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TMは本当に聖霊の実体か?(本質的聖霊論とTMの比較)




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ある友人が以下の問題について神学的立場からいかがなものかという質問がありましたが、すでに答えは出してありましたので、同じことを何度も書くのは空しいとは思いますが、見逃した人もいることでしょうから、もう一度書きましょう。


イエス様の聖書のみ言葉での、人類の親としての神様が、絶対に人類を許せないたった一つの条件が「聖霊を否定することだけは許されない」と語られたこと。すなわち聖霊実態のお母様を否定することだけだそうです。

ある人が提示した問題終わり


これに対する師観のコメント:

すでに投稿した言葉をもう一度書きますが、TMに宿っている霊は聖霊ではなく別な霊だ!ということです。なぜなら、聖霊の役割はイエスを主(メシア)として証すことなのです。(コリント第一12/3)

写真を見る限りでは、アボジの写真も椅子も置いていないし、ただ中央にTMだけが自分の天下が来たと言わんばかりに座っている姿はまるで西太后を思わせるイメ-ジだといったのです。

この写真からTMがアボジを再臨主として証しているようにはどう見ても思えないのです。

それでは、誰が聖霊を否定しているのでしょうか。知的障害者でない限り、答えは「TM自身が聖霊を否定していること」だと
言うことになるでしょう。TMが聖霊の役割を果たしてアボジを再臨主として証さないと聖霊の使命を放棄し、否定したことに
なるのです。

お母様の行動を問題視する人中に誰一人、聖霊を否定している人を見たことがありません。むしろ、聖霊の実体としての役割を果たしていないTMを問題視しているのであって、聖霊そのものを否定している人は誰もいません。

ところで、聖霊とは何でしょうか。イエスキリストの妻ですか?聖霊論についてはすでに論述したので繰り返したくはないのですが、もう一度投稿しましょう。

ただし、聖霊がイエスの妻なら、マリアがイエスが存在する前にイエスの霊的妻である聖霊によって身ごもるのですか?並みの知性のもち主なら疑問に思うはずです。

イエスは自分が存在する前にすでに自分の妻が霊的に存在していて、母マリアに入り込んでイエスを産ませたのですか?これは奇奇怪怪です。

神学的には聖霊とは神の力、働きであってそれによってマリアはイエスを身ごもったと解釈するのです。

アボジのみ言葉によれば、イエスの相対者になるべき女性は洗礼ヨハネの妹だったという。

だとすれば、洗礼ヨハネの妹の霊が聖霊でその力によってマリアがイエスを身ごもったと誰も思わないでしょう。霊人体も肉身もザカリアという男性とマリアが交わることによって、イエスは身ごもったというのです。以上は序論です。


聖霊論について:

・旧約聖書においては、霊(ル-アハ)は神の行為の道具として自然に対しても人間に対しても大きな役割を演じています。

ル-アハは本来は「息」を意味し、命を与える神の息であり、鼻の穴からこのル-アハが吹き入れられることによって人間は生命を得たという。

また、神の霊は天地創造の時に「水の表を動いていた(創1/2)」と言うように、神の属性としてすでに存在していたのです。

したがって、イエスが誕生する前から存在しているので、イエスの相対者という限定された存在ではありません。また、それは被造物に働きかけてそれを形成し生命を与える力(創6/7、詩104/29-30)でもありますので、万有原力的でもあります。

このような普遍的な創造活動以外に、神の霊が特定の人間に強烈に注がれる時、その人間は特別な賜物、能力が与えられる(創41/38、出36/1、申34/9)のです。

その最も顕著な例は預言者の活動です。この霊の働きで、預言者は恍惚状態になり、語りだすと、これが神の言葉の媒介者となった”しるし”と初期には考えられた(サム上10/10)のでが、大預言者時代にはそのような状態を持って預言者の真偽を問わず、「神の霊」と「神の言葉」とを結合し、神の霊の人格的・ロゴス的性格を(エレ23/28、エゼ37/1)鮮明にしたのです。

終末的救世主メシアもこの神の霊の賜物を豊かに受けた者(イザ11/1)であり、終末においては、特定の個人だではなく神の民全体に神の霊が下り、その実現によって新しい時代が来ると信じられた(イザ44/3、エゼ36/27、)のです。

以上を要約すると、旧約における神の霊は: 

1. 世界と人間に創造的・生命付与的に働きかける神の力を意味し、

2. 人間を人格的に目覚めさせて歴史形成的に働くことを目的としています(士14/6、サム6/10、王上18/12)。

注:この霊はペンテコステ派や他宗教に見られるように、恍惚的忘我状態を引き起こし、啓示として展開されることが多々ありますので留意されたし。

原理では全ての善なる宗教は時代と環境に応じて神から来たというのですから、無下に否定してはいけないでしょう。

・新約聖書においては、聖霊についての考えは、さらに発展しています。しかし、共観福音書、ヨハネ文書、パウロ書簡では、理解の仕方が少しずつ違う。

・共観福音書では、聖霊によって処女マリアがイエスを身ごもり、イエスが洗礼を受けた時には聖霊がイエスの上に下り、荒野でサタンの試練を受けた時には、彼を支え(マルコ1/10)、聖霊によって自分の使命を自覚し、彼に奇跡を可能にし、悪鬼を追い出し、神癒として病人を癒し、生涯を通じて彼を支えています。聖霊は神の力なのです。

