UCの負の遺産(旧約時代に逆戻りしてしまったUCの姿)




巡回師達が全国の教会を巡回して、口々に言うことは、信徒達の信仰と心情のレベルが旧約レベルの信仰と心情レベルから一歩も成長していないということです。

ここ30年間は日本の信徒達は献金摂理を強いられるように担当してきたので、信仰観が万物を捧げて善しとする霊界に入ってしまったのです。従って、心情も人格もそれ以上は育たないのです。

実績と言う価値観が優先しますと、献金を多く出した人が信仰のある人、人格・心情のある人というようになんとなくなってしまうのです。

そして、教会組織も献金額をより多く出した教会が高く評価され、そこの教会長の評価も上がるのです。

実績を上げる手法は問われませんので、ヤクザのように信徒を脅してでも実績を出せば、その人は高い評価を受けるようになるのです。その結果、教会組織の序列の上位の役職に上って行くのです。

逆に、人格的で心情のある教会長は、信徒の生存権を尊重するものですから、無理な献金額を強いないのです。それゆえ、教会の献金額も少なくなり、その責任者は左遷されていくのです。

従って、このような組織の中ではいくら長くそこにいても、人格・心情は成長しないのです。

献金摂理の前の時代に復帰された信徒達は目に見える実績も大切ですが、それ以上に神の心情復帰と人格完成が中心的課題でしたから、評価の中心がそこにあったのです。

一例を挙げますと、UCの初期には40日間の開拓伝道の摂理がありました。それは、未だ教会の無い都市に行って、最低3人を伝道して新規の教会を建てて来ることです。

開拓伝道の報告会の中で、献身したばかりの姉妹が霊界の導きでとんとん拍子で伝道できて三人以上の人達を復帰した証がありました。それは、幸福な成功例の証しでした。

しかし、開拓地に行って、40日間呼べど叫べども、誰一人振り向かず、終わってしまった人もいます。

ところが、40日が終わって、帰り際に啓示が降りて、これが神が呼べど叫べど誰一人振り向いてくれなかった神の心情と歴史だ!という内なる神の声が聞こえて来たという。

即ち、この人は神の歴史的な心情を復帰して帰って来たのです。実績などと言うものは、出る時と出ない時があるものです。

その度ごとに、一喜一憂していては不安定な人格が形成されてしまうのです。然るに、神の歴史的な心情を復帰した人は「変に処して動ぜず」という心の状態を保つことが出来るのです。

イエスは罪人の為に十字架で死んでくれたというのです。これは神は善人も悪人も関係なく人を愛していることを示しているのです。これは無条件の神の愛なのです。そして、新約時代の信仰・人格・心情はこの世界なのです。

これに対して旧約時代の神は神の律法に従う者には祝福を与え、従わない者には呪いを与えるのです。即ち、条件的愛なのです。

心理学者のエ-リッヒ・フロムはこのような条件的な愛を父性愛と呼び、無条件の愛を母性愛と呼んでいます。

母とは子供が生まれた時、この子は将来東大に入る程出来が良いから愛し、出来が悪いから愛する価値は無いなどといちいち考えないと言うのです。あたかも神からの贈り物として、無条件に受け入れるというのです。

勿論、例外のある母もいますが、ここでは一般論を論じているのです。

もう一つ、新約レベルの人格・心情の分りやすい例を挙げると、マザ-・テレサの宗教・神体験です。

カルカッタで、異臭を放ちながら倒れている老人のそばに駆け寄ったら、その老人の顔がイエスの顔に変わったというのです。即ち、苦しんでいる人々の中に神の姿を見るのです。

これをUCに当てはめると、困って、苦しんでいる人とは、教会の指示で自己破産し、挙句の果てに、自殺して行く信徒達のことです。

テレサはこの人たちの中に神の姿を見るのですが、UCは私達に関係が無い、それは個人の問題だ、ということで片付けてしまうのです。その根底には組織を防衛することが天情で、犠牲者に同情するのは人情で、それはサタンだとすら思っているからです。



その典型的な例を挙げましょう:

