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UCの聖酒式や祝福式が救いの絶対条件なのか




ある人から次のような質問が来ました。


以下の問題提起に関して神学的回答を期待します。

1、内村鑑三は、1901年に教会の無い人、行けない人、のために「無教会」という雑誌を発刊し、聖書の研究集会を始めました。

内村は既成の教会に飽き足らず、イエスも パウロも、初代教会はもともと無教会だったとして、教会のガラン宗教を避けて、教会主義からの脱却を目指しました。

しかし福音信仰を脱却するものではなく、聖書のみ、万人祭司主義を徹底したものであったと思われます。

この無教会主義教会は、侒手礼を受けた聖職者・牧師を持たないので、儀礼(サクラメント)や説教を中心とした伝統的礼典から離れ、結果的に聖書の研究や講義が主となりました。聖書講義、聖書講話が主とされ、洗礼、聖餐式などの儀式は行わないません。

2、マタイ18・20に「私の名によって、二人、または三人が集まる所には、私もその中にいるのである」とありますが、これがキリストが建てて下さる真の教会であるといいます。

神のよって呼び出された二人以上信徒がイエス・キリストの名によって霊的、人格的共同体として交わるところに真の教会(エクレシア)があるトいうのです。

そして初代教会は全てこのようなものだったのです。プリスカとアキラの家は教会でした(ロマ書16・3~5)。又「ニンファと彼女の家にある教会の人々によろしく」(コロサイ4・15)とあるように一般信徒の家に教会がありました。

フィレモンの家もまた教会でありました。(フィレモン2節) UC流に言えばホームチャーチ(家庭教会)、オーシャンチャーチということになります。

二人以上の信徒のいる所には、教会堂の中であれ、家の中であれ、そこにはキリストの体としての教会があり得るというのです。

そもぞも、信仰箇条、礼典、サクラメント、教会法、聖職者制度などを備えたいわゆる公教会(制度教会)なるものは、キリスト教がローマ法に価値を置く帝政ローマの手に渡ってからのことであり、そのマネをする必要はないというのです。(内村鑑三「真個の教会」)

上記の教会こそ、内村の言う無教会主義教会なのです。無教会主義は知識に偏っているとの批判がありますが、南原茂、矢内原忠雄、高橋三郎、斉藤宗次、政池仁、塚本虎二、黒崎幸吉、手島郁郎など多くの学者、著名人を輩出しました。

3、そこで次の疑問が生じます。果たして、救いや重生に、聖酒式、祝福式などの教会儀式は絶対に必要なのか否かという問題です。

内村鑑三など上記無教会主義の教会では、洗礼や聖餐や侒手などの儀式、儀典は行いませんんでした。

キリスト教会でも、洗礼や聖餐や侒手などの儀式、儀典は、信仰の重要な要素であるが、救いとの直接的な関係は無いと言っています。

救いに絶対必要なのは、イエスによる十字架の贖罪、墓に埋葬されたこと、3日後に復活されたことの福音の3要素を信じることであり、洗礼は救いの絶対条件ではないといわれています。(中川健一牧師など) 

そこで我がUCでも、神を信じ、真の父母の重生を信じ受け入れる信仰だけでは救いは無いのか、聖酒式や祝福式が救いの絶対条件なのか、こういう重要且つ深刻な問題が出てきます。この点について貴殿の見解をお聞きしたいと思います。



これに対する師観のコメント:

1.答えはものすごく簡単です。貴兄が聖酒式や祝福式を受けたのなら、それは天国に入るためではなく地獄行きの儀式になります。

何故なら神様自身が地獄にいるからです。そして神のいる所が天国なのです。

だから、イエスは羊飼いは100匹の羊の内、1匹でも地獄に迷い出たのなら、そこに探しに行くというのです。心情が神に近くなればなるほど地獄が近くなるのです。

大学を捨て、献身した時点で地獄駅の列車に飛び乗ったのです。それゆえ、いまさらジタバタしないこと。侍のように覚悟を決めて進む以外にありません。

なにやら、天国に行けると思って殉教してみたら、あまり良い霊界ではなかったと言うクリスチャンが沢山いるという。

それは天国に行けるという下心を抱いて殉教したからだという。それゆえ、シックが同じように天国に行けるという下心を抱いて聖酒式や祝福式を受けたのならあまり良い霊界にいけないでしょう。クワバラ、クワバラ・・・