・ヨハネ福音書では、聖霊は”別の助け主”(ヨハネ14/16-26)であり、そのわざはイエスが天に上げられた後の未来に属するものとされています。使徒たちが、聖霊の賜物を受けるのは、イエスの復活の後なのです。

・パウロにとっての聖霊は、天に上げられたキリストと聖霊をほとんど同一視しているほど、その両者を近くに考えていることです。

聖霊における生活とは、キリストにおける生活であり、キリスト者の体を神の神殿であり(1コリ3/16)、聖霊は我々を父にとりなし(ロマ8/26)我々の体を、キリストと同じような霊の体とする(1コリ15/42-44)ことです。

罪・死・律法から人間を救い出し、信仰・義・喜び・平和を与えるのは、聖霊という存在様式によって人間の中に住むキリストであるという。したがって、キリストを告白しない霊は聖霊ではない(1コリ12/3)という。

注1:私の所に相談に来る家庭連合に籍を置いている多くの信徒の悩みは、韓鶴子女史が大会で語る内容は文師を証すメッセ-ジではなく、自分が独生女であり、メシアであることのメッセ-ジであるという。

これはフアミリ-の中に書かれている女史のメッセ-ジも同じだと言う。それゆえ、女史はキリストを告白する聖霊の役割を果たしているようには思えないという。


注2:「私は腹中から3代一人娘の母系として血統転換し、原罪を清算して純潔で誕生した独生女だ。ところがお父様は原罪を持って生まれた。

私は一人娘として生まれたが、お父様には複数の兄弟がいる。お父様が原罪なく生まれたなら、その兄弟たちも原罪がないという話になる。したがってお父様は原罪なく生まれたのではのではないということだ」(2016/12/25 天正宮にての発言)

    
「原罪を持って生まれたお父様は、原罪なく地上で生まれた独生女に会って原罪を清算した。お父様は私に会う前に、他の女性と結婚してはいけなかった」(12/30 430双以上のの元老夫人たちを招集した時の証)

  
姜賢實先生の声明(2016/12/21)によれば、「ところがある日、晴天の霹靂のような言葉が聞こえて来ました。お母様は「私は原罪なく腹中から生まれた時から3代がきれいな純潔で生まれましたが、お父様は原罪と共にお生まれになった」と言いました。

いくら理解としても理解が出来ず、数日間苦痛の中でもがき苦しみました。私の良心では受け入れることができません」という。



これでは、韓鶴子女史を見た者は聖霊の実体を見た者なりとは言えないでしょう。
 
・但し、私は韓鶴子女史を別な角度から大変高く評価しています。

先ず第一に、現在は問題発言で教会に混乱を招いてはいますが、彼女をなくしては、36家庭から今日までの祝福家庭は存在できなかったことです。

したがって、肯定される面と否定される面があるのですが、祝福家庭を生み出した一点を見れば立派に聖霊の役割を果たして来たということです。

第二は文教主が完成・完結・完了を宣言したからにはUCはその使命を終えたということです。使命を終えたUCは崩壊しなければならないでしょう。

したがって、韓女史の発言は使命を終えたUCの崩壊を早めることに貢献しているのです。破壊の神であるシバ神の役割を演じているのです。これも神の働きですから、ある意味では聖霊の役割を演じているのです。

第三にUCを崩壊して何処へ行くかというと、真の家庭連合を築くことです。TM-総会長-会長-地区長-教区長-教会長-平信徒のトップダウンの命令組織を廃止して、各祝福家庭が主体であり、主人の家庭連合を築くことです。各家庭が協力し合い、連合になると事務局が必要でしょう。

そこにおける事務局員や事務局長は世話役であってアベルの位置で各祝福家庭に命令すような立場ではないののです。

ここでは講論の総序に書かれているように、神を真の父母として侍る万民一家族の世界なのです。韓国至上主義の絶対君主王国ではないのです。


現家庭連合組織が、韓国至上主義の絶対君主王国を目指すのではなく、各祝福家庭が主体となる、真の家庭連合に変わっていってほしいと思われた方はクリックお願いします。
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今のお母様に物言い出来る人は教会からお金を貰っていない人だけ。

組織のトップであり、ワンマンである。
まるで、「私がルールブック」の見本の様な状態。
三権分立とは、本当に上手く出来た制度だと思う。一党独裁政治で今まで上手く出来た試しがない。
信徒の献金で生活するのでなく、自ら経済的基盤のあるものが中心者とならなければ誰も本音、本心で動けない。
本当の意味で完成された完全な人間なんてまだこの世には存在しないと実感出来ますね。
御子女さんを見ていてもね…
だから、絶対王政、王権神授説は駄目です。堕落します。失敗します。
献金で暮らす公職者がいるだけで全てオモニマンセーだけのイエスマンになります。

UCが指名を終えたのでしたら
これ以上被害を出さないうちに
早く終わって欲しいものです
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