「イエスは妻や子女が絶対に必要であったか?」という命題




「イエスは妻や子女が絶対に必要であったか?」という命題を創造原理の観点から生物学的には人間として妻子、すなわち、家庭は絶対必要です。さもないと、人間と言う種は一代で消え去ります。

しかし、この命題は人類救済という宗教的な観点なのです。

比較宗教の観点から仏教を例に挙げると大変勉強になります。釈尊は家庭を持っていましたが出家して、独り身になり、悟りを開きました。

しかし、釈尊の後継者は弟子たちであって、彼の子供ではありませんでした。仏教を受け入れた国々では、立派な家庭を形成している在家信徒は沢山います。

ブ-タンの国王は立派な仏教徒の家庭を形成していますが、国民も後に続けと言わんばかりに立派な敬虔な家庭を形成しているようです。

これは、教祖である釈尊がたとえ出家して独身になっても、在家信仰の信徒たちは立派な敬虔な家庭を形成することにおいては支障が無い事を意味しています。

同じことは、キリスト教徒にも言えることです。イエスは家庭を持ちませんでしたが、信徒が立派な敬虔なクリスチャン家庭を形成することにおいては支障がありませんでした。

アメリカも1950年代までは、何処の祝福家庭より立派なと言っても良いような家庭を形成していました。

一例を挙げると、私に洗礼を授けてくれた神父の家庭がそうでした。敬虔なクリスチャン家庭であるが故に、生涯独身で暮らす神父を輩出することを誇りに思うのです。

しかし、60年代からはキリスト教の価値観が崩れだし、ヒッピ-が出現し、残念なことですがフリーセックスが横行するようになりました。

だからと言って、アメリカの全ての家庭がそのようになったのではなく、福音派などの敬虔なクリスチャン家庭はいたるところに、特に南部には今なお、健在です。

従って、このことはUC・家庭連合においても言えることでしょう。たとえ、TMが無原罪の独生女論を唱え、統一家の子女達が離婚、不倫、略奪婚や事実婚を展開したとしても、原理の価値観が崩れない限り、祝福家庭は同じ事をするわけではなく、大多数の信徒は敬虔とまでは行かなくても、そこそこ良い家庭を形成していることでしょう。

それでは、アボジが結婚(聖婚)せずにイエスや出家して独身になった釈尊のような生涯を送り、信徒に原罪が許されるという洗礼を授け、結婚という秘蹟(祝福)を授けたら、どうなるのでしょうか?

結果はあまり変わらないと思います。むしろ、その方が子女達が離婚、不倫、略奪婚や事実婚を展開しない分だけ躓きが無いでしょうから、精神衛生においてスッキリすることでしょう。

ここで、最も大事なことは仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、ヒンズ-教であれ、統一教であれ、どんな宗教であれ、

1.窮極実在(神)と人間との正しい関係、
2.人間と人間との正しい関係、
3.人間と宇宙自然界(万物)との正しい関係

に人間・人類を導けることなのです。

それゆえ、TMのように、自分の子女達が離婚、不倫、略奪婚や事実婚を展開して、真の家庭として、人類の前に何の証しにもなっていないにもかかわらず、自分は、「唯一6000年ぶりに初めて1943年に誕生した独生女が私だ。否定できないだろう。」とか、「神の実体の妻だ」とか、豪語するのは勝手ですが、実態が伴わないと、世界の笑われ者になってしまうでしょう。

顕進氏は、「あなた方韓国人は日本に来て何を指導しょうとするのですか?韓国では全て失敗して来た人々ではないですか。それどころか、韓国そのものが失敗した国ではありませんか。その失敗したパラダイムを持って、韓国人と言うだけで、どうして世界を指導できるというのですか?もっと、謙虚にならなければなりません。あなた方の内容の無い権威主義がいけないのです。」と言ったという。


パウロは、「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく”霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。」(ロマ:2/28-29)

と言いましたが、血統においても同じことが言えるでしょう。いくら無原罪で肉的には神の血統だ!と言っても内容、すなわ、”霊統”が伴わないとただの内容の無い権威主義に陥るのです。”霊統”とは神の思想を受け継ぎ、上述した1.2.3.の内容を顕現することです。


注:

再臨主のお陰で、原罪がなくなり、「霊肉共の救い」に預かることが出来たので、UCは他のいかなる宗教よりも優れているのだ、と思い込んでいるUC信徒の残念な実態があります。

