FC2ブログ

UCは救済の実態を世に示しているのだろうか



私がUTS卒業の直後、アボジが再臨主であることを客観的に証明しようとして取り組んでみたが、残念ながら、それは不可能に近いという結論に至りました。

宗教とはそもそも実存的なもので、科学的、実証的なものではないということです。

イエスをメシアとして信じたら、救われたとう人もいれば、ブラジルでは、イエスではいまひとつでしたが、創価学会に入信したら救われたという人も沢山いて、土壌がカトリックなのに創価学会が破竹の勢いで伸びているという。

極端な例として、オ-ムや自称、イスラム国などを挙げることが出来ます。

客観的にはどう見てもサリンによる殺人カルトに見えるオ-ム(現在はアレフ)に年間500人が入信するという。イスラム国は客観的にはテロリスト集団に見えるのだが、年間1万人の若者が世界中から押し寄せて来るという。

日本でも北大卒業生が何だか知りませんが彼の実存がスパ-クして、イスラム国へ飛んで行きました。これは他人事ではなく、我々UCも客観的にはカルトに見えるということです。

霊感商法、六マリア、ヤコブの知恵(heavenly deception)等々、数え切れない実例が今なお、続いているのです。加えて、統一家の分裂は致命的です。み言葉によれば、「実態(体)はみ言葉の数十倍の価値だある」という。言い換えれば、「実を見れば木が分る」と言う事になる。

私が「統一教会のメシア観」という論文を書きました。

http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

それを書くにあたって、ICPAの神学者会議の中で、人類のメシアなるものを客観的に証明できるかどうかを聞いてみた。

しかし、桜井先生もかの有名な松村先生(元東神大教授)、その他大勢の神学者もいたが、それは信仰告白の問題であって、科学的、実証的に証明する分野では無いということであった。

要するに、信仰とは実存的なものであるということである。また、どんなに頑張っても原理は所詮形而上学的仮説に過ぎないという結論であった。

この仮説に基づいて我々は半世紀以上も実践(宗教社会学的実験)をして来た結果が、今日の現実なのだから、当然、「実を見れば木が分る」と言われるのです。

残念なことに、日本における信徒に対する価値評価がどれだけ堕落性を抜いで人格完成に近づいたかではなく、どれだけ献金したかである。

清平における420代の摂理が打ち出された時に、まともな食口は「UCはとうとう旧約以前の供え物時代に逆戻りしてしまった」とため息をついていた。

そんな時に、タイムリ-に亨進様が宗教改革に立ち上がったものだから、多くの食口が共鳴しだした。

カトリックは近年になってルタ-の宗教改革を高く評価したことは注目に値する。お陰で、形骸化してしまったカトリックの内部から改革が起き、カトリックが立ち直ったので、高い評価を与えたのである。

UCも李ヨハネ先生が言うもでもなく、TMもH1もH2もどちらが神の国を先に築くか競争したらよいのです。

この方々のアボジ観はそれぞれ違いますが、それはそれぞれの実存を尊重することにして教義問題で宗教戦争をしない方がはるかにましである。



なかなか興味深い話だったなと思われた方はクリックお願いします。
↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
日本ブログ村ランキングを見る!
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

文龍明由来の宗教は全てカルト

嘘で固めたカルトは、分派もカルト!

地上天国は永遠に来ない。
そのうち人類は滅び、
地球は寿命を尽きる。
Profile

師観

Author:師観
ようこそ、師観のブログへ!

Latest journals
Latest comments
Latest trackbacks
Monthly archive
Category
フリーエリア
カウンター
Search form
Display RSS link.
Link
Friend request form

Want to be friends with this user.

QR code
QR