日本南東京教区で二世が自殺
2014.05.16.00:46
韓国人公職者と思われる方が投稿した記事を翻訳して引用

http://cafe.daum.net/W-CARPKorea/cSkJ/23981
日本教会は乱れに乱れ気が変になってしまいそうな状況だ。南東京教区で二世が自殺した。

その二世は新世事件(松涛本部教会・警察調査)で教会の身代わりに全ての罪を被ったT氏・社長の次男であり、服毒自殺をした。3週前に服毒し病院で呼吸器で延命治療したが2日前に聖和し、今日(15日)が帰還式予定という。

自殺の理由としてこのような話が出回っている。社会から犯罪人扱いを受けて刑務所に行った父親を日本教会が知らないふりをしたためだという。

さらに新世事件が起きたその当時、南東京教区長だったM1氏の夫人も昨年うつ病で自殺したという。教区長の息子も原因は正確には分からないが、母親が亡くなる前に事故で聖和したという。

新世事件が起きたその当時、南東京教区の代表婦人部長M2氏も昨年自殺したという。代表婦人部長は平素有能で明るい食口だったという。

どれほど献金のストレスを受け自殺しただろうか想像がつく。日本教会は献金圧迫の修羅場と化しその中でカードローン苦しめられ夢も希望もなく、うつ病になって自殺する食口と二世が増えている。

以前、沖縄でも教会に被害を与えないために自身が全てを被って逮捕された夫婦の二世は(保護)施設に預けたという。日本教会は「教会とは関係ない」といって責任を負わず、教会の無責任の中に施設に送られたという。

献金を受ける時はさっさと受け取りながら、後では無慈悲に冷遇した(※3)。私たち(訳注:投稿者)が日本に宣教師として来た時、韓日一体化が神様のみ旨だと信じ、南北統一摂理のため、世界平和摂理のために日本に来たのであって、日本食口の家庭を破綻させ、個人破産させ、健康な食口をうつ病にして自殺させるために来たのではない。

献金集めのヤクザ、チンピラなのか。これ以上耐えられない。爆発すればどこに飛んでいくか分からない。滅茶苦茶だ。

*『教会が一つから二つに分かれ、二つから四つに分かれ、このように三度だけ分かれたら神は離れるのです。天理の原則がそうなのです。
(「文鮮明先生み言葉選集」9巻より 1960年6月5日 前本部教会)

韓国人公職者の記事終わり



UC負の遺産とは長い献金摂理の為に旧約時代に逆戻りしてしまい、新約時代を失ってしまったことなのです。

その最も具体的な例は献金摂理の犠牲者の中に神の姿を見ることが出来ないいびつな教義と人格・心情なのです。成約時代は父性愛と母性愛が絶妙に調和された世界でなくてはならないのです。

そして、残念なことは、本来ならば、TMが母の無条件の愛を説き、犠牲者の中に神の姿を見るべきなのですが、献金ノルマを従来と変わらず日本UC信徒に課するものですから、上記のような取り返しのきかない悲劇が起きるのです。



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総括ー失敗の部分を正直に認め、新たな希望に向かって再出発




二世達はとても客観的で、鋭い質問を投げかけて来ます。いくらお母様が一億伝道だ!と号令を掛けても何を目指して伝道してよいのか分らないというのです。

人格完成、真の愛を中心とした完成した家庭、再臨による地上天国などは統一教会の何処にあるのか?と言うのです。真の家庭を見た時に個性完成を成して神の実体となった子女様は誰なのかと言うのです。

講論では「個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感じるようになり、神が悲しむ犯罪行為をすることが出来なくなるので、絶対に堕落することが無い。」と言っている。

しかし、たとえば、仁進様におかれましては神を中心とした夫婦の愛の力は天使長のいかなる愛の誘惑の力よりも強いはずなのに、まるで自分の方から妻のいる夫の子女を生むとは何事なのか?などなど、彼らの疑問には限りがありません。

したがって、被伝道者にこれらのことが明るみになると、逆にやぶ蛇になってしまうのです。すなわち、そこには原理が解いているような救いが無いのに、また伝道ですかと言うことになり、何を伝えてよいのか分らないというのです。