韓国至上主義の反日献金奴隷制度が制定され、借金献金を勧められ、払えなくなったら、自己破産手続きを進められ、挙句の果てに、生活保護者になることを組織的に推奨されるという。これは明らかに、人間と人間の正しい兄弟関係ではありません。まるで、主人と奴隷のような関係です。

・友人のT氏は「無原罪も同じように、血統転換とか血わけとか祈祷を沢山やって、頑張ったとしても、その結果不倫 麻薬、詐欺まがいの結果となったら何にもなりません。」という。これでは、UCの無原罪論は内容の無い妄信で終わってしまいます。


なにやら、慰安婦像を日本大使館や領事館の前に建てた反日市民団体が今度は同じ場所に、3メ-トルもある徴用像を建てるという。

これに対して、TMもH1もH2も、そして日本の家庭連合すらも反対するわけではないでしょう。黙認は勿論のこと、賛成すらしている信徒もいることでしょう。

だとしますと、この無原罪を主張する人々と団体は日本国民から見れば、危険団体になり、天から見れば、無価値に等しいものとなるでしょう。なぜなら、天は反日を願っているのではなく、日韓一体の親日を願い、創造本然の真の正しい平等な兄弟関係を願っているからです。




原罪が在ろうと無かろうと、

1.窮極実在(神)と人間との正しい関係、
2.人間と人間との正しい関係、
3.人間と宇宙自然界(万物)との正しい関係

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あなたが徳野英治会長の立場だったら、一番にすることは何か?




ある人から、「あなたが徳野英治会長の立場だったら、一番にすることは何か?」という質問を受けましたので、それに対する師観の考えを書いてみます。




アボジはある時、原理に基づいた一国を建国することに渇望していた時がありました。韓国や北朝鮮がアボジをメシアとして受け入れないならは、アラスカの一部を買い取って、ヴァチカンの王国のように小さくてもよいから条件的にでも主権国家を築きたかったようです。

ヴァチカンが主権においてはイタリアに属していましたから、ムッソリニ-が台頭し、イタリアがファシズム国家になった時、ヴァチカンと対立するようになったなのです。

カトリックの信徒は超国家的に散在していますので、ヴァチカンがファシズム国家に主管されたら政治的中立性と世界に対する普遍性を失ってしまうのです。

これは他人事ではなくて、UCも同じです。UCの本体が韓国にある限り、政治的中立性を保てなくなるでしょう。

その結果、TMを初め韓国の牧会者達が反日、反安倍、慰安婦問題のぶり返し、千年の怨み、日本の韓国への従属など、要求するようになるのです。

・ ヴァチカンの場合はムッソリニ-と協議した結果、独立した主権国家になったのです。その結果、政治的中立性と世界に対する普遍性を保てるようになったのです。

それゆえ、私が彼の立場ならどこか手ごろな島でも買い取ってそこに主権国家を建てるようにTMに働きかけるでしょう。



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地震と審判について(自然災害を献金ノルマのための脅しに使っている家庭連合の残念な姿)




神学を論じる者としてこの問題にそれなりの見解を述べておく必要があろうかと思います。神学も学問である限り、信仰の論理のみに留まることなく、客観論理も必要とする学問であります。

それゆえ、客観論理の観点から地震を論じるなら、有史以前から自然の仕組みとして、 起こる自然現象として理解すべきでしょう。すなわち、人間が堕落したから、天罰として神が与えたものではないということです。

したがって、これは創造原理に基づいて起こる地球の営みの一つであると見るべきでしょう。しかも、神は創造原理に絶対性を付与したというのですから神の都合によって勝手に止めたり、終末だからといって神がいちいち干渉して頻度を高めると言うものでもないでしょう。

なにやら、白亜紀(?)に、隕石が落ちてきて、恐竜が絶滅したといいますが、堕落した結果、審判を受けた訳ではないでしょう。

そこには肉食の獰猛な恐竜だけではなく、草食系の穏健な恐竜も、小型の動物もいたし、罪を犯さない草木も茂っていたでしょうが、一網打尽です。

それではどうして神の愛する人間が自然災害の犠牲になってしまうのでしょうか。

原理によれば、人間は堕落によって無知になってしまったというのですから、その無知を内的(霊的)にも外的(科学的)にも地震を察知できるほど未だ復帰されてされていないのでしょう。