2.原理講論を書いた劉先生が逝去して、霊界に行ったら薄暗い霊界だったと言う。

何故なら、生存中は教会長という立場にいたのでアボジから愛されて輝いていたのですが、霊界では他人から愛されて輝いたものは全て奪われると言う。自分で愛したものしか残らないと言う。

いくら36家庭で聖酒式や祝福式を受けてもこの有様である。これはそれらの儀式は天国行きの切符にならないことを意味しています。


3.み言葉によれば、霊界に行ったら各自の心霊状態に該当する霊界に留まるようになるという。

第一にサタンは地上で最も愛せなかった3人を連れて来て、その3人を愛によって自然屈服させねばならないという。

第二に貴方の先祖である歴代の義人聖人がこのように神に忠誠を尽くし、先生がそんなにもみ言葉を教えてあげたのに、貴方はそのみ言葉と一つになって実践したか、と問い詰めると言う。

第三に天使界の試験があって、我々の道理と法度はこうなっているのに、貴方はそのような忠臣の道理を立て来たのかという。

第四には主の子女の峠を越えるためにイエスと聖霊の問答があって、これを超えて完成するという。

なんだか、このみ言葉から判断すると、貴方(我々)は聖酒式や祝福式を受けたくせに、心情、愛、人格はその程度かと言われそうですね。これではかえって、災いになるでしょう。


4. 李相軒先生の「霊界の実相」によれば、「36家庭の地位は大変なものです。しかしながら、最高の地位において赤裸々に自分の誤りをすべて露にして生きていく苦しみとは、本当に表現しがたいものです。

地上にいる時に、女性問題、公金問題、その他の問題に引っかかった家庭は、地獄にいるのではなく、神のそばにいながら、露になった姿で生きていかなくてはなりません。それは言葉にいえない苦しみです。

例えば、他の女性と性関係を持っている場面が随時、みんなの目に見えるのです。地獄よりもっと恐ろしい所です。

これではいくら聖酒式や祝福式を受けて天国に行ってもそれにふさわしい内容が伴わないと地獄よりもっと恐ろしいことになるということです。




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老子

老子は、霊的世界はすべてが逆と言われてます。
※「ルシファーの裏面は大天使ミカエル」
(これは老子の言葉じゃないですが)
霊的世界は次元の世界で単純に理解できないです。
ちなみに、統一の堕落うんぬん話は、デタラメです。

脳が固執、固定したまま霊界に行くと、霊界では原則成長できないので大変です。霊界に変な宗教分派が増えるだけです。
霊界に行ったら謎が解けるとかすべてがわかるとかは間違いだし、この世の感覚、言葉では表現できません。

この世で懸命に生きるだけで十分です。宗教組織など不要。でも、疑問は徹底的に調べ考えるは、この世の特権です。

師観さんの論理に対して

答えはものすごく簡単です。貴兄が聖酒式や祝福式を受けたのなら、それは天国に入るためではなく地獄行きの儀式になります。

何故なら神様自身が地獄にいるからです。そして神のいる所が天国なのです。

そのように考えるんですね。
神様は非原理的なものには干渉されないということですから、決して地獄へは行かないのが創造原理では?
でも、地獄のような境遇でいらっしゃるでしょうね。
地獄撤廃のために先祖解怨してたはずなのに、霊界はもっと無茶苦茶なんですね。結局、清平の意義なかったということですね。

初心

> 大学を捨て、献身した時点で地獄駅の列車に飛び乗ったのです。それゆえ、いまさらジタバタしないこと。侍のように覚悟を決めて進む以外にありません。

「天国は 入るものじゃない。作るものだ」と聞いて、そうありたいと思ったのは確かなのに、初心を すっかり忘れ ジタバタしっぱなしです。
覚悟なく列車に飛び乗れば 振り落とされ、乗れば乗ったで、地獄行き・・・胸打たれました。

弱肉強食世界

神=サタン ということになるでしょう。それが現実です。

このカルト組織は、一時的に人間を狩ることに成功したが、人間の安寧や平和には関心がない。なので、人間を縛るには、さまざまな儀式などの寄せ集めでさも価値がありそう~という演出をして、失敗したら三倍蕩減などといいながら人間をコントロールして行ったのです。

私の願いは、もう安寧は無理なので、早く逝くことでございます。

毎日、毎日早く死にたいと考える日々。
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