原罪について(人類の救済の為にどんな貢献をしたかが神においてはもっと大切なこと)




最近はTMの生まれながらの無原罪説と独生女論が話題になっていますので、「原罪」そのものについて勉強しておく必要があるようです。

講論によれば、原罪とは「人間始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪をいい、この原罪は全ての罪の根となるのである。p121」だという。

それゆえ、アダムの子孫は全員、例外なく原罪を持って生まれたことになります。

しかし、ある36家庭の先生は文鮮明師は原罪なしで生まれたといいます。その理由は、アダムとエバが生まれる以前にも、神は人間を創造していて、その人達は罪を犯さなかったという。

その証拠は聖書に、カインが神にエデンの東に追放される時、”人々がカインの罪を知って、殺すかもしれない”と恐れたので、神はカインの額に印をつけて、保護した、とあることから明らかであるというのです。

この子孫達が韓半島にやって来て、その子孫が文家であるという。天父教という、古代の宗教が韓国にあって、そこに、その善なる、“神と共にいる人”、すなわち堕落しなかった人々のことが書かれているそうです。
 
ここで、大事なことは、アダム・エバ以外にすでに人間がいたことが聖書に書かれていることなのです。

すると、あなた方、アダムの子孫は原罪を持っているかも知れないがこの人達は違うということになります。だから、ユダヤ教は原罪を認めていないのです。

それでは、キリスト教はどうなのでしょうか?キリスト教根本主義者や福音派は原罪を認めていますが、主流のリベラル派は人間には罪があることは認めていますが原罪を認めているわけではありません。

そもそも原罪と言う教義は4世紀に出現したアウグスチヌス(354年生誕、391年司祭)によって構築されたものです。

彼においての原罪は、アダムから遺伝された罪として理解された。その際、両親の性交が罪の遺伝の機会と考えられた。この考えの特質は、罪が実体化されたことと、生物学的装いを施されたことである。

罪は一種の遺伝子のような実態であり、それが性交と言う生物学的過程を通して遺伝される、と言うのです。

この説の難点は:

1.罪と言う人格的ものが遺伝と言う非人格的・生物学的過程に還元されたこと、

2.遺伝概念は罪責としての主体的責任を基礎づけ得ないこと、である。

したがって、原理が説く論理的、実証的、科学的観点からみても、原罪が非人格的・生物学的過程に還元されることを科学的にどのように証明できるかが問題になって来ます。

さらに、遺伝概念の主体的罪責を生まれて来た子供に基礎づけるとどうなるであろうか?

分りやすい例として、韓国兵に強姦されて生まれて来たベトナム女性の子供に罪の責任を問うて良いのかという問題を挙げることが出来るでしょう。

1.子供は敵兵の子供だから敵兵の子供で、しかも強姦は罪なので
罪の子である。

2.子供にも母にも罪はない被害者なので、敵兵の遺伝的責任の概念を子供に負わせてはならない。

UCは果たしてどちらの立場に立つのだろうか?

原罪と言う概念が遺伝概念の主体的罪責を生まれて来た子供に基礎づける限り、UCは1.の立場に立ちます。

2.の立場に立つと、我々、子供達はアダム・エバの被害者になります。なぜなら、自分の意志で罪を犯していないからです。

したがって、個人の人権を重んじる先進国の憲法は何処の国でも親の罪の遺伝概念の主体的罪責を生まれて来た子供に基礎づけてはいないでしょう。

次に問題になるのは、無原罪の現実的価値です。

アダムとエバは無原罪で生まれましたが、立派に堕落してしまいました。統一家の無原罪の子供達も数名を除いて性問題を起こしています。

祝福家庭の二世達も家庭部の調査では6割は堕落していると言われています。

逆に、昔の日本のように、性の解放が未だなされていないイスラムや仏教の発展途上国の有原罪の人々の方が童貞や処女が多く、家庭を守っているのです。

したがって、大切なことは無原罪であろうが無かろうが、現実の実態生活において、

1.神と正しい関係をたもち、

2.人間と人間との正しい関係をたもち、

3.人間と宇宙自然界との正しい関係をたもっている

ことが最も重要なことなのです。

ちなみに、イエスは放蕩息子の話を通して、自分には罪が無いのだと言っている人よりも、たとえ罪を犯してもそれに気がついて、心から悔い改めて神のもとに帰って来る人を親なる神は無条件で受け入れることを説いているのです。