それでは創造本然の人間なら如何でしょうか。内外の無知がない状態で、神と一体であり、霊界とも通じていることでしょうから、そのような危険を霊的に察知したり、科学的にも探知する技術を開発していることでしょう。

問題は元青葉台教会長のペー氏のような韓国人リ-ダや一部、日本人リ-ダたちが、献金ノルマを達成する為に自然災害を信徒に対する脅しに使うことです。献金ノルマを達成できなかったから地震が起きたというのです。事実、それはある韓国の先生が神戸(関西)地震が起きた時に言いふらしていた言葉です。

地震やその他の自然災害は、日本が摂理国家に選ばれる以前から、起きている問題です。1830年の天保の飢饉は有名で、大塩平八郎が弱者を救済しようとして、乱を起こすほどでした。

地震や津波による災害は日本だけでなく、各国に起きています。私の記憶にあるだけでも、バングラ、ハイチ、トルコ、火山地帯のイタリア、中国、台湾、インドネシアの大津波など数え切れないほどです。

これらの災害の共通点は社会的弱者が多大な被害を受けることです。お金があって一等地の安全な場所にに強靭な家やビルを持っている人は被害が少なく、貧しい人たちが多大な被害を受けるのです。

従って、地震と審判の理論を持ち出すと、財閥や権力を持っている人たちが神の審判を逃れ、彼らに低賃金で雇われ、権力に支配され、劣悪な環境に住んでいる弱者が審判を受けるという弱い者虐めの論理になってしまうのです。

概して、家庭連合はこのような論理を用いて信徒を支配しますから、脅し、弱いもの虐め、威張り、傲慢が支配する組織になってしまうのです。

これは旧約時代以下の信仰観です。即ち、愛とは関係のない神観が出来上がってしまうのです。

これに対して、マザ-テレサはハンセン病(?)で、道端で倒れ、異臭を放っている老人の下に掛けよったら、その老人の顔が
イエスの顔に変わったという。即ち、その老人の中にイエスの姿を見、神の姿を見るのです。これが新約の信仰観の極みなのです。

すなわち、地震や津波で犠牲になっている人たちの中に神の姿を見るのです。UCなら、献金したくてもできない人や家や土地を取られて、住む所が無い人、自己破産させられて、路頭に迷う人、更に自殺に追い込まれた人々の中に、神の姿を見ることです。

今の家庭連合に欠けているのはこの観点と心情なのです。結果として、神から見放される教会になって行くでしょう。

以下はある人からの「地震と審判」に対するコメントです。参考になるでしょう。


これは素朴な因果応報論であり、小学生までならば脅すのに効果がありましょうが、長じて必ずしも当てはまらない現実を見て、人は悩むようになります。

漢の司馬遷は史記にその現実を綴り、仏教は輪廻転生で一生を超えた長い視野で受け入れることを説き、ユダヤ教ではヨブ記を通し、浅い人知で神慮を判断することを戒め、キリスト教では罪なき人が人類の罪を代わって負われた姿を見せ、原理ではカインの罪をアベルが蕩減すると言っています。


もし素朴な因果応報を主張するならば、高麗が元に蹂躙され、文禄・慶長の役で李朝が困窮に至り、大韓帝国が日本に併合され、光復も束の間、朝鮮戦争で国土が灰燼に帰し、38度線での分断が今に至っているこれらのすべてのことも、ひとえに朝鮮民族の民族的罪が来たらしめた神の審判であり、先祖の罪をいつまでも悔改め、せっせと献金しなければなりません。

それを日本人にだけ当てはめ、韓国人には当てはめない、というのであれば、民族差別感情に基づくヘイトスピーチです。神の真の愛を解く家庭連合においては、存在すべき場所はありません。

ある人のコメント終わり


家庭連合が、献金ノルマを達成する為に自然災害を信徒に対する脅しに使った結果、脅し、弱いもの虐め、威張り、傲慢が支配する組織になってしまったのではないかと思われた方はクリックお願いします。
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讒訴されない献金とは?(家庭連合の献金の現状と金元弼先生の献金に関する証)




ある時、古参の1800双のシックが久しぶりに私を訪ねて来ました。私は家内の実家がある浦和に1995年に還故郷して、時々、浦和教会に通ったものでした。

その教会の一階には極真空手の道場があり、練習の様子を見学したものでした。当時の悲喜こもごもの思い出話をしているうちに、夫に内緒で多額の献金をして、それが発覚し、悩みぬいた末に首吊り自殺をしてしまった婦人の話が出て来ました。

