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原罪論から良心論へ(非良心的になってしまった今の家庭連合)




ある人から原罪問題についてさらに次のようなコメントをいただきました:



まず「原罪」という宗教的な問題と、「原罪」あるいは「神」「摂理」などという言葉を使って自分勝手なことをするいかれた組織の害悪とは区別しないといけないでしょう。

罪を日本にかぶせて奴隷化しようとするならば、朝鮮・韓国の方がもっと罪が深いだろう、と十倍返しするのが、神の正義だろうと思います。

それについては置いておいて…「原罪」についてですが、どの宗教でも「悪」があることは認めています。

悪がないというのならそもそも宗教は不要です。その悪がどのような性質のものなのかが次に問題です。

悪は修行・努力を積むことによって人間世界から除去することができるのかどうか?

他の罪は努力により除去できても、除去しきれない罪がある、というのが原罪と言うものでしょう。

個人的にはそれを超えた境地に立つことのできた人もいるのでしょうが、なかなか広がりません。そんな修行を成し遂げられる人もそうはいないし、立派な宗教家の子にも弟子にもなかなか難しい。

「除去しきれない悪」という意味での「原罪」はある、と認められます。(名前はどう呼ぼうとも)

コメント引用終わり



これに対する師観のコメント:

いつもながらの論理明解なコメントに賞賛いたします。

・「除去しきれない悪」の潜在的な根源・起源は「原罪」以前にすでに神の中に存在しています。

アダム・エバが原罪を犯してしまう以前に善(とって食べない道)と悪(とって食べる道)との二つの道が存在していたのです。

それゆえに、いくらメシアが原罪を取り除いてくれても、アダム・エバのように人類が彼等と同じ事を繰り返す限り、悪は取り除かれることは無いのです。

実例を挙げますと、キリスト教の洗礼と統一教会の祝福です。

イエスを罪からの救い主として受け入れ、洗礼を受ければ、原罪もこれまで犯してきた罪は許されると説きますが、悪はこの世から除去されませんでした。カトリックとプロテスタントの宗教戦争、二回に渡る世界大戦等々、今、なお悪は健在です。

それでは、再臨主であると信じられているTFとTMの祝福はどうでしょうか?それは無原罪で生まれた統一家の子供達や祝福二世たちを見れば結果は一目瞭然です。

彼らによって悪がこの世から除去されたのではなく、アダム・エバの間違えを繰り返しているに過ぎません。


原理によれば、

「愛の力は原理の力よりも強いので、アダムとエバが完成し、神を中心として夫婦となることにより、その絶対的な愛の力によって、神の直接的な主管を受けるようになれば、いかなるものも、またいかなる力もこの絶対的な夫婦の愛を断ち切ることが出来ないから、彼は決して堕落するはずはなかった。

まして、人間よりも低級な天使長の愛の力ぐらいでは、到底神を中心とした、彼等夫婦の愛を断ち切ることは出来なかったはずである。」P114

と言うのですが、長女誉進氏は離婚、次女仁進氏は略奪婚、恩進氏も夫を捨てて、別な男性の騎手(?)と結婚等々、いちいち取り上げたら切がありません。

そして、TMに至っては70代で、無原罪で誕生の独生女宣言です。おまけに、TFが有原罪で誕生し、TMによって無原罪になったような話をしているとすれば、TFとTMは不一致の夫婦ということになります。

すると、神の直接主管による夫婦の絶対愛は観念論になります。その結果、神の直接主管圏はもともと存在しないか存在しても誰も到達出来なかったのか、と言うことになります。

祝福家庭の子女の中には純潔を守り、清く正しく生活をしている人達は結構いますが、社会の流れの中で、ただ飲み食い娶り、どこかの会社に勤めて一般人とあまり変わらない生活をしています。

その二世達を指導する祝福を受けた原罪の無い立場の一世達はどうでしょうか。三分裂に分かれ、三つ巴の状態で、お互いに罵り合っています。第三者がこれを見ると、悪が除去されている状態には見えないでしょう。

それでは、いくら無原罪の状態になっても悪を取り除けないとしたらどうすればよいのでしょうか?

答えは、簡単です。第一に、無原罪であろうが、有原罪であろうが気を抜かないことです。永遠の修行僧のように、自分が完成したなどと微塵も思わないで、何時も未完である自己を自覚し、無心になる事です。

心をゼロにし、謙虚になると、不思議と神は相対してくれます。すると、程度の差こそあれ、神の宮になります。

人と出会って話をすると、別れた時に、後に残る印象として、その人の個性的人間臭さが残るのか、まるで、神様にあったようなような印象が残るのかがとても大切です。

第二に、神は自分に似せて、人間を創造したというのですから、我々人間には真善美愛聖などの神性があるのです。

この神性を覚醒させることが最も大切です。この神性を覚醒した度合いに応じて神は相対してくれます。

良心は神よりも偉大だというのですから、当然、原罪より偉大です。良心的な人と出会うと、また、会いたい気持ちになります。

第三に、UC・家庭連合よりも、良心的な人々や団体が沢山いるということです。

一例を挙げると、私のハレルヤ合唱団を指導していた芸大出身の先生が辞めると、一緒に、8人も止めて行きました。もともと、20名しかいない合唱団でしたから、ダメ-ジは多大なもにでした。

すると、その話を聞いた創価学会の歌仲間の一人の婦人が、憤慨して、別な合唱団から声がかかっていたのですがキャンセルして、私の合唱団に入団してくれました。

リサイタルするような歌姫ですから、歌仲間を3人も連れてきて、危機を救ってくれました。これは宗教を超えた良心の絆なのです。

第四に、UC・家庭連合の反社会的な活動、例えば身体障害者の真似して物品を売ったり、偽カンパ、霊感商法等々に良心が耐えられなくなり、躓いて去っていった人の中には、家庭連合よりも良心家が多いということです。

したがって、家庭連合は良心にしたがってTMの無原罪独生女論に抗義する人を除名したり、H1が主催するイベントに参加する人を禁止したり、罰を与える行為は非良心的です。したがって、神に反する行為になります。

第五は、聖書にアダム・エバが生まれる前から存在していた人々がいたことが記述されており、この人達はアダム・エバが犯した原罪には無関係だということです。

科学的にも人間始祖についてはホモサピエンスの他にもネアンデルタ-ルやクロマニオン説があり、人類の始まりを一組のカップルに起源をおくには根拠が不十分なのです。

それゆえ、原罪論はアダム・エバの子孫にしか適応されませんが、良心論でしたら、それ以外の人種にも当てはまりますので、普遍性があります。

なので、これからは良心教で行かなければなりません。しかしこれは、宗教ではありません。なぜなら、良心の教えにしたがって
生きている知られざる無宗教の人々は沢山いるからです。



残念ながら非良心的になってしまった今の家庭連合が、この世の良心的な人たちよりも良心的と言われるような組織に変わっていってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
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