それゆえに、イエスの神観は日韓併合で韓国がソ連や中国に共産化されずに済んだことを忘れて、日本に1000年の恨みを置くとか、誰かさんのように、日本のUC信徒に日韓併合の蕩減を負わせ、何時果てることも知らない献金奴隷制度を制定したりすることを説いてはいないのです。





TMが、アダムとエバが生まれながらの無原罪でも堕落したにも拘らず、無原罪であることに過剰に価値を置いて今更、自分が生まれながらの無原罪の独生女であるとか、TFが16歳で無原罪になったとか、どうでも良いことを持ち出す事よりも、生前中に先ず第一に、堕落した統一家の子供達を復帰し、朴サムエルの恨みを解放し、人類の救済の為にどんな貢献をしたかが神においてはもっと大切なことなのではないかと思われた方はクリックお願いします。
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UC,家庭連合の生き残る道(我々の事業体を見た者は、神の国を見たものなり)




UC・家庭連合はこのまま行くと鳴かず飛ばずで歴史の片隅に人々から相手にされない忘れ去られた存在となって行くでしょう。

もっとも、文教主のみ言葉の中に宗教の目的は宗教の要らない社会にすることで、UCから家庭連合になったのですから、それで良いのです。

UCがその目的を果たして家庭連合になったのならそれで良いのですが、現在の状態では名前が変わっただけで、UCの旧態依然の組織はそのまま残っており、解散しない限り、しがみついて継続しようとするでしょう。

名前がどうあれ、統一原理教が生き残る道は何であろうか?

これまでの超教派運動で親しくなったUCに好意的な牧師達に聞いてみると、異口同音に文師をイエスの上に置いたらキリスト教界は相手にしないという。

それはごもっともな見解で、文師の家庭そのものが三つ巴に分裂して、争っていては、クリスチャンだけでなく、人類そのものがそこにイエスが出来なかった創造本然の家庭の姿を見ることは極めて困難でしょう。

文師は十字架は勝利ではなく、イエスは失敗したと言い切りましたが、キリスト教徒は、そういうあなたも失敗したというでしょう。

そこで、UCの信徒達が、客観的現実を無視して、文師は完成、完結、完了したと言ったから、勝利なのだといったら、キリスト教徒はイエスだって、十字架で”全てが終わった”と言ったのだから、十字架は勝利だと言い返すでしょう。

この好意的な牧師達の見解では、文師をイエスの上に置かないで、イエスの下でイエスからイエスがやり残した仕事を託された人として位置づけるか、キリスト教の復興を託された人として位置づけると、UCはキリスト教の一派として生き残るかもしれないというのです。

これはとても現実的な見解です。なぜなら、キリスト教の歴史を見ると色々問題がありましたが、クリスチャンと言えば、総じて良い印象を世界の人々に与えています。

特に、マザ-テレサの働きはキリスト教の世界的評判に貢献したことでしょう。したがって、キリスト教が世界的市民権を獲得し、せっかく築いてくれた基盤の上に神氏族メシア活動を展開したならば、賢い展開となるでしょう。

ところで、顕進氏はUCでは泥棒であり、サタンなのですが、社会的にはGPFなどを通して市民権を獲得しているようです。

これに対して、UC・家庭連合は、”あんなものは何だ”と言って、批判していますが、批判するのであるのなら、それ以上に市民権を獲得出来るプロジェクトを展開しなければなりません。

しかし、残念ながら、UC・家庭連合が一貫してやっていることは日本を韓国に従属させることと、永遠の献金奴隷化です。

それゆえ、文師の腹違いの実の息子,朴サムエルから:


「結論はこうです:私の祖母や母は、統一教会運動がこのようになったことに調印契約をしませんでした。

二人とも、個人崇拝や、特に日本での多くの者が貧窮にさせられた、メンバーに対する霊的、経済的奴隷制も、承認しませんでしたし、韓国人を中心とした特権支配層が作り上げた、文家が住んでいるへつらいで作られた覆いを維持し強化することにも、同意しませんでした。