この人は婦人部長をしていたくらいですから、その教会では良く知られた人でした。私が教会の献金のあり方を批判しましたら、食って掛かって来る程、一途な人でした。

非常に印象的だったので、品川さんはどうしましたか?と教会の婦人達に聞きましたら、急病で死んでしまいました、と口を濁していましたがそれ以上追求しませんでした。

ところが、今日、古参の1800双のシックから、真相を聞かされ、驚きました。自分が時々説教を頼まれて通っていた身近な教会で、献金の為に、自殺者が出るとなると、衝撃が走ります。教会は信徒達を説得して世間に知られないように、必死で隠して来たのです。

問題は自殺まで行かなくても夫にウソをついて献金することがあまりにも多いことです。これを教会が組織的に指導してやらせたとなると、もっと深刻な問題になります。

事実、サタンの讒訴条件がある献金で資産を獲得したり、事業を始めても、上手く行かないのです。時が来たら、サタンにみんな持っていかれてしまうのです。

メシアが過剰な献金ノルマを信徒に課して、そのせいで、家族を騙して献金したり、祝福家庭を破壊したり、自殺者まで出してしまうと、結局、サタンに讒訴されて、メシア家庭までも崩壊するのです。「無理が通れば道理がへこむ」ということわざがいろはカルタの中にありますが、その通りの現実が展開されているのです。

今、教会が三つ巴に分裂しているのは、神が本物の教会を造り直すために、そのように導いているようにも見えます。きっと、そうなのでしょう。讒訴されない献金については金元弼先生の証は参考になるでしょう。

 この証しは、2002年10月27日に新宿教会において、文鮮明師の第一弟子である金元弼(キム ウォンピル)先生が語られた内容を一部抜粋したものです。

◇   ◇   ◇

 「メシヤのためであるなら、あるいは大義があれば、何をやっても許される」という誤った考えを持っている食口(教会員)はいないでしょうか?

 「国のためであれば、個人を苦しめることもありうる」とか、あるいは、「み旨のためであれば、サタンの物は奪って来ても許される」と、考えている人はいないでしょうか?

 「3倍以上、返してあげなければいけない」という真のお父様(文鮮明師)のみ言を、よく考えてみてください。

 うそはうそであり、どろぼうはどろぼうです。ただそれが、戦争などの状況下にあっては、一時的に許される、同情されうる、ということは、ありうるかもしれません。でも、「間違ったことは間違ったことである」と、はっきり知らなければなりません。

 聖書の中にも、うそをついて奪って来た例があります。「サタンがうそをついて奪って行ったので、『蕩減復帰』の原則により、神側もうそをついて奪って来ても、罪にならない」と考えて、行動を正当化する人が、もし、いたとしましょう。

 しかし、それは、うそはうそなのです。ヤコブの時も、うそをつかなかったとするならば、21年の苦役路程はなかったかもしれないのです。

 戦時下で生命が懸かっている時に、人のいない家からお米を持って来ることは、状況的に考えて許されるとしても、それがそのまま善であるとは言えません。それ自体が善なる行為であると言うことはできないのです。それを私たちは、真のお父様のこのみ言と行動を通して、はっきりと理解しておく必要があります。

 「あなたがやったことは赦され、同情されるかもしれない。しかし、善ではない」ということです。ですから、後でこれを3倍以上、返すことによって償うこととなるのです。

 このような出来事を通して、私たちは本当に真のお父様の伝統を学んでいかなければならないということを感ずるのです。

金元弼(キム ウォンピル)先生の証終わり



家庭連合は、たとえノルマがいくら大きくても、うそをついてまで献金をさせるべきではない、それをしたらサタンからの讒訴をうけ最終的に悪の結果をもたらすのではないかと思われた方はクリックお願いします。
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奇奇怪怪な現象(今の家庭連合の姿はまさしく内容の無い権威主義そのものだ)




仮にイエスが妻を持ち、子女を繁殖して、家庭を持ったとしても、So what?(だから、何だ!)と言うのでしょうか?イエスが出来なかった家庭を手に入れた統一家を実例としてみて見ますとどんな違いがあるのでしょうか?