それから、日本の教会制度を見て、韓国至上主義の序列が敷かれてしまっているので、上を見ても希望がないと言うのです。

先ず、自分が救われ、その喜びを人々に分かち合うのが伝道の基本であるがゆえに、教会に行って献金ノルマばかり聞かされるようでは心が満たされるはずはなく、このような状態では二世は勿論のこと、一世までも教会から足が遠くなると言う。
 
それゆえ、今こそ、総括が必要です。即ち再臨は在ったのだけれども、それによって人類はどこまで救われ、何処までが今後の課題として残されてしまったのか、勝利した部分とそうでない部分の総括が必要ではないでしょうか。

と言ったら、ある夫人が、アボジはサタンに対して、「自分の子女は自由にしてもよいが、カインの子女に手を付けてはいけない」という条件で紀元節よりも早く、聖和するという条件も加えて逝去されたという。

この説明のお陰で、感動し、救われたシックは決して少なくはない。み言葉の中には、以前から、旧約時代には万物が祭物になり、新約時代には神の子女であるイエスが祭物になり、成約時代には真の家庭が祭物になると言う言葉がある。これはこれで、立派な信仰の論理による弁明である。

しかし、現実という実態を見てきている二世達は客観論理の立場から、サタンとアボジとのそのような取り決めにかかわらず、これまでの二世達が教会に失望し、礼拝にも行かず、祝福も受けず、この世の人たちと結婚して行く実例を沢山挙げて、そのような説明では不十分であることを指摘する。

事実、777双の子女達の仲良し集会に参加して、帰って来た子女の話によると、アボジマッチングの9組の内、8組が崩壊していたと言う。それでは、どうして崩壊してしまったのであろうか。私が思うには一世のように、出家・献身し、自己否定の信仰路程を歩んで来なかったせいであろう。

一世に比べてアボジが決めて下さる方はどんな方であろうとも受け入れるという、信仰と決意は希薄である。

彼らと話しをしてみると、「原罪の無い我々が一世のような自己否定をする必要があるのか」という。まるで、自己肯定の権化のようである。

これでは、いくらアボジが決めてくれても自分に合わないと思うと簡単にキャンセルしてしまうのでしょう。

しかし、これでは、内容の伴わない儀式だけの血統転換者で、天の為、人の為に何もしないで、あっても無くても良いような人生を送っている二世達よりも、原罪はあるけれども、天を思い、国家を憂い、世界の為にボランティアとして生涯を送って人々を見ると、人間の本心・良心から見ても立派に見えるが、天から見ても立派に見えるのだろうと思うのである。

それゆえ、私は人間の価値を原罪か無原罪か、すなわち、祝福を受けたか受けていないかで判断をしない。下手をすると、UCは内容の無い祝福権威主義と言われかねないからである。

アボジのみ言葉によると、クリスチャンの殉教者の多くはあまり高い霊界に行ってはいないという。それは、殉教をしたら天国に行けるという下心があったからだと言う。

したがって、霊界に行くと、サタンが出てきて、「この者は無条件で天の為に殉教をしたのではない」と讒訴してくると言うのです。

ところで、UCの献金もなんだかクリスチャンの殉教者に酷似している。00額の献金をしたら、天国に行けるとか、絶えず条件付の天国論を展開するものだから信徒も知らないうちに洗脳(?)されて、一生懸命献金をする。まるで、馬の鼻の先にニンジンをぶら下げて、走らされているようにも見える。

それでは、霊界など信じていないボランティアたちの動機は何であろうか。インタビューなどを見聞きしていると、困っている人を助けて、喜ばせて、その喜んで人の姿を見て自分も喜ぶという。言い換えれば、自分の本心・良心を喜ばせる為にやっているといってよいだろう。

原理によれば、良心の主体は神であるという。すなわち、神を喜ばせるためにやっている訳である。それ以上でも以下でもないようである。これは、死後に報酬を受ける目的でやっている人々よりも無欲で純粋に見える。

