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在日韓国人の仏教徒の尼さんに原理講義をした時のこと(本当の勝負は儀式ではなく、実体で証すこと)




随分前の話ですが、在日韓国人の仏教徒の尼さんに原理講義をしたことがあります。

この方は堕落論を聞いてもピンとこないのです。もともと男性に関心がない人ですから無理もない話です。

原理のすごさは堕落論を説き明かしたことだと言われていましたが、ピンとこないのでは糠に釘です。そんなことをいちいち大げさに説かなくても仏教の教えの中に含まれているので、何も新しい教義ではないと言うのです。

少し古い世代の人なら、家庭道徳の常識の段階で貞操を守るのは当然のことであったと言うのです。そのような人はこの尼さんに限らず結構いまして、特に女性に多いようです。

それゆえ、堕落論を鬼の首を取ったかのように振りかざしても、通じない事があるのです。性の問題は年齢に限られてきます。若年の少年や高齢者にはいくら堕落論を語ってもピンと来ませんから自分の問題として捉えにくいのです。


性による堕落の問題は教理史の中ですでに論じられて来ましたが、当てはまる人々とあまり当てはまらない人々がいたので、普遍的な教義、すなわち原罪として定着しませんでした。

そこで、登場してきた堕落の解釈は、人間始祖の堕罪が神からの“脱落”を意味するようになったのです。

すなわち、神のもとから神なき所へまで脱落した始祖の子孫として、人間は生まれたときからすでに神なき所にいるということです。

これは人間の主体的責任行為に先立って、人間が負わされている状態なのです。そして、この状態は老若男女すべての人に当てはまるので、この解釈がキリスト教界に定着しているのです。

神が人間の心の中に存在すると、人は神と同じ立場に立とうとしますから、自己中心から神中心へと向かいます。人間関係においても利己的状態から非利己的状態になろうと勤めます。

したがって、神なき所へ脱落したしたと言うことは利己状態に陥ったということになります。

これは老若男女すべてに当てはまりますから男女の堕落、すなわち男女間のみに限られた男女の堕落論よりも普遍性があるのです。


男女間の堕落に焦点を当てますと、その蕩減として聖酒式・三日行事が必要になってきますが、問題はその奥にある世界なのです。

三日行事のような象徴的行事ではなく、文教主を中心に祝福家庭がそれを実体で展開したとなると、それに関連して血分けの問題や六マリアの問題まで遡ることになるのです。

それを過去のこととして過ごしたいところですが、インタ-ネットが発達している今日ではそれを誰でも見れる時代なのです。そうすると、それを問題にしない人とする人に分けられてしまうのです。これが原理を普遍化する難点なのです。


問題はそのような一見破廉恥に見える行為をやり抜いたメシア家庭が一般人でもい分かるように聖なる光を放ち、ダントツに光輝いていれば、人々はさすが実体で蕩減した甲斐がある家庭として認識するかも知りません。

しかし、現実には離婚、不倫、略奪婚、事実婚、分裂などが起きているとなると、実体で蕩減した証には見えないのです。

逆に、そんな無理な不自然なことをするから家庭にも問題が起き、教会も分裂するのだと言われるか、相手にもされなくなるのです。


これを打開するためには、社会や国家や世界が抱えている問題を我々やその子孫が解決し、偉人伝を残すような仕事をすることでしょう。

それは韓国に箱物を造ることではないのです。教会組織が問題解決に乗り出すプロジェクトを持っていないのなら、明治維新の志士のように神氏族メシアの有志たちがそれをする以外にないでしょう。



注:キリスト教の洗礼はそれを受ける者はキリスト共に死に聖霊の力によって新しい命を得て新生復活する、すなわち自分中心に生きてきた古い自分が死に、新たに生まれ変わって神と共に生きる契機としての儀式なのです。

したがって、三日行事のような性の儀式よりは一般人には受け入れ易いでしょう。なので、普遍化しやすいのです。

いくら聖酒を飲んでも内的に生まれ変わらないと洗礼で生まれ変わったクリスチャンよりも劣ってしまうのです。

それゆえ、本当の勝負は儀式ではなく、実体で証すことなのです。どこの宗教でも自分の宗教に属することそれ自体がが救いがあると思い込むところに問題があるのです。

家庭連合も祝福を受けた者と未祝福者に分け、区別し祝福を受けることが救いの目的のような錯覚に陥ると、内容のない祝福権威主義になってしまうでしょう。




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No title

堕落論は仏教では教えないと思いますけど。
婚前交渉が石で撃ち殺されるのは、ユダヤ教、イスラム教もそうですよね。
つまり人間の本心でそれがいけない事だと分かっているからでは。
しかしただ禁止されただけでは抑止力は弱いですよね。
愛の力は原理の力より強いわけですから。
でもそれが人類の罪の根で、永遠の死をもたらし、さらには自分の愛する子孫も永遠に苦しめる罪だと知ったら、決して犯す事のできない聖域だと分かります。
愛の減少感によって天使長がエバと不倫をし、その罪をアダムまで伝播させた。このように詳細に教えてくれる事が堕落論の凄さなのではないでしょうか?
原理の凄さは堕落論だけではないと思います。
神様の創造を教えてくれる創造原理、法則の主人であられる神様が人類が救われる為にも法則があると教えてくれる復帰原理、今までずっと謎であった事を全て教えてくれる、予定論、終末論、キリスト論、再臨論など、全て人類の最高の書物聖書を元に解いた原理講論の凄さは天宙と同等の価値を持つと私は思います。
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