もし統一教会が少しでも実行可能で法的な組織になろうと望むのなら、その名前どうりに、”統一”に立ち戻る必要があります。

メンバーの大多数が何も持っていない一方で、なぜ文一家が、何十億という莫大な海外の預金をもっているのかは、欲と腐敗以外のなにものでもありません。

ことわざに、“慈善は家庭で始まる”とあるように、統一教会運動が一つの世界家族を作るという創立の要求に生きる時であり、ただの口先だけの信心になってはならないのです。

私たちが、表に出てきたのは、偽りになってしまった統一教会運動に参加することを止めて、自分達の力を取り戻す勇気をもつよう激励したいと願ったからです。」


 
と言われてしまうのです。これは一般社会、特に日本にすっかり根付いてしまった認識でしょう。

「私たちが、表に出てきたのは、偽りになってしまった統一教会運動に参加することを止めて、自分達の力を取り戻す勇気をもつよう激励したいと願ったからです。」

と言われてしまうと、”お前に言われたくない”と言いたい信徒もいるでしょうが、そのためには先ず、市民権を獲得する活動をしなければならないでしょう。

本来なら、万民一家族の理念の下に、事業に才能がある食口が集まって、利益が出るイスラエルのキブツのような農場経営や会社経営が出来れば理想的でしょう。文師はそれを目指して、色々な事業体を立ち上げましたが、失敗したものがあまりにも多い。

しかし、失敗は成功のもとと言いますから、誰かへの献金を目的とした事業体ではなく、成功を目的とした事業体への挑戦は不可欠です。

「イエスは私を見た者は神を見たものなり」と言いましたが、「我々の事業体を見た者は、神の国を見たものなり」と言えるものが絶対必要なのです。




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弱肉強食について(アボジはスーパーマンではありません)





弱肉強食に関してTFの次のようなみことばがあります。


すなわち、鉱物は植物に、植物は動物に、結局は人間にすべて吸収されることを願うのです。ですからすべての存在は、捕まって食べられたり、吸収されたりして、より高い愛の次元に上がり、最後は愛の根源であられる神様の最も近い愛を受ける立場まで進んでいくようになるのです。
(東西南北統一は真の愛で/真の愛は誰もが願う)


すべての万物は、自分の横的なる人格完成の素材なのです。みんな愛を求めて、互いに食べられないと、その道は行けないのです。ですから弱肉強食という論法は、宇宙存亡の原則を無視する結論です。  

君たちも毎日、何かを取って食べているでしょう? 何かを殺して食べているのですね。牛肉を食べるのは、みんな牛を殺して消化していく泥棒なのです。もし裁判にかけるとすれば、一番悪いものが人間です。

なぜかというと、みんな許しもなしに、乗っ取って食べてしまうからです。ですから、よく挨拶してから食べなければなりません。食物は言っているのです。「ワー 悪魔の実体に食べられるのは嫌だー」と。しかし愛の実体に、「早く、早く、食べてください」と言うのです。消化されて、愛の極致に入って、そこで元素が解放されるのです。 (真の自分を探しましょう)

以上みことばからの引用



これは一つの解釈であって、あらゆる分野の科学から検討してみる必要があるでしょう。

TVで鷹が鳩を狩りをする場面がありました。しかし、その鳩は何とか逃げ切りました。 それを見ていた原罪がないという祝福の子女の二世達はほっとして良かったね、と言いました。

誰も高い次元に吸収されなくて残念だとは言いませんでした。これは彼らの自然な本性から出て来た感性だと思います。それではこの自然な本性は神から与えられた本性でしょうか、それとも堕落性でしょうか。私は神から与えられた本性だと思います。

かつて私の村人の1人が自分の飼っている牛を屠殺場に連れて行く途中で涙を流したという。その人は動物の本能で自分が殺されるのを感じとったからだと思ったという。

自分が愛情をかけて育ててきたものを殺すことは、たとえ家畜であっても辛いものです。私の姉は逃げ惑う鶏が捕えられて、断末魔の叫び声をあげて首を切られるのを見て、鶏肉を食べられなくなりました。

そこで、質問ですが、アボジが鶏を捕まえようとしたら、喜んで捕まえられるでしょうか。また、殺される時も叫び声をあげないで殺されるでしょか。私は、捕まえようとしたら、同じように逃げるでしょうし、叫び声を上げると思います。