先日、「なぜそこに、日本人」というTV番組のなかで、フサヨさん(63歳)というシックの日本人女性のイラク難民救済の様子が放映された。

夫と5歳の子供を残して、ヨルダンで気の毒な人々の救済に従事している時にイラク難民に出会い、彼らの救済の為に東奔西走しているうちに、19年もたってしまったという。

知名度はマザーテレサほどではないが現地の人々、特にイラク難民から恩人として慕われ、尊敬と祝福の言葉を頂いている人である。現在24歳の息子は世界の為に働いている母を誇り、母のいない間、自分を育ててくれた父の母に対する理解力と心の大きさを讃えていた。

更に、その子は父が「お母さんのようにお前も人の為に役に立つ人になりなさい」と言われているので、そのそうな人になりたいと言う。そして、それを聞いたTVスタッフは全員文句なしで、その祝福家庭を讃え、敬服の気持ちを表していた。

アボジが神山さんが出獄するに当たって、託したみ言葉は「カイン圏に侍り尽くして、カインから同情と尊敬と祝福の言葉を頂いて来い」というものであった。

この番組を二世達を集めて、見せたら、文句なしに絶賛してくれた。やはり、アボジはメシヤだという二世もいた。一見は百聞に勝り、論より証拠と言われていたが、実態の力は大きい。この番組が統一教会を証し、祝福家庭を明かしてくれるのならもっと良かったであろうがその兆しであると見てよいであろう。

二世達が食口がこの番組に取り上げられて、喜んでいる一番大きな理由は、これだったら、自分たちがUCの二世であることをもう隠さずに人前で誇りを持って、堂々と明かせることであると言う。

それだけではない。私達に陰で繋がっている政治家やその他の著名人たちも私どもが主催する集会や大会にお咎めや処罰なしに参加できると言うものである。

お母様は最近パラグアイのレダの勝利に注目していると言う。チャコ地方と呼ばれる不毛の地域がこの国の60%も占めており、政府がその解決策に頭を悩ましている時に、パクウという魚の稚魚の人工孵化に国家メシヤ達が成功し、この不毛の地に希望をもたらしたので、大統領一行が訪れ、国家事業として採用される兆しも見えてきたので、お母様は教会を挙げてレダに取り組むと言う。

天一国を建設する為には、主権・民・国土が必要であるが、主権は国が歓迎しているので、受け入れられているのも同然である。国土になる土地は東京都の大きさである。問題は民である。これは日本からも、南米の国々にいるシックたちを募集して成し遂げると言う。これは希望である。

フサヨさんのような良い証を立ているいるところは決して少なくは無い。これは点である。点と点と結ぶと線になり、やがて面となる。

これらが協力して一つの目的に向かって躍動する時にはこれは球体となって、世界平和家庭連合の礎となるであろう。私はこれを目指しして日々を歩んでいる。



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神様によって献身した「神派」の人達(真の宗教改革を目指して)




あるMLに、今のUCの混乱の中にあって、次のような信仰告白がありました:


私自身は神様との間で「これは自分で決めたことだ。自分で決めた人生に対しては自分で責任を負う」との約束を交わした上で信仰を出発しましたこれまでもそうでしたし、これからもその約束を起点として生きていくつもりです。



これに対する師観の感想:

・我々の時代には、特別修練会という献身者を生み出すための2週間の修練会がありました。

修練会の終わりに、周藤先生が泣きながら、修錬生全員に献身を懇願しました。私は左腕を失った身体障害者でしたので、学校の先生を辞めて献身したら、かえって手足まといになり、教会に迷惑を掛けると思いましたので、献身すべきか否かを神に祈りました。

すると、神の暑い悲しい心情が伝わって来ました。私のような身体障害者までに献身をお願いしなければならないのが「私(神)の事情」だというのです。

それは神の懇願でした。さすがの私も神の事情と心情を知って
むせび泣きました。いくつかの神体験がありましたが、この体験は決定的であり、強烈なものでした。

従って、私も神に直接献身したのであって、それ以外のものではありませんでした。もし誰かが、「あなたは何派ですか?」と問われたら、「神派です」と答えるでしょう。

シックの中には神によって導かれて、UCの信者になり、神によって導かれてUCを卒業する人もいます。

そのような人を軽々しく”去った”とか、”落ちた”とか、どこどこの”分派に行ってしまった”とか言ってはいけません。その本人の実存においては神からの召命を感じて行く場合があるのです。

