FC2ブログ

それでもアボジは立派なメシヤです



アボジを 信じるか!信じないか、それだけです。とてもシンプルだと思います。という意見もあります。

この思考パターンはall or nothingの思考パターンです。但し、それが悪いと決め付けているのではありません。

むしろ、選択の問題でしょう。私はこれに対して、トータルで物事を見るのです。分りやすい例を挙げると、毛沢東です。

初めは絶対者でした。しかし、晩年には紅衛兵による文化大革命などで、恐怖の時代が到来し、評価が変わって来ました。

しかし、プラス、マイナスでトータルで中国の革命全体を見ると、毛沢東をなくして、中国の共産革命はなかったと言うのです。

それゆえに彼は色々問題はあったが中国の共産革命の父だという。ここでのものの評価は誰がではなく、何をしたかで評価しています。

これはとても大切な評価で、アボジも同じようなことを言っていましたね。「先生はメシアだから何もしなくて良いという訳には行かないのだよ。何をなすかが最も大切なのだよ。」と。

「誰が言ったかよりも何を言ったか」はとても大切です。カトリックの偉い司教達が宗教の権威の下に、太陽が地球の周りを回っていると言っても、事実がガリレオが言うように地動説が正しかったのです。

これは神でも同じ事で、もし神が天動説を唱えれば、地動説を知っている小学生に「神様って、たいしたことはないのだな!」と言われてしまうでしょう。

アボジも同じなのです。成して来た事で評価されるのです。すでに話しをしましたがアボジの中には神性面と人性面があるので、絶対的側面と相対的側面があるのです。

人性面においては、正しいものもあれば、そうでないものもあるのです。特に、ビジネスに関してはトンチンカンなものが沢山あるのです。よれゆえ、国進様ですら、「アボジの言う通りにやる駄目になる」と言うのです。

「躓く」と言う言葉は基本的に人間を絶対化したら起きてくる概念です。メシアとは「油を注がれた者」と言う意味です。旧約聖書には39人もいますが完全なメシアは1人もいません。だからと言ってメシアにならないということにはならないのです。

十戒の第一条は神以外のものを崇めることは偶像礼拝になると言うのです。それゆえ、メシアがトンチンカンなことをしますと預言者に糾弾されます。預言者たちは人間であるメシアに躓いたから糾弾しているのではないのです。

メシアが自分が人間であることを忘れて、神の権力を乱用しないように見張っているのです。

私はメシヤの使命は文王朝による絶対君主制を建設することではなく、万民一家族の共生共栄共義主義国家を建設することだと理解していますのでそこから外れたら賛成できません。

また、韓国の気象庁がダウンバーストが起きるので、飛ばないように忠告しているにもかかわらず、それを無視(?)して自分が乗っているヘリが墜落し、自分と家族を含めた同乗者を危険に曝し、食口の血のにじむような献金で購入した50億のヘリをオシャカにすることには賛成できません。

勿論、聖本を3000万で売りつけることにも賛成できません。

しかし、賛成できるものもあります。それは血統転換です。そしてこれがアボジの専門分野なのです。それだけで十分なメシアです。それゆえ、私のスタンスは是々非々です。

メシアだから何をやっても良いというスタンスと取りません。何をやるかが最も大切なのです。そんな訳で、アボジは欠点も大きけれどもトータルで見て立派なメシアです。

「私もメシアになろうとしているし、あなた方もメシアにならなくてはならない」というアボジのみ言葉には大賛成です。万人メシア説ですから、ここには偽メシアはいません。

みんな競争して万民一家族の共生共栄共義主義国家を建設をすればよいのです。その目的が共通であれは他宗教も神霊に導かれて統一協会になるでしょう。



なかなか興味深い話だったなと思われた方はクリックお願いします。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
日本ブログ村ランキングを見る!
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

共生共栄共義主義国家

始めまして。元教会員です。
万民一家族の共生共栄共義主義国家とは、文王朝による絶対君主制だと思います。
文先生が北朝鮮を訪問した際に、金日成が神を受け入れたら、北朝鮮こそが理想国家だと仰っていました。私は多少の違和感を感じながらも、そういう事なんだと思ったことを覚えています。
金日成が神を受け入れても、金王朝は今も続いていたでしょう。

そして文先生も統一教会の中では、文王朝による絶対君主制を実現しました。韓国人幹部は両班貴族ですから、韓国側から見たら、統一教会こそが理想社会です。
統一教会は元々韓国人を選民とした、韓国の宗教ですから、これは変わり様がないのです。
もし違うというなら、文先生はイエス・キリストと同様、使命を未完成のまま世を去ったということになります。

ただ息子達が自分から離れていった事だけは計算外だったと思います。

きれいな心

アボジが水晶のように清んだ心という話をされた事がありましたが
水晶のような心の人しか 水晶のような心は理解できないんでしょうね。
でも 理解させて下さいと神様にたずねる事はできます。

きれいな心

水晶のような心は、嘘をつけない心を意味します。あの教祖も信徒も幹部ほど嘘の奴隷です。どいつもこいつも言葉で人を虜にして操ってきました。

「あの世」は魂の成長が止まります。私もかなり翻弄された一人ですが、血統転換なんて、悍ましいだけの魔物言葉です。神を愚弄してます。

統一で一番の大間違いというか、大元凶こそ、血統転換です。教祖の子供だから、孫だから、祝福受けた子だから、2世だ、3世だ、全く関係ありません。

血統は血筋ではありません。人生の生き様、価値観だと思います。これこそ、人間の証明です。
あの教祖は血筋に拘ってましたが、これこそ、魔の証明です。
Profile

師観

Author:師観
ようこそ、師観のブログへ!

Latest journals
Latest comments
Latest trackbacks
Monthly archive
Category
フリーエリア
カウンター
Search form
Display RSS link.
Link
Friend request form

Want to be friends with this user.

QR code
QR