アボジは釣りが好きですが、魚がアボジだからだといって、自分から釣ってくれといってよってくるわけではありません。

釣れない日もあり、かえってお供の弟子たちの方が釣れる時があります。弟子がアボジより大きな魚を釣ったら大変です。それ以上の大きい魚を釣ろうとして、夜空に星が出るまで粘るのです。お陰で、弟子達は大事な会議に遅れたり、出れなくなったりします。

また、アボジが魚を釣り上げる時、魚は嫌がって必死でもがいて逃げようとします。現実は「早く、早く、食べてください」という感じではありません。

恐ろしいことは何処の宗教も教祖を妄信して、美化することです。メシアとは使命においてメシアであって、アダムと同じ生身の人間です。

アダムとは違ったスーパーマンでもありません。同じでないとアダムの蕩減にはならないのです。アボジはイエスの十字架は失敗の結果だ、と言ったからには、今度はクリスチャンからそういうあなたも失敗者だ、と言われることを覚悟しなければなりません。

H2はTMがアボジに従わない反逆者と見なし、批判しますが、世間の人々、すなわち、人類はアボジは自分の妻も子女達も主管出来なかった人と見なします。結果として、TM,H1,H2の三つ巴の分裂をもたらした人と見なすのです。

ところで、動物を殺すことを嫌がる人たちは動物愛護協会などを設立し、その中には人間は本来動物を食わなくても生きて行けることを説いたりするベジタリアンも沢山います。

困ったことには文化の違いからトンチンカンなことを唱える人たちもいます。捕鯨は禁止するが牛肉食はOKとか、日本や西欧ではイヌを食べたりはしないが、韓国はイヌを食べる文化で知られています。この文化を天の文化として押し付けられたら厄介な事になるでしょう。

なぜなら、一般の日本人には犬は家族の一員ですからさすがに食べるきがしません。にも拘らず、そのような民族と文化を選民と選民文化として崇めているUCは妄信的に見えることでしょう。

幸いそのような文化を天の文化として押し付けられてはいないようなのでせめてもの救いでしょう。



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家庭連合はアヘンか?(光を失った家庭連合の実態)




講論の総序を見ると、「あらゆる宗教は、暗中模索していたそれぞれの時代の数多くの心霊の行く手を照らし出していた蘇生の光を、時の流れと共に何時しか失ってしまい、今やそのかすかな残光のみが、彼らの残骸を見苦しくて照らしているに過ぎないのである」(p26)と書かれています。

残念ながら、皮肉な事に、この記述は現在の家庭連合にあまりにも良く当てはまります。「あらゆる宗教」を「UC・家庭連合」に直すだけで、その通りになってしまうのです。

残念ながら「家庭連合は、暗中模索していたそれぞれの時代の数多くの心霊の行く手を照らし出していた蘇生の光を、時の流れと共に何時しか失ってしまい、今やそのかすかな残光のみが、彼らの残骸を見苦しくて照らしているに過ぎないのである」となっています。

三つ巴に分裂し、彼らの残骸を見苦しくて照らしているに過ぎないのです。

さらに、総序は「初代教会の愛が消え、資本主義の財欲の嵐が、全ヨ-ロッパのキリスト教社会を吹き荒らし、飢餓に苦しむ数多くの庶民がたちが貧民窟から泣き叫ぶ時、彼らに対する救いの歓声は、天からではなく地から聞こえてきたのであった。これが即ち共産主義である。神の愛を叫びつつ出発したキリスト教が初代教会の残骸と化してしまった時、このように無慈悲な世界に神のいるはずがあろうかと、反旗を翻す者達が現れたとしても、無理からぬことである」(p27)と言う。

UCにおいては愛があって優しい教会長は信徒から無理に献金を取り立てることをしませんので、献金実績が下がり左遷され、ヤクザのように無慈悲に脅してでも献金を取り立てる教会長は出世し、長の位が上がっていきます。