しかし、卒業にも二種類あって、文字通り内的、霊的だけでなく、外的、実態的に卒業する人と内的にはとっくの間に卒業していても外的にはに、神から啓示がない限りUC・FFに留まっている人もいます。

宗教改革にも預言者のように、教会に留まりながら教会改革のメッセ-ジを発する人と教会の外にでて改革を志す人がいます。


UCは、分裂して批判しあうのではなく、献身した当初の神様との関係を思い出し、真の宗教改革を目指す群れである「神派」の人達の群れになってほしいなと思われた方はクリックお願いします。
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最大の分派はどこか?(家庭連合は他派を分派と呼ぶ資格などない)




2016/12/25、韓鶴子女史は統一教会天正宮で衝動的な発言を吐露した。

「私は腹中から3代一人娘の母系として血統転換し、原罪を清算して純潔で誕生した独生女だ。

ところがお父様は原罪を持って生まれた。私は一人娘として生まれたが、お父様には複数の兄弟がいる。

お父様が原罪なく生まれたなら、その兄弟たちも原罪が無いという話になる。したがって、お父様は原罪なく生まれたのではないと言うことだ」という。


さらに、12月30日に、430双以上の元老夫人たちを召集し、自分のidentityをより明確にする教示を下した。

「原罪を持って生まれたお父様は、原罪無く地上で生まれた独生女に会って原罪を清算した。したがって、お父様は私に会う前に、他の女性との結婚をしてはいけなかった」という。

この発言は確かに衝撃的ではあるが、文亨進氏がすでに”沈黙を破って”同じような内容を証していた。

それゆえ、同氏は韓鶴子女史との同居している中で聞いているので、有力な証言者になる。

もう一人証言者を挙げると、姜賢実(カン·ヒョンシル)長老の2016/12/21の声明文である。

「ところがある日、晴天の霹靂のような言葉が聞こえて来ました。お母様は{私は原罪が無く腹中から生まれた時から3代がきれいな純潔で生まれましたが、お父様は原罪と共にお生まれになった}と言いました。

いくら理解しようとしても理解が出来ず、数日間苦痛の中でもがき苦しみました。私の良心では受け入れることは出来ません」(Youtube参照)

という。これは衝撃的な証言である。なぜなら、韓国に来てから文師に最初に伝道されて以来、同師に忠実に従って来た信仰の手本となる人物の証言であるからである。

90歳を過ぎてわざわざアメリカにいる文亨進氏を訪ねて来ることは命がけの覚悟が必要であり、証言が偽りでなく真実で無ければ出来ない業であるからである。

家庭連合の長の付く者達の中には、これまで一緒に歩んで来た同士、友人、後輩が結構いるので、個人的に会って本部がどう対応するのかを聞いてみた。

韓女史の発言が虚言であると思っている人はいないが対策として伏せざるを得ないと言う。ごもっともな話である。

私が松涛本部の対策をしていた時、文教主の発言の中にはオフレコにしておかなければならないものは沢山あったのである。

当時の教会の顧問弁護士に相談してみたら、どこの宗教の教祖も啓示を受けて語るので法律に反することを言うものだ。だから法律的には各宗教法人の理事会が世俗社会との調和を図って対処するものだという。

どこの宗教も教団を守るためには”反社会”のレッテルを貼られないように対処するのである。

問題は家庭連合が韓鶴子女史の発言をまともに受け入れたら、教会の「復帰原理」は全面的に修正しなければならなくなるし、ひいては信徒の信仰を変更しなければならなくなる。

さらに、創始者である文鮮明師の原罪を独生女韓鶴子女史が清算させて文師を救ってあげたので、メシアは創始者ではなく、まさに独生女である韓鶴子女史であると言うことになってしまう。

