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慰安婦問題の本質(男性の性欲について)




慰安婦問題の本質とは何でしょうか?

ここで私が問いたいのは慰安婦がなぜ必要とされたのかなのです。

普通に考えると、男女が愛し合い、その愛の高まりの頂点において心だけでなく体においても一つになるのが愛の行為なのです。然るに、ここでの問題は愛に関係なく男性兵士が性欲を満たすために慰安婦を必要とすることです。

テレビで像の生態についての放映がありましたが、雄の像が雌像の群れのところにやって来て、発情期に至っている雌像を探すのです。いないことが分かるとさっさと帰って行きました。それは交尾する必要が無いからです。

このような現象は大方の動物に当てはまるようです。しかし、人間はどうでしょうか?男性は性欲を満たすために娼婦まで買ったりするではありませんか。

もちろん、全ての男性がそうだと言うのではありません。欲望を自制できる男性は沢山います。しかし、ワザワザ自制しなければならない過度な欲望があることが問題なのです。

・一体この過度な欲望は何処から来たのでしょうか。神が人間(男性)をそのように創造したのでしょうか?それとも人間始祖が堕落したからでしょうか?

厄介な問題は原理を聞いて献身までしている信徒まで、欲望を自制できずに問題を起こす人がいることです。二世も同じ問題を抱えています。

祝福二世の男性が路上で自分の体を男性に売って生活してきた手記を本に出版している人もいます。この問題は一時、教会でも話題になったことがあるくらいです。

・私は教会長だった頃に、この問題について牧会指導をしたことがあります。その答えは、人間始祖の堕落に原因があり、淫行の悪霊に取り付かれたせいであるというものでした。

これは原理の観点からの解釈であり、本当はよくは分からないのです。しかし、私の解釈はそれなりの根拠はあるのです。

ある霊的な信徒が霊界に入った時に、悪霊たちが群がって自分の性器を刺激していたというのです。その時、神に祈り、天使の助けをかりて悪霊を退け、聖霊に満たされたら過度な性欲は消えていったと言うのです。

これは証ですから本当だと思います。問題はこれは一つの実例であり、全ての人に当てはまるもとのとして普遍化できるかということなのです。

そこで、皆さんはもっと科学的に説明できるでしょうから、意見を聞きたいものです。

注:私は後期高齢者で性欲はすっかり卒業してから余りにも年数が経ってしまったので、自分に当てはめて考えることが出来ないのです。



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人間が堕落したからです。
その結果が現れています。

個人的な意見ですが。

人間の発情期は何時でしょうか?

人間は1年中発情期なんですよね。

その理由は『生めよ増えよ地に満てよ』という事を達成させる為にだと思います。

動物は1年のうちの一時期しか発情期はありませんが、人間は1年中子供を生み増やす事が出来ます。


という事だと思いますけどねぇ。


慰安所の設置については『現地住民に対する強姦予防及び性病の予防』っていうのが建前上の理由だったように思いますけど。

No title

科学的には説明できませんが、人間がいまだ創造通りに完成していないと言う事ではないでしょうか。信仰深いクリスチャンや仏教徒でしたら、慰安所などなくても闘かえるのではないでしょうか?ちょっと前ですが、沖縄戦を映画にした「ハクソー・リッジの戦い」では主人公が敬虔なクリスチャンでした。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B8

堕落性とかではないです

>祝福二世の男性が路上で自分の体を男性に売って生活してきた手記を本に出版している人もいます。

初めて知りましたが、本人の苦しさが伝わってきます。
それでも生きた。元々、統一の女性には貞操観念などなく、み旨という無知な観念のためなら、身を売っても構わない者達だらけということを聞いてたのですが、子供がしかも男がその上をいってしまった。悲惨そのものです。これが人類そのもの。

>これは証ですから本当だと思います。問題はこれは一つの実例であり、全ての人に当てはまるもとのとして普遍化できるかということなのです。

単純に、類は友を呼ぶのでその結果です。堕落とか堕落性とか関係ありません。本人が招いたんです。
セイ欲が負のエネルギーとなり、正を凌駕してしまい虜になり、負が負を呼んだと思います。文鮮明も同じ。
ソドムとゴモラの中に入った状態。動物以下になった。

人間が人間になれる場が、この世だと思います。
一人一人の勝負の場と思ってます。徒党に依存するなんて、誰かに依存するなんて、もはや生きた敗者と思う。本当に素直に正しく生きてれば、依存などしないと思う。何が正しいか見極められることができればですが。

人間の心、思いは宇宙・自然に影響すると思ってますが、良心の発露が閉じたんだと思います。未来は白紙だし、死ぬまでに勝てばいいと思う。そうなれば、慣性の法則でそのまま霊界に繋がると思ってます。逆を言えば、無条件にとてつもない正エネルギーに包まれることだってあります。(一度だけの私の経験:心が完全に洗われたというか、燃やされたというか、真っ新になったというか、表現できる言葉はこの世にありません、そのまま霊界に強烈に行きたいと思った:統一に入る前のことです)
良心を閉じて妄想で生きれば、良心が消える?
"いつまでもあると思うな、この世の生命と良心"って感じですかね。自ら良心を閉じる生活は、あの世でもそうなるんでは?
しかも、霊界ではもう修復不可。人間でなくなる。

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