献金の財欲の嵐が、全教会を吹き荒らし、自己破産を指示され、飢餓に苦しむ数多くの信徒がたちが貧民窟から泣き叫び、自殺者まで続出している時、彼らに対する救いの歓声は、天からか、地からかは知らねども、顕進派や亨進派から聞こえてきたのであった。なにやら、献金は自由意志で行い、祝福も聖和式もただ同然なくらい安いというのでそちらに行く人もいると言う。

もっと深刻な問題は韓国社会や国家の危機とそれを取り巻く国際情勢が厳しくなっている時に家庭連合が「手を束ねたまま、何の対策も講ずることもせず」(p27)、日本からの献金だけに意識が向いていることです。

UCは地上天国実現のために、再臨主が降臨たと言いながら、いつの間にか地上天国実現に全く無関心になり、祝福を受けて無原罪になり、死後天国に行ければそれで良いような個人の救いのみに関心が行っていることです。

セウル号事件やナッツ姫や水かけ姫事件で、韓国人の資質が世界から問われ、法王から「韓国は生まれ変わらねばならない」とまで言われても、教主と教権側が率いる家庭連合は何の社会浄化運動をせず、実体の伴わない人格完成を説いている。

清平で先祖解放の儀式でもすれば、人格完成に近づき、韓国人の資質が変わるとでも思っているのでしょうか。

聞くところによると、日本人信徒からの収入源の一番多い場所が清平だという。従って、現実的には清平は人格完成は二の次で献金集めの場に過ぎません。

さらに、10億円は貰うが慰安婦像を建てつづけ、日本から盗んだ仏像を裁判所が韓国の物だという判定を下す始末です。

しかし、UC教主も信徒もそれに対して何の抗議もしない。それどころか、韓国の世界日報は慰安婦像を建てつづける行為を支持する論調を書く。

日本の教会内部でこれを批判するものは誰もいない。まるで、韓国に日本を売る人々の集まりのようです。特に韓国人牧会者は安倍政権に批判的です。

さらに、崔順実ゲ-トで朴クネ政権が危機に直面していた時に、家庭連合は何の役にも立ちませんでした。マルクスは宗教はアヘンであると言いましたが、この言葉はまさしく今のUC・家庭連合にあまりにも当てはまります。

以下は古参の食口が久しぶりで教会の礼拝に参加した時の感想です。


1、日本UC内で、日本を誇ったり、愛国心を公表することに関し、公言しにくい空気がある。

2、韓国を批判することに関し、公表しにくい雰囲気がある。韓国に限らず、どの国に対しても、良いものは良い、悪いものは悪いとして公正に評価すべきである。つまり教会内言論の自由に懸念がある。

3、最近、日本UCで、一体ここはどこの国の教会なのかとの印象を持った。国籍不明であるとの印象を受ける。礼拝で家庭盟誓、天一国国歌、万歳三唱などがハングルでなざれている。個人的希望としては、日本語で行えばいいのにと率直に感じる。

4、日本UCとしての意思表示がほとんど無く、顔が見えない。日本UCの信徒数、経済力、影響力などから言って、世界UCのあり方や、日本UCの権利について、もっと発信や提言があっても良いのではないか。

今まで、ただ従順に従っていくだけだったが、これからはきちんと自己主張していくべきだと思う。日本は安部政権になって、戦後初めて世界に向けて発信を始めて、日米で世界をリードしていこうという明確な意思を表明するようになった。安部政権を見習うべきだ。



残念ながら「家庭連合は、暗中模索していたそれぞれの時代の数多くの心霊の行く手を照らし出していた蘇生の光を、時の流れと共に何時しか失ってしまい、今やそのかすかな残光のみが、彼らの残骸を見苦しくて照らしているに過ぎないのである」となってしまっていると思われた方はクリックお願いします。
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TMの父親について(これは天からの秘儀として受けとるべきか)




ある人から次のようなコメントを頂きました:


TMは自らの父のことを一言も話しませんね。その理由は血分教団に属していた時の血分によって生まれたからです。前後の状況から考えてたどり着く結論です。他に理由があるならコメントしてください。



これに対する師観のコメント:

