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真の父母論その3(信仰の論理と客観論理)



人間が「創造本然の人間」という理想の姿になれるのか?

・この質問の答えになるかどうかは知りませんが、参考例なら挙げることが出来ます。

釈尊も無明煩悩(堕落性)について随分悩んだ方と伝えられています。しかし、6年間、菩提樹の下で瞑想し、ついに涅槃の境地、悟りを開いたという。

これを原理の観点から解釈すると、堕落性を突き抜けた世界に、創造本性である真善美聖愛の神性に目覚め、これを仏性と呼び、釈尊だけでなく万人が本来持っている性質であることを悟ったということでしょう。

大事なことは釈尊が自力で創造本性である仏性を開花した先駆者であるということです。弟子達は釈尊と同じような瞑想(禅)という方法で、先駆者と同じ境地に至ろうとします。

従って、原始仏教は自力で悟りを開くのであって、キリスト教のようにイエスの十字架での贖罪によって、原罪を含めた全ての罪が許されるという他力本願ではないのです。ちなみに、禅宗はこれを踏襲しています。

私が3年間修業をしていたヤマギシズムは盤珪禅の流れを汲んいて、瞑想の代わりに研鑽会という円座を組んでお互の我執を取り除く話し合い(放し合い)をします。

これは自己啓発セミナ-に似ていますが、歴史的にはヤマギシズムの方が先です。ここで大事なことは、所有観念を一切捨てて、無所有の境地に至り、自己(小我)に対する自覚が、大宇宙の生命の流れとしての大我に目覚めることです。

結果として、キブツのような生活共同体を形成するようになったのです。会員には献身者の村内会員と村外会員がいますが、村で起きた美しい話をしてみたいと思います。

村内会員のある仲の良い恋愛中の若い男女がいました。よく二人で仲良く手をつないで日向で寝ている姿を目にしました。

あんまり仲が良いので、古参のメンバ-から、「お前たち、そんなに仲が良いのならキスして見せたらどうだ」と冷やかされるほどでした。

この二人は4年後に結婚しましたが、その間、一度も性的関係はなかったという。恐らく、家庭を持つ前の面接の時に、証しをしたのでしょう。これは村の美談になっていました。

彼らは立派に原罪を持った人たちでしょうが、本性から湧き出る本心・良心の導きによって、清らかな愛の花を咲かせたのでしょう。

これとは逆に、祝福を受けて、原罪が無いはずのシックがポルノに取り付かれて、奥さんから離婚された人もいます。これは、誰が見ても実態の伴わない無原罪は実態が伴っている有原罪より劣るように映るでしょう。

無原罪もこうなってしまうと形骸化されてしまい、単なる信仰の論理になってしまうのです。問題は何を信じるかよりも何をやるかの方にもっと重きを置くことです。

マザ-テレサは道端で倒れている人々を「死者の家」まで運んできて、死ぬまで世話をしますが、葬式は個々人の所属する宗教に基づいて行われるといいます。

彼女は恐らく、自分の宗教が信仰の論理であることを知っているのでしょう。だから、相手の信仰の論理の違いも尊重できるのです。

厄介なのは、自分の信仰の論理が客観論理と思い込んでそれを絶対化することです。客観的に自分の宗教が正しくて他は間違えであると信じ込んでいる教条主義者は異教徒を打て!という狂信的バリ教に陥りるのです。

異端者のレッテルを貼って除名に走るTM教権派は明らかですが、H1・H2はさすが違うといわれるようにならないと程度の差こそあれ似たりよったりだと言われてしまうでしょう。



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その通りだと思います。

公職者も辛いのではないでしょうかね。
自由に本心で語って仕舞うと、信者の献金が集まらなくなって仕舞うだろうし、本部から首にされると生活出来なくなるし、再就職なんて無理でしょ。
土方とか警備員とか底辺の仕事しか無いだろうしそんな地獄を考えたら今のホワイトな仕事(公務)に必死にしがみつくしかないからね。
だから、信者を引き締めて献金、献金させるんだな。それが仕事になっている。
現実の生活が一番大事!
お花畑では生きていけないからね。

必死に信者を引き締めている状態って何か80年代末期の共産主義の東欧諸国を思い出すね。
結局、本心の自由の発露によって一気に崩壊した。
家庭連合もそうなって仕舞うのかな?

No title

そもそも「原罪」って何なのでしょうか?人間が持って生まれたのはカルマやエゴだと思います。誰かが自分の罪を清算してくれるとか、出来ないと思います...。最近やっとそう思うようになりました。統一原理でいう「原罪」はないと思います...。「堕落性」とはカルマやエゴの事だと思います。だから、文先生も原罪はないし韓お母様も原罪はない。子女様も原罪はないし、祝福家庭も祝福を受けていなくても一般の人々も誰も原罪はないと思います。あるのは個々人もしくは先祖のカルマと多かれ少なかれエゴを持っているとだと思います...。

No title

先程は過激なことを書いてしまって申し訳けありませんでした。すみません、感情的になってしまいました...。自重します。それでも私は信仰を持つことは良い事だと思っています。心の支えになっていました。ただ依存しすぎて正しい信仰を持てなかったと思っています。どの宗教にかかわらず正しい信仰姿勢を保っている方々を尊敬しています。

今後のTMを見ていましょう

誰しもが、TFの証をすることにお母様の一つの価値があると5年間思っていましたが、ほとんどなく、今回初めてその心情を「胸が張り裂け、慟哭する思い・・・」と吐露されたというなら、今後TFの証を毎回されるでしょか。いや、されないでしょう。5年間の言葉だけではない行動を見れば逆のことばかりされているので難しいでしょう。もし、そうなら今回の言葉は嘘になります。見守りましょう。
さて、原理を解明したわけでもない。単に同参権、同位権があるだけの立場ですから、もう少し謙虚に行動すればいいものを、やはり、韓半島の血筋の人間ですね。女王になりたいのです。独生女に何か価値がありますか。価値は、相対が決めるものです。人類が決めるものです。くれぐれも毒生女にならないように祈ります。独生女が話せば話すほど行事をすればするほど心情が離れるばかりです。あれから5年。
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