仮にイエスが妻を娶ったとしても、その妻が

「天は2000年前に探すことが出来なかった独生女を探してくる蕩減復帰歴史があった。それで、唯一6000年ぶりに、初めて1943年に誕生した独生女が私だ。否定できないだろう。6000年ぶりだ」

のようなことを言い出し、神が求めて来たのは神の実体の妻である独生女であって、イエスはその露払いであるといいだしたら、イエスとイエスの家庭はどのようになるのでしょうか?

また、イエスの後継者争いが起きて、イエスのH1やH2版が出現して、それぞれ後継者を主張したらどうなるのでしょうか。

更に、イエスの子女達が離婚、不倫、略奪婚や事実婚を展開したらどうなるのでしょうか?すなわち、イエスがなまじっか家庭をもっても統一家のようになったら、キリスト教の2000年の人類救済の歴史はどうなったでしょうか?

これは、結果論ですが、イエスは家庭を持ちませんでしたが、後継者として法王が立ち、近年では選挙で選ばれ、そこそこ立派にキリスト教を保ってきたように見えます。プロテスタントも法王はいないけれども何とか継続しているようです。

イスラム教もマホメットの血統を重んじるシ-ア派と法統を重んじるスンニ派がありますが、全体の80%を占めているのはスンニ-派だという。両方ともそれぞれ何とか継続しているようです。

ところで、仏教はどうでしょうか?釈尊は家庭を持っていましたが出家して、独り身になり、悟りを開きました。

しかし、釈尊の後継者は弟子たちであって、彼の子供ではありませんでした。仏教を受け入れた国々では、立派な家庭を形成している在家信徒は沢山います。

ブ-タンの国王は立派な仏教徒の家庭を形成していますが、国民も後に続けと言わんばかりに立派な敬虔な家庭を形成しているようです。

これは、教祖である釈尊がたとえ出家して独身になっても、在家信仰の信徒たちは立派な敬虔な家庭を形成することにおいては支障が無い事を意味しています。

同じことは、キリスト教徒にも言えることです。イエスは家庭を持ちませんでしたが、立派な敬虔なクリスチャン家庭を形成することにおいては支障がありませんでした。

従って、このことはUC・家庭連合においても言えることでしょう。たとえ、TMが無原罪の独生女論を唱え、統一家の子女達が離婚、不倫、略奪婚や事実婚を展開したとしても、祝福家庭は同じ事をするかと言うと、大多数の信徒は敬虔とまでは行かなくても、そこそこ良い家庭を形成していることでしょう。

だから、「唯一6000年ぶりに、初めて1943年に誕生した独生女が私だ」とか、自分のことを、「神が求めて来たのは神の実体の妻である独生女」だとかを言っても、So what? (だから、何だ!)なのです。

TMは自分の子女達が離婚、不倫、略奪婚や事実婚を展開して、真の家庭として、人類の前に何の証しにもなっていないにもかかわらず、自分は、「唯一6000年ぶりに初めて1943年に誕生した独生女が私だ。否定できないだろう。」とか、「神の実体の妻だ」とか、豪語するのは勝手ですが、実態が伴わないと、世界の笑われ者になってしまうでしょう。

顕進氏は、「あなた方韓国人は日本に来て何を指導しょうとするのですか?韓国では全て失敗して来た人々ではないですか。それどころか、韓国そのものが失敗した国ではありませんか。その失敗したパラダイムを持って、韓国人と言うだけで、どうして世界を指導できるというのですか?もっと、謙虚にならなければなりません。あなた方の内容の無い権威主義がいけないのです。」と言ったという。

この言葉はそっくり現在のTMに当てはまる言葉です。統一家は自分のせいで、三つ巴に分裂し、自分の子女達が離婚、不倫、略奪婚や事実婚を展開して、真の家庭としての内容が無く、むしろ失敗しているのです。

しかし、そのパラダイムを持って、自分が無原罪の独生女だ!と豪語するのなら、その姿はまさしく内容の無い権威主義そのもです。

もっと奇奇怪怪なのは、多くの信徒たちがまるで水戸黄門の印籠の前に恐れをなして跪くように、その内容の無い権威主義の前に傅くことです。この奇奇怪怪な現象を説明してくれる人がいれば幸いです。




三つ巴に分裂し、真の家庭としての内容のない自分が、無原罪誕生の独生女だと豪語するなら、その姿はまさしく内容のない権威主義なのではないかと思われた方はクリックお願いします。
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