それゆえ、これを受け入れてしまったら家庭連合は最大の分派になってしまう。対策としてはオフレコで通す以外に道はないであろう。

しかし、このような事情を抱えたUC家庭連合はH1やH2、さらには他の分派と呼ばれている派を分派と呼ぶ資格はない。なぜなら、パンドラの箱を開けたら、自分たちが最大の分派になってしまうからである。



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編 集

桜井正上さん声明文に対する師観の感想 (UCは二世教育にもっと力をいれるべきではないか)




桜井正上さんが声明文を発表されました。ピンとこないところもありますが、ところどころ心に響くものがありましたのでコメントしてみましょう。



声明文より引用:

「HJ 天苑は誰のためのプロジェクトなのでしょうか?食口のためでしょうか?世界平和のためでしょうか?それを見た人々が、本当に心から父母様を慕い、そこに“神の摂理”を実感するようになるのでしょうか?

私は清平の地に新たな建造物が立ち並んでいく姿を見る度に、喜びや感動よりも“痛み” を覚えました。私の信仰のなさ故でしょうか? 食口たちの苦労と窮状を知る牧会者の皆さんなら、同じような思いを抱かれないでしょうか?」

声明文の引用終わり



これに対する師観のコメント:

・旧約時代のメシア(油を注がれた者)たちの使命の一つはエルサレムに神殿を建てることでした。

大同小異はあれ、どこの宗教も木や石やその他の材料で神殿を建てますが、信仰心が動機ですから敬虔なものを感じさせてくれます。

原理によれば、人間は堕落して万物より劣るものに成り下がってしまったというのですから万物で神殿を建て、神がそこに住みたもうを見なすのは自然な発露でしょう。

・しかし、それはあくまでも神殿の象徴であって、実体の本神殿は創造目的を完成した人間であり、その家庭なのです。

それゆえ、聖書は「人は神の宮」だというのです。それゆえ、我々自身が神殿になるべき存在であって、万物の神殿ではないのです。それゆえ、「HJ天苑は誰のためのプロジェクトなのでしょうか?」という問いかけは当然でしょう。

そんなお金があるのなら、祝福の子女たちを本神殿になるための教育金付与や学校を建設することの方がましでしょう。

したがって、「清平の地に新たな建造物が立ち並んでいく姿を見る度に、喜びや感動よりも“痛み”を覚えました」は全く同感です。

韓国には、リトルエンジェルや鮮文大学など教育施設はあるでしょうが、日本には何もありません。献金の為に自己破産させられたり、それに近い状態のために、まともな教育をして上げられない家庭と子女たちはいたるところにいます。

象徴神殿に類するような箱物の建設費用と維持費のために、本神殿である祝福の子女を犠牲にするとは本末転倒なのです。

・宗教が求心力を失い、衰退してくると大きな箱物を建設して、盛り上げようとするものです。

カトリック教会がそうでした。時の法王レオ10世はサン・ピエトロ寺院を膨大な費用を掛けて大装飾し、勢いを取り戻そうとしたのです。その費用を得るために免罪符を発行し、免罪符事件を引き起こしたのです。

家庭連合のHJ天苑プロジェクトはサン・ピエトロ寺院にまつわる歴史的な事件を想起させます。三つ巴に分裂し、衰退して行くUC・FFを盛り上げようとする必死の抵抗のようです。

・ところで真の家庭において、子女たちが離婚、一線を越えた堕落、略奪婚、駆け落ち、事実婚等々はカインの子女の立場にある祝福家庭が子女様たちに侍らなかったからでしょうか?

私は侍りすぎたからだと思います。アメリカのシックは正直です。子女たちを上に持ち上げ、チヤホヤし過ぎているのを目の当たりに見てきた宮使いの姉妹が、西欧の王家の子女たちがそうであるようにこれでは堕落すると言ったのです。

事実はその通りになったのです。チヤホヤし過ぎといえば、韓国のナッツ姫事件はその典型でしょう。

・最後に、この声明文を通して感じるものは桜井正上氏の本心・良心に忠実に書かれている事です。



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