UCが初期のころそうだったように、神律の時代と呼ぶにふさわしい光を放つような団体に戻ってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
日本ブログ村ランキングを見る!

日本UCが献金し続けるからいけないのだ(今のUCはいったん自然崩壊した方が良いのではないか)




H1派の人が以下のような内容をブログなどに書いている:


先月、日本UCは歴史上初めて世界本部から10億円の資金援助を受けた。献金をする事か使命の日本が支援を受けたということは大変なこと。

(このことをお母様は知っていると思うが、これは日本が運営費が足りないということ、今までこういう事は無かった。)

日本全国250教会のうち四分の一は教会の賃貸料を払うのがかなり難しい状況。これまで食口の個人破産は多くあったが、最近、北海道の教会が教会次元での破産申請したのは初めて。

(顕進様)『9年前私が、UCをやめるまえ、日本に対してこのまま行ったら日本は終る。体質を変えないといけない。体質を変えることができたら持続するだろうと言ってきた。H2以降、変わっていないことだ。最早体質改善する時期を逃したと観ることができる。)

(顕進様)日本がかなり厳しい状況た。年末までに、職員を300人解雇する予定だという。高齢化が進み二世も含めた平均年齢は57歳、主要活動勢力は60代〜70代、婦人部長は70歳前後が主流になっている。

H1派の人の話終わり


これに対する師観の感想:

随分前からの話ですが、日本UCが献金し続けるからいけないのだと言うのです。

おかげで、韓国の様々の事業体は自助努力をしないで、いつまでもおんぶに抱っこから抜けだせないのだという。

すると、これに対する返答は、韓国人というのは日本UCが潰れてしまうまでハエエナのようにくらい尽くすという。

また、ある人はいっそうのこと、日本UCは潰れて無くなった方が韓国人の自立の為に良いと言う。

また、ある人は、昨今のUCの内部分裂や統一家の問題を見ると、UCの自然崩壊は時間の問題であり、来るべくして来たに過ぎないと言う。




・神氏族メシアが摂理の中心だとするのならそれを促進するためには、UCはいったん自然崩壊し、再出発した方が良いのではないかと思われた方はクリックお願いします。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
日本ブログ村ランキングを見る!
Profile

師観

Author:師観
ようこそ、師観のブログへ!

Latest journals
Latest comments
Latest trackbacks
Monthly archive
Category
フリーエリア
カウンター
Search form
Display RSS link.
Link
Friend request form

Want to be friends with this user.

QR code
QR