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聖書の真理とは(み言葉の内容を政治的に決めようとしているUCの姿)




聖書とは何かと問われたら、それは科学書ではなく宗教書ですと答えるのが一番無難です。

宗教書は人間の創造の本性を啓発し、育成し、神に似た人格を形成するのに必要なものなのです。そのためには、優れた道徳書であり、倫理書でなければなりません。
 
・それでは本性とは何でしょうか?それは真・善・美・聖・愛・正・義に満ち溢れた性質です。これを顕現するのに必要なものが、いわゆる、み言葉です。

み言葉とは完成を目指した人格形成に無くてはならないものです。その為にはそれは神霊と真理に満ち溢れていなければなりません。キリスト教徒はその意味において聖書をみ言葉の書と理解し、信じているのです。

・み言葉とは神の言葉と言う意味ですが、神語というものが存在しませんので、どうしても人間を媒介にして語られるので、人間の言葉になってしまうのです。

み言葉は聖書では預言者とかイエスの口を通して語られる言葉になりますが、何処から何処までがみ言葉かお言葉なのかが、その判定がとても難しいのです。

キリストといえども神性と人性を持っていますので、その難しさは同じです。預言者も同じ問題を抱えています。聖書の中には、王を糾弾する預言者も出てきますが、王が召抱えている預言者は王を擁護する言葉を語ります。

預言者とは神の言葉を預かる人たちなのです。そこで、人々はどちらの言葉がみ言葉(神の言葉)で、どちらの言葉がお言葉(人の言葉)なのか?判断に迷うのです。それゆえ、聖書にはその両方が混在しているのです。

・この問題は聖書だけでなく、家庭連合でも同じ問題を抱えています。お父様は生まれながらの無原罪の独生子で、お母様が堕落圏から復帰されて、お父様を通して無原罪の独生女になったのか?それともその逆なのか?という問題です。

TFもTMも神性と人性を持っていますので、み言葉を語る時もあれば、お言葉を語る時もあるのです。この決着はTFの時代は、TFの言葉が真理であり、TMの時代はTMの言葉に従うのが良いのだという政治的決着をしようとしているようです。

教会政治はこのようなものですが、ここで、注意しなければならないのは、神の言葉は不変ですので人間的決着を超越しています。

また、もう一つ注意しなければならない事はお言葉だからと言って、必ずしも真理ではないとはいえないのです。科学書(自然科学、社会科学、人文科学)は立派な真理です。他宗教でも神霊と真理に満ち溢れて語る場合もあるし、一般人でも感動的な真理を語る場合は多々あります。

・聖書は宗教書なので内的真理について語る書であるという基本認識が必要です。それゆえ、ノアの洪水審判のようなお話は史実を扱う外的真理の考古学の分野になってきますので、科学者に任せておくのが無難でしょう。

しかし、それが史実かどうかと言うことよりも、その中心メッセ-ジは人間が傲慢になり、神の真理から逸脱すると、とんでもない不幸が襲ってくるという神の倫理的、道徳的戒めの出来事として解釈するのが妥当でしょう。

・ちなみに、ヨシュアがエリコ城を陥落した記述はイスラエルを励ます為に作られたお話しのようです。なぜなら、考古学によると、ヨシュアが来る前に、すでにエリコ城は崩壊していたというのです。

・聖書とは:

1.神と人間との正しい関係、
2.人間と人間の正しい関係、
3.人間と万物、すなわち、宇宙自然界との正しい関係

を説いている書物なのです。そして、そこに人類を導く使命を持ったお方がメシアだというのです。しかし、メシア一人では出来る仕事ではありませんので、万人がメシアになってこの正しい関係を復帰しなければならないでしょう。




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聖書は虐殺書

いいとこばかり取り上げないで、キリスト教の歴史自体が残虐。
殺し合いの宗教だと知れば、聖書自体が双極性のイカレタ部分があるって万民が認識したほうが良いのではないでしょうか。
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師観

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