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神はUCの歴史的な負の遺産や実態を通して生まれ変らなければならないことを警告してしている




アメリカで共産圏から逃げて来たと言うシックに会いましたが、彼は自分が逃げてきたばかりに親がひどい目にあっているという。

結局、彼の心には安らぎがなく共産圏の故郷に帰って行きました。これは真の幸せとは誰かを犠牲にしては成り立たないことを示しています。

・彼は共産圏には帰りましたが、信仰を失ったのではありません。地獄の状態に曝されている親を案じて帰ったのです。

また彼が帰ったからといって、当局の弾圧が緩和される約束もありません。命はともかく、一緒に投獄されるかも知りません。

・クオヴァ-デス(主よ、何処へ)というローマ皇帝ネロのクリスチャン迫害の映画があります。実話を映画にしたものです。

その中で、多くのクリスチャンがコロセルムに連れて行かれ、処刑されるのです。ペテロにも危機が迫り、ロ-マから抜け出すのです。

しかし、その途中イエスが現れて、ペテロにロ-マに帰えり信徒を導くように促すのです。

当然、捕らえられて、処刑所に連れて行かれます。コロセルムでライオンの餌にされたり、火あぶりにされるのですが、ペテロは信徒に賛美歌を指揮して歌わせ、自分は逆さ十字架刑にされることを申し出るのです。死だけでなく苦痛も恐れないのです。

それを見に来たロ-マ市民は彼らのあっぱれな信仰と美しさに感動し、クリスチャンに対する見方が変って行くのです。

芥川龍之介の「杜子春」の話の中に、主人公の杜子春が、なかなか普通の人生を歩めずに、仙人になろうと思いたち、仙人に弟子入りしていろいろと試練に遭いますが、その最後に、親が畜生道に落ちている姿を見せられるという場面があります。

杜子春はとうとう、親のその姿を見るに絶えず、仙人になる道を諦める、という決断をします。すると、師匠である仙人は、もし、杜子春が、畜生道に落ちた母の姿を見ても、それを見捨てて仙人になる道を選んでいたら、その師匠が杜子春を殺していただろう、と言うのです。

・杜子春が、仙人になりたがる動機は何なのでしょうか?人類救済のためですか、それとも世俗からの厭世でしょうか。

ところで、我々の信仰は趣味ですかそれとも人類救済でしょうか?

我々が献身した当時はNHKが「現在の映像」という番組の中でとても好意的に扱ってくれました。そこには人々が納得できる大義名分があったからです。

ところが、途中から霊感商法のような反社会的なことを始めてから、親が反対牧師につながり、脱会をするように迫って来るようになりました。

残念ながら、教会はそのやり方のせいで信徒が拉致監禁されたのに責任は全く取らないのです。

桜田淳子さんや山崎浩子さんが入信し、祝福を受けたことで、マスコミに取り上げられ大変な話題になった時に、神山氏が文教主に報告し指示を仰いだ結果、教会の方針として信仰告白をすることになったのです。

当時対策を担当していた私は反対でした。何故なら、入信したばかりの姉妹に教会のこれまでの問題である負の遺産を無防備に背負わすのは余りにも酷であり、潰れるのは目に見えていたからです。

案の定、山崎さんは拉致監禁され潰されて行ったのです。桜田さんは何とか守られましたが、二度と芸能界に復帰できない有様です。勿論、誰も責任を取りません。

これは悪です。それでは文教主はどうでしょうか?究極的には自分のせいで拉致監禁されているのに責任を取ったでしょうか?

・世間のUCに対する迫害の理由とクリスチャンに対する迫害の理由とでは雲泥の差があるのです。

世間の目から見るとUCはオ-ムと余り変らないように見えるのです。そのような問題を親や反対牧師から突きつけられて、信仰を保つことは至難の業でしょう。

・神の啓示には自然啓示、歴史的啓示、良心啓示のがあるという。

神はUCの歴史的な負の遺産や実態を通して生まれ変らなければならないことを警告してしているのです。

三分裂を通して何を啓示しているのでしょうか?

私にはどれを見ても程度の差こそあれ韓国中心主義に見えるのです。日本の信徒を献金奴隷から解放しない限り神の国は実現できないでしょう。

実を見れば木が分かるという。これは実を通して木が何であるかを啓示しているという意味です。

恐らく、残念ながら世間の人は「幸福の科学」がUCの教祖が地獄にいると言えば,実から判断してさもありなんと思うことでしょう。

しかし、その中にあっても、UCを見し者は神の愛を見し者なりという努力だけはしなくてはなりません。



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超宗教超国家をこえられない現実

現在のUCの実態は超宗教、超国家を超えられない現実があることを
信徒自身も理解していません。

現実三つに分裂している実態をみても、これはどうみても宗教の壁を超えることができないことを示しています

文氏は宗教撤廃を語っておりました

文氏生前も何かしら朝鮮という国の再現が天一国家の枠組みとなったように思います

超国家の意味合いが異なるということでしょうか?
朝鮮宗教の範囲を超えられなかったとするならば
文氏の中にも矛盾があったと観てとれます

真の父母とは朝鮮に誕生したがゆえに朝鮮文化を基本として
世界宣教ということになればどこかでその矛盾が露出されて
方向性の誤りが出てくることは必然的です

その兆候がすでにUCのあちこちに生じています

この問題をどう説明するのでしょうか?

矛盾だらけのおかしな現在のUCはどこへ行こうとしているのでしょうか?


集団に依存するクズたち

集団が生まれ変わらないといけないとかがタイトルになってますが、完全な間違いです。
神がいつ語ったんですか?
神は何も言わないですよ。

徒党を組んで何かを成そうという発想自体がゴミです。
そのために金がいるとか、そして、結局、金に依存する。
献身するとか、集団に依存するクズの発想です。
クズは自動的にゴミ箱行きですよ。

生まれ変わるのは集団ではなく、個人です。
史観さんは、たった一人でアフリカの貧困地域に行かれて思いを成せばいいと思います。そういう日本人はいますよ。
宗教とか関係なく。
実際。70代後半80代であっても、そういう人いますよ。
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