回想:渡米体験から学んだこととは
まず第一に、私が1973年にアメリカに着くや否や、奇妙に感じたことは、「エイ・エイ・オ-」とか「ソレ・ソ-レ」といった掛け声でした。
F部隊が先に渡米したせいでしょうが、日本の教会ではすでにそれらの掛け声は卒業して、もっと内的にみ言葉から力を出していたからです。
しかし、文先生からは「日本のシックに見習え」という指示がありましたので、アメリカの兄弟たちは文字通りに受け止め、何もかも単純に日本人に従うのです。
このようにアメリカの兄弟は一般に素直に単純ですが、ヨーロッパの兄弟は違っていました。ヨーロッパには長い歴史的な伝統がありますから、彼らは「日本の伝統を無理に押し付ける」といって反発するのです。
第二に奇妙なだったことは、敬礼式の三拝礼拝の後の挨拶です。「天のお父様、お早うございます」とか、「先生ご夫妻お早うございます」等、次から次へと挨拶をするのですが、三拝礼拝そのものがすでに挨拶になっているので、その必要はないということです。
これは36家庭の西川美植先生より忠告を受けたことです。確かに天の伝統と言われているものは文教主と師に侍る初期のシックたちによって形成され、日本の教会に伝わって来たのでしょうが、知らぬ間に日本化されていたのです。
したがって、美植先生より「それは日本の伝統であって天の伝統ではないと言われたのです。
注:騙されたと思ったアメリカはのシックは傷つき、日本シックのいうことに批判的になる人たちが多々出てくるようになって来た。人は何かを信じ絶対化し、それが間違いであったことを知ると極から極へとその反動で180度変わっていくのです。
第三に、文教主は日本シックを通して「天の伝統を立てるのだ」と盛んに言っていましたがそれは何であったのでしょうか?
ワシントン大会の直後に、西川先生が文教主より直接伺ってくださったみ言葉によると、
1.従順と忠誠心、
2.献身的であること、
3.活動的で機動力があること
等でした。確かに韓国やアメリにある事業体・学校・宮殿・その他の箱物を見ればそれらはみんな日本シックのそれらの結実でしょう。
第四は、日本人はグル-プとして行動する時は強いが、個人になる一般論としてととても弱いということです。
これに対して韓国人や欧米のシックは個人になると相対的ですが強いのです。「5人の鈴木はとても怖いが1人の鈴木は何も怖くない」といい、逆に、「1人の金は怖いが5人の金は何も怖くない」と言うのです。
これは日本人と韓国人の違いを言い表しているという。このような文化の違は歴史的な背景が違うからでしょう。
日本の挨拶の中に「お互いさま」とか、「おかげさま」という言葉がよく出てきます。
日本人が台湾、韓国、そしてヨ-ロッパからの留学生に、日本語で「お元気ですか」と言われると「おかげさまで」と答えるので、彼らはとても奇妙に思うのです。
私はこの人に何もしてあげていないのに、どうして「あなたのおかげですよ」と言うような挨拶をしてくるのかと思うのです。
韓国の学生は、自分が相手のおかげになっている主体であると受け取るわけです。
ところが、日本の我々が「おかげさまで」という場合の主語は、どうやら私でもあなたでもないらしいのです。それは江戸の頃の言葉で言いますと、『おてんとう様のおかげ』らしいのです。
おてんとう様と言えば『太陽』になりますが、どうもこのおてんとう様も中国から入って来た言葉のようで、それは実際には田園であり、あるいは畑であり、あるいは土であり、大地なのです。
ですから、「おかげさまで元気です」という場合には、田園としての自然から受け取った気を大事にしているおかげで、元気でいますという意味が元(もと)なのです。ところが、儒教で『気』というと、『人間の志』が気であるということのようです。
こういう違いがどうして出来たかといいますと、それは狩猟系民族と農耕系民族の違いにあるようです。
狩猟魂の持ち主は、自然との関係ではあくまで人間本位主義の立場に立ち、百姓魂の方は田園としての自然本位主義なのです。
それが人間関係に移し変えられて相手本位になりがちになり、狩猟魂の人間本位主義は自己主張が強いということになってくるのです。したがって天の思想は狩猟魂より生じ、母なる大地という考えは百姓魂の方から生じるという。
韓国人の魂の本質は北方系の狩猟系にあると言われ、中国の主流文化もそちらにあるというのです。したがって、韓国人も中国人もヨ-ロッパ系の思想はストレートに受け入れられるという。
さらに韓国には、本質は狩猟系であるのに属性として百姓魂が宿っているという。
日本はその逆なので、これが日本と韓国の違いになって来るという。アメリカに来た韓国の先生方の中には日本人よりも欧米人の方が通じやすいので、彼らの方が用いやすいと言っていた人が結構いたのは注目に値すでしょう。
それゆえ日本人が世界に出る場合には、いつまでも大地の上で相互に寄り掛かっているのではなく、天を中心としてたとえ一人でも行くという訓練が必要でしょう。
そして英語で堂々と討論をして、白黒を明確にする訓練が必要です。またそれでいて、大地に繋がっている連帯感をいつも持っていなければならないでしょう。
第五に、日本人の個人としてのアイデンティティは、どうしたら確立できるかと言うことです。
日本人は欧米人に比べて、「個人」の意思というものをあまり持っていません。したがって、自分で自分のことを決めるのではなく組織から決めてもらうことが多いため、一人になった場合には指導力が全くないのです。
これは欧米の兄弟からしますと、とても頼りないわけですが、特に日本の男性がそうでした。
それゆえ、日本の指導者層のシックが欧米に行って訓練をされなければならないことを痛感します。
しかし、その指導者たちも、海外に出てよく日本人だけで集まり話し合っていることが多いのです。ここに日本人がもっと気を付けなければならない欠点があるのです。
注:今の日本人は随分変わって来たという話を聞きますので、それについての皆さんのコメントを聞きたいものです。
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