ネットで調べてみると、洪順愛ハルモニが「血分け教の開祖」である李龍道と信仰的な係わりがあったことが記述されている。

「血分け」とは原罪のない教祖との性的通過儀礼を含む人の血統を浄化するための宗教儀式であるという。

堕落は性行為を通して天使長からエバへ、エバからアダムへと受け継がれて行ったのであるから、復帰はその逆の経路をたどることになる。

洪順愛ハルモニがその儀式を通して韓鶴子女史を産んだとしたら、韓鶴子女史が生まれながらの無原罪の独生女論を唱える根拠となるでしょう。

但し、それを唱えたからと言ってシックがそれを受け入れるかどうかは、受け入れる人と受け入れない人とに分かれるでしょう。

問題点は李龍道はアダムの子孫でありながら、どのようにして無原罪になったのかが問われるでしょう。

その説明が出来ないと韓鶴子女史がいくら生まれながらの無原罪の独生女論を唱えても説得力に欠けるでしょう。



以下はネットの参照:

▼ 洪順愛ハルモニ(韓鶴子女史の母=テモニム、1914~1989)の証言

光言社『ファミリー』(1987)より

「19歳になった時に、李龍道牧師が新しい役事を始めたので私も3日間の恵みを受けました。また李龍道牧師と同じ復興師であった黄国周氏が、人々に多くの恵みを与えました。

黄国周氏の一派は約50名余りだったので、間島から新しい役事を起こして、韓半島を巡回していました。

血分け(ちわけ、韓国語: 피가름(ピガルム))とは、異端キリスト教が行う、教祖との性的通過儀礼を含む人の血統を浄化するための宗教儀式であるとされている[2]。

韓国・朝鮮の宗教を研究する渕上恭子は1993年に、1930年代のキリスト教神秘主義に始まりイエス教会の系譜に連なる聖主教や統一教(統一教会)などの教団や、黄国柱などの周辺にみられた神秘主義者を「血分け教」と呼び、李龍道を「血分け教の開祖」と位置付けているが、・・・


注:ネットだけでは不十分なので、文教主の側近として初期の時代から文教主に仕えていた36家庭のB夫人に伺うことにしました。

Q:以下の内容は信憑性があるので、知っていたら教えて欲しい。恐らく、B夫人なら知っているのでしょう。

TMは自らの父のことを一言も話しませんね。その理由は血分教団に属していた時の血分によって生まれたからです。前後の状況から考えてたどり着く結論です。他に理由があるならコメントしてください。

A:そのとうりだとママさんは証をしていました。フォンハルモニ(大母さま)が腹中教にいた頃に血分けの儀式が行われ、父親に当たる方はその後家庭に帰ったそうです。

UCの歴史編纂に詳しい人物からの応答では、夫の名は文慶裕氏ということでした。彼のコメントでは文慶裕氏はクリスチャンであったとされていますが、マリア摂理を理解していたとすると、それが血分教団であった可能性はある、ということでした。

それはそれとしてB夫人は36家庭でTFの側近で、UCの歴史の生き証人ですから、一部始終をつぶさに見てきていますので、間違いないでしょう。


この問題に対する師観のコメント:

「血分け」というと一般の人々は破廉恥な教義たと思うでしょうが、シックまでがそのように思ってはいけないと思います。

むしろ、これは天からの秘儀として受けとるべきでしょう。文教主が出入りしていた金百文のイスラエル修道院の教義も「血分け」です。

堕落は性関係によって天使長からエバへ、エバからアダムへと展開されて行ったので、復帰はその逆の経路をたどるのです。

原罪がないとされている教祖から女性信徒へ、血統転換したその女性信徒から、男性信徒へと清めの儀式は展開されて行くのです。

この教義は原理の血統転換の洗礼ヨハネ的役割を果たしているのです。血統転換の基礎理論としての意義があるのです。

その違いは、「血分け」は性行為のリレ-が連綿と展開されて行くのに対して、原理の血統転換は祝福をうける男女に限られ、文教主から祝福を受ける女性信徒へ、その女性信徒か祝福を受ける男性信徒へと展開され、そこで止まるのです。

それを象徴的に執り行うのが聖酒式であり、夫婦間で執り行うのが三日行事です。ちなみに、文教主も36家庭の先生方も李龍道を摂理的人物として尊敬していると言う。

そのような李龍道のところに出入りしていた洪順愛ハルモニの独り娘を文教主が妻として選んだということはそれなりの天的意義があったのでしょう。これは妥当な理解の仕方だと思います。



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